お弁当と仲直り
「う、ううん」
頭を押さえて杏奈が起き上がる。
「杏奈! 大丈夫⁉︎」
「なにこれ。どこ?」
「大丈夫? 痛いとこない?」
「なんか頭がくらくらする」
桜はダストを見た。
「一時的なものだ。すぐに治る」
桜はほっと胸をなでおろした。
「杏奈、今までごめんね」
「何が?」
「私に怒ってたでしょ」
「私が? 桜に?」
杏奈がきょとんとする。
「記憶を消していったようだな」
ダストが言う。
「私、何か桜に言ったの?」
桜は首を振った。
しかしナルに増幅されていたとはいえ、杏奈に不満はあるのだ。
「何も言ってないよ。でも、言いたいことあるでしょう?」
杏奈は笑顔になった。
「言いたいことなんて別にないよ」
「嘘」
桜が断言すると、杏奈は驚いた。
「あるでしょう。私、杏奈になら何言われても平気だよ」
「嘘なんて……。私、なにも……」
「言ってよ。本当の気持ち教えてよ。言いたいことあるのに、隠して嘘の笑顔で付き合い続けるなんて嫌だ。そんなの、本当の友達じゃない」
杏奈の笑顔が引きつる。
「本当のこと言ってくれないのは、桜じゃない」
「私が?」
「そうよ。テニス部辞めた時も、一人暮らしを始めた時も、何も教えてくれなかった」
「ちゃんと言ったよ」
「言ってないよ。辞めたよ、一人暮らし始めたよって。教えてくれたのは全部あとから。どうして先に相談してくれないの」
「だってそれは……」
部活を辞めたのは生活費を稼ぐためだ。
やりたくて辞めたわけじゃない。
一人暮らしだってそうだ。
出て行けと言われなければ、出て行かなかった。
相談するもなにも、桜の意見など関係ない。
そうするしかなかった。
『相談したところでどうにもならない』
桜のそういった思いを、杏奈は表情から読み取った。
「そりゃ、私は桜と違って、勉強もスポーツもいまいちだし。ドジだし、まぬけだし。だけど、私はそんなに役立たず? 力になりたいの。少しは友達を頼ってよ」
「私、杏奈のことを役立たずだなんて思ったことないよ。杏奈は優しいし、いつも私の話を聞いてくれるし。女の子らしくて、私にはないものをいっぱい持ってると思ってる」
「じゃあどうして何も言ってくれないの?」
「それは……」
「やっぱり私のこと役立たずだと思ってるんじゃない」
「違う!」
「じゃあどうしてよ」
「それは……。嫌だったの……」
杏奈ははっと息を飲んだ。
「私のこと、嫌だったの?」
「違う! そういう意味じゃない」
桜は慌てた。
どうしていつも、こういう言い方になるのだろう。
「私、杏奈と話すの楽しかった。ドラマとか、音楽とか、そういう話をするのが楽しかった」
「私も楽しいよ」
「杏奈と話している時が一番楽しかった。だから、ずっとそういう話をしていたかったんだ」
「桜……」
「私ね、杏奈に可哀想って思われたくなかったの。親が死んで、家から追い出されて、哀れだなって思われたくなかった」
「哀れだなんて。思ったことないよ」
「杏奈は優しいもんね。そんな風に思わないの知ってるよ。だから、ごめん。私のことを哀れだと思っていたのは、私自身だったのよ」
桜は恥ずかしそうにうつむいた。
「だから杏奈にも、そんな風に思われてる気がした。それで変に避けちゃった。お弁当も、受け取ると、余計に惨めになる気がして」
「ごめん! 私、無神経だった!」
「いいの。私が悪いの。私が勝手にいじけていたの」
杏奈は桜を抱きしめた。
「ごめんなさい」
「私こそ。ごめんなさい」
桜も杏奈のことをぎゅっと抱きしめた。
「おい、誰か来るぞ」
ダストが気配を感じ、桜に伝える。
「いけない。今日は鍵を借りていないのに」
慌てて屋上から出る。
するとテニス部の部長と鉢合わせた。
「今日はいいの?」
部長が鍵を掲げて見せる。
「うん」
部長は桜と杏奈を見比べた。
「もう必要ないみたいね」
「今までありがとう」
「たまには部活にも顔だしなさいよ」
部長は桜のおでこをぺちんと叩くと、階段を登った。
教室に入ると、杏奈はサブバッグを握りしめ、もじもじした。
「お弁当、もらってもいいかな?」
桜が言うと、杏奈の顔がぱぁっとほころぶ。
「もちろん!」
「ありがとう」
そして、ある事に気づく。
「あ、ダストも一緒に食べていい?」
「うん!」
杏奈は笑顔でうなずいた。
「良かった。ダスト、一緒に食べよっか」
杏奈から受け取った弁当をダストに見せる。
ダストはこくんとうなずいた。
そのやり取りを見て、杏奈が不思議そうな顔をする。
「え? ダストくんもお弁当ないの?」
「そうなのよ」
桜は苦笑いをした。
「お弁当、二個しかないんだけど……」
「うん。だから私とダストで半分こしてもいい?」
「それはいいけど。あ、じゃあこれ食べて。私、今から購買行ってくる」
杏奈が自分の弁当を押し付ける。
「いいよいいよ。作ってきてくれただけでありがたいのに」
「気にしないで。たまにはパンを食べたいと思っていたのよ」
「杏奈は朝パン派でしょ」
「最近お米に凝ってるのよ」
「絶対嘘じゃん。パン大好きじゃん」
「そう、大好きだから急に食べたくなっちゃった」
桜と杏奈は弁当を挟んで押し問答をした。
すると杏奈の頭にぱすんとコッペパンが乗った。
「今から行って残ってるわけないだろ」
恭平が杏奈の頭にパンを乗せている。
「今日は弁当ありつけそうになかったし、買ってきたんだ」
反対の手には、購買の袋を持っていた。
「部活終わった後に食おうと思っていっぱい買ったから、やるよ」
「でもそれじゃ、あとで食べる分がなくなるよ」
杏奈はコッペパンを頭から下ろした。
「誰かさんのおかげで最近昼飯代が浮いたからな。裕福なんだ。帰りになんか買い食いする」
「……ありがと」
コッペパンの中身は潰した玉子だった。
杏奈の好きなやつだ。
杏奈は綿菓子みたいな見た目をしているくせに、菓子パンより惣菜パンの方が好きだ。
「他にもいるか?」
恭平が袋を開ける。
「うわ、甘いのばっかり……」
恭平は水泳部員らしく、筋肉質ながっちりとした体をしている。
そのくせ甘いものが大好きだ。
「いいんだよ。食べた分だけ消費するから」
杏奈はごそごそと袋の中を漁り、唯一甘くない焼きそばパンを選んだ。
「あっ、それはダメだ」
「え〜。くれるって言ったくせに」
「これはダメ」
杏奈から焼きそばパンを取り上げると「これでも食っとけ」とチョコロールを渡す。
「まぁ、良いけど……」
杏奈は甘いものがあまり好きでないが、チョコレートだけは好きだ。
「ありがと」
「どういたしまして」
そう言うと恭平は自分の席に座った。
桜も座り、ダストが自分の机を桜の机にくっつける。
「わざわざ動かさなくても良くない?」
桜は言ったが、ダストは「いいや、必要だ」と断言した。
杏奈は近くの席の椅子を借り、向かいに座った。
「杏奈、ありがとうね」
「いいえ。どういたしまして」
桜は弁当箱の蓋を開けた。
インゲン豆の牛肉巻きと玉子焼き。
ブロッコリーのおかか和えとポテトサラダ。
プチトマトが添えてある。
「わぁ、美味しそう!」
彩りも栄養バランスも申し分ない。
桜の作るローコストだけを目的にしたご飯とは大違いだ。
恭平が振り返る。
「美味しそうじゃなくて、旨いんだよ。もっと逃げ回ってくれても良かったのに」
「恭平!」
杏奈が恭平を叩く。
「本当のことだろ。また俺にも作ってくれよな」
「もぅ。私、ちょっと手を洗ってくる」
褒められたのが恥ずかしかったのか、杏奈は逃げるように席を立った。
「良かったな」
「え?」
ダストが急に言ったので、桜は聞き返した。
「仲直りできて」
「うん」
桜はにっこり微笑んだ。
「なに揉めてたんだ?」
恭平がイチゴとカスタードのデニッシュを頬張る。
「人の会話を盗み聞きするな」
ダストが鼻の頭に皺を寄せる。
「こらっ。ダスト」
桜はダストに「めっ」とした。
しかしそのことが余計気に食わなかったらしい。
ダストは不貞腐れた顔をしてそっぽを向いた。
「そう言うな。この距離だ。勝手に聞こえるんだよ」
恭平が肩をすくめる。
「仲直りできたのか?」
「うん、大丈夫」
「ならいいけど。この前のことが原因なら、俺が悪かったから」
恭平に抱きしめられたことを思い出す。
「ちち、違うよ。それは関係ないの」
両手をぱたぱた振って否定するものの、顔が赤くなる。
「ならいいけど」
「どうしたの?」
杏奈が戻ってくる。
「べべ、別に!」
桜はさらに両手を振った。