いやがらせ
桜はとぼとぼと教室へ戻った。
いつの間に現れたのか、ダストが後ろをついてくる。
「本当に、記憶をいじらなくていいのか?」
桜はうなずいた。
「嘘の仲直りをしても、意味ないもん」
桜は席に座ると、教科書を取り出した。
教科書の表紙に、大きく『淫乱』と殴り書かれている。
ページをめくると何枚もビリビリに破られていた。
「誰がこんなこと……」
無言でダストが教科書を取り上げた。
元の状態に戻すつもりなのだろう。
桜がその手を止める。
「今はいいよ。犯人が見てたらいけないし」
「そうか。もう一冊作っておいて良かったな」
ダストが教科書を取り出す。
桜に見せてもらえばいいと言うダストを押し切り、ダスト用に複製しておいたのだ。
一度読めば作れるというので、全て読んで作ってもらった。
パラパラと見ただけで、ダストは全く同じものを作ってみせた。
「見せてもらっていい?」
「もちろん」
ダストが机を寄せる。
授業が終わり、帰ろうと鞄を持つと、サブバッグが妙に軽かった。
「あれ?」
開けてみると、中は空だった。
「どうして……」
体操服を入れておいたはずだ。しかし入っていない。
ダストが横からをのぞき、おもむろに手を入れた。
鞄の中が少し光る。
ダストが手を抜くと、そこには体操服があった。
「ありがと……」
「問題ない」
ダストはサクラの頭に手をのせた。
「うん」
しかしサクラの気は晴れなかった。
教室から出ようとすると、担任の渡辺に呼び止められる。
「暁月、話があるから準備室まで来てくれ」
渡辺の担当教科である国語科準備室に入る。
「すまんな、他の生徒に聞かれたくないだろうから」
渡辺が気まずそうにする。
「同意書、まだ提出できないか?」
桜はうなずいた。
修学旅行の同意書が、ずっと未提出になっている。
渡辺がぼりぼりと頭をかく。
「暁月の事情は知ってるよ。でも同意書がなければ参加できないんだ」
「じゃあ不参加でいいです」
「しかしなぁ、高校の修学旅行というのは、人生で一度しかないんだぞ?」
(そんなのわかってるよ!)
嫌というほどわかっている。
成績が下がるのも我慢してバイトを詰め込んだ。
積立金が足りないからだ。
同意書だけならまだお願いできる。
しかし、学費を出してもらっている上、旅行代金までせびるようなことはできなかった。
桜の想いも知らず、渡辺が熱弁をふるう。
「今の君にはわからないかもしれないけど、高校時代というのは特別なんだよ。先生みたいな年になるとわかる。若いっていうのは、それだけで素晴らしいものなんだ」
(若さだけでお金は降ってこないのよ)
「どうだろう。先生からもう一度保護者の方を説得をさせてもらえないかな」
桜は慌てて首を振った。
「すみません、それは……」
「そうか。それなら……」
渡辺が桜の肩に手をかける。
「俺なら、色々と工夫できることもあるが──」
渡辺の顔が近寄る。鼻息が荒い。
「先生?」
「無理にとは言わないけどね」
肩にかけた手がすすすと下におりる。
(触られた!)
お尻に渡辺の手の感触を感じた瞬間、渡辺は吹っ飛んでいた。
机の倒れる大きな音がして、渡辺が伸びる。
「ダスト!」
桜の前にダストが現れる。
「大丈夫か⁉︎」
桜はうなずいた。
突如、頭上で笑い声が響く。
見上げると、ナルがロッカーの上に座っていた。
「無様だねぇ」
「ナル!」
「聖職者が聞いて呆れる。教師でも性欲には勝てないのかな?」
「貴様!」
ダストがナルをにらみつける。
「おっと。私は何もしていないよ。ただ少し、蓋を閉める鍵を緩めたに過ぎない。教科書が破られるのも、体操服がなくなるのも、教師に猥褻行為をされるのも、全ては桜のせいだ」
ナルが両手を広げる。
洗練された、美しい動き。
それなのに、芝居じみている。
「疎まれ、憎まれている。皆我慢しているに過ぎない」
「うるさい!」
ダストが叫んだ。
「おお怖い。でも君のせいだよ。その女がこんな目にあうのは、君のせいだ。ダスト、君がその女に執着するからだ。違うかい?」
「違う! 悪いのはあんたでしょ!」
今度は桜が叫んだ。
「ふふふふ。それはどうかな? よく考えてみなさい」
そう言うと、ナルの姿はふっと消えた。
「ダスト、渡辺先生のさっきの記憶を消して」
「わかった」
ダストの手が淡く光る。
「これでいい」
桜はダストの腕に顔をうずめた。
「こんなのなんでもない。なんでもないよ」