ラブとライク
扉を開けると、カランコロンと可愛い音がした。
バイト先の喫茶店だ。
「こんにちは」
ホールには数人の客と、先輩の橘がいた。
橘はダストを見て「おや?」という顔をした。
しかしダストが光ると、橘は急に納得した。
「マスターなら奥よ」
「ありがとうござます」
橘に礼を言い、キッチンへ移動する。
「こんにちは」
ダストがぴかっと光る。
「空野くんね。桜ちゃんのいとこの。今日からよろしく」
ちょび髭に丸眼鏡のマスターは言った。
「よろしくお願いします」
ダストが頭を下げる。
「うんうん。いい子みたいね。バックヤードから制服出してあげて。桜ちゃんわかる?」
「はい」
バックヤードへ移動する。
ダンボールに詰められた制服を取り出す。
「本当に大丈夫?」
「問題ない」
「変なことしないで、言われたことだけやるのよ」
「わかってる」
「じゃあ着替えてくるから。男子はそっちね」
狭いロッカールームへ移動する。
女子の制服は、白の丸襟に、黒のワンピースだ。
白のエプロンをつけロッカールームから出る。
「うっ!」
ダストはもう着替え終わっていた。
白シャツに、黒のカマーエプロン。
とてもシンプルな制服だ。
「か、かっこいい!」
桜は思わずこぶしを握った。
「そうか?」
ダストは窮屈そうに襟元を触った。
「いいよ。すごく似合ってる」
シンプルだからこそ、ダストのスタイルの良さが際立っている。
桜は内心この制服を採用したマスターにグッジョブを送った。
「家で着ている服の方がいいな」
「だからそれは部屋着だって」
桜は苦笑した。
バックヤードから出ると、マスターは喜んだ。
「似合うじゃない。厨房のこと教えるからこっちいらっしゃい。桜ちゃんはホールお願いね」
ダストは言われた通り、マスターの後に続いた。
桜はホールへ向かった。
「橘さん、交代します」
「ありがと」
橘は持っていたトレーを桜に渡した。
「桜のいとこ格好良いね。付き合ってるの?」
「まさか! そんなんじゃないです!」
「いとこと同じお店で働くなんて、よっぽど仲が良いのね」
「たまたまです。バイト探してたから。紹介しただけで、深い意味はありません」
「ふ〜ん。桜って、浮いた話ぜんっぜんないよね。好きな子とかいないの?」
「いないですよ! そんなの!」
「そんなのって。女子高生なら好きな人のひとりやふたりいて普通じゃない?」
「ふたりいるのはまずいと思いますけど」
「そう? 私が高校生の頃なんて、あの子もいい、この子も素敵なんて、すぐ思ったけどね」
「橘さんって、大学のニ年生ですよね?」
「そうよ」
「高校生だったのなんて、ついこの間じゃないですか」
橘はふふんと笑った。
「高校生と大学生を一緒にするなよ」
「大学生になったら、そんなに変わりますか?」
「まあね。変わるっちゃあ変わるし。変わんないっちゃあ変わんないね」
「どっちですか」
「どっちも本当よ」
桜は不服そうに口を尖らせた。
「桜は進学希望よね。このまま聖寵の大学に進むの?」
「できればそうしたいですけど……」
「成績悪いの?」
「いえ、成績は良いです」
「言うねえ」
「努力してますから」
「じゃあ問題ないじゃない」
桜は黙って苦笑した。
「ま、悩みの尽きない時期よね。頑張れ〜」
気楽に言うと、橘は手を振り去って行った。
(悩みねぇ。ホント、尽きないわ)
小さくため息をつく。
桜には夢がある。
医師になることだ。
両親が生きている頃は、将来などぼんやりしていた。
適当に付属の大学に進み、受かった企業に就職する。
そう思っていた。
しかし両親が亡くなった。
事故だ。
医学がどんなに進んでも、救えない命がある。
そのことを初めて体感し、医師を目指したいと思った。
少しでも、救える命を増やしたい。
明確な目標を得た途端、壁にぶち当たった。
経済的理由だ。
医学部の授業料は高い。
桜の通う聖寵学園には、医学部も設置されている。
しかし学費が免除される特待生になるには、厳しい条件がある。
その条件をクリアできるほど、桜の成績は良くない。
生活費を稼ぎながらでは、成績は中々上がらなかった。
「はぁ〜」
今度は大きなため息がでて、思わず口をふさぐ。
「どうした」
突然話しかけられ、桜は驚いた。
「ダスト。厨房は?」
「桜のそばにいないと意味がない」
「また記憶を操作したの?」
ダストが神妙な顔をして黙る。
「なに?」
物言いたげな表情にたじろぐ。
「桜はあの男が好きなのか?」
「あの男? ナルのこと?」
「違う。桜の前に座っている男だ」
心臓がドキッとする。
「恭平くんのこと?」
「桜はあの男が好きなのだろう」
「へえ⁉︎」
思わず変な声が出た。
「なんで、急に、そんなことっ! まさか、遺伝子の情報⁉︎」
ダストは首を振った。
「桜の触れられたくないところに、もう勝手に触れない」
「そっか。ありがと。じゃあどうして?」
「抱き合っていただろう」
「へあっ⁉︎」
先ほどより、もっと変な声が出た。
「ななななな、なんで⁉︎」
「見ていた」
「見ていた⁉︎」
あの時ダストの姿はなかったはずだ。
「またナルに何かされたらいけないと思って、姿を消して見ていた」
「遺伝子の情報を読み取るのよりたちが悪い!」
ダストが驚く。
「む、そうか」
「こっそりのぞくなんて最低よ!」
「しかし、心配だった。桜もそばから離れるなと言った」
「言ったけど! 言ったけどさぁ……」
そして気づく。
「そんなことできるなら、学校にも、ここにも、ついてくる必要ないじゃない!」
ダストが首をかしげる。
「姿を消せるなら、その状態でずっと側にいればいいでしょ! わざわざ危険をおかす必要ないじゃない!」
「むう。たしかに」
「どうして先に言わないのよ! 今までの苦労はなんだったのよ!」
「苦労、したのか?」
「したわよ!」
言ってからしまったと思った。
ダストがしゅんとする。
「……ごめん」
気まずい沈黙が流れる。
「それで、えっと、なんだっけ。そうそう、恭平くんのことだ。私、別に恭平くんのこと好きじゃないよ?」
「ではどうして抱き合っていた」
「ちょっと落ち込んでたから、慰めてくれたのよ」
「そうなのか?」
「そうよ。それに、恭平くんのことは、杏奈が好きなの」
「杏奈が?」
「だから私の入る余地なんて、どこにもないの」
「ふむ?」
ダストはよくわからなかったようだ。
「だからぁ。杏奈の好きな人を、私が好きになるわけにいかないでしょ?」
桜と恭平が知り合いになったのは三年生になってから。
その時にはもう、杏奈は恭平のことが好きだった。
だから桜にとって恭平は『友達の好きな人』というポジションだ。
「杏奈の好きな人を、好きになってはいけないのか?」
「そうよ。嫌じゃない。友達と揉めるの」
「友達と同じ人を好きになると揉めるのか?」
「揉めないかもしれないけど、揉めるかもしれないの」
「なるほど。桜は杏奈と揉めたくないのか」
「そうよ」
「ということは、恭平のことは少し好きだが、杏奈のことをもっと好きということか」
「んん? ん〜? んん〜?」
桜は腕を組んで考えた。
「そんな感じ、なのかなぁ?」
「では俺は?」
「は?」
「俺はどのくらい好きだ。恭平くらいか? 杏奈くらいか?」
「はぁ⁉︎」
「俺は桜が好きだ。一番好きだ。桜は俺のこと好きか?」
「いや、好きっていうのは、そういうのじゃなくてね」
「好きに種類があるのか?」
「あるよ。ラブとライクだよ」
「どう違う」
「だから、ライクは友達の好き。杏奈とかに対する感じよ。ラブはもっとこう、胸がきゅ〜ってなるっていうか、ドキドキするっていうか。その人のことしか考えられなくなるっていうか」
「俺はこの世界に存在した時からずっと、桜のことしか考えていないぞ」
「なっ!」
「桜のことだけを考えている。大事なのは桜だけだ。これはラブではないのか?」
「そ、そ、そ、そ!」
「桜はどうだ。違うのか?」
「違う!」
反射的に即答してしまう。
「違うのか……」
ダストがしょんぼりする。
「あ、ごめん」
深く考えて発した言葉ではない。
「ダストは私にとって、突然やってきて生活をかきみだす存在っていうか。なのに嫌じゃないっていうか。いたら安心するっていうか。いたら楽しいっていうか。ずっとひとりだったから、ひとりじゃなくなって嬉しいっていうか……」
「そうか、わかった」
「わかったの?」
説明していて、自分でも意味がわからないと思った。
「ああ」
「今ので何がわかったのかよくわかんないけど。わかってくれて良かった」
「俺は桜が好きだ。でも桜はそうでないとわかった。だから、桜にも俺を好きになってもらいたい」
「はぁ⁉︎」
「そのために俺は努力しよう」
「困るよ」
「どうして」
「だって、今はそんなことしてる暇ないもん!」
「暇?」
「バイト行かなきゃいけないし、勉強しなくちゃいけないし。男の子を好きになる暇なんてないの!」
「好きになると忙しくなるのか?」
「なるよ」
「どうして」
「どうしてって……。とにかくそうなの!」
桜が言い切ると、ダストは不服そうな顔をした。
納得していないようだ。
桜は最後のカードを出すことにした。
「今後またそんなこと言ったら、家から出て行ってもらうわよ」
ダストが衝撃を受ける。
「それほど嫌なのか?」
桜はうつむいた。
本当はこんなこと言いたくない。
しかし他に手段がわからない。
「うん」
「そうか……。わかった」
「何がわかったの?」
「桜と離れるより酷いことはない。俺を好きになって欲しいとはもう言わない」
ダストの返事を聞いて、桜はほっとした。
「そっか。ありがと」
「ああ」
「……ごめん」
「ああ」
(私は恋愛なんてしちゃダメなんだから……)
桜はそっと、胸の中でつぶやいた。