荒野の温もり
ダストは突然消えたナルの気配を追った。
ナルの気配は、あろうことか桜の学校に現れた。
「桜、ごめん!」
外へ出ないという約束を破ることになる。
しかし桜を守るためだ。仕方ない。
ダストは空間を渡った。
桜のいる屋上へ向かう。
ダストが現れた瞬間、ふたりはたしかにいた。
ナルと桜は睨みあうように対峙していた。
それなのに──
ダストが現れた瞬間、ふたりはどこかへ消えた。
左右を見渡す。
どこにもいない。
合成樹脂でコーティングされたテニスコートがあるだけだ。
「くそっ! どこへ消えた!」
気配を探る。
しかし、桜も、ナルも、見つからない。
気配を探れないほど遠くへ行ったのか。
「それとも、次元を渡ったのか?」
ダストは舌打ちをした。
次元を渡られてしまっては、探すのは容易でない。
ダストはフェンスに駆け寄った。
消える直前まで桜のいた場所だ。
桜の気配が一番強く残っている。
(桜……どこだ……)
フェンスをつかみ、意識を集中する。
(俺は桜の遺伝子を摂取した。繋がっている。きっと見つけられる)
己に言い聞かせ、細く細く意識を集中する。
「おや、バレてしまいましたか」
突然耳元で声がして、ダストは驚いた。
「ナル!」
「こっそりとやりたかったのですが」
「桜をどこへやった!」
「言うわけないじゃないですか」
ナルが笑う。
作り物のように端正な顔は、笑っているのに冷たい。
「なぜだ。なぜ桜を狙う!」
ダストはナルにつかみかかった。
紫色のシャツに皺が寄る。
「邪魔なんですよ」
胸ぐらをつかまれても、ナルは平然としていた。
「あの女はあなたに相応しくない。あなたに相応しいのは、あなたと同じ存在である、この私です」
ダストは唸った。
「桜の元へ案内しろ」
ナルは微笑みを崩さない。
「嫌です」
「この……!」
胸ぐらをつかんだまま、右の拳を振り上げる。
打ちつけると、ナルはびくともしなかった。
渾身の力を込めて打ったのに、微動だにしない。
頬に当たったダストの拳に、ナルが触れる。
その瞬間、ダストは宙に浮いていた。
天地がひっくり返り、地面に叩きつけられる。
ナルの膝がダストの背中を押す。
肺が潰され、息が止まる。
「体術もまだまだですね。経験値が足りません」
言い返したかったが、何も喋れない。
腕は捻りあげられ、身動きひとつとれない。
唯一自由に動く視線で、ナルを睨みつける。
「おや怖い。そのような顔をしなくても、いいじゃありませんか。私たちは兄弟なのに」
ダストは力を抜いた。
抵抗を止める。
「わかってくれますね?」
ナルが力を緩める。
それと同時に、背筋の力でナルを跳ねのける。
足払いをかけ、飛んでよけたナルに向かって猛烈に攻撃する。
小振りな牽制。
腰を落としたジャブ。
膝狙いのローキック。
「ふっふはは!」
ナルは嬉しそうに笑った。
「こうでなくては! あの女にこんなことができますか⁉︎」
ダストの攻撃はことごとくかわされた。
「人間などに何ができます。すぐに死んでしまうちっぽけな存在。そんなものに執着して、何になるのです」
「うるさい!」
ダストの蹴りがきまる。
しかし堪えた様子はない。
「楽しいですねぇ! あなたは私だ。同じ存在同士、仲良くしようじゃありませんか」
ナルが手を差し伸べる。
「そんなの関係ないって言っただろ。存在とか、そんなのどうでもいい。第一、全然楽しくない!」
ダストが吐き捨てる。
ナルはきょとんとした。
「楽しくないですか?」
「ああ。全くな」
「こんなに楽しいのに?」
「俺は楽しくない」
「そうですか……。あの女といるのは、楽しいのですか?」
ダストは鼻の頭に皺をよせた。
「当たり前だろ。だからさっさと桜の居場所を言え」
「なぜそこまであの女に執着するのです。あの女の、何が良いというのです」
「そんなの、全部だ」
「全部?」
「そうだ。桜は俺に名前をくれた。顔を、体を、作ってくれた」
「その程度のこと。私にもできます」
「髪を乾かしてくれた。料理を作ってくれた。体をさすってくれた」
「そんなことが大切なのですか?」
「俺のことをわかろうとしてくれた。理解しようと話を聞いてくれた。わかって欲しいと話をしてくれた。謝ってくれた」
ナルは何も言わなくなった。
ただ不満そうにしている。
「俺はお前じゃない。全然違う。俺は、ダストだ」
「ふん」
ナルが鼻をならす。
「わかりません。全くわかりませんね」
ダストは身構えた。
「わからなくて結構。桜の居場所を教えろ」
もう一度飛びかかろうとした時、ナルが言った。
「北です」
それだけ言うと、ナルの姿がかき消える。
「あっ!」
ダストは手を伸ばしたが、そこにはもう誰もいなかった。
伸ばした手を引っ込める。
(桜……。どこだ、桜!)
意識を北に集中させる。
すると、小さな小さな気配を見つけた。
「そこか!」
ダストは目を見開き、空間を移動した。
真っ白な視界に、艶やかな黒髪を見つける。
ブリザードが吹き荒れる中、桜に駆け寄る。
「桜!」
雪に埋もれるように寝転ぶ桜を抱き上げる。
「桜、桜! 目を開けてくれ!」
桜の顔が、雪と同じくらい白い。
長いまつ毛に霜がおり、凍っている。
唇は青く、信じられないほど冷たい。
「とりあえず場所を変えないと」
ダストは桜を抱きしめ、アパートへと移動した。
部屋の真ん中に現れると、桜の体にかかった雪を払う。
「どうしよう。どうしたらいいんだ。桜、目を開けてくれ」
以前、桜がそうしてくれたように、桜の体をさする。
しかし桜の体は一向に温まらない。
「桜、桜ぁ……」
ダストの目から涙があふれる。
「嫌だ。死なないでくれ」
ダストには死ぬということがよくわからない。
しかしナルは『人はすぐに死ぬ』と言っていた。
桜も死んでしまうのだろうか。
「嫌だ。置いていかないでくれ。桜、桜、桜ぁ!」
桜の両親は死んだと言っていた。
両親が死んだ後の桜は、ずっとひとりだった。
孤独だった。
絶望と後悔に満ちていた。
「嫌だ嫌だ。桜、目を開けてくれ。桜ぁ!」
桜のまぶたが少し動く。
大粒の涙が一粒溢れた。
「桜⁉︎」
薄っすらと、目が開く。
「……しょっぱい」
カサカサにかすれた小さな声だった。
ダストは桜を抱きしめた。
「良かった。見つかって、良かった……」
桜は戸惑っているようだった。
「ダスト? 落ち着きなよ」
桜が身を起こそうとする。
しかしダストが桜を抱きしめて離さないので、腕を伸ばした。
ダストはその手を握った。
氷のように冷たい。
自分の頬に押し当てる。
「もうダメかと思った。ごめん、桜。ごめん」
体温が全てなくなってもいい。
己の熱が、少しでも桜に移ればいいと思った。