避けて通りたい
桜はダストを見た。
くっきりとした二重瞼。
高く通った鼻筋に、大きな口。
南国系の濃い顔だ。
男性らしい顔立ちだが、垂れた目元が甘い。
「あのね、さっきダストが言った住所のことなんだけど。高校に登録してあるのは、元々私が住んでいた場所なの」
「すまない」
突然ダストが謝る。
「なにが?」
「知っている」
「そうなの?」
「遺伝子の情報は膨大だ。だからすぐに求める情報に行き着くことができない時もある。しかしあれから検索し、たどり着いた」
「そっか」
「だがなぜ桜が怒ったのかわからない。俺にわかるのは、怒っている状態だということだけ」
ダストはうつむいた。
「いてもいいと言ったのは桜なのに、俺がいると問題だとも言った。どちらにすればいいのかわからない」
桜は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「あれからずっと考えていた。情報もたくさん検索した。でも、わからないんだ」
桜はダストの手を握った。
桜より、ほんの少しだけ体温が高い。筋肉が多いせいだ。
温かで、柔らかく、ごつごつとした、普通の手。
普通の、人間の手だ。
「ごめんなさい。私、酷いことを言ったわ。私の勘違いなの」
「勘違い?」
「私、てっきり記憶を見られたんだと思ったの。その、遺伝子の情報っていうのがよくわからなくて、頭の中を覗かれたような気がしたの」
「遺伝子で記憶は見られない。情報が詰まっているだけだ。痛いや悲しい状態だというのはわかっても、なぜ痛いのか、なぜ悲しいのかはわからない」
「うん。今わかったよ。ごめんね」
「桜が謝ることはない。知らなくて当然のことだ。俺が異質なんだ」
桜は握りしめた手に力を込めた。
「あの、知ってるかもしれないけど、聞いてくれるかな? どこまで知っていて、どこからわからないのかが、わからないから」
ダストがうなずく。
「あのね、私が怒ったのはね、私にとってあの家のことを聞かれるのは、とても嫌なことだったの」
桜は大きく息を吐いた。
このことを話すには、自分の内面と向き合う必要がある。
本当は避けて通りたい道だ。
しかし桜はダストに酷いことを言った。
だから、その道を通ってでも、ダストに説明する義務があると思った。
「去年、お父さんとお母さんが事故で死んだの」
「知ってる」
「私はまだ未成年だから、保護者が必要なの。お父さんのお姉さんが保護者になってくれたわ。遺産とかよくわかんないんだけど、色々と手続きをしてくれた」
「うん」
「それで、伯母さんたちがうちに引っ越してきた。でも手続きが終わると、伯母さんは私に出て行ってって言ったの。アパートは借りたから、そっちに住んでって」
ぎゅっと奥歯を噛み締める。
ギリっと音がした。
「私の家なのに……」
悔し涙が一粒こぼれた。
「どうして私が出て行かなくちゃいけないのよ……」
父の、母の、思い出の残る家を簡単に奪われた。
追い出され、それなのに抵抗することもできなかった。
何もできない、ちっぽけな自分。
それに向き合うのが嫌だった。
しかし住所のことを説明するには、それを避けて通ることができない。
だから質問されただけで、あれほどまでに腹が立った。
すると突然ダストが立ち上がった。
「ダスト?」
桜はダストを見上げた。
「今から追い出しに行く」
「え?」
「そいつらを追い出せば、桜は家に帰れるだろう。すぐに済む」
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
渡り廊下の時のように、突然消えられては困る。
桜はダストにしがみついた。
「いいの」
「なにがだ」
「いいのよ。伯母さんが保護者になってくれなかったら、私は施設に行くことになってた。そうなると、結局はあの家で暮らせない。だからいいのよ」
「しかし……」
「仕方のないことっていうのはあるの。それはいいの。わかってるから。でも結局、本当には納得できてなくて、その気持ちを勝手に見られたのが嫌だったの」
「つまり、俺が嫌だと」
「ダストのことが嫌だなんて言ってない。でも家のことは、私の中でまだ上手く処理できてないから、無神経にそこに触れられたのが嫌だったの」
「だから、つまり、俺のことが……」
「だから! 勝手に記憶を見られたのが嫌だったの。でも、それは私の勘違いだったんでしょう? ダストに記憶を見ることはできないって」
「ああ、そうだ」
ダストがうなずく。
「だから、私の勝手な勘違いだったのよ。それなのに、ダストを傷つけた。本当にごめんなさい」
桜はダストの腰に抱きついたまま言った。
両親が死んだ時。
家から出て行ってくれと言われた時。
桜は不安だった。
どこに行けばいいのか。
明日どうなるのか。
全くわからない世界。
それはとてつもなく不安で、寂しくて、心細かった。
それなのに、ダストに同じことをしてしまった。
手を離し、立ち上がる。
「ダスト、ごめんね」
桜はダストに向かって手を出した。
ダストがきょとんとする。
「迷惑じゃないから。問題ないから。だから、一緒に帰ろ?」
ダストが不安そうな顔をして、桜を見つめる。
「いいのか?」
桜はうなずいた。
「俺は、桜の側にいてもいいのか?」
「うん」
「迷惑ではないのか?」
「何回も言わせないでよ。ダストが嫌なんじゃないって」
「本当にいいんだな? 桜の家にいていいんだな?」
念を押すように何度も尋ねる。
桜はダストが納得するまでうなずいた。
「いいよ。行くとこないんでしょ」
すると突然ダストが桜を抱きしめた。
「ありがとう!」
「ちょっ、やめなさいよ! はな、離して!」
「嬉しい。桜、ありがとう。ありがとう」
「やめてよ。離してよ。恥ずかしいよ!」
桜はダストの体を押したが、ピクリとも動かなかった。
「そんな喜ぶことでもないでしょ!」
「いいや、嬉しい!」
抱きしめる腕により力が入る。
「ありがとう桜! ありがとう!」
桜は抵抗したが、ダストはなかなか離してくれなかった。
「もぅ! いい加減にしてよ!」