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【完結】純白の抒情詩《リューリカ》  作者: 黒井ここあ
第一章 妖精とよばれし娘

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五、禁じられた遊び

 翌日、アルフレッドが小屋を後にして北の泉に行くと、朝にも関わらず彼女の方が早くに辿り着いていた。

 ケープをはおるのは変わらなかったが、フードは被っていなかった。

 その膝には彼の帽子を被った野兎が乗っていた。

 耳が折れて少し不格好だ。

 朝の挨拶もおざなりに、二人はまた奇妙に離れて湖畔に座った。

 どう話題を切り出そうか、その機会をお互いに窺っていた。

 沈黙が辺りを支配する。

 リュリは片方の手を兎の丸い体に沿わせ、もう片方の手でアルフレッドの帽子を撫でていた。

 アルフレッドはその慈しむような手つきから目が離せなくなった。

 考えが四方八方に駆け巡る。

 どうして今日はフードを被っていないのか。

 どうしてアルフレッドの帽子をうさぎに被せているのか。

 そもそも、どうして兎を膝の上に載せていられるのか。


「そうやって寄ってきてくれると打たなくて済むからいいな」


 彼の絞り出したような声に対し、彼女は無邪気に小首を傾げた。


「何が? 打つ? 何を打つの?」


「これで。そいつを仕留めるんだ。おいしいシチューの為に」


 アルフレッドがおずおずと弓矢を掲げて見せると、リュリは丸い瞳を見開いた。


「そ、それ……怖いやつだ……」


 白い顔を青白くさせて彼女は膝上のうさぎもろとも木の幹の後ろに身を隠した。

 そして恐る恐る頭だけを出してアルフレッドの様子を窺い始めた。


「どうしてそんなに怖がる?」


 彼は呆れて呟くと同時に、彼女を狙い打ったことに謝罪をしていないと気付いた。


「……ごめん、俺のせいだよな」


 リュリが首を縦にぶんぶんと振ると両手に抱えたうさぎもその反動でぷらぷらと下半身を揺さぶられた。


「あの、怖いのはアルくんだったんだね」


「真っ白でふわふわしてうさぎみたいだったから、つい」


 じっとねめつけてくる彼女は真剣に怒りを表しているのだろうが、なんだか拗ねた子供のようで愛らしかった。

 リュリが口を尖らせる。


「怖かった」


「……悪かったって」


 彼女はアルフレッドの謝罪を受け入れたのか、口をへの字に曲げたまま、ずんずんと彼のところに戻ってきた。

 うさぎは身じろぎもせずされるがままだ。


「多分、うさも同じ気持ち」


 アルフレッドはうさぎを目前に付きつけられた。

 すぴすぴという湿った鼻とアルフレッドの高い鼻が触れそうな距離で獣臭さが彼の鼻腔を支配する。


「……ごめんって。でも食べないと生きていけないだろ? ……だから」


 狩った後、死んでぐったりとしたうさぎを物同然に扱ってきたアルフレッドだったが、生きているうさぎを間近で見る機会はあまりなかった。

 目前で黒いつぶらな瞳がおどおどと閉じたり開いたりしている。

 そこから視線が逸らせない。


「……お腹、減るのはみんな一緒、だもんね。……うーん……」


 リュリはうさぎを引き寄せるとその頭にかぶせていた帽子をくるくると弄んど。

 すると泳いでいた翠の瞳がぱっと見開かれた。


「ね、ちょっとまっててね!」


「え? もう行くのか?」


「ううん、すぐ戻ってくる!」


 彼女はそう言うなり、帽子をかぶったうさぎを両手に抱えたままうきうきとした足取りで木々の中に姿を消した。

 そして軽やかな少女の足音が小鳥のさえずりの合間に消えた。


「……」


 手持無沙汰になったアルフレッドは愛馬の手綱を木の枝から外してやると、おもむろに湖畔に横たわった。

 自身の生まれた伯爵家には無い、穏やかな昼下がりに、そっと胸のつかえが取れる気持ちがする。


「……静かだ……」


 木の葉を弄ぶ風が頬を撫で、木々のざわめきが鼓膜を心地よく刺激する。草と、土と、水のさやかな薫りがしっとりと辺りに充ちて、木漏れ日が優しくまぶたを撫でている。

 アルフレッドの意識がゆっくりと沈み、たゆたい、そして記憶の海から浮上する。

 辺りでは、小鳥たちが飽きずにおしゃべりを続けていた。

 いつからこうしていたのだろうかと訝りながら、湖畔独特の心地良さを堪能していた。

 凪いだ彼の心にふと、笑顔を絶やさない兄リチャードの顔と、その横で、かつて幸せそうにほほ笑んだ初恋の人――ユスティリアーナの顔が彼の瞼の裏に現れる。

 彼は失ってしまった幸せな時間と報われない自身の恋心を思い、しばし感傷に浸った。

 胸が一つ大きく上下し、自然と深いため息が出る。

 気がつくとかたわらに愛馬の呼吸が聴こえ、そちらの方に手を伸ばす。

 すると愛馬は鼻先を掌に擦り付けてきた。

 感じられた温かさと湿気に、アルフレッドはなんとなく安心した。

 一息吐くと、こちらに駆けてくるもう一つの異なる気配を感じ、彼は臨戦態勢を取ろうと素早く起き上がろうとした。

 だが駆けてきた生き物が小さい声を上げたとき、彼の額は何か固い物とぶつかってしまい、その反動でどさりと仰向けに倒れ後頭部を木の根にぶつけてしまった。


「っ!」


「いたたっ!」


 急に頭に襲い掛かった痛みと、突然の出来事に目を丸くして、彼は再び仰向けになった。

 アルフレッドが視線を右へ回して見たのは、ぺたりと彼に全身で覆いかぶさるようにして倒れこんでいる少女――リュリだった。

 少女独特の甘みを含む香りと体の軽やかな重さ、その柔らかさをアルフレッドは無視しようと努めた。

 彼女は彼の様子など気に留めずに一生懸命に起き上がろうともがいた。

 そして無防備なことに、アルフレッドに体を押しつけるようにしてじたばたとするから、その体を意識しないように並大抵以上の努力を求められた。


「って、あれ、起きてない? 痛くなかったのかな?」


 なんとかこんとか、自力で起き上がって相手の様子を調べられる余裕を手に入れたらしい彼女は、どうしよう、と間抜けな声を出しながらおろおろとしていた。

 そこで何を思ったのか、彼女はアルフレッドの顔を物珍しそうに指一本であちこち触れたりした。

 彼女の呼吸を近くに、そして顔を近づけられてじっと見られている気配を感じ、彼は鼻や眉がピクリと動きそうになるのを堪えるのに必死になった。

 あたかも動物のように彼の匂いを嗅いでいる、すんすんという音が聞こえるのが何だか面白かったのだ。

 リュリの無防備な様子に、アルフレッドの悪戯心が刺激されてきた。

 驚かせたらどんな反応をするだろう。にわかにわくわくしてきた。

 また《魔法の盾》が出てくるか?

 それか、ちょっと泣きべそをかいたりして――。

 彼は頃合いを見計らい、ぱっちりと瞳を開いた。


「遅かっ……!」


「ひゃっ!」


 灰色の瞳が捉えたのは、驚きで見開かれた翠の瞳だった。

 彼女の瞳が鏡になって、アルフレッド自身の顔が見えるほどの距離。

 彼の耳が急に、燃えるような熱さを持った。

 沸騰したと言っても過言ではなかった。

 リュリは飛び退った。

 その拍子にはらりとケープが落ちる。

 隠されていた両肩が露わになり、その頬は紅に染まっていた。


「お、おき、起きてたんだ!」


 彼女の慌てぶりはその舌の噛みっぷりからも明らかだった。

 しかし、仕掛けた本人であるアルフレッドも大概だった。


「あ……頭をぶつけたから! よくわかってないから!」


「そ、そうなんだ! よかった!」


「うん、そう!」


 口が空回りしていた両者とも、どちらともなく黙ると、俯いてしまう。

 アルフレッドは火照った顔色を見せまいと、左手で自身の顔を撫でさすった。

 間近で見た吸い込まれそうな翠色の瞳と、対照的に桜色をした唇の光景が目に焼き付いて、頭から離れない。


「……これ!」


 すると、リュリが何かを沢山詰めた籠を突き出してきた。真っ赤になっている顔を逸らしている。そして、ちょっぴり重たいのか、突き出す両腕がふるふると震えていた。


「……これ、畑で採ってきたから。うさのかわり、これで我慢!」


 彼女の籠は、被せたハンカチの下から緑や赤が溢れ出ていた。


「……ありがとう」


***


「……で、だ」

 アルフレッドは右手にはエヴァンジェリンの手綱、左手には野菜の詰まった籠を持って、日の落ちないうちから自身の小屋に戻った。

 リュリの手土産に入っていた人参をエヴァンジェリンが欲しがるままに数本くれてやると、アルフレッドは途方に暮れた。

 質素な机の上に並べられた野菜は、豆に次ぐ豆、芋に次ぐ芋、そして根菜という、火を通さなくては仕方がないものばかりだった。彼は盛大な溜息をついた。彼の腹もついでにと高々と歌い上げた。

「この家、鍋が無いんだった……」

 乳母の寄こしたマフィンも食べきり、彼は八方ふさがりの身となった。

 彼は少しだけ訝る。まだ、陽が落ちるのには十分に時間がある。エヴァも疲れてはいない。伯爵の居城までひとっ走りするのは難しくない考えだった。

「……不本意だが、一旦戻って、体勢を立て直すか……」


 アルフレッドが愛馬を走らせて二時間もかからないほどで、見なれた街並みと伯爵家が見えてきた。市街に入り、速度を緩やかに落とす。開けた通りを真っ直ぐ進んで、噴水の広場の前にある、屋敷を囲む堀、そしてそれに掛けられた渡し橋の前へやってきた。

「見慣れない馬車だな……」

 その広場には、客人の馬車を止める役割もあった。しかし、四頭の馬を付けている、黒く塗られた車輪が眩しい馬車だ。アルフレッドがエヴァンジェリンから軽やかに降りると、その見慣れない馬車の御者たちが一斉に敬礼をした。

 それを傍目に、アルフレッドは愛馬を連れて橋を渡った。

 城門のすぐ横に誂えられた厩で、愛馬を従者に託し、彼は正面入り口から帰宅するとすぐに、身なりの整った男が視界に飛び込んできた。

「……貴殿は……?」

 その男は、体の線を隠すようなたっぷりとした異国の衣装に黒い髪を持ち、そして顔の上半分を覆う仮面をつけていた。

「これは、これは。アルフレッド・ボーマン殿。ご不在と伺っていましたが?」

 アルフレッドには、この怪しい男の発した声が鼻についた。それが、気取った言い方のせいなのか、掴みどころのない声質のせいなのかはわからなかった。

「たった今、戻ったところなのです、お客人」

 アルフレッドはとっさに、直感的に感じた不快感が露わにならないよう、言葉尻を整える。角が立たない話しぶり。貴族にとって最も基本的な能力だった。

 異邦人は仮面の奥の瞳を少し丸くすると、次の瞬間、何かに納得したように眼を細めた。そして、大仰に礼をしてみせた。

「ああ、申し遅れまして、すみません。私は、第六〇代ヴィスタ女王ロザリンデ・ツィツェーリア・フォン・ヴィスタ陛下が右腕、ジークフリートと申します。以後、お見知りおきを」

 流暢な語り口、朗らかな口元。人を容易く手篭めにするような、落ち着いた声色。それに対し、目元を覆う仮面のせいで、表情が読めない。アルフレッドはそこはかとなく警戒心を覚えた。彼の瞳に宿った、隠しきれない眼光の鋭さが、引っかかる。

「お噂はかねがね。腕利きの魔術師と名高い摂政殿が、わざわざ我が家にいらっしゃるとは。それほどまでになさる理由が気になりますね」

 日頃一文字に結んでいる口元に、いつもはほとんど浮かべることのない柔らかな笑みを湛えながらアルフレッドは答えた。仮面の男も同様ににこやかだった。

「貴殿の義姉上、ユスティリアーナ・ボーマン未亡人にお話しがありましてね。いや、勘違いなされるな、レディにご足労願うのは、私の流儀に反するのですよ。それでは、失礼いたします。素敵な午後を」

 彼はそう言うと、そっと会釈をしてアルフレッドの横をすり抜けて行った。

 彼が去り際に残した、何かを燻したような、粘り気のある甘い香りも、何ともいえず、アルフレッドの鼻についた。


 アルフレッドは招かれざる客との邂逅に肩の力を抜き損ねながら、帰りたくもない我が家に足を踏み入れた。食堂の近くを通ると、既に晩餐の支度の為に女中へ指示を飛ばすハンナに出くわした。

「あらっ? 随分とお早いお帰りですね」

 アルフレッドは無言でハンナに野菜の籠を手渡すと、彼女の声を背に受け、足早に自室へと向かった。

「今夜はこれで良いポタージュが作れそうですよ。後でお持ちしますから、楽しみにしていてくださいな」

 自室の前に辿り着くと、黒髪を二つに束ねた女中とはち合わせた。彼は、よくもまあ、立て続けに人とはち合わせる日だと思った。

 彼女はアルフレッドの登場に別段驚きもせずに、軽く膝を折る以外は髪と同じの黒い瞳をくるりと動かしただけで、ただ事務的に述べた。

「アルフレッド様、奥方様がお待ちです」


 姻戚上は家族ではあるが、血の繋がらない未亡人の自室に行くため、アルフレッドは面倒に思いながらも湯浴みをした。濡れた肌を柔らかなタオルで拭うと、嗜みとして薔薇水を軽く首元へ振りかけた。そして彼は手持無沙汰にならぬよう、狩りを始めてからほとんど使うことのなくなった小剣を携え、自室を出た。

 よく磨かれた床を鳴らしながら女主人の部屋へと向かう。すれ違う人々は、彼を目に入れた瞬間その作業を止め、深々と礼をした。それがまた、彼の身分を嫌でも思い出させる。

 部屋の前には先程の黒髪の女中が控えていた。彼女は彼の姿を認めると主の部屋へ続く扉を恭しく引いた。彼は軽く礼を述べ、立ち止まることなく部屋に入り、未亡人の待つテラスへ歩みを進める。その後ろから、扉を閉じた女中が茶器を携え従った。

 午後の日差しが優しく暖めている丸机にいる彼女は、物憂げに彼方へと視線を向けて腰かけていた。結い上げたブロンドの髪が、そこに散りばめられた真珠と共に光を受けている。

 アルフレッドは彼女の首の細さに一瞬目を奪われるも、気を取り直して声をかけた。

「義姉上、先日はご無礼を失礼しました」

 彼は先日犯した、感情そのままの行動を詫びた。これも、建前のひとつである。

「あまりに急な話だったので、心の整理がつかず。取り乱してしまったこと、どうかお許しいただきたい」

 小さな失敗を回収するのも円満な関係を維持する秘訣であった。もっとも、二人の関係性を円満とするかは、別の問題だったが。

 アルフレッドの様子を気に留めることなく、若い女中は丸机の上にお茶会の支度を控え目に進めていた。義弟のいるほうに体ごと向き直った未亡人は、寂しそうに笑みを形作る。

「先日の件は、あんまりにも急でしたものね。わたくしにも不備がありました」

 どうぞお掛けになって、と優雅な動作で彼女は彼に着席を促した。アルフレッドは未亡人の右手を恭しくとって許しを請うた後、言われたとおりに席についた。しかし、不備という言葉にどこかひっかかかる気もしていた。

 二人の貴人が着いた丸机の上にはお茶の合間に摘まめるような軽食と、たった今淹れられたお茶が二人分用意されていた。

 女中は支度が終わると後ろにさがり、いつでも命を受けられるようにして扉の近くに控えた。その様子に気付いた未亡人が彼女に軽く目配せをする。女中はそれを見るなり、深々と礼をし、部屋から退出した。

 アルフレッドは小剣の帯を椅子にかけ、音もなく茶器をとった。穏やかな風にテラスの薄いカーテンがゆらめく。彼が注がれた濁りのない液体を一口飲み干すと、その鼻腔にふんわりとジャスミンの香りが満ちる。その香りは、目の前の貴婦人が愛している香りだった。

「それで、お話があるというのは?」

 唇をカップにつけたまま、ほとんど動かさずに問うアルフレッドに、未亡人が答える。

「ええ、あの縁談の件は白紙に戻しましたし……。せっかくですもの、久しぶりに舞踏会へは顔を出してはいかが?」

 アルフレッドは自身の肩が緊張にこわばるのを感じた。憧れの姫君だったユスティリアーナは、彼が最も警戒すべき女傑として羽化し、幾度となく彼に試練を与えてくるのだ。

 貴婦人は、穏やかな微笑を湛えたままだった。ゆったりとした話しぶりも、その表情に一番しっくりくる。心の内を全く透かさないその様子は、失踪した兄のそれと瓜二つだとアルフレッドは思った。

「仮面舞踏会ならば、あなたも気楽に参加できるでしょう、アルフレッド?」

 しかし、アルフレッドの心に、また一つしこりが出来るのも確かだった。おかしい。どこかが不自然だ。突然、縁談が無くなったのには、何か裏があるはずだ。警戒を強めておくに越したことはない。

「その舞踏会ですが……、先程までいらしたお客人と関係が?」

 かちゃり、と音がした。未亡人が持っていたカップを置いたのだ。彼女が日頃ほとんど立てることのない食器の音を、アルフレッドは聞き逃さなかった。

「初めてお会いしましたが……。あの方が、ロザリンデ陛下の摂政、かの有名な魔術師ジークフリート殿だそうで。そんな貴賓があるならば、私も同行いたしましたものを――」

「あら、なんと嬉しいお申し出かしら。でも、どうやって、森のどこかにいるあなたまで、伝令を飛ばせばよかったのかしら? わたくし、いつも頭を悩ませていますのよ」

 未亡人はさすがに、揺さぶりに対する耐性が強いと見えた。アルフレッドは少しむきになってきて、語気を荒げ始める。

「突然、王宮から魔術師殿がいらっしゃることは無いでしょう、ご存じだったのではないですか?」

「お手紙を頂いたと同時に、あの方が御到着なさったのよ」

「……そうですか」

 二人の言葉が途切れる。彼は気まずさを、ぬるくなった紅茶で一気に飲み干した。

「ところでアル……」

 未亡人は突然、その声色を変えた。

「あなた、あの小汚い帽子を捨てたのね? ついに決心してくれたということかしら。嬉しいわ」

 ユスティリアーナはその笑顔同様のおっとりとしたメゾソプラノで言った。

 義弟は怒りに瞳を燃やした。だが茶器を机に叩きつけるような愚かしい真似はしなかった。

 アルフレッドにとって、虹色の羽がついた帽子は、父親から与えられた勲章のようなものだった。それは彼女も知っているはずだというのに。愚弄ともとれる言葉に、彼はたまらず言い返した。

「ユーシィ、君っていう人はそこまで……!」

 だが彼女は子供を諭す母親のように、ぴしゃりと言ってのけた。

「あなたがその《眼力のギフト》でみなを助けているのは知っていますけれど。それにしても狩人遊びがすぎますわ。接待にも十分の実力を持てたことですし、この家の当主として、十分に土地と住民を知りえたではありませんの」

 氷のような声を受け、しばしの沈黙が小さなお茶会を包む。風がその空気を暖めようとカーテンを優しく揺らす。未亡人は首を回しテラスから見える小さな噴水を眺めた。

 アルフレッドは小剣へ腕を伸ばした。そこには、もう話すことが無いという、退出の意思が見えた。

「お茶の時間をゆっくり過ごすのは、お厭なことかしら?」

 未亡人は陶器のように滑らかな頬のふくらみを動かさず、口元だけを少し動かした。

「未婚の男がご婦人の部屋にあまり長く居るのも、良い趣味ではないと思っていますから」

 頭に血が上った狩人は、立ち上がると彼女に刺すような視線をくれた。

 しかし、彼はお茶会が繰り広げられているテーブルを一目見ると、険しくしていた真船を緩め、ほんの少しだけ表情を和らげた。そして、悪戯っぽく口元を綻ばせた。それは決して、未亡人に対して見せないもの。眼光の鋭さが抜けて、柔らかな光を宿す。

 未亡人は、はっとして彼を見据えてしまった。そこに、今はいない夫の面影を見た気がした。誰の心をも暖めるようなリチャードの眼差しが思い出され、彼女は口をきゅっと引き結ぶ。

 彼の口調そのものは行方の知れなくなった夫と全く正反対の武骨さがあるが、声の響きなどは年々そっくりになってきていた。ただ、弟の方は選ぶ言葉や語気はいつも冷ややかで、どんな人間にも攻撃的であった。それはまるで必死に兄と似るまいとするように。

 アルフレッドはそんな彼女の様子に目もくれず、目の前に並べられたほとんど手のつけられていない焼き菓子を手に取ると、こう言った。

「これをいくつかいただいても、レディ? 遊びに行くのに、必要ですから」

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