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【完結】純白の抒情詩《リューリカ》  作者: 黒井ここあ
第三章 その夢は誰が為ぞ

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三、ルールは後からついてくる

 遅めの朝食を終えたロザリンデは、部屋着のまま、王宮内の西にある図書室に籠った。

 乳母に言われたとおり、五年前のことを調べていたのだ。

 彼女はとりあえず、自身の出自に纏わる王家の系譜を手に取っていた。

 本来ならば、樹形図が天井から描かれている王家のホールに行けばよかったが、女王は首をもたげ続けるのを厭った。

 王家の人間は、生まれたその時からその命が尽きて葬られるまで、書記の手により日誌にその生き様を綴られる。内容は書記が臨席できる公の場と限られていた。その中には王家を支えた重鎮のことも、ほんの少しだけ記されていた。

 女王はそこに、自身の父親代わりだった人物の名前を見つけた。

「『賢人イグナート、何処かよりやってきたこの賢者は、三代の王をその力と知恵で助けた。ヴィスタ暦一一四四年十一月、第六十代女王ロザリンデ陛下に惜しまれながら葬られる』……。じいやのことは……これっぽっちしか書かれないんだ……」

 その項目を小さな声で読みあげた彼女は、書物の中のイグナートの扱いに不満を覚えた。

「じいやは、もっともっと凄かったのに。……こんな王家よりも」

 彼女はその本を元あった場所に戻すと、書物に溢れ返る図書室を見て、大きな溜息を吐いた。

 本棚の一番上まで仰ぎ見ていたロザリンデは、そのまま後ろに倒れそうな感覚に襲われ、首を元の位置に戻した。

 高い天井を持つ図書室は、その壁一面にヴィスタ王国が始まってから集められた書物が収まっている。

 天井の近くまで梯子を上って、全ての図書を閲覧するのは大変骨が折れる作業に思われた。

「……! そうだ!」

〈魔法のギフト〉を持たない女王は、優れた〈ギフト〉の持ち主を呼び出すことにした。

 仮面舞踏会の日から肌身離さず付けている小さな銀笛を軽く咥えると、彼女は一思いに息を吹き込んだ。

 これが普通の笛ならば、甲高い耳を劈くような音が辺りに響き渡っただろうが、ただ、ロザリンデの吹きこんだ息の音がしただけで、魔法の笛は何一つ音を立てなかった。

 彼女は、音のしない笛に不信感を抱いたので、たっぷり息を吸い込んでは笛を吹くを何度も繰り返した。彼女がすっかり疲弊したころ、後ろから嫌味な声が聞こえてきた。

「邪魔しないでくださいよ、陛下。せっかくいいところだったのに……」

「あら、やっときたわね。何をしていたのよ?」

 女王は息を荒げながら魔術師に言った。

 魔術師は乱れていた襟元を直している。その表情は仮面のせいで分からなかったが、彼の苛立ちはその声だけでもよく彼女に伝わってきた。

「リュリと楽しい時間を過ごそうとしていたんですけどね……」

「もう城にいるの? わらわも会いたい! それにしても、あなたのいう楽しいって、一体どんなことなのかしら?」

「ロゼにはまだ早いですよ」

「その言葉、聞き飽きたわ! 子供扱いしないで!」

 ロザリンデが仮面の男に食ってかかると、彼は面倒くさそうに彼女をあしらった。

「……で、用件は何です、陛下? 急いでいるんですが」

 彼の様子に一切構わず、女王は自身の望みを伝えた。

「そうなのよ、五年前になにがあったか調べたくて。あなた、何か知らない?」

「陛下、忘れていました。これが陛下の望まれていた例の本ですよ。私はこれで失礼します。なにしろ忙しいので」

 女王の問いに仮面の魔術師は答えず、彼女に一冊の本を手渡すと、図書室の扉を開けて出て行ってしまった。

 女王は唖然としたまま彼から本を受け取り、その表紙と彼の背中とを交互に見比べることしかできなかった。

 その本は『白金の小鳥』という題名を持っていた。

 その名は女王の琴線をかき鳴らすのに十分な力を持っていた。

 その話は、夢枕に乳母が話して聞かせてくれた憧れの物語だった。

「……資料を探すのは、この本を読んでからでも良いわよね……」

 ロザリンデは『白金の小鳥』を胸に抱き、図書室内を見回した。

 極力日光の入らないように設計された室内で、唯一天窓のステンドグラスから光が差し込む机を見つけると、彼女はそこに勇み足で行き、椅子に座った。

 そして、逸る心を抑えつけながら表紙を開いた。


 あるところに、シファナという、銀色の髪と真っ赤な瞳のお姫さまが居りました。

 大変珍しい見かけとその愛らしさから、お父さんである王さまは彼女をお城から一歩も出しませんでした。

 お姫さまには、いつも一緒にいる友人がいました。腕の立つ剣士見習いの金髪のネルボと、ドジな女中で栗色の髪をしたジョイです。

 お姫さまは十一歳になったある日、二人にこっそり言いました。

「明日から始まるお祭りに乗じて、城の外に出ようと思っています」

 ジョイはその計画に賛同しましたが、ネルボは渋い顔をして言いました。

「祭典には、あらゆる外国の人もやってきます。危険すぎます」

 ネルボの言葉にお姫さまは顔を暗くしましたが、ジョイが閃いて言いました。

「そんなに心配なら、みんなで一緒に行けばいいんだよ」

 そうして三人は計画を立て、王国のお祭りが始まる花火の音を合図に、厨房の裏口からこっそりと抜け出しました。

 ネルボとジョイはいつもの格好でしたが、お姫さまは、生まれてから一度も切ったことの無かった銀色の髪を肩の上まで切りそろえて、ジョイの用意した町娘の格好になっていました。

 窓の外から見ているだけだった街並みを歩いていると思うと、お姫さまの気持ちは天にも舞い上がるようでした。

 それに加えて彼女の目を引いたのは、異国からやってきた人たちの開いていた露店でした。

 お城の中で何不自由なく暮らしてきたシファナ姫でも見たことのないような壺や絵、衣装が沢山ならんでいました。

「これは一体どこの国から来たのかしら?」

 そう、お姫さまが二人の友人に尋ねようと振り向くと、二人はどこにもいませんでした。

 彼女は好奇心の向くままにあちこちを歩いていたので、二人とはぐれてしまったのでした。

 辺りを見回しても建物や道があるばかりでお姫さまには城に帰る道がちっともわかりません。

 お姫さまは二人の友人を探して歩きました。

 しかし、歩くのも段々疲れてきてしまい、お姫さまは心細さのあまりその場で泣き出してしまいました。

 泣かないようにと思っていても、不安な気持ちは涙をどんどん流させました。

 街の人は、泣いているお姫さまがいったい誰なのかわからず、どうしようかと思いあぐねていました。

 すると、一人の少年が進み出てきて、お姫さまに声をかけました。

「こんなところにいたんだね。迷子になったらだめじゃないか。さあ、こっちに」

 黒髪の少年はお姫さまの手を握ると、その手を引いて速足で人だかりからお姫さまを連れ出しました。

 泣いたせいで真っ赤になったお姫さまの顔を見て、少年はにっと笑って見せました。

 そしてポケットからハンカチを取り出してお姫さまの涙をふきました。

「どうしてお姫さまがこんなところに居るんだい?」

「お城の外に出てみたかったのです。でも友達とはぐれちゃって」

「へえ! 噂は本当だったのか! 僕も友達を見つけるのを手伝うよ」


 ロザリンデはここまでを読み終えると、目の辺りに疲労感を覚え、軽く目頭を両手で揉んだ。

 彼女の頭の中では登場する姫は自分に置き換えられていた。

 相手の少年は魔術師が良いかと考えたが、白い妖精に夢中の彼のことを思うと胸がむしゃくしゃしてきたので彼女はその案をきっぱりと否定した。

 座りっぱなしの足も心なしか痺れてきたような感覚があったので、椅子から立ち軽くその場で足踏みをする。

 すると、右足を乗せた床のタイルの一枚が深く沈んだ。

 まさかタイルが沈むとは思っていなかったので、女王は体の重心を崩してしまった。

 その拍子に部屋着の裾を左足で踏んでしまい、彼女は無様に転んでしまった。

「痛たた……。誰よ、ここのタイルを張った職人は? ……あら?」

 ロザリンデが埃っぽい床に伏せったまま悪態を吐くと、目の前の本棚が右にずれてゆくのに気付いた。

 彼女は立ち上がり、自身の手元を照らしていた燭台を持ちあげて本棚のあった場所を明るくした。その向こうには下降する螺旋階段が見えた。

「……?」

 真っ暗な空間に吸い込まれるようにして女王はその階段を下りていった。

 図書室から入ってくるあえかな光はすぐに見えなくなり、気の滅入るような数の階段を下りてゆくと、開けた空間にやってきた。

 そこはひんやりとしたカビ臭さに満ちた場所だった。喉にいがらっぽさを感じるほどだ。

 螺旋階段の壁は燭台を持っていなかったが、その空間には幾つも燭台があり、女王は自身の炎をそれらに移しながら慎重に足を進めた。

 女王が壁に沿いながらほとんどの蝋燭に火を燈すと、地下の空間は沢山の書物を壁に収め、床に丸い紋様を持つ部屋だということがわかった。

 大きな机の上やその横にも書物が積んであり、彼女がその本を手に取ると、手の触れた部分の色は変わらなかった。

 丁寧に掃除がされている様子から、誰かが今も使っている部屋なのだと女王は推測した。

 彼女はその本をそっと元の場所に戻すと、彼女の入ってきた入口から時計回りにゆっくりと部屋の中を探検した。

 女王の読めない言語で書かれた題名の本も多く、彼女は並んだ書物の背中をその黄金の瞳で撫でていった。

 すっかり部屋を一周してしまうと、彼女の足元に描かれていた丸い紋様が蝋燭のものとは異なる青白い光を発した。

 女王はその光から目が離せなかったが、それが一際まばゆく光った時、その腕で瞳を守った。

「きゃあ! 何っ!」

 強い輝きに暗闇での視力を奪われたロザリンデの瞳がもう一度暗い空間でよく見えるようになるには少し時間がかかった。

 彼女の目が蝋燭の橙の光に慣れると、彼女は先程光を放った紋様の中心に、部屋を見回った時には無かった本を見つけた。

 女王はそれを拾い上げて見たが、そのどこにも題名は書かれていなかった。

 彼女は緊張で胸が高鳴るままに、その本を開いた。

「なによ……。何も書いてないじゃないの……」

 彼女が開いたのは真っ白な状態の羊皮紙だった。

 がっかりして閉じようとした女王の耳に、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「……陛下、わしの声が聞こえますかな?」

「その声……! じいやなの?」

 それは六年前にその命の灯火を消した賢者の声だった。

 女王はどこから声が聞こえてくるのかと辺りを見回したが、イグナートの声がそれを止めた。

「陛下、わしはどこにも居りませぬじゃ。残念ながら陛下がこの声を聞かれる頃、わしの肉体は滅んでいることじゃろう」

 ロザリンデは本を開いたまま黙ってイグナートの声に耳を澄ましていた。

 その瞳にはたっぷりの涙が溢れんばかりになっていた。

「わしが死んだのは、他でもない、シュウというわしのただ一人の弟子のせいじゃ。奴には気をつけなさい。奴は竪琴を使って時間を超え、歴史を変えるつもりじゃ」

 女王は聞こえてくる懐かしい声が、苦しみで歪められているのに気づいた。

 今際の際、咳き込みながら言葉を紡ぐしわがれた声に、女王の涙の滴がとうとう零れだした。

「陛下、わしは嘘をついておりました。……陛下に〈ギフト〉は無いと……」

「え……」

 女王の涙が開かれた本の羊皮紙に染み込む。

「しかし、わしには判別のつかないような〈ギフト〉が陛下にはありますじゃ……。陛下はわしを許してくださらぬじゃろう……。それもいたしかたない。数え切れない罪を背負って、わしは旅立つとするよ……」

「やだ、やだ! じいや! わらわを独りにしないで!」

 どこからともなく聞こえてきていたイグナートの声が消えてしまうと、女王の手にしていた本は砂のように両手から零れ落ちてしまった。

 彼女の涙は、自身の掌で受けられた。

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