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【完結】純白の抒情詩《リューリカ》  作者: 黒井ここあ
第一章 妖精とよばれし娘

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〈組曲〉フーガ

 僕の幸せは、僕が歩いた旅路の分、増えていった。旅をした距離の分、優しい思い出が積み重なっていって、それは決して失われることが無いと思っていた。だから、あんなふうに全てが一瞬にして壊されることがあるだなんて想像もしたことが無かった。

 三歳になった妹を僕に任せて、両親が遠出をしたときがあった。それは妹が一人で立って歩き話すようになって、僕も十歳になり体が急激に成長し始めたころだ。

 事件は前触れなく起こった。

 羊を柵の中に追いやった僕に、話しかける声があった。

「坊や、髪の白い男は知らぬかえ?」

 その声は僕の耳のすぐそばで聴こえたように感じたから、すぐに振り返った。でも、近くに人はいなくて、日の落ちる方に細い人影があるだけだった。声の近さからはとてもあり得ない距離だと僕は思った。その影は揺らめきながら僕に近づいてきた。得体のしれない恐怖にとりつかれた僕は、その場から動けなくなっていた。

 髪の白い男―それは間違いなくアラムのことだと僕は解った。だが、突然現れた怪しい影に話す道理は全くないと僕は判断し、口を一文字に引き結んだ。握った拳に嫌な汗が滲む。

 棒立ちの僕にしびれを切らしたのか、影はもう一度尋ねてきた。

「よもや言葉がわからぬわけではあるまい。さあ、白い男を知っているだろう」

 この人物は、確信を持って僕に接触してきたんだ。そう、考えた。さあ、どうやって切り抜けよう。そう思案を巡らせているうちにも影は僕ににじり寄る。

「おにいちゃん、どこ、まだ?」

 すると、泣きべそをかいた妹が、テントの中から勢いよく飛び出してきた。揺らめく影と対立する僕を見て、妹は僕に駆け寄るのをためらい、立ち止まる。

「来ちゃだめだ!」

 僕が妹に声を荒げると、影もその頭をぐるりとまわして彼女を見た。彼は見たのだ。彼女の白い髪と、翠の瞳を。アラムからそっくり受け継いだ特徴そのものを。

「ほう……。子を既になしていたとは……」

 影は進行方向を妹の方に変えると、再びゆっくりと足を進めた。手を妹の方へ伸ばしながら近づくおぞましい物体に、僕の体が反射的に動いた。僕は自体が呑み込めていない妹を庇う。抱きしめた瞬間に、妹は僕のチュニックに必死にしがみついた。

 影の持つ長い指が妹に触れようとしたその瞬間、僕たちの周りで何かがはじける音がした。

「貴様ぁ……! この期に及んで何しに来た!」

 僕が顔をあげると、聞いたことのない怒号を発するアラムが傍に立っていた。いつ戻ってきたのか、まったく気がつかなかった。

 いつもの飄々とした様子が嘘のように、怒りに震えている父を初めて見た。彼の束ねた白い髪がうねり、彼の周りに静電気のようなものが弾けていて、それは僕たちをも包み込んでいた。

 影は、その光の壁に阻まれて一瞬たじろぐも、アラムの姿を捉えると、大きく笑い声を立てた。アラムは、それをじっと見据えていた。影がアラムに迫る。

「出来損ないが、何をほざく。さっさとあれを返してもらおうか」

「はんっ。出来が悪いのは親譲りでね」

 アラムがそう、唾と共に吐き捨てると、黒い影がふっと霧散した。すると、そこには年老いた男が立っていた。うっとうしいほど長い髭が、乾いたステップの風になびく。羊たちは恐れをなしてか、柵の端の、テントの裏の方に団子のように固まっていた。僕と妹も、同様だった。老人が体に見合わない響く声で言う。

「絃の張られていない竪琴なぞいらぬだろう。それはお主には扱えぬ。さっさとよこすのだな」

「貴様が持つよりも、随分ましだと思うぜ。むやみに時間をいじらせるかよ……!」

 アラムに余裕が無いのは、僕にもわかった。この老人は見かけによらず、何か大きな力を持っているらしかった。それに、知らなかったけれどアラムにも同様の力があったようだった。

 老人が不敵に笑う。アラムのそれよりも、もっと意地悪いように見えた。

「ほう、それがお前の答えか。……では」

 彼がその左腕を掲げると、その手のひらに小さな光がたくさん集まって―。

「シュウ、二人ともテントに入ってろ! 光が消えるまで出てくるんじゃない!」

 僕はアラムが叫んだ通り、妹を連れてあやしい光の及ばない場所に二人手を繋いでかけだそうとした。

「ひゃっ!」

 すると、足がもつれたのか妹が躓いて転んでしまった。間に合わない。そう思ったその時、僕たちと光の間に、一つの影が割りこんだ。それは僕たちの母のものだった。彼女は、寂しそうにほほ笑みながら、僕たちを庇った。

 そうして、僕たちはすべてをなくした。


 太陽がもう山の彼方へと旅立ってしまったとき、僕達は二人ぽっちになってしまった。羊もテントも無い。残ったのはアラムの荷物だけだった。

 僕と妹は、両親と財産のほとんどを一度に失った。残った荷物は僕たちにも持てるほどだったから、それらを持って移動を始めることに決めた。アラムと僕がしていたように。

 ステップ地帯から北に上るのには、しっかりとした防寒具が必要だった。それを作るための羊もいない今、北上はできないと思った。両親を追いかけるのに、何一つヒントは残されていなかった。途方に暮れる僕と、お腹が空いたことでしゃくりあげる妹……。

 僕は彼女を見て、昔の自分を思い出す。腹を空かせた僕が癇癪を起す頃、必ず近くには家の明かりが見えてきていたものだった。

「今晩は、あちらさんに泊めてもらおうか」

 そういうとき、アラムはきざっぽく口の端を持ち上げていた。そんな彼のことを思うと、僕も強くなった気がした。両親が死んだという証拠が何一つない今、生きているということに望みをかけようと思ったんだ。

 子供が二人だけで旅をするだなんて、笑っちゃう話だと思わないか。でも、そうせざるを得なかったんだよ。だけども、成長しきっていない小さな体に、長旅はこたえた。妹なんかちょっと歩いただけでぐずりだすから、歩く時間よりも休憩をとる時間の方が長かったくらいだ。

 その日も同様に街道を歩いていると、後ろから馬車がやってきた。僕は、次の街まで乗せてもらえないかと御者に頼んだ。街に行くだけの小銭は持っていた。いつもなら子供だと見るとすぐに断られるところだから、運賃もなしに乗せてくれるという申し出に浮足だった。しかし、これが僕の失敗だった。僕の人生で、最初で最大のね。

 ヴィスタ暦一一三七年、この年に大規模な誘拐事件があったのは知っているかい。あちこちの街から、子供が誘拐された、あの事件のことだよ。僕達は、その犯行現場に居合わせたんだ。というか、僕達が最初の被害者だったんだ。

 馬車に乗せてもらうと、中には強面の男性が二人いた。僕たちはその険しい様子に怯みながら、そっと馬車の端に乗った。ガタガタと揺れる馬車に、妹ははしゃいでいた。だが、その声を聴いて男たちが苛立っているのを僕は察知し、早く街に着かないかとそわそわしていた。だが、妹共々、いつの間にか眠ってしまっていた。

 馬車が急に止まった。不意にやってきた衝撃を緩めようと、手を伸ばそうとしたけども、いつの間にか僕の両手は拘束されていてそれが出来なかった。強かに腰を打った。それは妹も同じようだった。僕達の周りから声が沢山聞こえて騒がしかったので、僕は街に着いたのかと思った。すると、馬車の中から二人の男性が消え、代わりに僕と同じくらいか、それより下の子どもたちが十数名犇めいていた。

「おうちにかえりたいよう」

「おとうさん、おかあさん、ぼくがいらないこだからうられるの?」

 子供たちの悲痛な声が馬車の中で渦巻いていた。彼らは動けないように麻袋に入れられ、首だけが袋から出ていた。辛うじて呼吸が出来るだけであって、馬車が揺れるたびその衝撃に備えることが出来ず、ただ転がり、お互いがぶつかり合ったりしていた。彼らだけでなく、僕と妹も例外ではなかった。どうやら眠ったのは、疲れのせいではなかったようだ。

 僕達が、太陽の昇り下がりを数えられなくなった頃、ようやく馬車は止まった。ごわごわした麻袋に擦られて、肌のあちこちがひりひりした。知らない言葉が聞こえてきて、国境沿いだと推測した。そして、子供たちの麻袋が取られると、飲まず食わずの子どもたちが一人ずつ洞窟の中に運ばれる。僕はこのチャンスを見逃さなかった。

 僕は、麻袋の口紐がそんなにきつくないことを悟ると、なんとかそこから片方の腕を出して僕の荷物を漁った。僕たち二人が他の子どもたちと違ったのは、僕たちが旅の荷物を持っていて、いくらか食料を持っていたことだ。僕はそれを全て妹に費やした。子供たちが泣き疲れて眠ってしまった頃を見計らって妹を起こし、少しずつ食べさせていた。全てはこの時のため。

 僕は子供たちの中で一番成長していた方だったから、最後に大人二人がかりで連れていくことは目に見えていた。反対に妹の方は小さい部類だったから、最初に縄が解かれると踏んでいた。結果はその通りだった。妹の麻袋がすっかりとれたのを見計らって、僕はひとつ芝居を打った。

「い、痛い、腕がねじれて……! 助けてくれ!」

 その拍子に、妹が駆けだす。これも計画通りだ。しかし、何事もうまくはいかなかった。

「坊主はほっとけ、あのガキの方が高く売れそうだ! つかまえろ!」

 布で顔を覆った男たちが大股で走ると、小さな妹はあっけなく捕まってしまった。嫌がってじたばたと暴れる妹に、大男が拳を振り下ろそうとした瞬間、僕の中で何かが目覚めた。頭の中で何かが爆ぜたかと思うと、その場に居る妹以外の人間は、痺れてしまったかのように目を見開いてそのまま硬直していた。僕は、自分自身に施した見せかけの拘束を解いて、妹を捕えていた覆面の男の腕を外すと、妹と共に森の中へ駆けだした。それと同時に、男たちの目に見えない禁縛も解け、彼らは一斉に僕たちを追ってきた。僕は妹を抱きかかえて走りながら、その耳元に言い含めた。これは、僕の良心がさせたことだった。

「僕と離れたら、振り向かず走るんだ。そして、何もかも忘れるんだ。いいね?」

「やだよう。おにいちゃんもいっしょだよう」

 やだやだと首を振る可愛らしい仕草もここで見納めかと思うと、僕の目頭が熱くなるのを感じた。それを知ってか知らずか、妹も同様に翠の瞳にたっぷりと涙を浮かべていた。

 後ろからは大人が迫ってくる。時間は無かった。僕はそっと妹を下ろすと、彼女の背中をポンと押した。その一瞬、妖精の粉のような何かが、きらきら光りながら舞った。

「必ず、必ず迎えに行くから、その時は僕を……! さあ、走って!」

 彼女は一度だけ振り向いたが、全速力で走っていき、背の高い草むらの中にすっかり見えなくなってしまった。見えなくなった途端、僕の瞳から大粒の涙がとめどなく溢れ出てきた。僕は、幸せだった日々の象徴までも護れなかった。深い森の中でたった一人、生き残れるかもわからないのに、ただ悪戯に逃がしただけだ。

 草木を掻き分けるがさつな足音が僕に迫る。あの男のものとそっくりで嫌になる。今日はそれも複数いるときているから性質が悪い。僕は再び自身の運命を呪った。成長した妹の姿を、両親と共に見られないことが本当に悔やまれた。悔しくて、泣いた。

 目の前に、覆面の男たちが立ちはだかった時、僕はもう泣いてはいなかった。さっきの頭の中で爆ぜた力を、もう一度使ってみようと思った。頭の中に星の破片のような光を集め、一つの塊にしていく。集中すればするほどその塊は大きくなっていった。その塊が大きくなればなるほど、僕の体に巡る血が、熱く滾ってゆくのを感じた。

 今だ!

 僕の頭の中に太陽が出来上がった時、その瞳を見開くと、その太陽は現実のものとなって僕の目の前に現れた。男たちは、何が起こるのか予測できず、棍棒を構えたまま棒立ちをしていた。僕は、その時点で自身の優勢を悟った。そして、アラムのようにくいっと口元を引きあげてみせた。

 それを挑発と受け取った男が一人、僕に襲いかかってきた。僕はそいつに、僕の頭上にあるエネルギー体から一撃お見舞いしてやった。すると、肉の焦げた酸っぱい匂いが立ち上った。彼の耳が焼けたらしかった。彼は何が起こったのか把握するまでに少し時間がかかったが、すっかり焦げ付いた自身の肌に触れて悲鳴を上げ、逃走していった。

「あいつは運が良かったね。さあ、次は誰をこんがり焼こうか?」

 僕を取り囲む男たちが一歩二歩とあとじさると、その後ろから一人の人物がやってきた。

「つまらん子供ばかり集めていると思ったが、この子は実に秀でているね……。気に入った。どうだい、わしに買われてみないか?」

 その人物は、僕のことをすっかり忘れていたみたいだったけど、僕の方はしっかり覚えていた。両親を消した、あの影の持ち主だった。あの長い髭を間違うはずがなかった。

「お前ならば、わしの知識と力を授けても良い。どうじゃ、悪い話じゃなかろう?」

 僕は、心の中で彼を睨みつけながら、彼の申し出を笑顔で受け入れた。

「買われてあげます。本物の知識と力をくれるならね、先生」

 彼は満足げに笑った。僕はそれが本当に気に食わなかったけど、こいつの近くに居れば、全てを取り返す力と知識が得られるだろう、少なくとも両親を見つける手掛かりとチャンスが巡ってくるって、そう信じたんだ。

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