1章 5.5節 桜木美月
桜木美月には不満があった。周りから見ると誰もそんな事は思わないだろう。成績優秀、容姿端麗、裕福な家庭に暮らしており、その上今最も人気の男子と付き合っているらしい。自分もそのあたり客観的な自分に自負はあるが、それでも現状に不満はあった。
6年間クラスメイトも担任も同じ小学校生活は退屈だった。裕福なクラスメイト達は皆どこか同じような人間に見えた。もちろん性格も個性的な子が多く、将来の夢は皆それぞれが凄いことを考えていた。ただ自分にとって、それらの素敵な未来に全く興味が湧かなかった。もし誰かに、じゃあ貴女は何がしたいの?と問われても答えられない。それが彼女の不満であり、ストレスだった。中高一貫の女子高から、今の学校に編入したのも、その一つの手探り状態の表れだ。県下で一二を争うこの公立高校になら何かあるのではないか?
実際は、両親が納得する条件で折り合いがつくのはここしかなかっただけだったのもあるのだが……
現に今、駅近くのカフェの片隅の席で目の前に座っている金澤に対しても、正直全く興味がない。予備校の授業が始まるまでの20分程度なら、問題なんてないし、体育祭の実行委員に名を連ねているからには無下には断れない。生徒会長を目指している美月にとっては、些細な積み上げは大切だった。
「――という事だから、クラスのために何か一緒に出来ないかと思って。俺、サッカー以外はからきしでさ。だから相談に乗ってくれて助かる!」
金澤は爽やかに自分の短所と長所をアピールする。
「なるほど……わかった、ちょっと私の方でも考えさせて。もう授業が始まるから、メッセージとかで連絡でいいかな?」
美月は、他の考え事もあり、いまいち金澤の話に集中出来なかった。これ以上こんな態度は良くはない。なので話を切り上げるためにも、チャットアプリの招待コードを提示する。
「あっ、うん!悪かったな。また連絡するな!」
金澤は想定外にチャットアプリの連絡先を交換出来た事が嬉しかったのか、喜んでいるようだ。
金澤と別れた後、美月は予備校の自習室での勉強は手がつかなかった。理由は明確だ。自分は、小杉真の事が気になっている。
「この間の火曜の放課後、小杉君ゲームセンターにいなかった?」
美月は確かに彼をみた。美月にとって小杉真は特別な存在でも何で無い。予備校へ行く途中私服でゲームセンターにいる小杉を見かけたのも偶然だ。彼女にとってゲームセンターに行く若い人達の目的が理解できなかった。時間の浪費にしかみえない。その日もそんな風に考えながらそちらを見やると、同じクラスの小杉真が居た。数秒名前と顔が一致せず、向こうと視線が合った時に思い出した。その時は時間を無駄にするダメな奴がいる程度に思い直ぐに予備校に向かった。
しかし、その次の日以降彼は陸上部で頑張っている。彼は脚が速く短距離のようだ。美月もかなりの瞬足だか、小杉真の走りには惹きつけられるものがあった。10数秒の間に全てを注ぎ込んでいる。これが最後のダッシュのように。力強くハラハラする。そんな走りが出来る彼と先日見かけた彼は同一人物なのか?違和感があった。別人のように見える。あれは本当に小杉真だったのか?それが美月が小杉真に声をかけた理由だ。
「いや、それは俺じゃない。」
小杉真にあっさりと否定された。
「……そう。――ごめんなさい、変なこと聞いて。」
美月は逆の立場で考えたら、少し恥ずかしく感じた。そこで金澤から声をかけられて、話は終わった。
ただ美月には、どうしても小杉真の答えは腑に落ちなかった。後に美月が思うに、小杉真の事が気になり始めたのは、この事からだった。