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断末魔の悲鳴を上げる狼が、肉体を溶かしながら消滅するところを見た僕らは緊張の糸が切れ、ぺたりと床に座り込む。
これまで散々怖がっていたユリアまでも、周囲を気にすることなく空を仰ぎ、深呼吸をしているほどだ。
「とりあえず、クエストクリアってとこかな?」
「せんせ、割と元気ですね……」
普段のトレーニングを遥かに超える緊張感の中戦闘するのは、この中で相当戦い慣れているはずのイルマにすら疲労を感じさせるほどだったのだろう。肩で息をしながら、じっとこちらを見つめてくる。
「そう? まぁ一発も喰らってないし」
「喰らわないようにするのがおかしいんですよ……。ノーラさんに付けてた障壁、あれ視線誘導ですよね?」
「そうだけど……」
「え? どういうこと?」
名前が挙がったから気になったのか、ノーラはこれまで使っていた剣を分解し、魔力に変換しながらこちらを振り向く。
「せんせがノーラさんに障壁付けてたのは気付いてましたよね」
「そりゃ、そうだけど……」
「皮膚からどのあたりに障壁あったか分かってます?」
「5mmくらいのところでしょ? 何度かそれに止めてもらったし」
「一度でも自分の身体が障壁に当たることありました?」
「なかったけど……え、ちょっと待って、どういうこと?」
「せんせはノーラさんがどう動こうが身体に当たらないように、手動で障壁を動かしてたんですよ」
「…………はぁ?」
「やー、割と出来るもんだねあれ。流石にリリーくらいの速度で動かれたら無理だけど」
ノーラは剣の技術が優れているのは間違いないが、対面していたゾンビ狼より素早く動いていたわけでも、力が強かったわけでもない。
速度や力で劣っていても、攻撃を捌き、反撃をすることはできるのだ。それは僕にはない技術であり、敵と向かい合って戦うことを常としている者だけに許された、後出しの権利である。
“相手より速く動く”か、“相手の攻撃、防御より強い障壁、魔法を使用する”以外で勝ち筋を作れない僕にとっては、それは喉から手が出るほど欲しい技術だ。
僕が視線誘導でノーラに障壁を貼り続けることができたのは、ノーラの動きが現実的に考えられる速度だったからでしかない。
それは遅いという意味ではない。あれ以上動きが速かったら彼女の全身に障壁を展開、維持することなどできなかったのだから、僕の補助できる限界速度ではあったと言える。人間の知覚外の速度で動けるリリーがおかしいのだ。
「それ、現実的に可能なの?」
「私には絶対無理です。普通に再現したら、瞬きした瞬間にぶつかるんじゃないですか?」
「……そうよね」
「攻性障壁使える人もそう居ないと思うから、使える人は皆出来るかもよ?」
「「絶対無理!!」」
「はい……」
うぅん、そこまで難しかった気はしないのだけど、二人の剣幕を見て引き下がる。
もっと攻撃手段が多かったり不規則な動きをしてくるモンスターだったら対応は難しかったが、あの狼の動きは時折使ってくる精神攻撃や腐食攻撃を除けばほとんどが単純な物理攻撃だったのだ。
自分の障壁をカットすれば他人の障壁に意識を注ぐことだって出来るし、常に僕らと狼の間に立っていたという位置関係も良かった。同時に視界に収めることができるから、ノーラの動きから狼の動きが、狼の動きからノーラの動きを予想することも難しくはなかった。
狼の動きを目で追うことはできなくとも、それを迎撃しようと動くノーラの動きから狼がどう来るか、どこを攻撃するかは想像できる。広い範囲で展開できる《ヒュージ・プロテクション》1枚を選んだのも幸いして、僕は攻撃を食らうたびに修復、強化をするだけで良かったから、そこまで気を張らないでいれたのだ。
「あ、ユリアさん。エスメーさんは何て?」
息が整ってからも、僕らの話に混ざることなく周囲を見渡していたユリアに、そう問いかける。
「もうあの臭いは感じない、ですって」
「そ、なら良かった。じゃ、ちょっと休憩したら迷宮潜る?」
「「「明日にしましょう!!」」」
「はい……」
まぁ、良い判断かもしれない。
攻撃を食らうことはなくても、僕らの服や体は飛び散った土や泥や謎の液体でぐちゃぐちゃだ。まだ迷宮に潜る装備もせずにここに直行してしまったから、全員、浄化の魔法も掛かってない普段着だし。
僕らは服を一日で使い捨てることができる貴族ではなく、全員が全員平民なのだ。自由に使える金はそこまで多くない。
クリーニング店を探すか自分たちで洗うかはまた考えるとしても、とりあえず綺麗になりたいところだ。
どこかに大きなお風呂あるかなぁと、最寄りの町に思いを馳せる。
ベッドしかない最低クラスの宿屋よりはグレードの高いところを予約したが、それでも各部屋にシャワー室が備えつけられてる程度のはずだ。
日本人の心を忘れていない僕としては、やはりシャワーではなく浴槽に浸かりたい。それは大きければ大きいほど、広ければ広いほど良い。
あ、そうだ。言い忘れてた。
「終わったよ、オジサン」
聞こえているのか、聞こえていないのかは分からない。
空に向けて声を掛ける僕に、皆は怪訝な顔を向けてくるが、まぁ気にしないでおく。
どこかから「ありがとう」と声が、聞こえたような気がした。
◇
「混浴ですか? やったー!」
受付で大はしゃぎするのは、イルマ一人だけだ。
「え、いえ、混浴というわけではないんですが……」
申し訳なさそうな顔でイルマにそう告げる、気弱そうな受付のお姉さん。
「え? だって1組1時間の貸切なんですよね?」
「はい……」
「ほら私達、男女混合なわけじゃないですか」
「そうですね……」
「それはもう、混浴しかないですよね!」
「時間を分けて入られては……?」
ううん、ごもっとも!
宿屋には各部屋に備え付けられているシャワー室の他にも、貸切専用の大浴場があったのだ。
予約したプランには貸切料金は含まれていないが、空きさえあれば当日飛び入りでも利用可能らしい。そして、迷宮に入らず町に戻って来た僕らは本日一番乗りの利用者であり、これ以降は全て予約が埋まっている。
クラスメイトでこの宿を使う予定の人は居なかったはずで、予約者はきっと他の迷宮探索者達だろう。友人知人ならともかく、知らない人に話しかけて予約枠を譲ってもらうことなどできそうにない。
予約した僕らは知らなかったが、ここはどうやら大浴場で有名な宿らしかった。それがあるので、あえてグレードを落としてここを利用する探索者も多いとか。
「とりあえず1時間! 抑えてくださいね!」
「は、はい……15時30分からの1時間で、予約承ります……」
「あと15分! とっとと部屋で準備しましょ!」
部屋に向けて走り出そうとしたイルマの手を、ユリアが後ろからぎゅっと掴む。
「あ、あの、イルマさん?」
「なんですか?」
「混浴というのは、どういうことでしょう……?」
「男女一緒に入るってことですよ? そんなことも知らないんですか?」
「……いえ、えーと、それは分かってます。はい」
「あ、ユリアさんは水嫌いみたいだから部屋で待ってて貰って良いですよ」
「お湯なら大丈夫ですからね!?」
あっそうなんだ!そういえば霧を出すのに源泉参照していたし、冷たくなければ良いのか。
ちょっと難しいな。水という概念が苦手なわけではなく、冷たい水や海水が駄目なのだろうか。
「なんなんですかー。何が言いたいんですか?」
「えっと……エミリオさんと私達が、一緒に入るということですか?」
「そうですけど、何か問題でも?」
「大ありなんですが!?」
わなわなと震えるユリアと、ここまでの会話で理解したのか頭に手を当て天井を仰ぐノーラ。
「何がですか……?」
「え、本当に分からないので……?」
「毎日一緒に入ってますけど、何か問題あるんですか?」
「問題大あ……え? 毎日?」
「毎日」
「……リリーさんも?」
「そうですけど」
「い、いつ頃からですか?」
「3年……いや、4年くらい前ですかねー」
「エミリオさん、それは事実ですか?」
急に反転しこちらを見つめるユリアは、ちょっと目が血走っている。怖いよ。
「ジ、ジジツデスヨ」
怖すぎてカタコトになってしまった。
「…………分かりました」
「何がですか? 入るんですか? 入らないんですか?」
イルマは煽っているというより、本気でユリアが何に憤っているのか分かっていないような反応を見せる。
いや、ちょっとは理解してるかもしれないが、それを覆すつもりはないようで、態度は最初から変えていない。
「…………少し、考えさせてください」
「別に良いですけど、私達は時間になったら入ってますよ」
「……はい」
ユリアは、「あー……」と呻き声のようなものを漏らしているノーラの腕を引っ掴み、自分たちの部屋に向かっていった。
ちなみに部屋割りは僕ら三人、ユリアとノーラの二人部屋で二部屋しか借りていない。
冷静に考えたら僕が入浴を諦めるか受付の女の人の言う通り時間を分けて入れば良いだけなのだが、話はそう簡単には終わらないらしい。
特に、イルマが折れる気がないというのは大きい。仮に僕が折れて時間を分けようと提案したところでイルマはそれを断るし、僕が遠慮して入らないと言えば、イルマは全員で入らない方を選ぶだろう。
故にこれは、どちらが折れるかではない。ユリアとノーラがどう妥協するかを求められているのだ。
まぁそんなことは置いといて、僕は一刻も早くお風呂に入りたい。ユリアとノーラがどうしようが、僕も妥協したくはないのだ。二人には申し訳ないし、ここから関係が崩れてしまうこともありうるが、それはそれとして。
屋敷にも広めの浴場はあるが、いかんせん住んでいる人数が多すぎるのだ。以前は子供達がまとまって一緒に入っていたようだが、今は子供達も大人顔負けの体躯に成長しているので、港での仕事帰りに公衆浴場に行く子も多いらしい。
僕らは基本直帰しているので屋敷以外で入浴する選択肢はない。寮の浴場は男女別だし。
……いやいつまで経っても一緒にお風呂に入っているのはおかしいと言われたらそこまでだ。ノーラとか完全にドン引きだったし。僕も割とそう思うからね。
「おっふろっおっふろっ」
僕らの不安を知ってか知らずか、部屋に戻ってからも折れない女イルマは楽しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
荷物の中から下着や着替えを探しているリリーも、心なしか少し上機嫌そうだ。
「ユリアさん達、どうするのかな」
着替えの用意が終わり、今日これからの予定を決めようと部屋にあった町の案内図を眺めていると、リリーがそんなことを言う。
「んー、どっちでも良いんじゃない?」
「で、でも、私達と一緒なのは……」
「……んやリリー、あの人が気にしてるのは私達じゃなくて、せんせ一人のことだよ」
うん、まぁそうだよね。普通はそうだ。
「えっ?」
きょとんと首を傾げて疑問符を浮かべるリリーは超可愛いね!
「あ、やっぱそこ勘違いしてる? 五人は人数多いからとか、そんな仲良くもない三人と一緒に入るのは嫌だからってあの反応してると思ってた?」
「う、うん……」
「違う違う。そもそも、異性とお風呂に入るのが嫌なの」
「なんで……?」
僕、ここまで強い「なんで」を聞いた事はないと思う。
本当に何を言っているか分からないから、リリーははっきり言うのだ。
「……だよねー、リリーはそう言うよねー」
「だ、だって私、昔からお父さんと一緒にお風呂に入ってたよ……?」
「うんうん」
「屋敷に来てからは、エミリオ君に入れて貰ってて……」
「そうそう、そこそこそこそこ!」
イルマがリリーのほっぺを人差し指でつんつんつんつんつんってつつきだした。ずるい! 僕もしたい! つんつんつん。
「えっ、ど、どこ?」
「普通の女の子は、同年代の男の子と一緒にお風呂に入りません!」
「そうなの!?」
「あ、そこは気付いてんだ!」
「気付いてますよ! せんせは私を何だと思ってるんですか!」
黙ってるつもりだったのに思わず突っ込んでしまった。
そこ気付いてたのにユリアへの対応アレだったの? それはそれである意味凄いね!?
「だって、イルマちゃんもいつも一緒にお風呂入ってる……よね?」
「入ってるよ?」
「でも普通は入らないんだよね?」
「イエス! ただし好きな人となら入ってオッケー!」
トンデモ理論だ! ぼくトンデモ理論大好き! 親指を立ててグッドのポーズをするイルマと、トンデモ展開にビックリするリリー。
「そうなの!?」
「そうなのそうなの!」
「ユリアさん達、エミリオ君のこと嫌いなの……?」
わなわなと震えているリリー、ひょっとしてちょっと怒ってらっしゃる……?
なんかレビテーション漏れてない? 腰かけてるベッドシーツ浮かんできてない? 大丈夫コレ?
「やー、それはどうだろ……? たぶん嫌いよりは好きよりだと思うけど……?」
「なら一緒に入っても良いよね?」
「なんかリリーに言われるとそんな気がしてきた!」
「折れるの早くない!?」
早いって早いって! けどこのままリリー怒らせたらベッドごと天井突き破って空からスカイダイビングすることになっただろうから良いとは思うんだけど!
「えー、けどせんせ、あの二人の裸見れるならとりあえず見とこくらいな気持ちありません?」
「ナイヨ、ゼンゼンナイヨ」
「何で急に片言になるんですか」
「ナイヨ、ソンナコトナイヨ」
「いやまぁ私は見たいですけど」
「あっそうなの!? 正直!」
「正直に生きてるので!」
イルマ、結構両刀のケあるんだよね! キスくらいかと思ってたけど、冷静に考えたら普通の女子は同性とディープキスとかしないよね。
仲良くなると女子相手でも割と肌の接触増えてるし、ユリアの胸とかパーンてすることよくあるし、僕と一緒になってリリーにくっついたりよくあるし。まぁそのあたり深い事考えるとアレなのでやめとくよ。
「ま、結局来ようが来なかろうがどっちでも良いんですよ。もし普通に入ってきたとして、せんせが二人の裸見て興奮しちゃったら私達が鎮めてあげれば良いんだし」
「そ、そうだね!」
「二人が何言ってるか分かんないなぁ!」
「ちょん切られないように気を付けて下さいね?」
「は、はいぃ……」
ちょきちょきと両手でハサミのモーションを見せてくるイルマちゃん。怖いね君。それ切られたら大変なことになるよ?リリーは何か分からずに首を傾げているので、そのまま純粋にに育ってね。
「あ、もうそろそろ向かわないとですよ」
イルマに言われ置時計を見ると、もう利用時間の1分前だ。
衣類をまとめ、僕らは大浴場へ向かう。




