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私は彼らを見ていたが、それは、凡そ戦いと言えるものではなかった。
ベネディクトゥスすら倒した攻性障壁は紙のようにまとめて砕かれ、含まれた魔法も全て消され。
圧倒的な実力差を知っても、彼は歩みを止めない。
《トーチャー・ペイン》、その魔法については、私もよく知っている。
彼と共に研究したからだ。
毒系統魔法の一つ。肉体を内部から崩壊させ、瞬時に肉体を修復させる、無限に続く拷問魔法。
痛みを与えるだけの魔法では、意識が飛んだら終わりだ。だけど《トーチャー・ペイン》は、違った性質を持つ。
肉体を内部から溶かしつつ、急速回復によってそれを治癒することで、永久に続く痛みを実現する魔法なのだ。
使用可能条件は、毒属性魔法の適正がSS以上であること。一定以上のスキルレベルになっていること。そのような魔法は、他の属性にもいくらでもある。効果としても、そこまでおかしなものではない。
継続的な痛みを与える魔法は、毒属性にはありふれたものだから。
普通は、それで終わりだ。痛みと癒しを同時に行うだけの魔法だ。
けれど、見方を変えれば?
痛みに耐えられる精神を持つ者にとって、それは治癒魔法と同じことになるのでは?
普通は考えない。そんなこと思いつかないし、試そうとも思わない。
そうして実験して分かったのは、急速再生の正体だ。それは、治癒ではなかった。
そこにあったのは、時間の逆行。|肉体を元の状態に戻している《・・・・・・・・・・・・・》だけだったのだ。
正しい形に治す治癒とは根本から違う。時を戻し、身体を正常だった頃に戻す現象。毒属性魔法の癖に、その魔法は時間を操っていたのだ。
つまり、肉体がどれだけ崩壊しようと、例え腕が千切れても、例え足が消し飛んでも、例え頭がなくなっても。
魔法の効果が続く限り、その魔法が発動した最初の状態に回帰させることができる。
それは回復ではない。治癒ではない。再生ではない。
外から見たら同じことでも、実際には全く違う。
痛みが生じ、体を治癒するだけならば、食らう痛みは一回だ。
しかし、痛みが生じ、痛みを生じる前まで体を巻き戻したならば、痛みは二回どころではない、時が戻り、何重にも重なった痛みに襲われてしまう。
それは凡そ、常人が素面で耐えられるものではない。
そんな痛みに耐えられるのは、痛みを失った人間か、正気ではない人間だけで。
「ほんと、馬鹿なんだから」
リリーの膝の上で小さな寝息を立てている彼の頭を、軽く撫でる。もう、呼吸も落ち着いてきている。
彼は、痛みを感じないわけではない。多重思考によって痛みを受け持つ自分を分割することで、気を紛らわせているだけだ。
指を折ったら痛いが、指を折った後に腕を折れば、指が折れた痛みは感じない。彼のしているのは、それの極大解釈に過ぎない。
痛覚を持つのは、一人だけだ。故にそれを分割させたところで、結局一人の身体でしかない。それを処理するのは、一人の脳でしかない。
彼は、気を紛らわせているだけなのだ。痛みは分割した自分が受け持つから、思考する自分は痛くないと思い込んでいるだけなのだ。
「凄かった、ね」
「うん。……超かっこよかった」
リリーの呟きを聞いて、小さな声でそう返す。二人してふふふと小さく笑い、思い返す。
あぁ、本当に凄かった。本当に、かっこよかった。まさか本当に王族を、フェリクスを倒すなんて。
彼のことを知らない皆は、弱者が足掻いているようにしか見えなかったであろう。
後衛の魔法使いは肉弾戦に弱い。そんなセオリーに従って、無謀な戦いを挑んだだけに見えただろう。
実際、フェリクスは前衛も後衛もどちらも行けるタイプだし、体属性魔法の適正も相当高いらしい。それを知らない愚か者が、無謀にも肉弾戦を挑んだだけに見えただろう。
違うのだ。あれは、全てブラフでしかなかった。
急速再生を使い、催眠魔法で肉体を強制的に動かすことで、体属性魔法の適正が皆無な彼でも相当素早く、そして力強く動くことはできる。食らった傷を、全て修復することができる。けれどそれは、人間にできる範囲なのだ。体属性適正の高い者なら、再現できる程度なのだ。
たった、そんな程度。そんな程度の速度と威力に、命を削るような戦い方をする彼。
本当に、馬鹿だと思う。命を削って、嘘をつくのだ。
そうでもしないと、騙されてくれないから。
彼はそう言っていた。
絶対的強者に、後から動くカウンターだけで相手を倒せるほどの最強を騙すには、そのくらいしないといけなかった。
フェリクス・マスカールに全力の攻撃魔法を打たせるには、そうするしかなかったのだ。
気持ち悪いと思わせる。今すぐ戦いを終わらせたいと思わせる。ただそれだけのために、彼は《トーチャー・ペイン》を自身に使った。
会場を覆う結界には、死んだ者を蘇生させる力がある。厳密にはこれも治癒ではなく、死んだ者を死ぬ前の状態に戻す結界なのだが。
その結界には、勝敗の判定も行われてしまう。どちらか一方が死ねば、自動的に蘇生と、敗北を決定づけてしまう。
故に彼は、その結界情報にアクセスし、強制的に上書きをし、たった一文の例外を書き加えた。
『エミリオ・ブランジェには、死亡判定はないものとする』
その一文を書き加えると、彼は死亡時蘇生を受けられなくなる。
そして、結界が対象は死んだと認識することを阻害し、結界による判定負けはなくなる。
勿論頭が消し飛べば審判が敗北を認めるだろうし、どう見ても戦えない状態になれば中断されるだろう。
どう考えても、メリットとデメリットが釣り合っていない。メリットは判定負けの確率が減ることで、デメリットは死んだら生き返れない。
それでも彼は、その一文を書き加えたのだ。そうしないと、《トーチャー・ペイン》を食らっている状態の人間を、結界は死亡したと判断してしまうから。
心臓が止まっても、心臓が跡形もなく吹き飛んでも再生する《トーチャー・ペイン》が、活かせなくなってしまうから。
リスクが大きすぎる。それでも、彼は平気な顔でそれを選んだ。
他にも7通りある勝ち筋の中から、最も勝率が高いものを選んだのだ。
最後、フェリクスを倒したのは、異相門と呼ばれる魔法だ。
ルゴスという名の神に、正しく接続される唯一の魔法。他は全て間借りに過ぎないが、異相門だけは神と直接繋がっていると言う。
その魔法の効果は単純なもので、対象に魔力を流すことによって発動後の攻撃魔法を対消滅させたり、人間に直接当てれば、その命を奪うこともできる魔法。
私は、そう聞いている。
ならばどうして魔力値の上回るフェリクスを倒せたのかと言うと、私には分からない。それだけは教えてもらえなかったから。
彼は「全力で攻撃魔法を打ってくれれば、絶対に通る」と自信満々に言っていた。その全力で攻撃魔法を打たせるのが最も難しく、その為の手段が《トーチャー・ペイン》だったのだ。
「そろそろ、私達だね」
「ん。せんせの見てるとこで勝ちたかったけど、仕方ないね」
「そうだね……」
彼はまだ目を覚まさない。肉体の疲労より精神の疲労が激しいであろう。
常人が耐えることなどまず不可能な痛みを、短くない時間受け続けたのだ。麻薬魔法によって痛覚を麻痺させたり意識を分割して抑えるなどの小細工をしたところで、その痛みを受け続けた彼は一人しか居ない。目を覚まさないことはないと思うが、完全復帰までには相当長くかかるかもしれない。
リリーの膝の上で小さな寝息を立てている彼に顔を近づけ、ちゅ、と唇を合わせる。
それで目覚めるとか考えたわけではないが、なんとなくしたくなかったから。私達より遅く寝て早く起きる彼が、ここまで無防備に寝ている姿は珍しいから。
なんとなく、キスをしたくなったのだ。
リリーも彼に控え目なキスをして、立ち上がる。
膝の上に頭を置いていた彼が落ちるのかと一瞬身構えてしまったが、彼の体全身を、レビテーションスキルの効果範囲に含めていたようだ。
横になった姿のままぷかぷかと浮かび上がった彼を医務室まで運び、私達も受付に向かう。
さぁ、相手は誰だろう。
誰であろうと、私は勝つ。




