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「異相の門よ、開け」
僕はその言葉を、大陸共通語ではなく日本語で呟いた。
詠唱とは魔法を動かすための補助にすぎない。そして僕は、門系統の魔法に関しては、その補助がないと扱うことができない。
我が名はエミリオ・ブランジェ。彼方より来たりし外界の神よ、鏡合わせの異相の神よ。我は汝の贄となる者、汝は我を喰らう者。我が魂を喰らい給え、代わりに力を授け給え、この身を異相へ移し給え。
最初の一言以外は、頭の中で唱えることで省略することもできる。ただしそれは、ルゴスと密接に繋がる異相門だけだ。それ以外の門系統魔法に関しては、最初から最後まで口頭で発声しないと発動させることはできない。
大っぴらにできない門系統の魔法。そして、隠すことが難しい口頭による詠唱。それでも門魔法を使おうと僕が考えた末編み出したのが、言語を変えることだ。
日本語ならば、この世界で通じる者は居ない。故に、聞き取れたところで理解はできない。
15年間全く使わなかったので、もうほとんどの日本語を忘れてしまっている。今の僕にとって、日本語は昔習得した外国語感覚だ。
それでもだ。この詠唱だけは、忘れることはなかった。
発声は必要だが、それを受け取るルゴスが聞くことさえできれば、言語は何でも構わない。僕がそれに気づいたのは、今から10年ほど前のこと。きっと、今考えたオリジナルの言語であろうが、ルゴスなら受け取ってくれると信じている。
だから僕は、門魔法だけは日本語で唱えるのだ。
「ううん? 先手を譲ってやったのに、それで終わりかな?」
僕の前に立つ男、フェリクス・マスカール。僕はこいつのかませ犬だ。ニヤリと意地の悪そうな顔で僕を見る、現王の弟君。
実技部門、ソロ。ルールは単純。一対一で、相手を倒した者の勝ち。
校長先生オリジナルの結界魔法が発動しているこの場においては、なんと対戦相手を殺すことを許されている。
現在の校長になるまでの数百年、対抗戦の実技部門で決闘形式の対戦が行われる場合、外部の人間が張った障壁が破壊されたら負けだったり、相手が降参というまで戦うのような形で勝敗を決めることが多かったらしい。
しかしそのようなルールだと、障壁ごと相手を死傷させてしまうケースや、降参と言う前に気を失うケースがあった為、紆余曲折を経て現在の形に変更されたらしい。
この結界に、名前はない。名付けをしてしまうと、それを模倣することができてしまうからだ。
模倣させてはいけないのだ。結界内で人が死ぬと、時間を巻き戻し死をなかったことにする時間逆行魔法など。
この技術が広まれば、必ず悪用されてしまう。故に、この結界は校長一人にしか扱えず、そして彼が扱う限り絶対の精度を誇る。
ちなみにシスター曰く、この結界があったところで本当に相手が死ぬまで対戦が続いたことはないんだとか。あくまで、「死んでも大丈夫なので思う存分やれ」という意味でしかない。大抵は降参か、審判による続行不能ジャッジで勝敗が決められるようだ。
重症程度ならば学校内の治癒魔法使いによって修復可能だし、部位欠損くらいまでなら蘇生など必要ないんだとか。
僕は、10mほど離れたところに立つフェリクスを見る。
あぁ、対面して分かる。やはり格上だ。僕では到底届かないほどの高みに存在している。シスターほどじゃないにせよ、同年代の子供が勝てる相手ではない。
彼の態度は、余裕があるからだ。自分が他人に負けるはずないと、本心で思えているからだ。
絶対的な魔力量。常人とは比べ物にならない魔法適正。そしてその両方を活かす完璧な教育。
人の10倍以上の魔力値を持つ僕ですら、彼には到底及ばない圧倒的な魔力量。
ゲームプレイヤーとして見たら完璧すぎる僕の魔力適正でも、彼はその数段上を行く。
まともな教育など受けていない、全てが自己流の魔法では、勝てるはずもない相手。
そう、普通にやったら勝てる相手ではない。
――普通にやったら。
ナルコティクスオープン、フォーセルフ。場に麻薬を生み出さず身体に直接効果を載せる、いつものセルフバフを使用。
その濃度は、限界を超えて。
急に競り上がってくる吐き気を抑える。胃液は喉の手前で押しとどめ、平気な顔をして立ち、フェリクスを見る。
フェリクスは動かない。動けないわけではない。僕が何をしようが、彼は後出しで対応できるから。
それは事実だ。仮に異相門を発動させたところで、僕より圧倒的に魔力の多い彼を、それだけで絶命させることはできない。
正面切って攻撃魔法を打つと、僕のそれはクラスメイトの誰よりも弱い。
スキルレベルが低いわけでもなければ、魔法適正が低いわけでもない。しかし、僕は攻撃魔法の扱いに関しては底辺だ。
それは、この学校に集まる連中は、揃いも揃ってエリートだから。
平均より少し高い程度の属性魔法は、いくら時間を掛け特訓をしたところで、圧倒的強者である彼らに適うことはないのだ。
普段は僕のことを認めてくれているクラスメイトも、授業で僕が使うあまりに粗末な魔法を見て、失笑してしまうのが常。
だから僕は、絡め手で戦う。
彼らにはできない戦い方を。彼らには対抗できない戦い方を。そして、誰とでも戦えるよう組み立てた戦法を使って。
「攻性障壁、展開」
この言葉も、日本語で。
矢継ぎ早に様々な攻撃手段を試すでもいいが、相手が付き合ってくれるなら、僕はゆっくりと戦う。その方が、都合が良い。
「ん? なんだこれ」
彼はそう言うと、手を軽く振るった。それだけで完璧に計算された風魔法が発動し、僕の展開した攻性障壁170枚が一瞬で消滅した。
そして、それに込められた麻薬系統を含む様々な毒属性魔法も、まとめて消し飛ばされる。
障壁が破壊され、攻撃魔法が発動した。それでも、彼はそれを見ることもなく、何もなかったかのようにこちらを見ている。
攻性障壁を見たことがあるかないかという問題ではない。彼は、障壁を破壊しながら、攻性障壁が含んでいた全ての魔法を個別に打ち消したのだ。
それも、瞬きをする間に。
「今のが切り札?」
「まさか」
「だよね。いくらなんでも、弱すぎる」
フェリクスは何でもない顔をしながらそう言った。強がっているわけではない、今の魔法行使を見れば、誰にでも分かる。彼の言葉が事実ということを。
まさか僕も、攻性障壁だけで決めるつもりがあったわけではない。しかし、37種170個の攻撃魔法を息1つ乱さず消されたのは、流石に衝撃を隠せない。もう少し持つかと思っていたのだ。
「……やっぱ、無理だよなぁ」
「うん? 何か言ったかな?」
「いや、こっちの話」
うん、やはり僕には、彼とまともに戦って勝つ方法はない。
まともに戦わない手段はいくらでもある。しかしその中で彼に有効なものといえば、限られてくる。そのどれもが大きなリスクのある手段だとしても。
「管理の門よ、開け」
フェリクスは、僕の行動全てを見てから、後出しで対応しようとしている。
それは絶対的な自信があるからだ。そして、純粋に興味があるから。
僕のような人間がどんな手段で王族に抗おうとしているのか、彼は知りたがっているのだ。そんなもの、彼の目を見れば分かる。あれは、新しいオモチャを見つけた子供の瞳だ。
「我が名はエミリオ・ブランジェ。彼方より来たりし外界の神よ、異相の神ルゴスよ。万物を語る術を、万物を語る口を、万物を語る力を。知恵の実よここへ、知識の在り処を指し示せ」
管理情報へアクセス。これが使えるのは、きっと数秒もない。改変に気付かれたらおしまいだ。
日本語が分からないフェリクスは、怪訝な顔をしながら僕の方を見ている。大方魔力の流れから僕が何をしようとしているのか探っているのだろうが、門系統魔法が使われることがほとんどないこの世界においては、そしてルゴスの魔力パターンを理解していない人間ならば、理解できるはずもない。
そうだ。見ていろ。僕を見ろ。絶対に、驚かせてやる。
《トーチャー・ペイン》
頭で唱えたその魔法は、一回限りの切り札で。
全身を激痛が襲う。麻薬魔法による痛覚鈍化の効果をもってして、その痛みは一行に引いていかない。いや、それがあってもこの痛みなのか。
身体が溶けるように熱い。骨が粉々に砕けるように痛い。頭に釘が刺さるように痛い。
手が、足が、頭が胴が、全身全てが僕のものではないようだ。僕の身体はこの脳は、その異常に対応しきれない。
けれど、けれど大丈夫。もう全ての行動パターンはインプットしてあるから。
いくら僕が苦しもうが、それでも身体は動くから。
麻薬魔法の効果によって思考を多重分割。痛みを、痛みを、痛みを、全て僕に振り分けて。
意識を保て。前を見ろ。まだ倒れるわけにはいかない。
僕はまだ、何も成していないのだから。
攻性障壁、展開。
一つ一つは弱くても良い。僕の使えるか弱い魔法では、触れる間もなく消されてしまう。
だが、それがどうした。100枚が駄目なら200枚だ。200枚が駄目なら1000枚だ。目くらましでもなんでもいい。可視障壁、不可視障壁、幻覚幻影幻惑幻聴、僕の使える全ての魔法を攻性障壁に乗せ、一括展開。
フェリクスは呟いた。「くだらない」と。
あぁ、僕もそう思う。そう、思うよ。
僕は、催眠魔法を使っている。
対象はフェリクスではない。僕自身を対象とした催眠だ。
今考えているのは、多重思考によって作られた17の僕のうち、痛みを受け持たない唯一の僕で。
僕は、それに催眠を掛けた。肉体を制御する余裕のある、唯一の思考に。
催眠魔法で、自らの身体を動かすのだ。そうすれば、脳が無意識に掛けているリミッターを外し、肉体が崩壊するほどの駆動も、理論上は行える。
《トーチャー・ペイン》。その毒系統魔法の効果によって、肉体が内側から崩壊し、そして再生される。拷問魔法に分類されるものだ。
身体が溶けるような痛みも、急速再生される痛みも、痛覚を鈍化して、更に16分割してようやく意識を保てる程度。こんなもの、まともな人間に使ったらすぐに精神崩壊を起こしてしまうだろう。拷問など行えない痛みだ。
けれど。
けれど僕なら。
催眠魔法は、僕の身体を勝手に動かす。
一歩、二歩、そして、三歩。
「……は?」
目の前には、少しだけ驚いた男の顔があった。
フェリクス・マスカール。其れは僕の戦うべき相手。妥当すべき、男。
「お前、人間か……!?」
あぁ、そうだ。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
僕は、僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は。
頭がこんがらがる。17の僕が集約されそうになる。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。
意識を保て、もう一度思考を分割しろ。思考を分断しろ。痛みを、痛みを近づけるな。
勝手に動いた僕の右足が、正面に立つフェリクスの側頭部に直撃する。見よう見まねだが、完璧な形のハイキック。
そして、僕の右足は粉々に砕け散った。フェリクスの障壁による効果だろう。
武道の嗜みなんてない。だから、体重移動も、理想的な体の動きも分からない。
体を強引に動かしているだけだ。催眠魔法によって、ヨラヒムに見せてもらった動きを強制的に真似しているだけだ。
足が砕ける痛みも、16の僕に分割すると、不思議と辛くは感じない。
フェリクスの障壁に当たった僕の右足が砕け散っても、慣性で体は動いたままだ。
なくなったはずの右足を下ろした時には急速再生が完了し、僕は両の足で着地する。
「お前、何なんだ……?」
僕が瞬く間に3歩で10mの距離を進んだ時も、体属性適正皆無の僕が直接肉弾戦に行った時も、彼は驚きこそすれ対応できないほどではない。
彼には絶対防御の障壁があるからだ。人間の身体がどれだけ早く動いたところで、人間の体ではその障壁を砕ける速度、威力には至らないから。
勝手に動いた僕の腕が、弧を描いて彼の側頭部に吸い込まれる。
――そして、また砕けた。
「何がしたい?」
「さぁね」
軽口を返しながら、僕の身体は動き続ける。
砕け、再生され、砕け、再生され。
殴って溶けて吹き飛んで消し飛ばされて近づいて蹴って弾かれ蹴飛ばされ。決められた動きのパターンを幾百通りの中から選んでいるだけ。どれだけ攻撃しても、それが無駄だと知らされるだけ。
そんなこと、分かっている。いくら急速再生されようが、僕の肉体は貧弱なものだから。
いくら催眠魔法でプロの動きを模倣しようが、ただの貧弱な子供の身体だから。
速度が速いだけだ。崩壊を厭わぬ強制的な稼動をさせているだけだ。肉体のリミッターを全て外し、僕と言う生命の限界速度で動かしているだけだ。
「気味が悪い」
そう言って、彼は僕を冷めた目で見る。
「もう終わらせるよ」
極大の魔力反応。これまで後出ししかせずに僕の動きに対応していた彼が、ついに自分から魔法を使う。
きっと、僕が跡形もなく、丸ごと消滅するほどの威力なのだろう。
障壁なんてお構いなしに、急速回復なんて追いつかない、圧倒的な力で押しつぶされることだろう。
あぁ、あぁ。
僕はこれを待っていた。
「異相の門よ」
17に分割された僕の思考。
痛みを受け持たぬ17番目の僕。
その役割は、これだから。
「閉じよ」
17番目に生み出された意識を使って、僕の口が、その一言を言い放つ。
――風が、吹いた。
100㎡ほどの闘技場。普段は屋外運動場として使われている、実技部門の会場で。
結界に覆われ、外界から隔絶されたその場所で、吹かないはずの風が吹いた。
その風は、決して強風などではない。人が倒れるほど勢いがある突風でもない。
ただのそよ風だ。
あぁ、フェリクス・マスカール。
君が天才で、良かったよ。
「…………は?」
この会場で、唯一今の状況が理解できたであろうフェリクスは、そんな呆けた声を出す。
「どうしたよ、王族」
僕の肉体が修復されたところで《トーチャー・ペイン》の効果を解除し、多重思考を1つ目の僕に集約させる。
痛みの残滓が僕を襲うが、もう大丈夫。耐えられないほどじゃない。肉体が崩壊する痛みより、肉体が急速再生される痛みより、比べ物にならないほど優しいものだから。
僕から1mも離れていない距離に立っていたフェリクスは、力が抜けたかのように膝をついた。
「…………え?」
彼はそのまま尻もちをつく。俯き、震える自身の手を見つめる。
「な、なにを」
「あぁ、良かった、良かった。本当に、良かった」
フェリクスが天才で良かった。フェリクスが才能溢れる人間で良かった。フェリクスが無尽蔵の魔力を持っていて良かった。
そんな彼なら、経験したことがないはずだから。
「魔力欠乏症。知ってるでしょ、それくらい」
「…………は?」
僕は、フェリクスが攻撃魔法を使うのを待っていた。
それは、出来るだけ強い方が良い。僕が消滅するほどの火力なほど良い。大量の魔力を使ってくれるほど良い。
「あぁ、まだ勝ってないんだった」
そういえばそうだった。勝敗はついてない。
僕は一歩二歩と歩みを進め、彼に近づく。
「な、なにを……」
僕を見上げることしかできない彼に、手を伸ばす。
触れたら僕の手が粉々に砕け散る障壁が、――なかった。
「やめ、やめろ……!」
弱弱しい嘆願を、聞き入れるつもりはない。
フェリクスの頭を掴み、そして呟く。
ナルコティクス、オープンと。
そうして彼は、フェリクス・マスカールは。
穴という穴から血を吹き出し、倒れた。
あぁ、なんとか二人に良いところ見せられたかな。
カッコよくはないけれど、勝ちは勝ちだ。
ジャイアントキリング。絶対弱者が、王者を倒す。
さぁ、さぁ観客ども。
「僕を、見ろ」
会場を覆っていた結界が解除され、ようやく外が見える。
ようやく、外の空気を吸える。あぁやっと、落ち着ける。
意識を失う寸前に聞こえたのは、拍手と、喝采で。
意識を失う寸前に見たのは、僕に駆け寄る二人の姿で。




