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気が付くと、私はベッドに寝かされていた。
3年間使った、先生のベッドではない。知らないベッドで、知らない部屋だ。
体を起こして周囲を見ると、隣のベッドにはリリーが寝かされていた。そういえば、彼女と離れて寝るのは久し振りかもしれない。
先生の姿は、見当たらない。
あれから、どれだけ経ったのだろう。記憶を辿りキスをされたことを思い出し、ふらっとベッドに倒れこむ。
ぼふっと大きめの音が鳴った。屋敷のベッドより、多少柔らかいだろうか。
ほのかに消毒液のような香りがするから、ここは救護室のような部屋なのかもしれない。
……何となく、リリーのベッドに入り込むことにした。
リリーが起きないのを良いことに、いつも先生がやってるように抱き枕みたいに抱いてみる。肉付きは良くないけど、気持ちいいのは分かるなぁ。体から人を癒す効能でも出てるのかな?
いつも先生がしているように、綺麗な金色の髪に顔を埋めてみると、やけに良い匂いがした。香水? 干したばかりの布団? ううん、どっちも違う。なんとなく、良い匂いだ。
うん、先生の気持ちもわかる。これは抱きしめていたいし、この髪に顔を埋めていたい。
私はされないからなぁ。こういう癒しの効能持ってないし。ただ胸はあるからこう……揉ませてみるとか? 顔押し付けてみるとか?
彼の隣を歩くとき、私の胸の谷間で彼の腕を挟み込んだりもしていたが、自分から触ってくることはなかったからなぁ。キスはされたけど。
たぶん先生、奥手だっただけなんだよね? なら、これからに期待できるよね。
「ん……あ、れ、イルマちゃん?」
リリーがくすぐったそうにもぞもぞと動いたと思ったら、声が聞こえた。流石に起こしてしまったか。
「そうよぉ、イルマちゃんですよぉ」
妄想してたら顔が赤くなってきた自覚があるので、見られないようにリリーの髪で顔を隠しておく。
後ろからがっちりホールドして、深呼吸。癒されるなぁ、ほんと。羨ましい。
私もリリーみたいに髪の毛伸ばそうかな? けどあんまり伸ばすと手入れが面倒だから、いつも肩くらいで切っちゃうんだよね。うん、伸ばすのは無し。先生が長髪のが好きって言ったら伸ばそっと。言わなそうだけど。
「ここ、どこ?」
「んー、分かんない」
「そっか……エミリオ君は、居た?」
「見てないよぉ。私もさっき起きたとこだし」
「そうなんだ……。あ、来たみたいだよ。近づいてきてる」
リリーは私に抱きつかれたまま顔を動かし、見えていない目で、部屋唯一の扉を見る。
私には何も聞こえないが、彼女には聞こえている。彼女には見えているのだ。
「エミリオ君と、もう2人。誰かな」
「あっ他にも居るのね」
リリーを抱きしめているところを見られて何か問題あるわけでもないが、私がちょっと恥ずかしい。先生ならともかく、他の人なら尚更だ。
さっとベッドから降り、自分が寝かされていたベッドに腰を下ろす。
「片方はさっきのボネ先生みたいだけど、もう片方は分かんないな……」
一度会って数分話しただけの人が、どうして分かるのか。
足音なんて私にはまだ聞こえていない。魔法による探知ならともかく、これはリリー自身の聴力でしかないのに。
魔法を使えば私も同じくらいのことはできると思うけどなぁ……。
私にも足音がようやく聞こえた時には、もう扉の前に居るところまで来てからだった。リリーが反応してから、2分くらい経ったかな? この子ってば、どれだけ遠くの音聞いてたの?
ゆっくりと扉が開けられる。きっと、私達がまだ寝ている可能性を考慮しての親切心。先生らしいな、やっぱ。いつも先起きる癖に全く動かないまま私達が自然に起きるの待ってくれてたし。
彼と一緒に入ってきたのはボネ先生と、知らない人だった。きっと先生だろうけど、目つきが怖い男の人。 丸刈りだし、結構筋肉付いてるし、上半身シャツ1枚だし、外で会ったら絶対魔法使いとは思えない雰囲気の人だ。
「おはよ。手続きはやっといたよ」
その声を、久し振りに聞いた気がする。とはいえ、絶対そんな時間は経ってないのだろうが、なんとなく、だ。
気絶すると時間の感覚吹き飛ぶんだね、知らなかったよ。
「手続き、ですか?」
「そ、入学のね。無事満点合格できたから、第一目標は達成だね」
「「良かったぁ……」」
リリーと声が重なった。
正直筆記の件があったので満点逃す可能性は大いに考えられたのだが、そこは何かしら考慮して貰えたのだろうか。
追試の迷宮もあっさり攻略できたのだし。難易度としてはそこまで高くなかったような気がしたが、それは私達が魔法の行使に慣れていたというだけの話で。
キツネの置物の件も、言葉のわかる私と、神を知っているリリーと、それと話せる先生が居たから完遂できたのだ。
「で、あそこで会った神様の話だけど――そこんとこボネ先生、説明お願いします」
「あ、え、はい。半日ぶりですね、私、ボネです。覚えてらっしゃいます? ……ですよね。一先ず、合格おめでとうございます。そして迷宮についても、ありがとうございました。どうやらあれは7階が最終層だったようですので、もう頼むこともないでしょう。……で、あそこで会った神について、先程エミリオ君からお話を聞いたんですが、が……」
「そこからは、私が引き継ぎます」
目つきの怖い人が、ボネ先生の言葉を遮るようにして言った。結構、声も渋い。やっぱり魔法使いっぽくないよこの人……素手で人殴り殺しそうだもん……。
「ここの教師で体属性魔法と民俗学を教えているシャウテンです。これからもよろしく。君達が会った神、エスメー・クロンメリンを名乗る神についてですが、迷宮内で聞いたことは他言無用でお願いできれば、と思いまして」
「……理由を聞いても?」
先生は何も言わないので、これは私とリリーに対しての話だ。
こういう場面、リリーはたぶん何も言わないので、疑問があれば私が聞くしかない。
「はい。ご存知かもしれませんが、エスメー・クロンメリンは聖教において邪神とされている旧神です。神代の後、封印されたと記録が残っている神なので、それと我が校の生徒が接触したと国に知られると問題がある。――というのが表向きの理由です」
宗教には詳しくないが、その説明でなんとなく理解した。
そういえばあの置物も封じられていたみたいなことを言っていたような気もするし、旧神に力を蓄えさせないように誰の目にもつかないところに安置していた、と考えれば納得もできる。
「表向きには言えないもう一つの理由としてあるのが、ヴェゼンティーニの民、という点です」
ヴェゼンティーニの民のことを、肉の民と、あの置物は呼んでいた。
全てを喰らい、自らの血肉にする生命体。この世界を、滅ぼしかけた存在。
「ヴェゼンティーニの民は、どの歴史書を紐解いても、突如現れる大陸への移住者です。エスメー・クロンメリンの言うことが正しいのだとすれば、あれは外世界からの侵略者ということになりますが……」
外世界からの侵略者、最悪の侵略者、殺したいほど憎い侵略者、この世界を崩壊させた原因。
その事実は、少なくとも私は知らない。リリーも、あの時の反応から考えるに、知らなかったこと。
「あの迷宮は血によって受け継がれる迷宮。迷宮を構成する聖遺物は、ボネ・ベルナールの血液そのもの。親が子供に引き継ぐことでしか、迷宮の鍵も扉も渡すことができないもの。つまり――」
あぁ、なるほど。
それは確かに、口外できない理由だ。
「お察し頂いたようですが、はい。ここの教師である彼、ボネ・ベルナールは、ヴェゼンティーニの血を引いていることになります。彼自身にその自覚はなくとも、その事実は揺るぎません」
血によって受け継がれる迷宮ならば、それを継承するにあたって親が、そしてさらにその親が存在したのだ
あの迷宮はなんというか、攻略する理由が全くない迷宮だ。偶然エスメイ語が分かる私が居て、偶然エスメイ語からエスメー・クロンメリンの名を思い浮かべることのできるリリーが居て、偶然エスメー・クロンメリンと繋がりのある人物を知っていた先生が居たからこうなっただけ。
偶然も偶然だ。地表から入れる迷宮ならそれでもいつかはエスメー・クロンメリンを見つけることができる者が居たかもしれないが、血によって受け継がれるこの迷宮に挑むには、奇跡といってもいい組み合わせだろう。
「神話の時代からこれまで生きている生命など存在しませんから、この事実が公表される可能性は低いです。しかし君達と別れる時、エスメー・クロンメリンは言ったんですよね。また会いに来ると」
「ええ、言ってましたね」
「つまり、現代には存在しないはずの当事者が現存しており、こちらを認識しているということです。いくら力を無くした旧神だろうと、今を生きている私達には到底太刀打ちできない存在と見て間違いないでしょう。そんな存在が、ヴェゼンティーニの民について公表をしたら、どうなるか。それの末裔を雇っている学校の立場は、どうなるか。……つまり、そういうことです。お願いできますか?」
あれは、強いとか弱いとか、そんな尺度で測れる対象ではなかったのだ。
今を生きる人間にとって、戦いにもならない相手。それが、神。旧世代の神というものだ。
「え、別にいいですけど……ねぇ? リリーもそうだよね?」
「う、うん。別に……」
リリーと顔を見合わせて、うんうんと頷き合う。別に不利益を被るわけでもないし、これを断る理由はない。校内で目立ちたいとはいえ、面倒事の元凶になるのは避けたいのだ。
「ありがとうございます。……ちなみに、心配していた筆記の設問357についてですが、皆さん正解です。人狼構成子が書かれてさえいれば179でも325でも79でも正解の論述問題ですので、安心して下さい」
「あ、そうだったんですね」
「良かった、ね……」
時間差でほっとしたことで、腰を掛けたベッドへ仰向けに寝転がりそうになったが、なんとか体を止めた。人が見てるんだった。危ない危ない。
不正満点とかにならなくて良かったよ本当に……。知られた時、カプレさんに何を言われるか分かったもんじゃないし。
「では、これにて失礼します」
そう言うと二人の先生は部屋を出て行き、残ったのは私の先生となった。
ううん、皆先生だと頭がちょっとだけ混乱するなぁ。けどリリーみたいに名前で呼ぶのはちょっとだけ恥ずかしいし。
私からしたら2個下なんだからリリーみたいに君付けしてもいいはずなのに、何故か恥ずかしさが前面に出てしまう。
まぁ、それは追々考えることにしよう。
部屋から二人が出て行ったのを確認すると、私の先生は瞳を少しだけ潤ませてベッドに頭から倒れこんだ。
「無事で良かった」と言葉を残して。




