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『夢のような、時間だった』
狐の置物は、時折泣いているかのように声を震わせ、昔話を語っていた。
私はそれを聞いても、リリーのように泣き出すことはない。
何せ、遠い先祖の話だ。教科書に載っているより、更に昔の話だ。
面白い話ではある。ただしそれは、小説を読むのと同じ感覚で。
置物が語る全てが事実だとしても、私にとってそれは物語と同じなのだ。昔話すぎて、現実感がなくなってしまう。
「ルクシアとは、それきりなんですね」
『あぁ。大方貴様――エミリオの言う世界間移動というものによって、儂を見つけたんじゃろう』
きっと、他の世界に行くほんの少しの隙間で会いに来たのだ。
どうしてかは、今となっては分からない。会いに来たのかもしれないし、偶然見つけただけかもしれない。
どちらにせよこの元神――エスメー・クロンメリンを名乗る置物には世界を移動できる力は残っておらず、自力でここから出ることも適わなかった。
時間の感覚が薄い種族、生命体だからこそ、これほどまでの時を一人で過ごせたのだ。
私には、絶対無理。先生と一緒に過ごせないのも嫌だし、リリーも、屋敷の皆とも会っていたい、話していたい。
――人とは生きる時間が違う私も、いつか彼らと別れることになる。
ただし、いつかそれが終わるとしても、今は終わらせるつもりはないのだ。
「……ところで、ここまで話を聞いても、神になる方法が分からなかったんですが」
『おぉ? そうか? 説明したつもりだったんじゃが』
「……二人は分かった?」
ぶんぶんと首を横に振って否定する私とリリー。
今の話の流れで、神になる方法なんて説明されてた? 気付いたら神って言われてた感じじゃない?
『そうかそうか。それは悪かったなぁ。きっと前掲条件から儂らと貴様らは違うから、そこまで思い至らんのか』
「前提、ですか?」
『あぁ。人は誰しもが神になれる。神とは人より優れた人の姿。神になれば、寿命や種族の縛りから解き放たれた存在になる。理解は、出来るかな?』
「人より、優れた――」
先生は、その言葉を復唱する。
この置物の言う通り、神と人との境目が、ただの強さだとすれば。
『そう。寿命が100年の者なら、20年に。寿命が300年の者なら、60年に。残りの人生を圧縮して人を越えようとすれば、おのずと道は見えてくる。儂が言っているのはそういうことじゃ。それを目指す覚悟があるなら、儂は貴様に手を貸すよ。さぁ、どうする?』
そう問われ、先生は黙って俯く。
静寂はどれだけ続いたか。置物は何も言わず、静かに答えを待っている。
次に先生が口を開いた時、彼の心は決まっていた。
「じゃあ、結構です」
拒絶の意。
私としては、どちらでも良かった。けれど彼がそれを選ぶであろうとは思っていた。
どうしてだろう。そんなに求めていなかったから? いいや、違う。求めてはいる。しかし、それよりも欲しいものがあるから。
『良いのか? これ以上の力を得られるとしても?』
「ええ。この二人と、一緒に生きていきたいですから」
『……それがルクシアの語った、愛と言うものなのかな』
「そうですよ。これが、愛です。僕は二人のこと、愛してますから」
恥ずかしげもなく、彼は言う。
……うん?ちょっと待って。
今、愛って言ったよね?
あれ、二人? リリーだけじゃなくて? 二人って、言ったよね?
あ、あれ。あれれ。
二人に私、入ってるね?
一気に、顔が熱くなる。
あっ駄目駄目、これはまずい。絶対に、見つかる。
顔隠せないよ。どうしよ、ああー、どうしよ。
すっごい、嬉しい。照れる。大好き。愛してる。
私の片思いじゃなかった、よね? あれれれ?
あ、リリーの顔が見たことないくらい赤くなってる。ってことは、私もそうなってるのかな?
こういう不意打ちやめてよほんと。3年我慢してたのに、色々溢れてきそう。
これまでの言動から、私やリリーのことを好意的に見ていることだけは理解できた。けれど、直接口に出して何かを言われることはなかったのだ。私だけでなく、リリーですら。
前世の記憶がある彼は、実年齢に比べて精神的に老けている。だから、娘を見るような目で私達を見ているのかもしれないと、ずっとそんなことを考えていた。
あ、ああ、違ったんだ。
違ったんだぁ。
どうしよ、ちょっと涙出てきたかも。目が潤んできた。
彼と置物は、私とリリーの狼狽を知ってか知らずか話を続けている。こちらを見ないでいてくれるのだけは助かった。もし見られたら、真っ赤に染まった顔を見られてしまうから。
『では、感謝の印として、貴様らにはこれを与えよう』
ようやく落ち着いてきたところで、それだけを聞き取れた。
「……やっぱり、できるんですね」
『それは勿論。寿命のことは気にするな。そのくらい、儂がなんとかしてやるよ。貴様らに認識された影響か、儂の力も少しずつ戻ってきておる。これからルゴスとやらに挨拶に行ったら、また貴様らにも会いに来るよ。――では、達者でな』
「ええ、また会いましょう」
彼が別れの言葉を言うと、置物は砂となって消えた。
リリーが「あっ」と声を漏らすが、きっと他にも聞きたいことがあったのだろう。神オタクのリリーにとって、神様と直接対話できる機会なんてまたとない幸運だろうし。
「……まだ、話聞いてたかった?」
「う、うん……」
小さく呟くリリーの頬は、少しは赤みが引いてきてる気がする。私はどうだろ?頬触ってみたけど、すっごい熱い。熱でも出てるのかってくらい熱いんだけど。
「ま、大丈夫だよ。近いうちに会えるだろうし」
「そう、なの?」
「うん。本人がそう言ってたんだから」
どうしてそこまで信用できるのかと私は思ってしまうが、そういえば彼は神と会うのが初めてではないのか。
ルクシアとルゴス、アウフ……なんとかさんと、今の置物、エスメー・クロンメリン。私が話を聞いただけで、4人、いや4柱の神と直接会っているのだ。普通は考えられないことでも、彼なら考えられる。それは、神を知っているから。知識としてだけではなく、経験として。
神の力を、知っているのだ。
「……ところで、さっき僕が言ってたことだけど」
「愛してます、のとこですか?」
リリーには言えなそうだったから、私が代わりに言う。
もう、こういうところは私の出番なの。恥ずかしいけど、それとこれとは話が違う。リリーには絶対言えないのだから、私が言うしかない。その逆もあるんだから、不公平とか思わない。
「……うん、それ。聞かなかったことに――」
「「しません!!」
リリーと二人で、全力の拒否。
全く、何を言うつもりなんだよ、この人は。
「…………じゃ、しゃーないか。二人とも、大好きだよ。愛してる」
「あれせんせ、ちょっと照れてる?」
「うっせ」
そう言うと、少しだけ照れくさそうにした彼は顔を近づけてきて。
いつもリリーにするみたいに、私の背中に手を回し、正面から抱きしめるようにして。
――唇が、触れた。
あ、もう無理。
さっきから、色々ありすぎて、私はもう限界。
彼はしばらく触れたままだった唇を離し、そのまま抱きしめた私を手放し、私と同じようにリリーも抱きしめてキスをするのを見て、ついに私は意識を保てなくなった。
“うん、私も大好き。愛してる”
その言葉を、返すのは叶わず。




