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 気が付くと、先生は私とリリーを抱きしめるのを止め、片膝を着いて頭を下げている。

 彼の頭の先には、誰も居ない。――しかし、ある。

 そこには狐の置物が、一つ。微動だにしない小さな置物が、立っているだけ。


 彼は、狐の置物に向けて何かを喋る。

 ――何を? 彼は今、何と言っている?

 大陸言語を27語話せる私が、全く聞き取れない言葉。しかしどうしてだろう。私は彼の喋るその言葉が、彼の描く循環式に書かれた言語と同じだと、理解できる。

 それにきっと、門魔法を使う時に彼が行う詠唱とも同じだろう。あれは文字にできない詠唱などではなく、何かしらの言語で唱えられているはずだから。


『ふぅん? そうかそうか。あの小娘の縁者というわけか。なら儂に接続出来たのも頷ける。――おい、そこな二人、遠いわ。もっと近くに来い。――遠すぎて、見えんのじゃて』


 二人。声の主は、そう言った。

 私はリリーと顔を見合わせ、小さく頷き、彼の両隣で座り込む。同じポーズになろうかと思ったが、リリーがちょこんと可愛らしく座ったので、私も気にせず腰を下ろした。


『うん、うん、トゥーリアの血族に、チェレスティーナの末裔か。…………そうか、もう、彼奴らはここにはおらんのか』


 私もリリーも、何も言っていない。

 しかし、知識として知っていることがある。チェレスティーナという名前だ。

 それは、エルフにとっての主神。3000年前の大戦で神に上り詰めた、唯一のエルフ。

 私は別に、チェレスティーナを崇めたことなどない。だから、知識として知っているだけだ。

 リリーの驚いた表情を見るに、きっとトゥーリアというのも、天族の祖先のことなのだろう。


「聞きたいことが、あるんですけど」


 駄目だ、今この瞬間だけは、好奇心を抑えられない。私の口が動くのを止められる者など居ない。


『構わん、話せ』


「あなたは一人で、ここに居たんですか?」


『あぁ。最後に話したのはルクシアの小娘じゃが、それから――そうか、2800年も経ってしもうたか』


「神を辞めてから、ずっと」


『うん? 語弊があるな。辞めては、居ないぞ?』


「はい? でも……」


 あれ、私の捉え方が間違ってたのかな? 一応リリーとアイコンタクトを取るが、彼女もどういう意味か分からない模様。先生も同じ反応だ。


『辞めては、いない。じゃがもう、あちらに私の居場所はないだろうよ。肉の民らめが、勝手に椅子取りゲームを始めよってからに』


 肉の民……って何だ?考えろ、考えろ、これまで出てこなかった言葉だ。

 特定の種族を指す言葉か? それなら、私とリリー、先生がそう呼ばれなかったから、私達は肉の民ではない。

 真っ先に思い浮かぶのは、マテリアル体を持つ種族のことか? けれどそれならリリーはともかくエルフの私とヒト種の先生は該当するはず。

 ううん……?


「ごめんなさい、肉の民って言うのは……」


 ギブアップ。分からない時は正直に聞くのが一番だ。


『おお、そうか、この呼び方では、伝わらんか。ヴェゼンティーニの民と言えば、どうじゃろう?』


「ヴェゼンティーニ……って、うん、せんせ、パス」


 私を対話役にするの、どう考えても人選ミスだよ。気になることはいくつもあるが、別に私以外もそうだろうし。


「あー、ルゴスが滅ぼしたって伝説残ってる種族が、ヴェゼンティーニじゃなかったっけ……? 亜神種の一つだったと思うけど……」


 やっぱり私より詳しいよこの人! まったくもう!

 亜神種は統一された種族ではなく、いくつもの種族が亜神種とされている。もっとも、現代まで生き残っているのはエルフよりも少ないくらいだと思うが。

 地上がヒト種の世界になってから、繁殖力の低い種族は絶滅するか交雑するしか道は残されていなかったのだ。


『はっは! 亜神? 奴らがか!?』


「……何か気に障ることでも?」


『いいや、ないな! なるほど、死んでおったか! 儂が直々に殺してやろうと思っておったが、もう誰も残っておらんとは! これほどまでに喜ばしいことは、ないわ! はっは!』


 狐の置物が、カタカタと揺れている。これ、喜んでるのか? 私には分からない。

 頭に響く声も先程までより大きい気がするし、何より纏っている空気が違う。体感気温が10度くらいは上がったように感じるほどだ。


『ところで、ルゴスというのは誰じゃ? まだ、生きておるのか?』


「いいえ、ルゴスは3000年前に死んで、神に上がっていますよ。ただ定期的に地上で遊んでるだけで……。先程言っていたルクシアの姉が、そのルゴスです」


『なるほどなぁ! あの小娘の身内か! 姉妹で私を喜ばせてくれるとは、褒美をやりたいところだ!』


「会いに行くことは、出来ないんですか?」


『出来るかもしれんし、出来ないかもしれんな。ただこの依り代では無理じゃろうから、新たに受肉したいところじゃが……。そうじゃな、トゥーリアの血族よ、貴様はどうやって肉体を手に入れた?』


「え、ええっと、私のこと、ですよね……?」


 いきなり話を振られて焦るリリー。

 この人――いや人じゃない、この置物って向きとか変わらないから、誰の方を向いて話してるのか分からないんだよね。この声は場に居る三人共、同じように聞こえているのだ。

 自分に向けられた声と他人に向けられた声は無意識のうちに区分することができるが、リリーのそれは常人よりも遥かに高性能なのだ。故に、音の情報に頼る彼女の反応が遅れてしまうのも無理はない。

 この声は、脳に直接響いてる声なのだ。音の流れも、反響すらもない。


『貴様以外に、誰がおる?』


「ご、ごめんなさい。その呼ばれ方、慣れなくて……」


『……そうか、悪かったな。名前を聞いても良いか?』


「リリーと、言います」


『リリー、リリーか、覚えたぞ』


「ちなみに、私のことはイルマと呼んで頂けると」


 便乗しておく。私も末裔とか言われたら反応遅れるからね。


『あぁ分かった。リリーとイルマと、ヒデ――いいや、エミリオだったか。しかと覚えた。で、リリーよ、聞いても良いか?』


 今言いかけたのは、先生の前世の名前かな? 気にはなるが、きっとそれを呼ぶことはないだろう。彼も自分から言おうとはしていないから尚更だ。


「……ごめんなさい、私くらいの世代は、生まれた時からこの身体を持っているので、分かりません」


 伏し目がちに、リリーは言った。

 リリーの種族である天族は、元はアストラル体の種族だ。それが現在に至るまでにマテリアル体の肉体を手に入れている以上、それを得る何かしらの手段がある。この置物は、それを聞きたかったのだ。

 ただまぁ、分かるわけないよね、そんなの。無茶振りにも程があるよ。


『いいや、気にするな。なぁに、時間は腐るほどあるんじゃから、自分で探すとするわ。貴様らのお陰で、肉の民らに掛けられた封印は解かれた。儂は、自由じゃからな』


「……封印、されてたんですね」


 先生はそう言った。

 そういえばそうなるが、私達はこの迷宮に掛けられた封印を解いたことになるのか。特に何もしていないような気がするけど。

 まぁ、もう絶滅している種族が作ったような封印だ。先生ならそのくらい解いて当然と、何故か私が自信を持ってそう思える。


『あぁ。じゃが、もう気にしとらん。そうじゃな……貴様らに、褒美をやろう。何が欲しい?』


「何がって、言われても……」


 先生は、私達二人を交互に見る。うーん、突然言われても、ねぇ?

 私もリリーも同じ反応。たぶん、彼自身も決まらないっぽい。


「スキルの上限突破とか……?」


「あー、魔法のですか? それ良いですねー」


 何適当なこと言ってんだとは思ったが、不可能でないなら私も頼みたい。

 魔法適正によりスキルレベルに上限が定められているのは、私達魔法使いにとってはどうしようもない、生まれ持っての才でしかないからだ。自分でどうこうできる領域ではないから、猫の手ならぬ神の手でも借りたいところではある。


『スキルとは、何じゃ?』


「「……ですよねー」」


 スキルという概念が生まれたのはここ500年程度の話なのだから、3000年以上前に神をしていたこの置物さんが知らないのは当然だ。


『いんや、勝手に納得をするな。教えろ、スキルというのは、何じゃ?』


「ええっと、ちょっと長くなるんですが――」


 そういうと先生は先生らしく、スキルの成り立ちから説明を始める。開始1分で眠くなったけど、我慢我慢。普段はアルさんとかカリサさんの方が圧倒的に先生らしいけど、先生は先生だ。私にとっては、彼が唯一の先生だから。

 説明は、10分程度続いた。結構私情も入ってた気がするけど、そこは気にしない。


『なるほどな、今の世代は生命限界を超えないよう、そういう防護策を講じておるのか。しかしそれがあるせいで、一定以上強くなれないと。――神に登れる者が少ないのは、そういうことじゃろうな』


「だから、それがない頃は――」


『あぁ、貴様らが今、神と呼んでいる世代は、そうじゃろうな。ヒト種である貴様が使える100年の時間を、20年に圧縮して生きておった。それは、強くなれるに決まっておろう?』


「それは、そうですね」


 先生も、そう言われて納得したようだ。


 生命限界とは、そういうことか。

 今の人間は、自分の力で死んでしまうことがないように、一定以上の出力が出ないよう保護されているのだ。しかし、その保護がなければ?

 強くなれるだけ強くなれる。その世代が、神話の大戦を戦ったような英雄達ということで。


『儂なら、貴様らのそれを取っ払うことなど容易じゃ。が、しかし――』


「しかし?」


『間違いなく、寿命は短くなる。生まれた時からそういう生命だった儂らの世代ならともかく、今の世代には辛かろう。それでも、構わんのか?』


 その問いは、悪魔の誘惑だ。

 上限とは、強くなりすぎない為の防護策。その生命が真っ当に生きるために、必要なものだった。魔法をこれまで以上に使うためだけに、命を燃やし尽くすような真似ができるか?


 ――人としての私は、それは絶対に許されないと言う。

 ――魔法使いとしての私は、そのくらいのリスクなら構わないと言う。


 これ以上の難問が、あったろうか。


「大体で良いんですが、寿命100年の人間がそれをしたら、どのくらい寿命は減りますか?」


『30から50年は減ると考えるのが妥当かのう。自ら死ににいくような真似をしなければ、もっと伸びるかもしれん』


「……結構、長いですね」


『じゃろうなぁ。儂からしたらたった30年でも、貴様らは違うであろう? ……ただ先の数字は、人として生き、人として死ぬ場合の話じゃが』


 含みを持たせた言い方だ。

 今は、先生が話している。だから私は多少気になっても、彼の言葉に全てを任せる。


「方法によっては伸びるみたいな、そんな言い方に聞こえるんですが……そこから生きる手段は、あるんですか?」


『そんなもの、決まっておる。貴様らも神になれば、良いじゃろう?』


 え? この置物さん、何言ってるの?

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