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 ここは迷宮の地下七階。光がないので時間感覚が分かりづらいが、空腹度合いからして、迷宮に入って6時間程度は経過しただろうか。

 迷宮自体の構造が単純で小規模だったこと、そして更に二人の音響測位によってすぐに階下への階段を見つけられたこともあって、ここまで短時間で辿り着くことができたのだ。


「うーん……宗教的な意味ってのはなんとなく分かるけど、聖教については詳しくないからなぁ。二人はなんか分かることある?」


 そんなことを言う先生が手にしているのは、小部屋で拾った小さな置物だ。

 それは一階から七階まで全ての階層にあった置物で、今拾ったものが7つ目となる。

 迷宮の内部構造は違えど、全ての階層は下り階段の裏手に登り階段があり、中2階とでも言えば良いのか、小さな空間が存在した。

 そこには小さな祭壇と、小さな置物が1つあるだけ。一階で見つけた時はなんとなく拾っただけだったが、二階でも同じ小部屋で同じ小物を見つけたので流石に何らかの意図を感じ、以後降りるたびに同じ物を一つずつ拾い続けている。


「魔力は何も感じないですけど、逆に言えば明らかに狐を模してる置物が、魔力を帯びないのがおかしいような……考えすぎかもしれないですけど」


 狐をモチーフとするものは、古くから魔力が宿るとされている。

 現代の魔法において動物を意識するものは少ないが、古代の魔法なら別だ。曖昧なイメージを持って魔法を成していた時代、共通認識とされるのは皆が知っている動物だったから。


「術式解析してみても、無反応?」


「ですねー。魔法を使われた痕跡もないし、魔力を帯びてもない感じ。リリーは何か分かる?」


 私は、ほとんどお手上げ状態だ。いくら迷宮の知識があろうが、未知の迷宮など師匠無しで探索したことはない。魔法を使って敵を倒すとかそういう単純作業は私もやっていたが、知識の必要な謎解き部分は全部師匠任せだったのだ。


「エマヌエル様……ううん、パールオロフ様かな……?」


 リリーは目を閉じて、ぶつぶつと呟いている。そういえば置物を拾うたびに何か言っていたような気がするが、何かの名前かな、くらいにしか思わず、聞き流していた。


「……それ、神様の名前?」


 先生はリリーにそう聞いた。なるほど、そういうことか。

 リリーの専門は神学ではないが、彼女は神についての知識があまりに豊富だ。私はそれこそカプレさんのような聖職者を含めて、リリーより神に詳しい人を見たことがない。

 そんなリリーなら、この置物が何をモチーフにされた物か想像できるということだろうか。


「獣人系で狐の意匠だと、そのくらいしか……。あとこれ、大体3000年くらい前に作られた物だと思うけど、エマヌエル様もパールオロフ様もそれより近代の神様だから、ううん……」


「……難しいのは分かったよ」


「何言ってるかさっぱり分かんないですね!」


 うん、着いていけないや! 迷宮探索のためにそういう知識を貯め込んでいた師匠なら何か分かったかもしれないが、生憎謎解きは専門外。

 しばらく小部屋の探索をしてみたが、やはり部屋や祭壇の構造も他の階層にあったものと同じで、置物以外に何か見つかるわけではない。


 飲むものは魔法で生み出せても、食事は何もない。先生は何も持ち込まなかったことを少しだけ後悔していたようだが、ならとっとと攻略しようとペースを上げただけだった。

 彼が定期的にどこかから取り出す、甘い気がする砂糖のような何かを舐めると多少は空腹が紛れるのだが、正直そろそろ帰りたい。私は成長期がまだ続いているのだ。


「……うん? 今何か言わなかった?」


 彼が突然立ち上がると、キョロキョロと周囲を見渡しながらそんなことを言う。


「はい? 何も聞こえませんでしたけど、リリーは?」


「ううん、何も聞こえないよ。何って聞こえたの?」


「ありがとうみたいな、なんかそんな言葉だった気がするけど……ていうかあれ、さっきの共通語じゃなかったかも?」


「ありがとう、ですか。えーと……」


 記憶を辿り、私の知っている言語における感謝の言葉を全て口にする。

 日常会話ができるほど覚えているわけではないが、師匠による詰め込み教育のお陰か、私はここ数千年の間に使われていた大陸言語をそれなりに読み書き話すことができるのだ。


「あ、最後から2つ目の、もう一度言って」


「“ゼァーラィーフィール”、これは3200年くらい前に使われてたエスメイ語における感謝の言葉ですね。せんせ、そんなのも知ってんですか?」


 エスメイ語は大陸言語に括られているが、書き文字もなく、厳密には大陸住人によって話されていたものではない。

 あの当時はまだ肉体を持たないアストラル体の種族も多く、それらがマテリアル体の肉体を持つ種族と会話するために作り出した、思考投射型の言語なのだ。

 脳に直接話しかけるタイプの言語は今では到底考えられないが、それでコミュニケーションを取れていた事実があるので仕方がない。


「ううん、知らないけど。なんかそれっぽい音だった気がして……」


「なんで知らないのに感謝の言葉って分かるんです……?」


「……わっかんないなぁ。なんか感謝されているような気はしたんだけど」


 彼はそう言うが、仮に本当にエスメイ語だったのならば、初めて聞いたその言葉を感謝の言葉と認識することは不可能ではないかもしれない。

 エスメイ語において、発声する言葉に大した意味はないのだ。気持ちを伝える手段に音が付随するだけで、言葉自体に意味はない。

 勿論、私には知識はあれど、それで話しかけられたことなどないので、想像でしかないのだが。


「あっ! エスメイって、ひょっとしてエスメー・クロンメリン様と関係ある言葉!?」


「えっリリー、どうしたの突然?」


 急に大声を出されてびっくりした。リリーは神の話題にならない限り早口にもならないし声も大きくならないのに。これまで聞いた彼女の声の中で1,2を争う声量だった気がする。


「イルマちゃん、エスメイ語を話してたのは、どんな人達?」


「ええっと……ヒト種の記録では、メーレンベルフの民って書かれてたような……」


 言語知識はあれど、私にあるのはそれまでだ。師匠は広く浅く覚えさせるタイプではなく、狭く深く1つずつ確実に覚えるまで次に進まないタイプだったので、言語に付随する情報はあまり知らないのだ。

 きっとあのまま数年弟子を続けていたらそのような細かい情報も知ることはできたのだろうが、その前に死んじゃったし。


「……それ、体がない人達だよね?」


「そうそう。アストラル体の種族で、いつの間にか歴史から居なくなってたとか、そんなことを聞いたような……」


「じゃあやっぱり、この狐の置き物はエスメー・クロンメリン様だよ」


 リリーは確信を持って言っているようだが、私も先生もキョトンとしてしまっている。

 ……うん、声に出さなくても分かるよ。誰?


「……ごめん、体がないのに狐って、どういうこと?」


 代わりに聞いてくれて助かった。どっちが聞くかみたいな視線のぶつけ合いに勝利したのは私だ。


「えぇっと、エスメー・クロンメリン様は、何て言えば良いんだろ……昔の神様?」


「昔って、ルゴスより前の?」


「そう! 居なくなった神様の一人で、エスメー・クロンメリン様の種族はマテリアル体を獲得できなかったか、しなかったかで、大戦以降は出てこないんだよね」


 あ、その辺ならなんとなく知ってる。3000年前に神様が全員居なくなって、地上が大荒れになった話くらいは、歴史書でなくとも書いてある内容だ。

 居なくなった理由は分からないが、それから次代の神を決める為の戦争が起きて、それに負けた色んな種族が絶滅したとかなんとか。


「あれ? マテリアル体がないのに、どうしてリリーは狐見て、クロン……って神様だと思ったの?」


 とりあえず疑問に思ったので聞いてみる。


「クロンメリン、ね! 言い伝えでは、エスメー・クロンメリン様は地上の生物と話す為の媒介として、狐を使ったって言われてるの」


「なぁーるほど!」


 うん、納得。先生もうんうん頷いているし、とりあえず二人も理解できた。

 確かに私も、アストラル体の種族が言語を作って話しかけたところで、返答を受け取るための器官がないのでは? とかは疑問に思っていたことがあるのだ。一方的に人の脳に話しかけることができても、人側はアストラル体の種族に声を届ける言語を持たないから。

 なるほど、何かを媒介すれば、対話を成り立たせることができるのか。なるほどなるほど。


 ……ところで言いたくないんだけど、それが分かったところで何か出来るのかな? 謎解き要素は今のところなかったし、置物を拾ってきたのもなんとなくでしかない。

 そもそも合格ラインの7階には辿り着いているのだから、これ以上先へ進む理由もないのだ。


「……あっ」


「どうしたのリリー?また神様でも居た?」


「違うよぉ! えっと、…………ごめんなさい。それが分かって、どうしろって話……だよね」


あぁっ! リリーがしょぼくれてる! 私が何か言っても無駄だなこれ! ほら先生行った行った! 慰めるのはあなたの仕事!


「ううん、ありがとう」


 そう言うと彼はリリーを正面からぎゅっと抱きしめた。うーん、やっぱりちょっと羨ましいなぁ……。人目がないとこくらい私もされてみたいなぁ。

 一応後ろから抱きついてみる。なるべく胸を押し付けるようにして。

 ……無反応! きつい! 心折れそう! けど頑張る!


「イルマ、もし分かればなんだけど」


「はい?」


 この人、リリーを抱きしめたまま、背中にくっついた私に話しかけてきたよ! ちょっと嬉しいから文句言わないけど!


「今から僕が言う言葉、エスメイ語に訳してくれる?」


「え、まぁ、分かる範囲でなら……」


「“ルクシアよりの使いで、あなたに会いに来ました”、いけそう?」


「えーと、ア、リァーラ、ルクシアリーア、イ、クロンリメン、ユゥースティーアエーア……こうかな、ちょっと違うかも……?」


「ありがとう」


 そう言うと彼はリリーを抱きしめていた片手を離し、90度回ると私とリリーをまとめて抱きしめてきた。

 あっ! これ、恥ずかしいぞ! リリーの頭が私の胸の間に埋まっちゃったのはまぁ良いとして、なんかかなり恥ずかしい!


 はわ、はわわと慌てていると、急に寒気を感じる。

 ……おかしい。魔力の反応もないし、血が流れたわけでもない。迷宮内に風は吹かないので、罠でもない限り気温が下がることはない。


 それなのに――


『2万8642人中、2人目じゃな。ルクシアの小娘以来じゃ。――ところで貴様は、誰かな?』


 その声は、頭に突然響いてきた。

 あぁ、分かる。いくら私の頭が高性能でも、勝手に翻訳されたわけではない。

 これは、思考投射型言語。発声機能を持たない種族が使う言葉。音の流れに意味はない、目的の言葉を相手に伝えられるよう作られた、思考の波。


 ――これこそが、エスメイ語だ。

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