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ヤクと魔法のファンタジー  作者: 衣太
空に生きる者
36/133

2

「落ち着いた?」


 先生、――ううん、エミリオ君が、私にそう声を掛ける。

 ちょっと顔が赤くなる。話すだけ話して、泣くだけ泣いて、気がつくと寝てしまっていたから。

 うう、恥ずかしい。恥ずかしい。好きな子の前でこんな姿見せるなんて。


 私の手を握ってくれる彼の手も、やはりエミリオ君のものだった。

 あの時握ってくれたのと同じ手、同じ体温だ。

 私は、間違えなかった。彼を、見つけられたのだ。


「ご、ごめんなさい」


「ううん、気にしないで」


 部屋が、少しだけ暑く感じる。ううん、これは私の体温が上がっているのかな。


「どうして?」


「うん?」


 あ、駄目だ、考えてることそのまま喋っちゃった。分からないよね、これじゃ。


「どうして、先生になったの?」


「うーん、……なんとなく?」


「……え?」


「子供の姿より大人の方が皆が話聞いてくれるかなって思っただけだよ。そんな深い理由は、ないかな」


「そ、そうなんだ……」


 なんかサラっと言われたけど、私は外見だけ大人にできても、大人に見られることはないと思う。

 なんでそんなことができるんだろう。私より小さい子が、どうして誰よりも大人に見えるのだろう。


「エミリオ君、何歳なの?」


「11歳だけど……」


「本当に?」


 もう一度聞く。もう年齢なんて些細なものかもしれない。けれど、はっきりさせたいのだ。

 エミリオ君が11歳というのを、信じていないわけではない。けど、何か違う。

 私は、目が見えないからそう言えるのかもしれない。そう思えるのかもしれない。

 人を音で、所作で聞いている私は、どうしてもそれが嘘くさく思える。

 彼は、大人のはずだ。私より幼い子供なはずがない。たった11年で、こんな人になるはずがない。目が見えない私は、視覚情報以外で人を見ている。だから、外見に惑わされることはないのだ。


 年下の男の子のことを、私が好きになるはずがない。何故か、そう確信できる。



「本当は、27と11歳だよ。信じられないだろうけど」


「……え?」


 エミリオ君は、少し悩んだ末に、数字を二つ言う。

 27と、11? それは、年齢か?

 38ではなく、27と11に分けた理由。それが、彼に感じた違和感の正体だ。


「27で死んで、また生まれて、11年」


「……それ、アウフスタイン様が?」


「ううん、ルゴス。いや……厳密には、ルクシアかな」


「……えっ!?」


 私は、この世界の神のことを、ヒトより少しだけ知っている。

 それは、村の中でよく話されていたからだ。私も幼い頃から聞かされていたので、36柱の神のことは勿論知っている。そして、それより前の神のことも。

 転生を司る神といえば、アウフスタイン様が有名だ。アウフスタイン様の先代も知っているが、ここでは関係なさそう。


 今エミリオ君が言ったルクシアとは、先代の主神、ルゴス様の妹格だったお方だ。

 ヒトの都合で神にされ、ヒトの都合で殺された、可哀想な神様。そう認識している。

 彼女は、もう何千年も前に死んでしまった神のはずだ。


「27年間は、ルクシア様の時代ってこと?」


 好きな子と話しているのに、変なところで饒舌になってしまう。

 神オタクとイルマちゃんにからかわれるくらい、私は神に興味があるのだ。

 ちなみに一番好きなのはルゴス様。私には絶対真似できない破天荒な感じが好きなんだよね。


「ううん。たぶん違うかな。えっと……他の世界から来てるって言っても、信じられる?」


「え? ……うん、信じるよ」


「……そっか。ルクシアはこっちの世界では死んでるっぽいけど、他の世界には居るんだよ。殺される前に逃げた感じなのかな? ちょっとご縁があって、こっちの世界で命を貰ったんだよね」


「え、す……すごい! すごいよ!」


 えっなにそれ、すごい! お父さんやお母さんにも教えてあげたい! もう居ないんだけど。

 ルクシア様が生きてるなんて、誰も知らないんじゃない? 村の人も、学者さんも、誰も知らないはず。そんな学説があるなんて、聞いたことがない。

 私の知識は偏っているから、もしかしたら一般常識とは違うかもしれない。けれどイルマちゃんと照らし合わせて、認識のアップデートはできてるはず。


「そういえば、僕が使ってた魔法に、ルゴスって言ったことあったよね」


「う、うん……」


 あれ、急に気になったから聞いちゃったんだよね。覚えてたんだ、恥ずかしい。

 けど、覚えていてくれて、嬉しいな。

 あの時エミリオ君の使った魔法のパターンが、ルゴス様の波形と一致していたのだ。流石に波形まで理解している神様は両手で数えられるくらいだけど、ルゴス様なら間違えない。人が魔法の詠唱に神様の名前を入れることは一般的なことなので、名前が入っていること自体は大した問題ではない。

 けれどルゴス様と同じ波形の魔法というのは、本人でもなければ使うことができないはずだ。


「土属性門系統の魔法。分かる?」


「うん。けど、ルゴス様は――」


「異相門、でしょ?」


「そう!」


 エミリオ君、すっごい詳しい! 嬉しい!

 神様の話が弾む人なんて、村の外で会ったことがなかった。イルマちゃんも一般的な知識しかなかったので、私が一方的に話す感じになってたし。

 知識の補強と嫌々ながら話を聞いてくれたイルマちゃんとは違い、エミリオ君は私よりも詳しいのかもしれない。しゅごいぃ……。


「5年くらい前かな。アウフスタインと揉めちゃってね」


「……会ったの?」


「うん」


 彼の声のトーンは、相当落ち着いている。

 分かっているのだ。アウフスタイン様に会う人が、何をした人なのか。

 けど、そんなの知ったことじゃない。エミリオ君は、私をあそこから出すためだけに、何人も殺している。

 『ショー』の外で会った看守は全員動きを封じるだけにしていたので、衝動的なものだったとは思う。けれど、それができる人なのだ。それができる人だからこそ、私は救われたのだ。

 だから、悪いこととは思わない。他人を殺さない人でも、動物は殺すし、植物は殺す。私にとっては、同じことだ。天族と呼ばれ、ヒトによって売られ、ヒトによって乱暴を受けた私にとっては、ヒトとはエミリオ君とそれ以外を分けるだけの記号でしかないのだから。


「ルゴスが門魔法の肩代わりしてくれるって言うからお願いしたら、出力滅茶苦茶上がっちゃってね」


「ふふっ……らしいね」


「うん。雑調整だけど、使いやすくなったし気に入ってるんだよ」


 エミリオ君も、釣られて笑う。

 うん、らしいや。私の思い描くルゴス様なら、やりかねない。

 神様とは思えないくらい気さくで、気まぐれで。暇つぶしに力を貸して、気が変わったら奪い取って。

 そんな人だ。そんな、神様だ。


「ルゴス様、どんな人だった?」


 人、ヒト、神だけど。うん、この場合は人でいいかな。

 ルゴス様ほど、“神の力を持っているだけの人”と思える神は居ない。誰よりも、人であることを辞めないのだから。


「雑で気まぐれで、ギャル――じゃないや、イマドキの若い子って感じかな。いや、神なんだけど」


「うん、うん。そうだよね。ふふ」


 ん、良かった。直接会ったことのあるエミリオ君がそう言うのなら、私の認識は間違いではなかったということだ。

 私も、会ってみたいなぁ。どんな顔なんだろ。見えないけどね。


「ルゴスのこと、好きなんだ」


「うん!」


「たぶん、喜ぶよ。自分のこと忘れてない人が居るんだって。ちょっと、気にしてるようだったから」


 それは、仕方のないことだ。

 神とは信仰で成り立つ。36柱の神が36柱足りえるのは、信仰を集めることのできたのが36人だけだったから。

 大陸を粉々にしたみたいな悪評しか残さないことに定評のあるルゴス様は、まだ神で居られるのが凄いと思えるほどだ。私みたいな物好きが信仰を続けているから、神を続けていられるのかな? それなら、信仰をやめないで良かった。


「ルゴス様とは、それっきり?」


「うん。次に会うのは死んだ時って言われてるから、なるべくなら会いたくはないかな」


「あはっ……そう、ね」


 ルゴス様らしいや。人間に力を与えておいて死ぬまで放置とか、他の神では絶対にやらない。神が人間に力を与えるなら、それは人間を自分の思い通りに動かすためなのだ。面倒くさがって放置をするくらいなら、力を与える必要がない。

 そもそも神様の魔力だって有限なのだから、そうポンポンと力を貸せるはずがないのに。


 ――私は知っている。神とは、特別な種族ではない。

 神に至る能力を得た生命体が、神になるのだと。

 神は、限りなく人間に近い存在だ。それでも、数百、数千年も生きてしまえば、たかが数十年生きた程度の人間であった頃の記憶も人格もなくなってしまう。

 だから、神は神足りえるのだと。


 ルゴス様だけだ。いつまでも、ヒトらしいのは。だから、好き。


「エミリオ君は、神様になろうとはしないの?」


 彼に、そう質問した。聞いてはいないが、エミリオ君はルゴス様の加護を得ている。加護もなしにそこまで干渉することはできないからだ。

 神から得る加護とは、神に登るための一つ目のキーパーツだ。他にも条件は多いが、それを得るのが最優先と言われていた。

 エミリオ君が神様になったら、私も天界に行けるかな。私達の種族は、元々そういう生命体だったらしいし。


「神? ……まぁ、20年後に生きてたら考える程度かなぁ」


「……どうして20年後?」


「僕の同郷の人達がね、この世界にやってくるんだ。……予想でしかないんだけど」


「そうなの!?」


 すっごい驚いた。エミリオ君の言うことには、驚いてばかりだ。世界間移動とは、遠い昔から言い伝えられている現象だ。神における担当は――あ、ルクシア様だ。ルクシア様が死んでしまって、それが起きなくなっただけなのだ。ルクシア様が他の、エミリオ君が元居た世界に居るのなら、そちらから移動することは可能のはず。

 すごい、すごいなぁ。そんなことまで考えてるなんて。


「じゃ、じゃあ!」


「うん?」


 うう、言っても良いかなあ。言っても引かれないかなぁ。

 相手の表情を見れないのが、これほどまでに悲しいことはない。でも、うん。きっと、私のことを見てくれた彼なら、笑ったりはしないはず。

 うん、大丈夫、だよね。


「エミリオ君が神様になったら、私も一緒に行って良い?」


「……え? リリーも神になるってこと?」


「あ、う、ちがくて。ええっと……」


 どうしよう、言葉が出てこない。説明しなきゃいけないのに、ええっと……。考えろ、考えろ。彼ならきっと、 知ってるはず。なるほどって、言ってくれるはずだから。


「エミリオ君は、天族って呼ばれる人のこと、知ってる?」


 その呼称は、私達は使っていないものだ。

 ヒト種が命名し、ヒト種が私達を分類するときに使う種族名。けれどこれは、ヒト種からしたら一般的な呼び名のはずだ。同い年くらいの子供は知らなくとも、魔法に詳しい大人なら聞いたことはあるような、そのくらいの知名度――のはず。


「うん。羽がない天使って言われる人達だよね。見たことはないけど……」


「わ、わた、わた……」


 うまく言えない。恥ずかしい? もしかしたら引かれるかも? ううん、私が自信がないだけ。好きな人に嘘つきだって、思われたくないから。

 でも、彼なら大丈夫。エミリオ君なら、大丈夫だよ、私。


「わたしが、それなの」


「………………えっ、ホントに?」


「う、うん……」


 種族とは、目に見えるものではない。外見からして違う種族は別として、ヒトと交わった天使という成り立ちである私達は、人と見分けがつくことはない。

 だから私は、そう信じているだけなのだ。両親から生まれたなら、私がそうであると思っているだけ。

 もしかしたら、拾われてきたヒト種かもしれない。他の種族かもしれない。それを確認する手段は、ないのだから。


「凄い、初めて見たよ。リリーが可愛いわけだ」


「そ、そうなの?」


 信じてくれたの? ……良かったぁ。

 けど今、可愛いって言われた? うう、同年代の男の子に言われるとちょっと照れるくらいだけど、エミリオ君に言われると恥ずかしい。どうしよ、今顔真っ赤じゃない? 触れてみたけど、すっごい熱いよ、私の顔。うう。

 可愛いわけだって言ったよね? けど、エミリオ君は、他の天族を見たことないんだよね。そういうイメージかな? 別に、ヒトに比べて美男美女が多いと思ったこともないんだけど……。奴隷だった頃屋敷に居たエルフの女性の方が、よっぽど美人だと思うけどなぁ。


「信じて、くれるの?」


「……や、リリーの言うこと信じないわけ、ないでしょ」


「え?」


「信じてるよ。そっか、天族だったのかぁ……」


 エミリオ君は、信じてくれた。やっぱり、私の好きな人だ。種族の違いなんて、年の差なんて関係ない。

 彼が信じてくれるなら、私も彼のことを信じる。そういうもの、だよね。

 27歳と11歳。私はまだ12歳。釣り合うかなあ? 身長は私の方がちょっとだけ高いと思うけど、私、エミリオ君と違って子供っぽいから……。

 あ、でもエミリオ君、皆には大人に見えてるんだっけ? なら、私のが低いかな。子供っぽくても、気にされないか。


「天族ってことは、レビテーションスキル持ってる?」


「え? レビ……?」


「……あぁ、ごめん。空飛べる種族だったと思うんだけど」


「あ、……ううん。飛べないよ。それも魔法?」


 スキル? そういえば、目が見える頃に、ステータスってものを見たことが、一度だけあったっけ。確か、メイドの誰かが話しているのを聞いて、試したんだったか。

 そこに、スキルと書かれていたような気はする。けれど、それ以上の記憶はない。

 レビテーションスキルというのは知らないが、確かに私達の種族には空を飛ぶ魔法が存在した。けれどあれはあくまで魔法の力であり、適正がない者が多く、飛べるのは村の中でも片手で数えられる程度だったような気がする。


「魔法……魔法っちゃ魔法かな。そっか、スキルって概念がある種族の方が少ないんだっけ。ええっと……そうだ、ちょっと知覚借りて良い?」


「うん? ……良いよ?」


 知覚? どういうこと? 何か分からないけど、エミリオ君の言うことだから、良いよって言っちゃった。悪いようにはされないんだろうし、たぶん口で説明するより分かりやすいって思ったのかな。

 けど、知覚を借りるってどういうことなんだろう。五感とかのことだよね?


 エミリオ君の手が、私のおでこに触れる。その触れ方は控えめで、壊さないようにしているかのようで。

 私は両手でエミリオ君の手を握り、ぎゅっと額に押し付けた。ちょっと驚いたようだけど、別に触れ方はなんでもよかったみたい。


 私に触れたまま、エミリオ君は何かを唱える。きっと、魔法の詠唱だ。

 うん?……おかしいな。何て言ってるんだろ?

 エミリオ君が詠唱をするのを聞いたのは、これで2回目だ。『ショー』から私を救い出した時に、一度だけ唱えていたのを聞いたのだ。

 あの時は気が動転していただけだと思っていたし、そこまで意識を向けることはなかったから、聞き取れなかったのは当然かもしれない。

 しかし、今は平静だし、ここに彼の声以外の音はない。だから、聞き取れているはずなのに。


 エミリオ君は今、何と言っているんだろう? 彼の口から出てくるのは、知らない言葉だ。ひょっとして、共通語じゃないのかな?

 そんなことを思っていると、急に体が浮かび上がる錯覚を得た。

 落下感……じゃないな。体が、持ち上げられているような感じ。けどおでこに触れているエミリオ君の手は動いていないし、ベッドに腰掛けている触覚は残っている。

 気のせい? ううん、けどなんか違和感が拭えない。


「ん、やっぱ大丈夫」


「うん? 大丈夫って?」


「リリーは、飛べるよ。レビテーションはちゃんと残ってる」


「……どうやって?」


 私達の種族が空を飛べたのは、遠い先祖に羽が生えていたからだ。

 鳥のような羽があるから、飛べただけ。

 ヒト種との交配が続くことで羽は失われ、空を飛ぶ機能はなくなった。魔法によって飛べるのは、ヒトも同じことだ。

 私の先祖は数代ヒト種と交わっていないと聞いているけど、種族の成り立ち時点で羽を無くした混血なのだ。混血と混血が混ざったところで、純血には成りえない。


 飛べる魔法を持たない私が、飛べるはずがない。

 だから、私は飛べないはず。そう、思っていた。

 けど、エミリオ君は言っているんだ。私が、飛べると。

 信じよう。私は、飛べる、飛べる、飛べる。

 ……どうやって?


「羽とは、飛ぶ為の器官じゃない。鳥が空を飛べるのは、鳥が、空に住まう生き物だからだ。空を飛ぶために体を小さく軽くして、空という領域を得ているだけなんだ。人に羽が生えても、飛ぶことはできない。飛ぶことができるのは、飛ぶことのできる生き物だけ」


 エミリオ君は、そう呟く。今度こそ私にも聞こえる言葉で。

 けどこれは、詠唱じゃないよね。教えているというより、言い聞かせている感じかな?

 私に? ううん。エミリオ君の手は、まだ私の額から離れていない。


「空という領域に入れるのは、それを許された者だけだ。空に住むことを許されたのは、鳥と虫と、一部の哺乳類、そして、――天使も」


 言葉は続く。魔法を扱う際に詠唱をするのは私達の種族以外では一般的なものだから、その理由も知っている。詠唱とは、足りないイメージの補完なのだ。考えることと、口に出すこと。2種類の思考波動により、魔法の精度を更に高めることができる。

 エミリオ君が喋っているのは、つまりそれだ。イメージの補完。人である彼が、空に至るイメージを獲得する為に、それを言葉に起こしている。だから私は、それを聞くだけで良い。彼の声を、心地よい彼の体温を感じながら、光を映さぬ目を閉じて、声だけに没頭する。


「天族とは、人と天使の交わった姿。天族とは、現代の天使だ。空に住まう者、空に生きる者だ。羽なんてものは必要ない。天使とは、空を舞い、空に住み、空に生き、空を統べる者。だから飛べるよ。君は、空を知る者だから。――――《レビテーション》」


 彼の言葉が、そこで止まる。

 私の魔力が、少しずつ減っていく。


 私は。

 私は――


「飛べる!」


 気が付くと、私は大きな声で叫んでいた。これほどまでに大きな声を出したのは、いつ以来だろう。村を襲われたあの日から、私の感情は少しずつ欠落していった。奴隷として売られた日から、私の心は少しずつ淀んで言った。投獄されたあの日から、私の魂は弱っていった。

 自分には何もできないと。生きて死ぬだけなんだと、心のどこかで、そんなことを考えてしまうほどに。


 けれど、

 けれどね。

 彼が言うんだ。好きな人が言うんだ。エミリオ君が言うんだ。

 私が飛べると。羽なんてなくても、才能なんてなくても、魔法なんてなくても、私が、飛べると言ったのだ。

 飛べないはずが、ない。

 初めて私を見てくれた人が、初めて私に告白してくれた人が、初めて私を知ってくれた人が、言うのだ。


 だから私は信じるよ。

 エミリオ君の信じる、私を。




 体が、ベッドから浮かび上がる。

 エミリオ君は私の額に触れていた手をさっと放すが、寂しくはない。そこに居ると、分かるから。そこに彼が居ることを、知っているから。私を見ていてくれているから。


「飛べてる――よね?」


「うん。リリーは、飛んでるよ」


「そっか。……そっかぁ」


 涙が出てくる。どうしてだろう、これまで空を飛びたいと思ったことなんてなかったのに。

 飛べたら便利だなくらいにしか、思っていなかったのに。

 エミリオ君の言葉を信じて、それが成せたからだ。だから、涙が出てくるのだ。


 ゆっくりと、体が浮かぶ。

 ゆっくり、ゆっくりと。外とは違って室内だから、あまり上がりすぎないように。

 反響音と空気の流れから考えるに、天井は4mくらいだろうか。エミリオ君の寝室は1階で、階段の下にある部屋なので、他の部屋より天井が高い。だから、少しくらいは大丈夫。

 自分の位置を想像して、1mくらいの高さに浮かび上がる。もう、足をまっすぐ伸ばしても床に着くことはない。両手を振っても、何にも当たらない。


「飛べてる。私、飛んでるんだよね」


 これも、魔法の力? エミリオ君はレビテーションスキルと言っていたから、魔法ではなくスキルの力?

 ううん、どちらでもいい。これは、愛の力だ。あ、ちょっと恥ずかしいな、スキルの力ってことにしておこう。


 どのくらい飛べるんだろう。魔力を限界まで使った経験はあまりないので、どのくらい減っても大丈夫かは分からない。昔、魔法を使えるようになったばかりの頃には、魔法の使いすぎて魔力欠乏症になったことはあった。けれど、皆で暮らしていたあの村を出て以降、それほど魔法を多用しなくなった。少し体の治癒に使う程度だ。


「リリーの魔力量なら、3時間くらいは持つと思う」


「えっ、そんなに!?」


 エミリオ君は、なんで私の考えていたことが分かるんだろう。

 でも、3時間も? 今はゆっくりとしか動いていないが、もっと速く動かすこともできる気がする。


「ねぇ……ちょっと、試してみて、良い?」


「うん。外までは、案内するよ」


 エミリオ君がそう言うので、私はゆっくりと床に降り立つ。

 これまで12年、ずっと地上を歩いていたのに、数分空中に居ただけで体が重く感じる。これは、慣れないといけないな。


 エミリオ君の手に触れる。どうしてか、そこに彼の手があると分かったから。

 目が見えなくとも、分かったのだ。彼が私に手を伸ばしてくれたことが。

 衣擦れの音? それはこれまでの他人との距離感覚を測る時に参考にしていたが、今どんな動きをしたのか大雑把に分かる程度だった。どこに手があるかまで分かった、今のような感覚とは随分違う。


 彼の手をぎゅっと握り、部屋を出る。……うん、誰にも見られてないよね。

 他人からの視線を感じることはできないが、物音から大体の想像はできる。皆は2階の掃除をしているはずなのに、私だけ好きな人と一緒に居て良いのだろうかと、少しだけ罪悪感。

 ただ、目が見えないから、掃除は苦手なんだけど。


 屋敷を出ると、風の流れを感じる。南南西から、少し強めの風。周辺に人の気配は感じない。屋敷の周辺は田畑が多く、王都の中でも外れの外れ、もう王都の外と言っても良いくらいのエリアだそうだ。

 人が少ないが、勿論周辺の田畑を管理している住人は居るので、ご近所さんはそれなりに居る。私の認識できるよりも遠くから見られるかもしれないが、空を飛ぶくらい、魔法使いでもできるのだ。然程気にされることはないだろう。


 肌に突き刺す、少し冷たい風が心地良い。

 季節というものをほとんど感じなかった生まれ育った村と違い、村の外には四季があった。

 今は、少し短い夏が終わり、秋が冬に変わろうとしている季節。

 このあたりは、冬には雪が降ることもあるらしい。奴隷として屋敷で働いていた頃は屋敷の外の景色なんて気にすることはできなかったので、あそこで雪が降っていたのかは知らない。

 つまり私は、雪というものを伝聞でしか知らないのだ。ここに居れば、雪を知ることもできるだろう。


 ただ今は、空を知りたい。

 エミリオ君は言っていた。私は、空の住人だと。空に住むことを許されていると。

 実感は湧かない。けれど、空を飛べるという事実がある。


「行っておいで。ここで待ってるから」


「うん!」


 一緒に飛んでいきたい。けれど、エミリオ君は人間だ。

 ……魔法を使えばエミリオ君も飛べるかもしれないが、今は待っていてくれると言う。


 まずは、ゆっくり浮かび上がる。上に、上に、上に。早く、もっと早く。

 ぐんぐんと速度は上がり、体は天に向けて急上昇する。

 全身を強く打つ風が、今は心地よい。私の耳には、風を切る音しか入らない。

 どうやって元の場所に戻ればいいんだろ?と思ったが、そこはエミリオ君に任せよう。エミリオ君なら、私を見つけてくれるはず。


 もう、自分がどのくらいの高さに居るのか分からない。

 空に向かえば向かうほど地上よりも寒くなるが、それはどうしてだろう。後でエミリオ君に聞けば分かるかな。


 私達の種族は、この力で神に会いに行ったらしい。つまり、神様というのは空の先に居るのだ。

 それは言い伝えでしかないので、どこかも分からないし、そもそも目が見えない私は、空に何かがあっても視界で捉えることはできない。


 速度はどんどん上がる。もう口を開けることができないほどに、速度は上がっていく。

 駄目だ、このままだと魔力の前に、酸素が足りなくなる。得意の風魔法で体の前面に障壁を貼り、なんとか呼吸を確保する。


 空は、自由だ。どれだけ飛んでも誰にもぶつからないし、どれだけ動いても誰にも迷惑を掛けていない。

 これまでずっと抑圧されてきた何かが吐き出されるかのように、私は縦横無尽に空を舞う。


 どれだけ経っただろう。しばらく飛んでいると、色々と試す余裕も出来てきた。

 急に止まって、急に最高速になるとか。蛇行したり、動きながら魔法を使ったり。

 不自由しかなかった地上を離れ、空を飛んだだけで、私はこうも自由を得るのか。こうも、人に迷惑を掛けずにいられるのか。


 エミリオ君が、私は空の住人と言った意味を、ようやく理解できた。

 空に比べたら、地上には自由がなさすぎる。


 けど、

 けどね。


 地上には、エミリオ君が居るんだ。

 だから私は、地に降り立つ。目が見えないはずなのに、自分がどこに居るかも分からないはずなのに、私はエミリオ君のすぐ傍に、降り立つことができた。


「おかえり。楽しかった?」


「うん!」


 地上は、悪いことばかりではない。

 目が見えないと何でも大変だし、沢山の皆に迷惑をかける。

 けれど、君が居るんだよ。


「ただいま」


 いつか、私も彼に告白できるだろうか。

 これからも彼とずっと一緒に居れば、この気持ちを伝えることのできる日も、きっと。


 彼と共に歩む日が、来ることを。

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