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 なんだよ、なんだよこれ。


 そこにあったのは、地獄だった。

 牢屋に閉じ込められた子供達。

 傷だらけで、壁際で震えている子供達。

 僕と同じくらいの子から、もう少し上の子まで様々だ。

 牢屋は複数あるようだが、一番大きな部屋に全員が集められている。数えると、13人。


 換気口から様子を伺うと、見知った顔があった。


「ニッカ……?」


 思わず漏れてしまう呟き。

 換気口から牢屋までは多少離れていることもあり誰も気づかなかったようで、僕の呟きが外に漏れることはない。


 そこにあったのは、先週まで同房だった少年、ニッカの姿だった。

 歳は14、僕より少しだけ大人。

 彼は、10人ほどの孤児を束ねたグループのリーダーだったらしい。グループの子が失敗したスリの罪を代わりに被り、収監されたとか。

 彼は僕の入った雑居房の中では最高齢であり、皆の兄的存在であった。普段から子供の面倒を見ていた彼は年下の子の扱いが上手く、僕やリーンのような新参も、彼のお蔭ですぐに馴染めたものだ。


 そんな彼は、先週に刑期を終えて出所したはずだ。

 それがどうしてこんな所に?

 短い期間ではあるが、兄貴分として皆を盛り上げてくれていた彼が、どうしてこんなところで傷だらけになって、縮こまって震えている?


 牢屋に閉じ込められた子供の中には、僕が見たあの少女も居た。

 つい先ほど出来たかのような生傷が痛々しく残り、右腕をぎゅっと抱きしめ、歯を食いしばっている。


 なんだよ。なんなんだよ、ここは。

 子供たちの傷は、作業でできた傷では断じてない。

 殴られた跡であろう内出血は紫色になっているし、切り傷は包帯も巻かずにそのままで。

 あんな状態では、刑務作業もできない。道具を血だらけにしてしまうのがオチだ。


 それに、臭いもキツい。常に清潔にしている雑居房とは違い、この牢屋からは腐臭が漂う。掃除などできる状況ではないのだあろう。

 牢屋の作りも相当古く、オリエに拉致された時入れられた牢獄より、更に古い作りだろうか。

 古いというのは、何も悪いことばかりではない。頑強な作りで耐久年数が高く、ほぼ全面が石造り。古くとも、耐久性はあるものだ。

 唯一の出入り口には鉄格子が嵌められ、弱った子供たちが自分で脱出するのは不可能であろう。


 換気口からでは死角が多く、ここから飛び降りたところですぐ近くに看守が居る可能性もある。

 牢屋近くの換気口には、鉄格子が嵌められていない。囚人が逃げないと確信しているのか、逃げられないよう常に見張っているのかどちらかか。

 鉄格子を登れば換気口に手が届かなくもない程度だ。二人以上で協力すれば、1日でダクトに入ることができる高さでしかない。


 ……怪しい。いやこの場所が既に相当な環境だが、ダクトから侵入・脱獄されることに対して、警戒がなさすぎる。

 誘われているのか? けれど普通に考えたら、逃げるために使うのではなく入るために使うのを想定されていないだけかもしれない。


 ううん、ううん、考えろ。

 イザークがアリバイを作ってくれているので、まだ5時間くらいは時間があるはずだ。時計が見れる状況になるので体感でしかないが、そこまで時間が足りないわけではない。

 ならば、安全策か。


 ダクトに爪を当て、小さな音を出す。

 トトン、トトトン、トントトトン。

 僕らの雑居房で流行していた、音信号。ニッカの意識があるなら、いつか気付く。

 先に看守が気付く可能性もあるが、その時はその時だ。まさかダクトの中に既に人が入っているとは考えないだろう。


 トトン、トトトン、トントトトン。

 ニッカより先代の誰かが考えた、あの雑居房で生活した者だけが使える信号。


 トトン、トトトン、トントトトン。

 “周辺に、看守は居る?” それを聞く時に使う、信号パターン。


 信号を3回繰り返したところで、ニッカの目が大きく開かれる。

 周囲をキョロキョロと見渡すが、僕の姿は見つけられない。見えるところに居ると、驚いた彼が声を上げてしまう可能性があるから。


 誰も居ないことを確認すると、ニッカは元の姿勢に戻り、下を向き、床を指で叩いて音を鳴らす。

 トトトン、トン。トトン、トン。

 “看守は一人。君は誰?”


 この音信号は、言語に直接音を当てはめるわけではない。そんなことしたら、パターンが複雑になりすぎる。

 言語に直接対応しているのは、“看守”を表す音であるトトトンだけ。

 トトンの2連を最初に置くことで、ここからの音の流れを疑問系であることを示すものだ。

 トトン、トトトンで「看守?」となり、トントトトンは「近くに居る」という状況を示す。流れで鳴らせば、「近くに看守は居る?」となる。

 トトトン、トンで「看守が一人」、トトン、トンは「僕は1」または「君は誰」に対応する。

 同じ音で複数の意味を持たせるが、どの意味があるかはその時々によって違う。音の立て方にも個性があるが、最大で6人しか居ない雑居房なら覚えられる程度だった。


 トン、トン、トン、トン、トン。

 トンを5回で、意味は「5」。この場合は同房で最も古い者から数えて5番目に入った者を示す。

 それは、僕だ。今は2人しか居ない雑居房でも、僕は5番目の入居だったから。


 出所したはずのニッカがどうしてこの牢屋に居るのか、そもそもこの牢屋はなんなんだ、ここで何をやらされているんだと聞きたいことは多すぎる。

 しかし、この音信号はそこまで万能ではないので、それを聞くための信号を持たない。

 だから、それは自分で調べれば良いのだ。


 トトン、トトトン、トトトン。

 “看守が居なくなることはある?”


 トン、トン。

 “ノー”


 トトン、トトトン、トトン。

 “看守はいつも1人?”


 トン、トン。

 “ノー”


 看守に見られている以上、ニッカがあまり目立つのは避けたい。

 質問は最小限に、彼が床に爪を当てているだけと思われるように。


 看守が常に居て、それが1人であるとは限らない。

 トン、トンは否定だけではなく2も示す音ではあるが、今1人しか居ないのに常に2人居るわけではないはず。となると、「今は1人しか居ないが、普段はもっと沢山居る」に繋がるはずだ。


 トン、トン。

 僕が次の質問を考えていたところで、ニッカが2回音を立てる。

 2ではない、質問をしたわけではないので質問に対する否定でもない。

 その場合のトン、トンは、「やめろ」という意味となる。


 たぶん、ニッカが看守に見られたのだ。

 それなりに静かな牢屋の中で、これ以上音を立てたらまずいということ。つまり、これ以上の会話は困難だ。


 ならばもう、成行きを見守るしかない。ニッカは看守に見られただけで直接注意されたわけではないようで、牢屋内の様子に異変はない。

 けれど、看守が見える位置に居るニッカがやめろというのだから、これ以上は難しい。音を不審に思われただけで、誰かと話しているとまでは思われなかったか。


 ニッカから「よし」の交信がこない以上、こちらから音を立てて怪しまれるわけにはいかない。先程までは一人で震えていた彼も、僕と話ができたことで多少は気持ちが落ち着いたようだ。周囲に居る傷ついた子供の背中をさすり、声を掛け続けている。


「大丈夫、大丈夫だからね」


 ニッカは周囲の子供に声を掛け続ける。

 精神的に持ち直したというのはあるが、どうやら彼が牢屋の中で最高齢らしい。これまでずっと年下の子供達をまとめる立場を続けていたというのもあり、平静にさえなれば彼はこういう性格だ。


 僕がどこに隠れているかは分からなくとも、音が聞こえる範囲に居ることは間違いない。彼は皆に声を掛けながら、子供達の名前を呼び続ける。

 うん、たぶんこれは、覚えろということだ。音信号を使えなくとも、僕に情報を伝えることはできる。説明口調になることはないが、子供に声を掛けることで僕に状況を理解させるくらい、平静に戻ったニッカなら可能だ。

 頭が回らなければ、孤児達の、そして雑居房のリーダーになることはできないから。


 ニッカの話を聞くことで、少しずつ状況が分かってくる。

 この牢屋は、出所するはずだった子供達の一部が監禁されていること。

 選ばれる子供は身寄りがなく、出所しなくとも訴え出る大人や監督者が居ない孤児が多く、奴隷身分の子供も居るようだ。

 ううん、となるとそのうち僕も選ばれる気はするんだが、出所まで3か月は残ってるので、そこまでのんびり待ってはいられないな。


 大人達が『ショー』と呼ぶ見世物に出され、そこで暴力を振るわれると。

 観客には、貴族らしき人の姿もあるらしい。

 『ショー』の開催日、開催時間に規則性はないし、選ばれる子供もその時によって違う。どうやら観客の要望によって選ばれるようだ。

 そこで死なない程度に痛めつけられ、治療されることもなくこの牢屋に戻され、次に呼ばれるまで放置される。ニッカが来てから、3人の子供が亡くなっているようだ。

 看守の交代時間から推測するに、開催は1~3日に1回。開催されないまま2日目を迎えているので、普段ならもう誰が呼ばれてもおかしくない。


 「もっと魔法が使えたら」とニッカに泣きつく子供も居る。どうやら、コロシアム内では多少の魔法が使えるらしい。しかし対戦相手の大人と戦えるほど魔法が使える者はおらず、肉体も劣っている、そして傷だらけで精神的にも病んでいる子供では、太刀打ちができない。

 対戦相手とはなっているが、実際には戦いにすらならない。一方的に殴られ、蹴られ、蹂躙される。


 コロシアムは結界内だ。それでも魔法が使えるということは、部分的に結界に綻びを作っているか、管理者権限で指定した者に魔法が魔法を使えるようにしているかのどちらかだろうか。

 僕の予想でしかないが、前者な気がする。もし一部――例えば対戦者だけに魔法を解禁させるなら、子供が観客を狙って魔法を打った時に対応でいない。それの対応をするために観客にも自衛手段として魔法の使用を解禁するのなら、観客の暴走を抑えるために看守が、看守が暴徒化するのを防ぐためにその上司が、と堂々巡りになってしまうからだ。

 いくら結界管理者権限で多少の融通が利くとはいえ、そこまで細かい設定をしていたら魔力の消費が嵩みすぎる。それなら最初から“コロシアムエリアは魔法の使用可能”くらいの大雑把な設定にしておけば、随分効率が良くなるだろう。


 うん、そうなると、付け入る隙は、全然あるな。

 ただし、僕にはあまり時間がない。今日の刑務作業を抜け出すことはできたが、明日からもできるとは限らない。

 それに、刑務作業中に『ショー』が開催されなければ意味がないものだ。


 だから僕はじっと待つ。ニッカからの合図か、『ショー』が開催されるのを祈って。







 体感で時を刻み、刑務作業終了時間まで1時間を切ったあたり、ようやくニッカからの合図が聞こえた。

 トンと一音。それは肯定の合図。交信再開ということだ。

 先程聞こえた複数の足音は、看守の交代だったのだろう。看守はここに居る間一言も発さないので何人居るかは分からない。


 トトン、トトトン、トントトトン。

 看守は居るかと僕が問う。


 トトトン、トン、トン、トン。

 看守は3人とニッカは返す。


 ううん、難しい。3人の看守を相手に肉弾戦で挑むのは無理だ。それなら1人の時を狙った方が良い。

 専用の暗殺訓練を受けたわけでもないし、肉弾戦を想定したスキルも取得していない。不意打ちで1人くらいならなんとかなると思うのだが、3人は流石に無理だ。


「今日は、誰なんだ」


 ニッカがそう口にする。僕に言ったわけでも、周囲の子供に言ったわけでもないのなら、それは看守に対する言葉に他ならない。

 つまり、今から『ショー』があるということだ。


「71番、来い」


 牢屋に、3人の看守が入ってくる。

 2人は警棒を構え周囲を警戒し、鎖を持った看守が小さくなっていた少女に近づき、首輪に鎖を取り付けた。


 ああ、この少女は、僕が見惚れたこの少女は。

 鎖を引っ張る男を見ることもなく立ち上がり、引きずられているのか自分で歩いているのか分からないような歩き方で、看守に着いて外を出る。

 一瞬だけ、少女を正面から見れた。少女の瞳は開いているが濁っており、何にも焦点が合っていないように感じる。あれはひょっとしたら、何も見えていないのか?


 ニッカは何も言わず歯を食いしばり、少女を見送る。

 他の子供はホッとしたような表情で、少女の背中を見ていた。

 別に皆が非道なわけではない。これから起きることを思えば、自分でないと良かったと考えるのは当然だから。


 トン、トン、トン。ニッカが3回音を鳴らす。

 示すのは『3』または『南』。この場合は後者。

 どこに隠れているかも分からない僕に、彼女が向かった方角を示してくれている。

 ありがとうニッカ。看守はニッカが音を立てた意味は分からなくとも苛立ちはしたのか、ニッカを横から蹴飛ばした。彼は何も言わず、倒れた体を起こす。

 その目は、決意に満ちていた。

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