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僕がその少女を見かけたのは、ただの偶然だった。
布切れとしかいえないボロボロの服。かつては綺麗なブロンドだったであろうその髪の毛は、土とゴミで汚れている。白いはずの肌は、土気色に染まっていた。
両手に錠を、首輪には鎖を取り付けられ、首に繋がれた鎖で引っ張られるその姿を見て、僕は目で追ってしまった。
なんて綺麗なんだ、と。
年は12歳くらいだろうか。何を考えているのかも分からない、何も考えていないのかもしれない虚ろな目で、ゆっくりと足を動かしている。
鎖を持つ看守は少女にペースを合わせることなく歩いているので、たまに少女の首に繋がれた鎖が引っ張られ、その度に少女はつんのめる。
鎖を持つ看守はその度に後ろを見て、「チッ」と舌打ちをする。その看守は、これまで一度も見たことがない人だった。
不思議な光景だ。どうして僕は、汚い少女を見て綺麗と感じたのか。
一瞬だけ、そう思った。今は客観的に見ることができるので、汚い格好をした少女としか思えない。
何故、そう思ったのか。どうして今は、そう思えないのか。
僕は、一瞬だけ見たその少女に、何かを感じてしまったのか。
「あの、看守さん」
僕は、作業場で足りなくなった小物を代表して取りに倉庫に向かっている最中だった。
勿論囚人一人で動けるわけもなく、看守付きだ。
前を歩く看守に声を掛ける。……僕はあの少女と違って、手錠も鎖も付けられていない。それは特別待遇なわけではなく、A級魔法作業場から出るときは常に同じだ。
警戒されていないのか、した上でこの措置をされているのかは知らないが。
「ん? なんだ」
この看守は、怖そうな見た目と違って結構喋る人だ。息子が僕と同じくらいの年だから、厳しく当たれないとか言っていた。
彼なら何かしら教えてくれるのではないかと、聞いてみる。
「さっき、鎖で繋がれてる女の子が歩いてたけど、あれは?」
「ああ……気にするな」
彼は拒否の意を表すと、足を止めることなく歩き出す。
ううん、謎だ。彼には娘も居たはずだから、あの少女のことも多少は気にかけると思うのだが。
「あの子、初めて見たんだけど、ここの囚人なの? そういえば女の子居ないよね、ここ」
「……男女で分けられてるからな」
「そうなんだ。なら、そっちの子?」
喋るつもりはないかもしれないが、それとはお構いなしに聞きまくる。黙秘を選ぶならそれはそれでいいし、反応があるなら知れることがある。
雑居房や作業場に異性が居ると、どうしても性別由来のトラブルは起きるものだ。
だから完全に性別で区分けして、合わせないようにするのは正しい。正しいが、おかしい。
彼は返事をしてくれないので、勝手に聞く。
「別れてるなら、なんでここ通ったのかな? 看守さん、知らない?」
僕は、ただの子供と思われている。
魔法のスキルレベルが高いのはとんでもない師匠が居たからで、人と関わらず田舎で修行をしていたので世間知らず、という設定になっている。
だから看守達は、僕のことを「魔法は使えるが、ただの子供」として扱ってくれる。これが16歳くらいだったら使えない設定だったので、まだ11歳で良かったよホント。
看守は何も話してくれないので、自分で考えることにする。
脳内マップを引き出して、少女が歩いていった方向を確認する。あちらの方向にあるのは、作業場と階段くらいだ。階段は囚人が使うものではなく、裏口から入ってくる関係者が使う専用のもの。
2階に行くものもあれば、地下に向かう階段もある。
地下。それは、コロシアムらしき部屋があるフロア。
この監獄に、地下2階はない。これから20年後までに潰したならともかく、ただでさえ作るのが大変な地下室をあえて減らす真似は、普通しないだろう。
ううん、気になるな。今日動くか。
それきり何も返事してくれなくなった看守には何も聞かず、計画を練る。
倉庫番に依頼してあった消耗品を受け取り、作業場に戻ると、すぐに皆に小物を配り、さりげなくイザークの隣へ。
「ちょいイザークさん、頼みごとが」
「……このまま聞きます」
僕が小声で話しかけた時点で何かあると気付いたイザークは、作業の手を止めることなくそう返した。
「ちょっと準備の為に抜け出すんで、戻るまでのアリバイ工作お願いします。あ、たぶん定時には戻りますので」
「……今日の君の作業内容は?」
「創造系統スクロール、等級は3から5級で届出は出してます」
「分かりました。そちらもやっておきます」
イザークの協力も得られたので、戻って早々僕は行動を開始する。
この作業場は、食事場とお手洗いが併設されている。
人より背の高い本棚も多く、出入り口に立っている看守だけでは、作業員が何をしているか把握しきれない。
というより、把握する必要もないのだ。魔法を使えない職場で魔法使いを看守として雇う理由なんてないし、仮に魔法の知識があれど、相当高レベルな魔法使いでないとここの作業場で何を作られているのか理解できない。
ならば別に、何も知らない者でも構わないのだ。肉体強度が高ければ、尚良い。
僕がこれまでの監獄で脱獄に使っていたのは、看守専用の隠し通路だ。どの監獄にも存在し、どこで囚人の反乱が起きても目的地に辿り着けるよう蜘蛛の巣状に張り巡らされた通路は、普段は使われることがない。
存在を知っているのも、一部の看守だけなのだ。大勢居る看守全員に周知させると、看守が何らかの罪で捕まった時にそこから脱獄される可能性があるし、情報漏洩の可能性は高くなる。
勿論、隠し通路だけを通って外に出るのは不可能だ。あくまで建物内を行き来するために存在する道であるので、仮に知ったところでそれを通って監獄から逃げ出すには、どこかの玄関を通るか、窓を突き破る必要がある。
全ての隠し通路の出入り口に、鍵は存在しない。
鍵穴があったらそこに通路があると教えることになってしまうので、鍵を無くすことでどこに通路があるかを隠しているのだ。
しかし、鍵がないわけでもない。パターン錠とでも言えば良いのか、ゲームをしている者ならお馴染みの、“一定規則で周辺の物を動かすと開くタイプ”の鍵だ。
10年以上前の記憶なので、そのパターンまでは覚えていない。それでも、片っ端から試せば良いのだ。どこに隠し通路への出入り口があるかはなんとなくだが覚えているので、その周辺で試してみれば良い。
この作業場で作業を始めてから1ヶ月、毎日のように確認することで、解錠パターンの割り出しには成功している。
食事場に繋がる通路の曲がり角、すぐ左にはお手洗いへの入り口がある場所。
人の目が向いていないことを確認し、静かに、最大限に急いで動かす。洗面台の電気を消し、花瓶を横に、テーブルを左に、通路にある鏡の角を押し込み、洗面台に置いてあった蛙の置物をテーブルに動かす。
カチリと床から音が鳴り、解錠されたと知る。鏡を壁際に押し込んだことで少しだけ生まれた隙間に指を引っ掛けると、鏡を強く引く。
静かに、鏡が開いた。誰にも見られていないことを確認して、こっそりと中に入り、内側からゆっくり閉める。ちなみに、通路側から開ける場合には鍵などはないので、簡単に開閉することができる。
今作業場通路からこの鏡の周辺を見ても、「置物の位置がいつもと違うな」くらいにしか思えないはずだ。オートロックではないので鍵が開いた状態ではあるが、鏡を開こうと思う人間が居ない限りは見つからない。
この監獄で隠し通路に入るのは初めてだ。もし何かの理由があり常用されている場合、すぐに見つかる可能性がある。
……まぁ、その時はその時だ。気にしない気にしない。
「27、28、29歩。このへんかな」
誰も聞いていないのは分かっているが、小さな声で数を数える。
建物の構造さえ頭に入っていれば、周囲が見えない隠し通路に居ようが、歩数を数えることで今どこに居るか認識できる。
記憶と構造が違えば別だが、手抜き構造と言われるほど画一規格だったこの監獄群なら問題ないはずだ。
隠し通路側から出るための扉に手を当て、ゆっくり、ゆっくりと扉を開ける。
鍵が自動で開錠される音が聞こえたが、すぐ近くに人が居なければ聞こえない程度の音のはずだし、そもそもそれが何の音か分かる看守はほとんど居ないだろう。
「脱出成功、っと」
言ってみたものの、別に監獄から逃げ出したわけではない。
行きたかったのは、看守用階段だ。ここからなら、地下に降りることもできる。
さて問題は、隠れる場所が何一つないここで、看守に見つからずどうやって行動するかだが――。
「まぁ、見つかったらその時でしょ」
呟く。別に、もし見つかってしまったなら、迷子になっただけと言えばいい。多少は刑期が伸びるかもしれないが、どうせどっかで脱獄するんだから変わらない。
それに脱獄をするなら、外に出ようとするはずだ。脱獄犯が、出口も何もない地下に向かうはずがない。
見つかった場合、厳重な監視下に置かれる可能性もあるが、その時はイザークを脱獄させるついでに自分も脱獄すればいいだけだ。脱獄に関しての策は何重にも練ってあるが、突然の思い付きで動く今みたいな場合だと「見つからないと良いな」と考える程度しかできない。
……魔法が使えればなぁ。
そんなことを思いながら階段を下りる。
魔法を使うのは、今はまだ難しい。一応使う方法はあるのだが、一発限りの大技なので、イザークを脱獄させる時まで取っておきたい。
地下に繋がる隠し通路があれば良かったのだが、生憎囚人が訪れることのない地下に隠し通路はないので、堂々と階段を下りていく。ただし、道が一つしかないわけではない。
この地下区画は、通常囚人が訪れることはない。なのでセキュリティもザルなものだ。
階段を下りたところに飾ってある巨大な坪に足を掛け、ジャンプする。
天井の換気口に手を掛けカバーを外して、着地。さらにもう一度ジャンプして、ダクトに侵入。
自分が子供で良かったと、これほどまでに思った事はない。
ダクトは狭く、大人が通れるほどの隙間はない。子供である僕ならギリギリ通れる程度だが、あと2年くらい経ったらたぶん無理。
ダクトを通れると気付いたのは、囚人エリアの換気口には全て鉄格子が嵌まっていたからだ。人が通れないほどの狭いダクトならあえて鉄格子を付けておく必要なんてないのに、雑居棒から作業場に至るまで、全ての換気口には鉄格子が嵌まっていた。
そこから逃げられないため取り付けられた鉄格子でも、逆に考えれば「そこから出られるぞ」と教えているようなものだ。
ダクト内は、僅かに暖かい風が流れている。空調設備は監獄の外にあるので、この風の流れに沿って行けばどこかには辿りつけるはずだ。
匍匐前進では歩数カウントができないので、今居る位置が分からない。
なので定期的に換気口から下を見て、自身の位置を把握。建物の構造が大体頭に入っているからこそできるが、流石にダクトがどうやって建物を走っているかまでは分からないので、中々目的地にたどり着けない。
換気口の下に看守が居た時など、中々に心臓に悪い。音は立てないようゆっくりと進んでいるつもりだが、偶然上を見られたら終わりだ。
それでも、堂々と下を通るよりは万倍もマシと言い聞かせ、進み続ける。
僕がそこに辿りついたのは、侵入から30分は経った時だった。




