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「えーっと……なにこれ、転移魔法?」
魔法陣を中心としているが、記号や図形に数式まで書かれたその紙は、単純な魔法の構成をしていない。
創作魔法の一種に思えるが、僕が知らないだけで古い何かしらの魔法をアレンジしている可能性もある。
類似パターンを抜き出すと、転移魔法だろうか。ただし僕が愛用している門魔法による転移ではなく、雰囲気が近いのは次元魔法。僕は適性の関係からこれまで初級のものしか扱えなかったが、もしかしたら適正が|ぐちゃぐちゃに整えられた《・・・・・・・・・・・・》今なら普通に使えるのかもしれない。ルゴスに接触してから、あまり自分の変化を調べる時間がなかったからだ。
転移魔法と呼ばれるものはいくつも存在するが、基本的には二種類に分けられる。
空間と空間を繋げることで移動を成すものと、一度元の場所での情報を0まで分解し、転移先で肉体の再構成をするものだ。
後者は危険性が伴うとも言われているが、創作魔法でもない限り、既に魔法として作られているもので失敗することはほとんどない。前者だって集中力が欠けていたら計算と異なる空間に出る可能性だってあり、それが地中だと圧力に負けて即死するのだ。どちらにもメリットもデメリットが存在するので、どちらが優れているか一概に言えることはない。
「これ、どっち?」
「どっちでもないですよ、せんせ」
「……そっかぁ」
転移魔法は、基本的には二種類だ。
そう、基本的には。
「高次元間異相式二重再現転移、せんせならなんとか出来ると思うんですけど、どうでしょ?」
「長いよ!」
「じゃ、異相転移で。……説明、要ります?」
「……お願いします」
イルマちゃん、僕を何だと思ってるんだろう?
ここ最近の研究と実験により創作魔法をいくつか使えるようにはなったが、あれは求める効果から逆算して必要な魔法を構築をしていっただけなので、イルマが書いたこれとは違う。既存魔法1つを10に分割し、そのうち1だけ抜き出したものを10個寄せ集めているだけなのだ。
イルマの書いたこれは、僕とはアプローチが違う。これは、完全に0から作り上げたものだ。僕のように“こうしたいものを作る”という発想からではなく、“こうしたらこうなるはず”という推測と計算に基づいて作られたもの。
イルマが自分で使わなかったということは、これは彼女には使えないということだ。
しかし、魔導具として完成した形の巻物にも魔導書にもなっていないこの状態は、他人が魔力を流すだけで使えるというものではない。
この創作魔法、《高次元間異相式二重再現転移》を扱うには、僕自らが理解しなければならないのだ。
「簡単に言えば、一度ルゴスさんの居る次元まで転移して、そこからここではない別の場所に再転移するだけなんですが」
「……だけ、ね。僕、自分からルゴスのとこ行けないよ?」
現状では、いつもルゴスと会っている何もない空間に行くには、あちらから扉を開けてくれていないといけないのだ。
異相門で繋がっている以上、僕の深層が座標を知っているのかもしれないのだが、知識として存在しないものを魔法の対象にできる段階まで拾い上げることはできない。
「それです。だからこそ、状況の再現ができる魔法を構築する必要があるんです。せんせは知らなくても、せんせのアストラル体はあちらのことを知ってるはずじゃないですか?」
「ん、まぁ、そうなるよね」
「そうなると意識下で知覚できていなくとも、無意識下なら認識できるはずなんです。なのでこの魔法陣で、まずはせんせの内部、アストラル体から情報を引っ張ってきます。私達もあちらに行ったことはありますが、あれはせんせを中心とした転移なので、ただ巻き込まれただけの私達が認識することは恐らくできませんから」
「んー……そうなるのかなぁ」
一応、理論的には間違っていないと思う。僕が知覚していなくても、全く知らないわけではないのだ。
僕は目隠しして連れて行かれているだけであり、あちらのことを知らないわけではない。これまで何度も、何度も行っているからだ。
目隠しされたまま車に乗って移動しようが、何度も行っていれば移動にかかった時間や移動先で見知った情報から現地を、目的地を察することはできるだろう。つまりはそういうことだ。
それを再現する転移魔法。次元すら違う転移先を指定するには、それを知っているはずの無意識下の僕を、何度も転移したアストラル体の僕に頼れば良い。
「それに、座標が分からないと言っても、縦軸が7次元上ってことは分かってるんですよ」
「……そいや、前に言われてたっけ」
確か、エスメー・クロンメリンとルゴスが初対面の時だったか? 僕らは会話に混ざることなく取り残されたが、もしもの時は自分で出られるよう言われていたのだ。
横軸はそのまま、縦軸だけ次元を移動している。次元とは物理的な高さではなく、三次元から十次元という次元空間の差だ。
確か、五次元でパラレルワールドを見ることができて。六次元を認識できれば世界の移動が行えるんだったか。
四次元から先は、人間の身で知覚できるものではない。それでも、僕らは現にそこへ行ったことがある。
それは、そこに住まう神が居たからだ。世界を管理する神が居る場所だからだ。だからこそ、僕らは元のまま、生きて戻ることができている。
「ここからは私の予想ですが、この場の結界は四次元にあると思われます。せんせが門魔法で読み取れないのは、私達が通常認識している三次元情報じゃないからですね。けれどルゴスさんは十次元まで分かっているので、三次元でも理解できる情報だけ、断片的に送ることができている」
「それ超えれば良いってこと? でもそれなら――」
「えぇ、四次元を避けるだけなら一旦転移するのは五次元でも六次元でも良いんです。けど、そこに行って戻ってくることができるかと言われたら、それは分からないんですよね。それに、予想が外れて結界が五次元、六次元まで貼られてたら詰みです。それなら、確実に安全な十次元を狙えば、って話なんですが」
そう、僕は知らないのだ。ルゴスの居ない次元に何があって、人間がその次元に行ってどうなるのかを。
その点、ルゴスの居る十次元に関して言えば、ある程度の安全は保証されている。少なくともヴェゼンティーニが干渉できる領域ではないだろうし、人が行って戻ることができるのは、ルゴスだけでなく、今は亡きアウフスタインまで証明してくれるのだ。
アウフスタイン。あの神は、人の身でありながら人を殺した者を自らの世界に呼び出し、その者が改心するよう勧める。しかし彼の言葉に背くようなことがあれば、悲惨な来世が待っていると諭してくる。そういう存在が利用していた次元ならば、人が行って戻ってくることができるのは当然と言えよう。
「なるほどなぁ……十次元なら戻ってきたことがあるから、一時避難先として使えると」
「ですです。さっきせんせがルゴスさんと話すことができたってことは、少なくとも今はここ三次元と十次元を繋げる条件は揃ってるってことですよね。逃げてる最中がどうだったのかは置いといて、少なくとも今なら途中に邪魔な障害は入らないはずです」
そういえば、そうか。
ヴェゼンティーニから逃げてる最中にルゴスと連絡が取れなかったのは、異常を感じたルゴスがすぐに顕現準備に取り掛かったからだと言っていた。
三次元世界で活動する肉体がない神であるルゴスにとっては、まず自分が降りることの出来る身体を三次元世界に作り、更に精神を七次元落とす必要がある。そんな作業をしていたのなら、これまでと同じ連絡先しか知らない僕との連絡が途絶えたのも当然だ。
今は準備状態で手を止めているので連絡ができている。ならばルゴスに頼めばここから出してくれるかもしれないが――
「頼ってばっかじゃ、駄目だよね」
そう、そうだよ。イルマは、本当に良い子だ。僕の気付きを、僕よりずっと前から考えてくれていた。
ルゴスに頼れば今回はすぐに終わるかもしれない。何せ、あれはああ見えてこの世界を管理している神様なのだ。いや、見えてはいないんだけど。
ただ、ずっとそれではいられない。ルゴスは最初から僕自身でなんとかできるように、手助けをしてくれていたのだから。
今回の一件でルゴスが顕現準備をしたのは、僕の命を慮ってではない。この世界の危機に対応する手段として、真っ先に降りてこようとしたのだろう。それはきっと、神としての責任感だ。
ルゴスは、僕にヴェゼンティーニを倒すための力をくれた。それは紛れもなく神から得たチート能力であり、真っ当に生きていたら、絶対に手に入らないものだ。
いくら神の加護を得ているからといって、神の力だけを頼りに物事をこなしていたら、それはただの代理人だ。
神成りとは、化身とは、本来そういうものなのかもしれない。神が自らの肉体を降ろすことなく三次元世界に干渉するための手段なのかもしれない。
けれど僕は、ルゴスの代理人で終わるつもりなんて毛頭ない。彼女も、それは望まない。
僕は、彼女の代わりに生きているのではない。僕自身のために、ルゴスの力を借りているだけだ。その線引きを誤ってはいけないのだ。
「オッケー、分かった。ありがとね、イルマ」
勢いよく抱き締めると、唇と唇が少しだけ触れる。人目もあるし、何よりイルマの理論を今すぐ試したい。これまでゆっくりしていたのは、現状の打開策がなかったから。
何かあるならば、それを試すしかないだろう。
「これから、ルゴスに転移させられた時の状況を再現して全員をあちらに飛ばす。それでその後もう一度転移して迷宮から出る。簡単だね」
僕は、この場に居る四人にそれを伝える。
言葉にするのは大事なことだ。言ってしまえば、魔法なんて盛大な思い込みなんだから。
「そですよ、簡単です。出口をちょっと変えるだけですから」
イルマはそう補足してくれる。人から与えられる言葉というのは、イメージ力の補強に繋がるのだ。
これは難しくない。いつもやってもらっていることを、自分でやるだけ。目隠しして車に乗せられていただけの僕が、目隠しをしたまま車を運転するだけだ。簡単、簡単だ。
道は分からない。
けれど、どこへ向かうかは知っている。
そこがどこかは分からない。
けれど、その場所を知っている。
誰が居るか分からない。
けれど、そこに居る人を知っている。
「創作魔法《異相転移》、――起動」
理論は充分。時間も魔力も足りる。
理解する頭は、これから作れば良いんだから。
ナルコティクス、オープン。
僕はその言葉を、頭の中で静かに唱えた。
思考を作り替える。この創作魔法を使えることができるよう、一つずつ、丁寧に思考回路を分割していく。
魔力がみるみる減っていく。魔法として確立していないものを使うならば、ぶっつけ本番は避けるべきだ。
けれど僕はそれができる。魔法構築に失敗した思考を切り捨て、成功した脳だけを残すことで、自分一人で試行錯誤をすることができる
どれだけ頭が痛もうとも、痛みは消せる。どれだけ頭が痛もうとも、痛みは、耐えられる。
ぷちぷちと血管が切れていくような感覚があるが、そんなもの、気のせいだ。
目を閉じて、魔法にならなかった何かを、少しずつ魔法に変えていく。この世界の形に、染め上げていく。
移せ、移せ、移せ。この身は其処に在らんとするもの。この身は其方で作られたもの。其処に帰れぬ道理はない。其方に戻れぬ道理はない。
僕は、僕を、僕が――――
あぁ、そうだ。
人であることをやめようが、人でないことを認めようが、僕は僕。それだけは決して変わらない。けれど僕は他人に影響され続け、少しずつ自己を変革していく。他人からしたら都合の良い何かになっていく。
それは自己の崩壊か。それとも、一種の進化か。
――なんでもいいな。
暗転。




