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人の精神構造は、常に変化し続ける。場合によっては長い年月など必要なく、たった一つの気付きによって変わることもあるのだ。
違う視点で物事を見るようになれば、これまでとは違った自分が姿を見せる。大きな変化から小さな変化まで、人は生きている限り変わり続けていく。
変わらないことも、大きな括りでは変化の一種だ。変わろうとする人間という生命を一本のレールに乗せ続けるため、外部からの影響を跳ね除け続ける行為も、何もしてないから変わっていないわけではない。全力の抵抗をしているから、変わらないでいられるのだ。
生まれつきそんな抵抗をしていたら、言葉も覚えられないし他人と関係を持つこともできない。どこかで変化し、そこから抵抗を続けているに過ぎない。
影響されない、変化しないという選択をしたその瞬間、その人はそういう生物に変化したのだ。
そんなの、ただのこじつけなのだが。
僕、エミリオ・ブランジェという生命は、10歳そこらで終わりを迎えた。けれど終わったのは本当にその時か? 変わったのは、本当にその時だったか?
考えてみれば僕は地球人であり、こことは異なる世界で、日本人として生きていた。あちらで死んだ時点で、とっくに変化していたのだ。今の僕を形成する精神を持っていた肉体など、その時点で失っている。
この世界に生まれる前、僕はこれ以上ないほど大きな変化をした。マテリアル体を失い、アストラル体の存在となったのだ。
こちらの世界で新たに得たのは肉体であり、物質体であり、マテリアル体である。
僕に最初のマテリアル体を作ってくれたのは、こちらの世界の両親だろう。けれど、僕の精神、アストラル体はどうだろう? 前世の両親が作ってくれたものなのか?
――分からない。
今の僕の精神が、元の僕と同じと誰が断言できる?
日本人として生きた記憶を元に、いやもしかしたらそこからも捏造かもしれないが、こちらの世界で作られた模造の精神――ではないと、誰なら断言できようか?
世界の法則として、エスメー・クロンメリンがこの世界に来た時のように、アストラル体だけならば世界を渡ることはできるらしい。
そして、その力を持つ神ルクシアによって、僕はこの世界に転生した。――はずだ。
それを知っているのはルクシアだけ。姉のルゴスすら、僕のことは知らなかった。
誰にも分からないのならば、僕が決めて良い。誰も知らないことならば、僕が断言してもいい。
エミリオ・ブランジェは、僕であると。
この精神は誰のものでもない。ルクシアに作られたのだとしても、ルゴスに弄られたのだとしても、何者かに思考を誘導されているのだとしても、それでもこれは僕の精神であり、僕の選択は、僕の決定は、僕が自分の意志で選んだことだ。
他の誰のものでもない。肉体が途切れようとも、アストラル体さえ残っていれば僕は構わない。
僕の得たこの感情を、他の誰にも渡してなるものか。
僕がヒトでも、ヒトでなくなっても。
◇
「人でも人でなくとも構わんと出たか。ま、そのくらい器がデカくなけりゃ、代理人なんて勤まらんよな」
僕の主張を聞いたフェニーニは、少しだけ呆れ気味にそう言った。
「代理人ってのは、どういう意味ですか?」
「そのままだよ。神成りは、神が人を選ぶことでしか生まれない。よほど神に好かれでもしなきゃ、届かない存在だ。どんだけ強くても、どんだけ賢くてもな。――それが現代の神成り。化身とも呼ばれるんだったか? それは、神の代理人だ。神が地上で力を行使するための存在だ。例えそれが、地上で暮らす人の害となろうとも、な」
「……害となれば、切るんですね」
「あぁ。俺なら切るよ。流石に神の本体を切ったことはねぇが……神成りなら、二度切った」
首切りと異名される男フェニーニは、後半だけ呟くように言った。
神成り、神の化身。それを切って殺すことができるのは、今更驚けない。僕もきっと、彼に切られたら死ぬのだろう。ルゴスが僕の死にどこまで関与できるかは分からないが、どれだけルゴスが急ごうが、僕の首と胴体が離れるのが先だ。きっと、僕自身すら切られたことが分からないくらいの速度で、意識は飛んでしまう。
彼が二度切ったということは、二人の化身を殺しているということ。それは、ある意味自慢できることではないのだろうか? 例えマテリアル体が死んでも代わりのマテリアル体を神が作ることのできる化身という生命を、殺したのだ。
「後悔してるんですか?」
「…………いや、してねえよ。あれは、俺が切らなきゃいけない存在だった。奴らには夢もあって、実力もあった。伸びしろはもっとあった。それでもな? 俺が切らないといけなくなっちまったんだよ。なぁお前――いや、エミリオ。お前は、そうならないでくれよ?」
懇願するようなその瞳を見て、僕は返す言葉を失う。
50を過ぎて尚肉体の衰えを見せない彼が、唯一見せるその弱さ。
処刑人が決して抱いてはいけない感情を、彼はずっと大事に残してしまっている。命を尊いと思ってしまう感情を、殺せないでいる。それは弱さだ。しかし、彼にはそれがあるから強くなれたのかもしれない。
命あるものを全て切ることのできる、この世に二人と居ないであろう技能を持つ男は、機械でも、システムでもないのだ。
善処しますなんて軽い言葉は、彼には返せない。
僕が言うべき返答は、一つに決まっている。
「あなたに切られても死なないように、なってみせます」
そう言うと、彼は目を見開いてこちらを見る。
あぁ、なんだ。この返しは想像していなかったのか。
この言葉は、これまでの二人が言えなかったのか。
「今はまだ死にますけど、いつかきっと」
続けて言うと、しばらく彼は無言になったが、ゴクリと唾を飲み込んだ後、大きく笑いだした。
「はは! あ、ははははは!!! そいつぁ、良い! 傑作だ! はは! 確かに、確かになぁ! 切って殺せねえんじゃ、諦めるしかねえ! そん時、俺は引退だな!」
「それが良いです。三人目は予約しときますんで、浮気しないで下さいよ?」
うぅん、なんだろ? 50過ぎたオッサンを口説いてるみたいになってない? コレ。って痛い痛い! イルマこっそり脛つねるのやめて!! これは違うでしょ!? 相手オッサンだよ!!
「あぁ、あぁ分かった。約束だぞ? お前が人の敵になったとき、俺に切らせろ。そして、生き残れ。それまでは絶対死ぬんじゃねえぞ」
「えぇ、約束します」
“指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます”なんてことわざは、この世界には存在しない。似たような言葉はあれど、直接言って伝わることではないだろう。
だから僕はその言葉を、頭の中で繰り返す。決して違えぬ約束として。
「ありがとうな。こいつぁ良い拾いもんだ。ミッツーネ候の頼みも、たまには聞くもんだな」
嬉しそうに彼は笑う。
悔やまなくとも、記憶には残る。見知った人間を、未来ある人間を人理の為に殺さなければならないことが、彼には幾度もあったのだ。
彼に楔を突き刺した。僕には得のないような約束でも、彼にはきっと糧になる。巡り巡って、それは僕にも影響するはずだ。首切りフェニーニに殺されない生命になる、という目標が。
「そういえば、ミッツーネさんとは知り合いなんですよね」
「ん? あぁ、言ってなかったか? 俺が学生だった頃の担任だよ、あの人は」
「…………フェニーニさん、先輩だったんですか」
なんだそれ。意外すぎるぞ。騎士階級なら、騎士学校とかじゃないのか。魔法使い? いや騎士でも体属性を扱えれば魔法使いなんだろうが、エリート魔法学校と彼のキャラが乖離しすぎていて、イメージできない。
昔はローブに杖みたいな典型的魔法使いな格好してたりしたのかな? 想像できねぇ……。
ノーラのように魔法より剣の方が得手な者は稀に居ようが、ノーラはノーラで剣がなくとも成績上位者だ。彼女は普通の魔法使いとしての動きも出来る上で、剣を使っているに過ぎない。
そういえばミッツーネパーティの初老達も50から60くらいに見えたので、フェニーニと年齢にそこまで差はないだろう。今考えてみると、そのあたりがクラスメイトとかでもおかしくはない。
となると、彼らの付き合いは40年くらいになるのだろうか? 僕らもそこまで長い付き合いになるのかなぁ……。
「……意外って顔してるな? まぁ俺は頭使わず戦うタイプで、魔法使いとかガラじゃねぇって昔から言われてたが」
ちょっと落ち込んでる様子だが、自覚はしていたのか。ていうかもしかして、昔から剣しか使わなかったのか……?
「まぁ、意外ですよ。……だからノーラさんも入学させたんですね」
「あぁ。今後の役に立つかは本人次第だが、よくわかんねぇ心得とか立ち振る舞いを教えるだけの騎士学校よりかはためになる。それに――自分が殺す相手のことくらい知らなきゃ、切れねえからな」
「……なるほど、そういう」
そう、そうか。合点がいった。
彼らは、魔法を上手く扱えるように魔法学校に通うのではない。
魔法を知り、効率よく魔法使いを殺せるようになるため、魔法学校を選んだのだ。
スポンサー探しみたいな不純な動機で入学した僕はそれを批判できないが、そういう目線で入学する人も居るのかと少しだけ驚く。
この世界の人間が皆魔法を使えるかと言われるとそうではないが、貴族などは教養の一種として学問として魔法を学んでいるし、一流の血統に一流の教育が合わされば、本人にそのつもりがなくとも一流の魔法使いクラスにまで成長することはよくあるのだ。
どんな人間でも裁かなければならない仕事ということは、誰を相手にしても、どんな状況でも殺さなければいけないということ。抵抗されて負けてしまうようでは、駄目なのだ。
圧倒的な魔力を持つ者を前にすれば、不意打ちや戦術などは効果を成さない。シスターや現王であるリュフィレ、僕と対抗戦を争ったフェリクスのように、この世界には人でありながら常人には辿り着けない境地に至った者は存在するのだ。
――僕は、まだまだそこには届かない。けれど構わない。誰よりも魔力が多くなくとも、誰よりも長く生きなくとも、それどころか、誰よりも強くなくても構わない。
100回戦って100回負ける相手でも、1000回挑めば勝てるかもしれない。1万回挑めば勝てるかもしれない。対抗戦でやったように、1回目でそれを引けば良いだけなのだ。
「ところで、後継者ってどうやって決まるんですか?」
「んー……分かんね」
「おい当代」
「仕方ねぇだろ!? 俺も別に試験とか受けたわけでもねぇし……?」
露骨に慌てる50のオッサン。一応クラスメイト――友人の将来のことなので聞いてみただけだったのだが、想像以上に適当な性格しててビックリだよ。この人当代で本当に大丈夫? フレーバーテキストかもしれないが、マスカールの歴史上最も最も優秀な処刑人とか言われてなかった?
「……他に候補居たんですか?」
「それが、居なかったんだよなぁ。俺、一人っ子でよ……」
「……さいで」
うぅん、仕方ないのか? 一人っ子だと自分が継ぐしかないだろうし、適正とか実力を競う相手は居なかったのかもしれない。その結果生まれたのが何でも切れる化け物なら教育大成功と言うほかないのだが。
「順当に行けば長男のオネストかもしれねぇが、実力で見るとノーラと大差ないんだよなぁ……。末のシストに至ってはとても家業継げそうな性格してねぇし、どういうことなんだろうな?」
「いや、僕に聞かれても」
「だよなぁー!」
「長男さんも魔法学校に入ってるんです? 存在だけは聞いてましたけど、それ以外さっぱりで」
なんだっけ、3つ上とか言ってたっけ? 魔法学校に入学しているなら、卒業していてもおかしくはない年齢。詳しくは知らないが、同じ学校に通っていたら少しくらい話をするはずだ。
「いや、通ってねえ。別の環境で育った方が良いかもってことで、俺のツテ使って傭兵やってるよ。もう10年くらいだったか?」
「……えっ長!」
あれ、ノーラが15くらいだと3つ上のお兄さんは18? それで10年も傭兵? なんかおかしくないか? 荷物運びとかしかできない年齢な気がするけど、僕が8歳の頃……あ、うん。ちょっと続き考えるのやめよっか。身近な例が自分じゃ駄目だよこういうの。
「そうか? まぁ、そんな程度で死んでたら話にならないからな。たまに大怪我するって聞いてるが……」
「教育が雑すぎる……」
「知らないから仕方ないだろ……」
あえて別の環境で二人を育てることで成長の仕方を比べるのは悪くないとか考えていたのに、そこまで考えた自分が馬鹿みたいに思えてくるよコレ。あ、いやもしかしてこれ……?
「もしかして、自分と同じことやらせようとしてます?」
「そ、そうなんだよ! 俺がそのくらいの頃は学生しつつ傭兵してたんだけど、同じようにしようとしたらオネストもノーラも大反対してな……。それで半分ずつってことにしたんだよ」
「……なるほど、馬鹿なのは皆と」
「うるせぇよ!?」
あ、うん。たぶん問題なのはこの男だけではない。一族単位で馬鹿だ。貴族の血統を持たない代わりに実力の底上げをするための荒療治と思えばそこまでだが、僕よりもハードな人生歩むことになるぞそれ。
命のやり取りをする今を生きる傭兵と、今後を見据えた平和な学生って、二律背反にも程がある。脳の切り替えできずに廃人コースだよ普通。
「ま、まぁ、しばらくはフェニーニさんが現役でしょうから、後継ぎのことはすぐに考えなくても良いんじゃないですかね」
「そうか? 来年くらいにぽっこり死んじまうかもしれねえぞ?」
「そ――」
――それはないんですよと言いかけて、口を閉じた。
僕の知識は、今から15年後の未来から来た知識なのだから。
この世界は地球とは違う。神に近しい人間は存在していても、未来を知る人間というのはやはり常識から外れているのだ。よほど信頼できる相手なら言っても良いかもしれないが、彼は駄目だ、たぶん。そんなんで切られたら話にならないし。
「そ?」
「それは、ないんじゃないですかね。長生きしそうな顔してますよ?」
「いや、どんな顔だよ!?」
うん、なんとか誤魔化せたね! あんまり気にしてなさそうだし、この話をこれ以上つつくのはやめておこう。僕にボロが出そうだ。
「にしても、そろそろ出たいですねぇ」
話を無理矢理ひと段落つけたので、意識を切り替える。
このまま地上まで逆に攻略していっても良いのだが、時間もかかるし体力も必要だ。モンスターが少ないにせよ、転移無しで進むには骨が折れる。
一応体力はそれなりに回復しているから魔法は使えるだろうが、転移できるならとっととしておきたい。他の調査班がどうなっているかも心配だし、僕ら以外全滅したでは話にならない。
結界の端に辿り着いてしまったら、それはそれだ。その時はフェニーニに切ってもらうだけのこと。
「あ、せんせ。ちょっとこの魔法試してもらって良いですか?」
僕らの話に混ざることなく、持ち込んだ紙に何かの式を書き続けていたイルマが、完成したのであろうそれを僕に見せてくる。
それは、一種の魔導書だ。一枚の紙に収めているから、近いのは書物ではなく巻物と言った方が良いかもしれないそれを、僕は受け取った。
「……なにこれ?」
ちょっと理解の及ばないものが、そこには書かれていた。




