20
人として生き、人として死ぬ。
それが当たり前のことで、しかし僕はその当たり前から外れてしまった。
ただの過信で、自らの肉体は死んでしまったから。それを憐れんだ神によって新たなヒトの肉体を得て、ヒトモドキとして生きているだけだ。
それなのに、何故か僕は人として死ぬと思っていた。
人として死ねると思っていた。
どうしてだろう? 人のものではないこの肉体は、根本からして人と異なる。
ただ、これはルゴスが作ってくれた肉体のコピーだ。コピーということは生も死も元と同じと考えて、何が間違っていよう。
僕は、そう考えていた。
僕は、そう思い込んでいた。
思い返してみれば、ルゴスは最初からこの選択肢を、最後の選択肢として僕に伝えてきた。
最初の選択肢は、成功するか失敗するかも分からない魂の移送。次の選択肢は、この世界における二度目の転生。
そして最後に言われたのが、神による肉体の再構成。
ルゴスは、あえて一番良い選択肢を最後に持ってくるようなまどろっこしい性格はしていない。
成功率を考慮せず、元通りに一番近いものから僕に教えたのだ。
ルゴスが最後まで言わなかったその選択肢は、神に近づくという意味ではプラスだったのかもしれない。
けれどそれは、ヒトから最も遠い選択肢だ。
ヒトから最も離れたカタチだ。
『アンタは人でも神でもない存在になる』
ルゴスはあの時そう言ったのだ。それが表すのは、ただのフレーバーテキストではない。
僕は、あの瞬間自分の意思で選んだ。
ヒトであることをやめる、と。
◇
「僕、もしかしてもう死なない?」
『ハァ? 何言ってるの。死ぬに決まってるでしょ。神でも死ぬときは死ぬんだから』
「あ、そういえばそうか」
うん、言われてみるとそうだ。アウフスタインだって普通に死んだし。彼は新参で格が低いにせよ、それは他の神が死なない理由にはならない。なにせ、主神だったルクシアも一応は死んだのだ。
むしろ、精神が数千年持つ、人を超えた生き物が神なのだと、僕はなんとなく理解している。
人であった者が、神という種族に転生するようなものだ。肉体年齢から解き放たれ、精神の存在として生きるそれを、この世界では神と呼ぶ。
神とは、生物だ。生きて死ぬ、自分で考えて動くことのできる生物。ただしそれは地上で生きる人から認識できるラインにおらず、信仰の対象としてのみ存在しているもの。
ただそれでも、ヒトとは別の時空で生きている。神にも成しえない不老不死という偉業を、僕なんかが再現できるはずもない。とんだ思い上がりだ。
『アタシが言ってるのは、普通のヒトと同じように、ってだけよ。――あの子も死んだわ。あっさりとね』
「あの子」、その言葉が表すのは、きっと僕の前任であったヘルトルーデのことだ。
ルクシアに似ていた彼女。僕の何も知らない彼女。500年前に死んだ彼女。
彼女はどこまで行けたのだろうか。何を思い、何をしようとして、ルゴスと共に生きたのだろう。
何も知らない僕は、それを想像することしかできない。
彼女の二の舞になりたいわけではない。平穏無事に、何事もなく過ごしたいわけではない。きっと、その逆で。
「ならもう、良いかな。普通のヒトではないんだし」
『そういうこと。開き直るの大事よー? うじうじ悩んでも何も進展しないんだから』
「じゃ、そうします。普通のヒトとして生きるつもりは、どうせないんで」
『そりゃ、普通のヒトは灰色狙いなんてしないからね』
ドキリと、心臓が強く打つ。
どこに居るかも分からないルゴスに、僕の神に、心臓を鷲掴みされているような、そんな錯覚に襲われる。
この女――この神は、一体どこまで知っているのだろう。
「……あ、やっぱそれバレてるか」
『アタシを何だと思ってるの。アンタの親よ?』
「親じゃないですー。ちゃんとした親がいましたしー」
『それでも、今生きてるのはアタシだけよ。にしても、アンタが灰色狙いねぇ、それ、神になるより難しいって分かってる?』
「……まーじで?」
え、そこまで難易度高い? いや確かにベアトリクス以外で灰色のキャラ知らないけど……。
白のアングラードは先代の白と黒を両方知っていたような口ぶりだったから、割と常に居るものだと思ってたよ。もしかして灰だけが特別なのか? そういえば、アングラードも先代の灰色の話はしてなかったっけ。
『分かってないか。アタシが主神の頃から数えて、これまでに灰色の号を得たのは3人。ちなみに神になったのはそれより桁が一つは多いわよ』
「……ちなみに白と黒は?」
『白は5人の、黒は11人。ま、黒が早死にするのは当然よね』
うん、まぁそうか。強いだけの人間は、実力以外で自分を守ることができない。
白のように、世界が守らないと損害があるほどの存在ではないのだ。それは、ただ単に最も強いだけの人だから。
故に、黒は長く生きられない。寿命で死ぬか殺されるか、それとも他の要因かは分からないが、どれにしても、黒には命を伸ばす術など持たないのだから。黒は、ただ誰よりも強いだけの人なのだ。人であることをやめることはできない。
200年以上生きている白も純血のヒト種であるはずなのだが、僕はどうしても白のアングラードを見た目通りの隠居した老人とは認識できなかった。あれが吸血鬼か何かと言われても、今なら信じてしまうことだろう。
『号を付けるのはロキュスの担当だから、最優先はアイツに気に入られることね。……まぁアイツ、アウフスタイン派閥だけど』
「ん、んーーー!???」
あれっ問題ワード来なかった? アウフスタイン派閥?それって僕が一番会ったらまずいやつじゃない!? 目の仇にされて殺されたりしない!? 号を貰うどころじゃない気がするんだけど!!
アウフスタインは、ルゴス曰く新参者だ。ただし異相門以外の接続先をルゴスにしてもらったのは、アウフスタインの派閥の神が力を貸してくれなくなると予想されたから。
ルゴスにとっての新参者とは、自分よりあとに神になった全ての神に対しての感情なのだ。現代の神の最古参にあたるルゴス。3000年前の大戦で最期まで勝ち残り、そして神の座に上った彼女達にとっては、その時点で生まれていなかった現代の神も、あの大戦に参加できなかった神も、すべてが自分より格下の存在だ。
「まぁ一番簡単なのは、ロキュスも殺すことなんだけど。得意でしょ? 神殺し」
「誰が得意にさせたと思ってるの!?」
「あはは。まぁロキュスが折れなくてそれでも号が諦められないなら、その時は力を貸すよ。アタシなら今の神なら全員相手にしても負けないだろうしぃ?」
僕は、自信満々に格好良いことをいっているルゴスが「勝てる」ではなく「負けない」と行ったのを、聞き逃さなかった。
その言葉が表すのは単純なこと。仮に自分以外の全ての神が敵になったところで、勝つことはできないにせよ負けない手段があるということだ。
実力なのか、どこかへ逃げるつもりなのかはわからない。けれどルゴスの性格からして、ここで嘘をついているとは思えないし、大言壮語とも思えない。僕は彼女を信じて良いのだ。いや、僕が信じないといけない。彼女が、僕にとっての唯一神なのだから。
「灰色、――ううん、灰色のベアトリクスね。アンタ、自分がそれを目指すことの意味、分かってる?」
あぁ、そうだ。ルゴスに言われるまでもなく、僕は気付いていたことがある。
ユリアに灰色のベアトリクスの名前を言われた時? いいや違う。もっと前だ。未来を知っている僕がそれを活用し、サロート運輸を作り港で海運業を始めたあの時から、僕は僕自身がこの世界に与える影響を知り、そして何が出来るかを知ったのだ。
未来を知る僕は、僕の知らない誰かに成り変わることができる、ということに。
「ベアトリクスが誰だったのかは、僕は知らない。だからそれが僕でも、問題ないでしょう?」
僕が決めたのは、僕が選んだのは、灰色を狙いにいくということは。
未来に灰色の号を得ようとするベアトリクスを蹴落とし、僕がベアトリクスに、灰色になるということだ。
ベアトリクスは、不思議な人だ。僕は、客観的に見てもそうではない。だから僕は、ベアトリクスになりたいわけではない。灰色になりたいのだ。彼と同じものを見たいだけなのだ。
「うん、悪くないと思うわよ」
てっきり笑われると思っていたのに、それを聞いてもルゴスはそんな反応だった。
僕は未来に生まれる英雄に成り変わろうとしている。ベアトリクスというNPCを、自分自身の物にしようとしているのだ。
彼のことを知らない。彼がどう考えどうあろうとしたのか、今の僕には知るよしもない。
それを知るのは、彼だけだ。傍観者でしかなかった僕が知らないのも当然のことだ。だから僕は彼と同じ場所に立つことで、それを知ろうとしている。
「で、どうするかは決めてるの?」
「それは追々考えますよ。とりあえず、――ヴェゼンティーニを凌ぐとこからかな?」
「そうね。そこで死んでたら話にならない。出来る限りの力は貸すつもりだから、頑張りなさいよ。全部アタシに任せてたらいつまでたっても灰色にはなれないんだから」
「えぇ、分かってます」
「用件はそのくらい? じゃ、達者でね」
ルゴスがその言葉を発すると同時に空間は縮小し、僕の視界は見慣れた迷宮の風景へと戻ってくる。
戻ってきて無言で顔を見合わせた僕らは、未だ一人だけ意識を取り戻していないユリアを見て、最初にノーラが口を開く。
「……さっきの話、この子にはしないほうがいいわよ」
「さっき?」
「ベアトリクスとかいう人に成り変わろうとしてるって話よ。だってさ、この子の想い人の存在を消そうとしてるわけじゃない?」
「……まぁそうだよなぁ」
ユリアと出会ったのが僕の知っているベアトリクスなのかは分からない。ただそれでも、僕が灰の号を手に入れた場合、それは僕のことになってしまう。未来の僕が過去のユリアを救う可能性も0ではないだろうが、今はどちらもわからない。
どうすれば灰色の号を得られるのか、まずはそれが分からないのだ。それに、僕に残された時間は15年程度しかない。この世界に生まれてから経った15年は確かに濃厚な15年だったが、これまでと同じ15年を過ごしたのでは、灰色のベアトリクスと同じ領域にまでたどり着くことは不可能だ。どこかで段階を飛ばさなければならない。普通のルートでは、目標に辿り着けないのだから。
そのまましばらく待ち、ユリアが目を覚ましたところで一旦迷宮探索はやめにすることにして、僕らは揃って町へ帰った。
迷宮に入っていたのは半日と少しだったはずなのに、久し振りの外の空気と感じてしまったのは、何故だろう。




