〈 Day 2 , part 2 〉
街の話。
俺の両親は元々この街、ほおずき市に住んでいた雨の両親にニュータウン化の足がかりとして誘われ、引っ越してきた。
この街は現在進行形で開発が進んでおり、今から向かうショッピングモールも都市開発の一環として出来たものだ。
ニュータウン化計画によって道が舗装され、住宅街が建設され、市を流れる唯一の河川である灯篭川は子供達が遊ぶことができるように整備された。
子供心では訪れる度に新しくなる街にワクワクしていたが、ふと後ろを振り返ると楽しかった思い出ごと新しいものに塗り潰され、今では少し寂しいと感じる。
街の一部の開発が過剰なまでに進んでいる一方で、ニュータウン化計画以降一切手がつけられていない地域も存在する。
灯篭川の源流がある遊火山の方角に進むにつれその傾向が顕著に現れる。
推進委員会が意図して避けているのか、その地域に住む人たちが反対しているのか、根拠のない噂だけが世間で囁かれる。
インターネット上でもヒット数は非常に少なく、《推進派、土砂災害対策工事を中止か?施工費を着服の裏側》《【ホラー】霊感がある俺が立入禁止の霊山に入った結果www まとめ【心霊スポット】》程度の陰謀論やファストフード店で聞こえた女子高生の話と同レベルの記事しか見つからなかった。
近場の公園に自然と触れ合える場所があったので、この街に引っ越してきてから今まで遊火山に立ち入ろうと思ったことは一度もなかった。
今となってはその公園での思い出も大部分を塗り潰されてしまったのだが。
平日、曇天、昼下がりのショッピングモール。
新しき記憶の上に俺と雨は立っている。
「何かいつもよりお客さんの数少ない?閉店?」
早くも思い出崩壊の危機。
「って言っても誤差の範囲だけどね。雨が降りそうだったから降られる前に帰ったんじゃないかな。午前中は降ってなかったから傘持ってきてる人少ないだろうし。」
スマートフォンで天気予報を確認するが、一時間ごとの予報にはただただ曇天のマークが並ぶだけだ。
「この程度の人の数なら声出しても問題ないか。」
特に目的もなく、只々店のディスプレイを眺める雨を眺める。
「別に俺に遠慮しなくても店の中覗いてきてもいいんだぞ?」
「うーん………じゃあ、ちょっとだけ。」
自分の中で若干の葛藤があったようだが、好奇心が勝ったようだ。
洋服店に入って行くのを見送り、近くに設置されたベンチに腰掛ける。
ポケットの中のスマートフォンを取り出すとチャットアプリを起動した。
「クラスの奴らに雨の事聞いてみるか…いや、あまり大事にしない方がいいか…?」
クラス替えの際にクラスの女子が作ったクラス全体のグループを確認する。
四月にグループを作成して『よろしく!』だの軽い挨拶やスタンプが流れただけでその後誰も発言していなかった。
「………流石にここで聞くのはまずいか。」
田中や鈴木のいる雑談グループを開く。
『ちょっと聞きたいことあるんだけど』
『どした四谷?例の相談か?』
田中がすぐに反応する。
『例の相談とは?』
鈴木も遅れて反応する。
『例の相談は例の相談だ!で、ちゃんと雨月誘えたのかよ?』
『雑な守秘義務管理ですね…。まぁその件は私も気になっていましたが。』
田中はともかく鈴木まで知っているとは、本当にクラスで知らなかったのは俺だけ説がいよいよもって真実味を帯びてくる。
『いや、まだだけど』
『はぁ!?お前それでもちんこ付いてるのか???』
『田中君はもう少し言葉を選んではどうですか』
『うるせぇ 付いてるもの付いてるって言って何が悪い』
鈴木が『やれやれ』と首を振るスタンプを送ってくる。
『それで四谷君、聞きたいこととは?』
『雨の交友関係というか普段仲良くしてる奴の名前、知ってる?』
『四谷君、もしかして雨月さん以外のクラスの女子、名前を覚えていないのですか?』
『四谷の頭ん中は雨月の事でいっぱいだからな』
『流石に覚えてる…はず』
『じゃあ夏祭りに誘うダシに使うとか?』
『そういう訳でもない。ちょっと緊急事態というか』
『何やら訳ありのようですね。差し支えなければお聞きしても?』
『相談も兼ねて連絡したんだが、守秘義務ガバガバな奴がいるからなぁ』
『流石の俺も本当にヤバイ話なら自重するぞ』
『お願いだからヤバくない話も自重して』
『その時の気分次第かな』
『駄目だこいつ…早くなんとかしないと…』
深いため息をついた後、ふと雨の様子を確認する。
服に触れられないのでマネキンを眺めていたところに、雨の存在を知らない店員が通りかかる。
回避しようとして盛大にずっこけそうだったのを咄嗟にマネキンの手を握りなんとか持ちこたえていた。
「…雨はマネキンと踊ってるのか?」
演目を終えた雨がこちらの視線に気付き、わざとらしく恥ずかしがるジェスチャーを取る。
「四谷くーん!隣のお店もちょっとだけ見てくるねー!」
店の奥から少し離れたこちらにまで鮮明に聞こえるほどの声量で叫ぶ。
こちらも軽く手を挙げ返事をする。
雨が二軒目に入って行ったのを確認して再び視線をスマートフォンに向ける。
『ここからの話は他言無用な 本当に真剣な話』
『わーってるよ』
『雨が昨日から家に帰ってないらしい 普段から門限はしっかり守る奴だったから親が心配して多分警察とかにも連絡してる』
『マジで?』
『警察にまで連絡とは…事件や事故に巻き込まれていなければいいのですが』
『それで雨の交友関係について二人にも確認したくて』
『そうは言っても雨月の友達付き合いなんてそんなに知らないぞ?たまに一緒にいるとこ見るぐらいで』
『私も田中君と同じです』
『それでも把握している分だけでいい。挙げていってくれ』
『クラスでいつも一緒なのは島村、渋谷、本田だろ』
『お昼休みには隣のクラスから前川さんや多田さんが遊びに来ていますね』
『よく考えたら大体絡んでるのって同じ部活の奴らだよな。双葉とか諸星もそうだし』
『確かに皆さん音楽部ですね』
詳しくは知らないが、うちの学校では合唱部と合奏部が合併しており、Chorus & Play musicの頭文字をとってCP部という名前で活動している。
しかしそのよくわからない横文字の部活名や活動内容の薄さから、ただ漠然と音楽部とだけ呼ばれている。
以前に雨が『んーうちの部活?歌ったり演奏したり踊ったりしてワイワイ騒いでるだけだよー。』と話していた。踊るのはよくわからないが。
『音楽部でしたら部長の阿部さんか顧問の佐藤先生に話を聞けば何か知っているかもしれませんよ』
『随分詳しいな』
『妹が音楽部に所属していまして、部長と顧問のモノマネが上手いと何度も動画を見せられまして』
『何でモノマネなんだよwww』
『本当によくわからない部活だな』
『それで四谷君 よければ妹に部長と顧問の連絡先を聞いておきましょうか?』
『あまり大事にしたくないから聞くかはともかく、一応念の為によろしく』
『了解しました 後で個人チャットに送ります』
『助かる』
『まぁなんだ、四谷、元気出せよ』
『田中もありがとな』
『また何かあったら相談しろよ!』
土下座のスタンプを押してチャットアプリを終了する。
雨が先程入って行った店の方を見ると雨は店内には居なかった。
「別の店か?」
「ふー」
いつの間にか戻ってきていた雨が左耳に息を吹きかけてくる。
「戻ってきてたのか。」
「ちょっと四谷くんリアクション薄いよ!」
「ふーって言ってるだけで息はかからなかったからな。」
「ぐぬぬ…それなら大声作戦の方が良かったかな。」
「鼓膜破れるからやめろぉ!」
しかし、息は届かないのに音の波は届くとは不思議な気分だ。
「それで、店見るのはもういいのか?」
「うん。実際見ても服に触れないから試着できないし。」
気晴らしに、なんて思っていた俺が馬鹿だった。
「でも次まで売れ残ってたら絶対買うって念を込めてきたから大丈夫!」
手をうにょうにょさせ念を送るポーズをする。
「それで、何故俺にも念を送ってるんだ。」
「なーんーとーなーくー。」
念を送っているうちに変な動きまで付けてきて腹筋に悪いので止めさせた。
「そうだ、四谷くんは用事ないの?」
「ああ、うん、雑貨屋で蛍光ペンとかバインダーとか買わないと。」
「あの不真面目だった四谷くんが勉強する気になってくれるなんて…感激で涙が…。」
「その発言は誰目線なんだよ。」
「手のかかる生徒を持った家庭教師目線!」
「手のかかる生徒で悪ぅございましたよー。」
ファッションの店が並ぶ通りを抜け雑貨屋に向かう。
「文房具買うんじゃなかったの?」
「本屋にも用があったし、雑貨屋までの途中にあったのが悪い。」
本屋の前を通りかかった時にふと買い集めている漫画が先日発売されたことを思い出し横道にそれる。
「あ、これも最新刊出てたのか…こっちも出てる…これ一個前のやつ買ったか…?」
「それなら本棚に入ってたよ。」
「おぅ助かる…いや、よく覚えてたな。」
「昨日四谷くんが寝ちゃった後、暇だったから本棚眺めてて。」
「そういえば前はよく漫画を貸してたけど、最近はめっきりしなくなったよな。」
「昔は買っちゃダメってお母さんに言われてたけど、高校生になってそのお達しがようやく解除されたからね。」
中学の時に友達に貸すために持ってきた漫画を雨が勝手に読み始めてはまってしまい、その後学校にいる間だけ貸していた。
「漫画を持ってくるのも学校から禁止されて、読むこと自体家でも禁止されてたのによく読んでたよな。」
「あの時の私はワルだったからね。貴重な反抗期だよ。」
「成績優秀の雨が何を言ってるんだか。」
「勉強自体は嫌いじゃなかったからね。」
「俺にはその発言が理解できねぇ。」
「知らない事を知れるってワクワクしない?」
「興味のあることなら分からなくもないけど、興味のないことをを強制されるのはちょっと。」
「案外どこかで繋がってくるから勉強して損はないと思うけどなぁ。」
「数学とか将来役に立たないだろ。因数分解ってなんだよ。勝手に分解するなよ。自然のままにしておけよ。」
「因数分解に何の恨みが…。」
「ふと思いついたのが因数分解だったってだけ。」
「四谷くん、私たちが今やってるの、数Ⅱ。高校の数学で因数分解出てくるの、数Ⅰ。四谷くんの数学はどこで止まってるの…?」
「………よし、買う本はこれだけだな。レジに行こう。」
「帰ったら数学もお勉強しようね。ってなんで逃げるの!」
無言でレジまでダッシュする。
「346円のお返しになります。ありがとうございましたー。」
「ちょっと、置いてくなんてひどいよー。」
会計を終えレシートと小銭を直しながら店から出ようとしたところを捕捉される。
「勉強は嫌じゃ勉強なんぞしとぅない!」
「落ち着けぃ!」
パン!と目の前で猫騙しをされる。
「はっ、勉強嫌いの発作がつい出てしまって現実から逃げ出してしまった。」
「私からも物理的に逃げてたけどね。」
「とにもかくにも、自分から望んで勉強は絶対にしないからな。」
「もしかしたら卒業できなくなるよ?」
「…きょ、今日は勉強しないぞ!」
「じゃあ明日からはみっちりやるよ。」
「………お手柔らかにお願いします。」
「よろしい。」
雑貨屋が見えてくる。
「それじゃ、必要なもの買おうか。四谷くんの筆箱の中、勉強する人のものとは思えなかったからね。」
「ハイワカリマシタ。」
買い物かごを持って店内へ入っていく。
「赤ペンならこれがオススメかなぁ。私も愛用してるし。」
「………。」
「四谷くん、何見てるの?」
文房具が陳列している棚の対面、テープや画鋲などが置かれている。
「あー、ちょっと親に頼まれてたの思い出して。」
それらを乱暴にかごに投げ入れる。
「ふーん。」
「で、どれが雨が使ってるやつだっけ?」
「これこれ。いっぱい色があるこういうペンよりシンプルに一色だけのペンを使いこなした方がノートがシンプルにまとまるんだよ。」
「じゃあそれ、と他にあった方がいいものとかあるか?」
「そうだね…物差しとか目盛りがついてるルーズリーフとか、後はプリント収納する蛇腹ファイルとか。」
「思ってたより色々要るんだな…。」
「こういうのはちゃんと勉強しやすい環境を整えた方がいいの。」
言われるがままかごの重量は重くなってくばかりだった。
「色々買ったけど、本当にこれ使うのか?」
「使う習慣をつけていくの。せっかくやる気出したのに、あれがないこれがないって言ってやらなくなったら本末転倒だからね。」
「そもそもやる気が出なかったらそれこそ本末転倒だろ。」
「それは…頑張ろう?」
「結局そうなるのか…。」
店を出て帰ろうとすると通路を挟んで反対側にあったゲームセンターが視界に入った。
「なぁ雨。」
「なにー?」
「ちょっとゲーセン寄っていこう。」
「ゲームセンター?」
「勉強のこと考えて頭が疲れたから遊ぼうぜ!」
「勉強してないのに疲れてるの…?それに私ゲームセンターって行ったことないし。」
「じゃあ俺が遊び方を教えてやるよ。」
強引にゲームセンターへと歩みを進める。
今度は見ているだけでも楽しめるようにしっかりと考えなければ。
「こんな風になってたんだ…色々並んでるね。」
「最近のUFOキャッチャーは掴んで落とし口に落とすだけじゃなくて、フックで引っ掛けたり掴んだものをボールの上で跳ねさせてうまく落ちるように祈ったりバリエーションが色々あるんだよ。」
「こういうのって大きいぬいぐるみを一生懸命掴んでってイメージしかなかったな。」
「大きい景品は重いし掴みにくいで取るのは至難の技だからなぁ。」
「四谷くんは普段からゲームセンターって来るの?」
「鈴木が音ゲー…ああいうの好きで、暇な時は何人かで一緒に遊びに来るんだよ。」
UFOキャッチャーコーナーの奥を指差す。
太鼓の形だったりドラム式洗濯機の形の筐体から音楽が鳴り響いている。
「あ、この曲知ってる。緒方さんとか城ヶ崎さんがこの前部室で歌ってた。」
「そういえば雨が入ってる部活、CP部だっけ?あれの実態全然知らないんだけど。」
「お喋りして、お菓子食べて、たまにピアノ弾く部活だよ。」
「いや、全然わからん。」
本来の活動内容が最後の一つしかない。
「私は入りたい部活とか無くて、昔習っていたピアノが弾ければいっかなーってたまたま入ったのがそこだったってだけ。」
「ピアノはもう習ってないのか?」
「高校入った時に習い事は一式やめちゃった。」
あれはいつだったか、雨のピアノの発表会をどこか綺麗な会場まで見に行ったことを思い出す。
ただ見に行くというだけなのに、親に無理矢理着せられた正装がたまらなく嫌で行きたくないと駄々をこねていた。
結局その時は親が折れていつもの服で会場に向かった。
そんな沈んだ気分で向かったのだが、雨が演奏している姿に見惚れて親と喧嘩したことも忘れて人一倍大きく拍手をしていた。
「まあなんだ、習い事をやめてもピアノを弾き続けてるみたいで安心した。」
「お母さんに強制されるのは嫌だったけど、ピアノの演奏自体は嫌いじゃなかったからね。」
「…また雨の演奏見たいな。」
「あれ?四谷くん私の演奏聞いた事あったっけ?」
発表会の後、顔をあわせるのが恥ずかしくて挨拶もせずそそくさと帰ってしまったので来ていた事すらも雨は知らなかったようだ。
「あー、うん、そう、放課後音楽室からピアノの音が聞こえてきた事があってな。離れたところから聞いてたんだが、あれ雨が演奏してたんだなって。」
それっぽい嘘をつく。
こういう話を正直にすると間違いなく弄られる。
「ん、四谷くん。これ遊んだことある?」
雨が指を指す方向にはピアノの鍵盤を模したタッチパネルがついたゲームの筐体があった。
「最近設置されたやつだから数回しか触った事ないな。まぁ遊び方は大体わかる。」
「ちょっとやってみてよ!」
「腕前はあんまり期待するなよ?」
「上手だったら素直に拍手するし、下手だったとしてもそれはそれで面白いから頑張って!」
「その絶妙に腹が立つ応援はなんなんだよ…。」
筐体に百円玉を投入し、ゲームを開始する。
「なんとかノルマ落ちせずに完走はできたが…。」
「難しそうだけど、面白そうなゲームだったね。」
「目をそらさないで…悲しくなる…。」
雨が知ってそうな曲を探している間に時間切れで知らない曲が自動で始まり、アドリブで対応するも結果は散々であった。
「四谷くんは楽しかった?」
「ん、俺?まぁ楽しかったよ。」
「ふーん。私も今度友達誘ってゲームセンター遊びにこよっと。」
「夏休みだったら門限も破る心配少ないもんな。」
門限という言葉で現在時刻が気になりスマートフォンを取り出す。
画面を確認すると時刻の下に鈴木からのメッセージが届いていた。
『妹の許可が下りたので連絡先を送ります。』
部長と顧問の二人分の連絡先がその後に添付されている。
素早く助かるとだけスタンプで返事をしてスマートフォンをポケットにしまう。
「5時過ぎか…。」
「今から帰れば門限に間に合うけど、今更守る必要もないよね。」
「よし、だったら今からカラオケ行くぞ!」
「おー?」
雨が『何故カラオケに行くのか』という目でこちらを見てくる。
そんな訴えかけを無視してショッピングモールを後にした。
駅周辺まで戻り近くにあったカラオケボックスに入る。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
後ろをチラッと振りかえり雨が居るか確認する。
雨は貸し出し用のタンバリンやマラカスを眺めていた。
「えっと、一人です。」
幽霊は一人にカウントすべきなのか一瞬考えたが、すぐ考えるだけ無駄だと悟る。
さらさらと登録を済ませ、指示された部屋へと向かう。
「四谷くん、これ持っていこうよ!」
…タンバリンを小脇に抱え、改めて指示された部屋へと向かう。
「一人分のお金で二人入っちゃうなんてなんか得した気分になるね。」
「払うの俺だけだがな。」
暗い室内、若い男女が一人、テーブルを挟んで対面して座る。
「勢いだけで来たけど、雨はカラオケは来たことあるのか?」
「カラオケも初めてだよ。」
カラオケなら物に触れられない雨でも楽しめると思ったのだが、大丈夫なのだろうかと心配になる。
「雨が知ってる曲入ってるのか…?」
「どんな曲が入ってるかわからないけど、部活でみんなが歌ってる曲とかなら歌えるよ。」
合唱とかで歌うような曲も入っているはずなので問題はなさそうだ。
「それで、どんな曲歌ってるんだ?」
「えっとね…タイトルなんだっけ………そうだ、ジャガーマンのうた!」
「アニソンじゃねーか!部活で何歌ってるんだよ!」
しかも自分達の世代より遥か昔のアニメの主題歌、何故これを歌っているのか、コレガワカラナイ。
しばらくの間、昔のアニソンメドレーにタンバリンで合いの手を入れるだけの空間が続いた。
ふと上を見上げると監視カメラの存在に気付く。
「今の状況、カメラには一人で合いの手を入れてるだけの人にしか見えないんだよな…。」
気持ちよさそうに歌う雨を見て今更か、と軽いため息をつき再びタンバリンを構えた。
午後7時、フロントから退店指示の連絡がかかってくる。
結局終始雨が古いアニソンを熱唱し続けてマイクが使われる事はなかった。
「部活でもこんな大声出すことなかったからすっごい楽しかった!」
「そりゃ良かった。連れて来た甲斐があったよ。」
代わりに犠牲になった財布を弔うように掌で挟んで折りたたみカバンにしまう。
店の外に出ようと自動ドアに近づいた途端、ザァァァと雨音が威嚇してきた。
「ありゃ、降ってきちゃったね。」
昼間に確認した時には曇りマークが並んでいただけだったのだが、裏切られたような気分になる。
「折りたたみ傘持ってきてて良かった。」
カバンに手を入れ奥底に眠っているはずの折りたたみ傘をガサゴソと探る。
「えいっ。」
カバンの中を漁っている間に雨が雨の降る夜の下に出てしまう。
「おい雨、何してるんだよ!濡れるぞ!」
「大丈夫だよ。変な感じするけど、ほら、濡れてない。」
ようやく見つけた折りたたみ傘を急いで展開する。
「…雨は馬鹿なんだから、風邪ひくぞ。」
「馬鹿なのに風邪ひくの?というか四谷くんに馬鹿って言われたくないよ!」
「うるせぇ、見てるこっちが風邪ひきそうになるんだよ。」
「ふふっ、見てる方が風邪ひくってよくわからない理論だね。」
「ほら、いいから入れよ。」
「…じゃあ、お邪魔しまーす。」
ーーー雨降る夜、傘をさして歩く少年の右肩はやけに濡れていた。
帰りの道中、お互い口を開くことはなかった。
雨が傘を叩く音、人が水を踏む音、車が水を跳ねる音、帰りを急ぐ自転車がブレーキをかける音、そんな音だけが世界を構成していた。
頭の中で今日の思い出を反芻する。
ショッピングに行った。ゲームセンターに行った。カラオケに行った。
こんな話をすればデートのようだと誰かは答えるだろうが、世間には一人で歩き回っているようにしか見えないのだが。
雨は楽しんでくれていたのだろうか。雨に記憶探しから遠ざけていたことを悟られていないだろうか。雨は苦しんでいなかっただろうか。
どんなに楽しもうとしても、どうしても頭の片隅でそればかり考えてしまっていた。
自分がこんな調子では雨は楽しくなかったのではないだろうか。
仮に聞いたとしても雨は気を使って楽しかった、としか答えないだろう。
そもそも聞くこと自体今日一日付き合ってくれた雨に対する冒涜だ。
考えがどんどんと沼へと沈んでいく。
ふと左を見る。
そこに、雨が居る。
ただ前を見て歩いている。
俺は、雨を大切にしたい/苦しめたくない。
その気持ちだけは変わらない。
雨を苦しめない為に、俺の取るべき行動は。
気付けばお互いの家への分岐路まで来ていた。
「…四谷くん、四谷くんの家はあっちだよ?」
「今日ぐらい家に帰ったらどうだ。雨のお母さんも心配してるだろ。」
距離を置こうと、ズレた提案をする。
「どうせお母さんにも私の事見えないよ。一緒にいちゃダメなの?」
「俺も疲れてるんだよ。雨が居たらベッドで眠れないだろ。」
嘘を吐く。一人で捜索するため、雨に負担をかけないために。
「………そっか。そうだよね。」
雨の家の前に着く。
「…今日は、ありがとね。」
「…じゃあ。」
嘘を吐いた罪悪感に俺は背中を向けるしかなかった。
「…扉、開いてないから入れないよ。」
「ただいま。」
「ちょっと、遅くなるなら連絡しなさいっていつも言ってるでしょ!」
「ごめん、晩御飯は?」
「とっくに冷めてるよ!さっさと着替えてきなさい!」
玄関に用意されていたタオルで軽く濡れている箇所を拭き、自室へ向かう。
荷物を乱暴に放り投げ、着替えを回収して浴室へ向かう。
「先にシャワー浴びてくる。」
夕飯を温め直してくれている母親に向かってそう言い、脱衣所へと入って行った。
「そういえば、昼間雨月さんのとこから電話かかってきて警察に届けを出したって。」
「知ってる。」
「あんたのところにも連絡あったの?」
「学校で担任から聞いた。」
正確には聞こえたが正しいのだが。
「早く見つかるといいんだけどねぇ。」
「ごちそうさま。」
「ちゃんと流し台まで食器運んでよね!」
居間でテレビを見ている母親の声を聞き流して自室へと戻る。
「さて、と。」
自室に戻り高校の入学祝いに父親に買ってもらったノートパソコンの電源をつける。
ペイントソフトを立ち上げ、雨の捜索依頼のポスターを作り始める。
「親父にソフトの使い方習っておいて良かったと思える日が来るとはな。」
簡単にだが必要な情報をテキパキとまとめて作り上げていく。
「肝心の本人の写真だけど…。」
スマートフォンの写真フォルダを開き過去の写真を探す。
「あーっと確かこの辺りに…あった。」
雨が制服を着て写っている写真を見つけ出す。
以前田中がスマートフォンを新しく買った時にカメラの性能を試すとか何とか言って教室内で写真を何枚も撮るという暴挙に出たことがあった。
最初は身内だけだったが調子に乗った奴はクラスメイトを片っ端から撮り始めた。
当然女子たちは怒ってその場で写真を全部消させたが、それよりも早く雨のベストショットだけを俺に送ってきたのだ。
何バカなことをしているんだと呆れつつもジュースをおごってやったことは覚えている。
「あまりこの写真は使いたくなかったが…しょうがないか。」
秘蔵の写真をポスターに貼り付け作業を終える。
作ったポスターを父親の書斎に置いてあるプリンターで20枚ほど印刷し、今日買ったテープと画鋲と一緒にカバンに詰める。
「後の作業は一度雨のお母さんに話を聞いてからだな。」
雨の部活の顧問の先生に話を伺おうかとも考えたが、その辺りの話も一度話を通してからにすべきだろう。
作業を終え、ベッドに視線を移す。
昨日はあの上で雨が寝ていたことを思い出し、別れ際に何故あのような言い方をしてしまったのかと自己嫌悪に陥る。
それでも、雨が苦しむよりはマシだ、と自分に言い聞かせベッドに飛び込みうつ伏せになる。
明日朝早くから行動できるように今日は早めに就寝することにした。
自分の家の玄関前で一人、取り残される。
段差に腰掛け、足の上で頬杖をついて雨を眺める。
「何か四谷くんに悪い事したかな…。」
久し振りに二人だけで遊んで浮かれていたのか。
「………寒い。」
寒さなんて感じない体なのに、思わずそう呟く。
足を抱えうずくまり、玄関の扉に寄りかかり体を預ける。
それからどれほど経っただろうか、頭上のセンサー式のライトが突然点灯する。
「…あ、お父さん。おかえり。」
当然存在に気付く事なく玄関前で傘をたたみ水滴を払っている。
「帰ったぞ。」
少し苛立った様子で玄関のドアを開け放った、その隙を見て後を追うように家に入る。
「あなた、遅かったわね。」
お父さんが革靴を脱いでいるとリビングからお母さんが顔を覗かせる。
その顔はいつものお母さんとは思えないほど酷い顔をしていた。
私がいなくなったせいでこんな顔をしていると思うと申し訳なさで胸が締め付けられる。
「交渉が難航して中々帰してもらえなかったんだよ。」
「玲が帰ってこないのよ!少しは心配したらどうなのよ!」
「俺だって心配はしてるさ!だからってそれと仕事は関係ないだろ!」
お父さんがリビングに入るや否やバッグを雑に置く。
「あなたは玲と仕事、どっちが大切なの!?」
「仕事をしなきゃお前たちを養えないだろ!そんな問いかけをすること自体おかしいんだよ!」
「二人ともケンカしないでよ…。」
その願いも虚しく二人の口論は止まらない。
「だったら少しは心配する素振りを見せてよ!」
「できる人間ができる事をする、警察が動いているんだったら任せればいいだろ!」
「それでも父親なの?探しに行こうぐらいの気概はないの?」
「素人の俺一人が増えたところで何が変わるっていうんだ?」
「父親なら無駄と分かってても探しに行くって言って欲しかった!」
「もうやめてよ!お父さんもお母さんも、お願いだから…。」
リビングの扉は閉じられ、逃げることさえ許されない。
その場で耳を塞ぎ、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。