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『貴方は雨を知っている』  作者: 矢下 真
2/8

〈 Day 1 〉

(夏、セミの鳴き声、そして太陽に立ち向かう勇敢なるクラブ生の声。

 この一歩でも外へ足を踏み出せば体が溶け出してしまいそうな暑い日差しの中、何が彼らを奮い立たせるのか…)

「おーい、この少ない人数でよそ見するとはいい度胸しているなぁ。」

(ましてやセミもセミだ。何が彼ら…セミ達をここまで鳴かせているのか。もしかしてセミ達は夏の暑さに悲鳴をあげていたのか…?)

「四谷…おい、四谷ァ!」

「ぐぼぁ!」

 先生の振り下ろした教科書がスパーンと頭に直撃する。

「全く…誰のために授業をしていると思っているんだ。」

「別に俺は頼んでないんですけど。」

「お前、高校二年で留年とかシャレにならんぞ。」

「やったな、四谷!もう一年遊べるぜ!」

「それはお前も同じだ、田中。」

 隣から先程自分の頭上で鳴ったものと同じ音が聞こえる。

「いってぇ!」

 俺の隣で殴られた頭を痛そうに押さえているのが友人の田中だ。授業中によくちょっかいをかけてくる。

「まさか私が教師である内に補習をしないといけない生徒が出るとは…しかも二人もだ。」

「俺ら、伝説になっちまったか!」

「悪い意味でな。お前たちが話を聞く気がないんだったらこの自習用のプリント、全部埋めるまで帰らせないからな。」

「せ、先生の話もっとよく聞きたいな! な、そうだろ四谷?」

「あーはいはい、先生の話、もっと聞きたいなぁ。」

「その意欲を授業中に発揮してくれていたら今頃こんな補講を受けずに済んだのだぞ。」

「へーい。」

「…はぁ。授業を再開するぞ。次ちゃんと話を聞いてなかったら課題の量を増やすからな。どこまで話したか…。」

 先生は再びチョークを手に取り、黒板に文字を書き始めた。

 先程の忠告を物ともせず再び窓の方を向き、今度は空を見る。

 三日後の日曜日にこの街で花火大会が開かれるのだ。

「花火大会…かぁ。雨、来てくれるかなぁ…。」

 希望と不安が入り混じり、なんとも言えない気持ちでいっぱいになる。

「よーつーやー?」

 左の窓を眺めていた俺の顔は不思議な力で正面に矯正された。

「四谷、今私が何の話をしていたか分かるか?」

「…花火大会?」

「よし、お前の課題の量を二倍に増やしておく。」

「嫌あああああ」

「ぐぅ……すやぁ………」

「おい田中、起きろ。」

「………ハッ!えっと…せんせいのはなしはとてもためになるなあ。」

「田中、お前は十倍だ。」

「何で十倍!?」




 チャイムの音で補習という名の束縛からは解放されたが、気付けば通常の倍の課題という余計な負債が増えていた。

 物理的に重い足取りで帰路につく。

「俺なんて十倍だぜ?」

 田中はわざわざカバンから課題の束を取り出し、量の多さをアピールしてきた。が、よく見ると俺と同じ量で、先生は何だかんだ言って出す量を決めていたと分かったが、黙っておくことにする。

「で、さっきの話。結局どうするんだよ?」

「さっきの話?俺、お前と何か話してたっけ。」

「花火大会とかボソッと言ってただろ。」

 こいつ、補習中寝ていたのに俺が話していることは聞こえてるんだな。

「どうせ四谷のことだ、まだ『雨月、俺と一緒に祭りの夜を過ごさないか』って誘えてないんだろ。」

「何でそこで雨の」

「『何でそこで雨月の名前が出てくるんだよ』とか言ったらぶっ飛ばすからな。お前が!雨月のことを好きで!祭りに誘おうとしてるなんて!本人以外は周知の事実なんだよ!どぅーゆーあんだーすたーん?」

「わ、分かったから。お前の言う通りだよ。悪かったな。」

「分かればよろしい。」

「まさかお前に恋愛ごとで諭される日が来るとは…。」

「目の前で青い春が顔真っ赤にするレベルの幼馴染特有のキャッキャウフフされ続けたら流石の俺も怒るわ。というか今さらっと馬鹿にしなかったか?」

「気のせいだろ。」

「ま、いっか。じゃなくてお前の話だよ。早く誘わないと、花火大会三日後だぜ?」

「そうなんだけど…なぁ。今まで幼馴染でやってきた身としてはですねぇ…突然彼氏面するような発言すると関係が壊れちゃうといいますかなんというか…。」

「はい、『関係が壊れちゃう』出た!どう考えても壊れるような関係性じゃないのにそういうこと言っちゃう!」

「やっぱり今日のお前、何か物言いが腹立つな。」

「どう転んでもお前らなら良い方向にしか転ばないから。いいからさっさと祭りに誘えよ。」

 田中は俺の制服のズボンからスマートフォンを抜き取り操作し始める。

「四谷のスマホのパスワードって何?」

「教えるかよ!ああ、分かったから!ちゃんと連絡するから!」

「やっぱり男は…度胸だぜ?」

「はいはい。」

「たぶん雨月もお前のこと待ってるからさ、早く誘ってやれよ。じゃ、俺帰り道こっちだから。」

「おう。何か…ありがとな。」

「恋愛マスターの私に不可能などない。もっと頼ってくれてもいいんだぜ?」

「恋愛『ゲーム』マスター、な。ま、気が向いたら相談するかもな。」

 いつもより大きく見えた背中に軽く手を振り、再び帰路につく。

「………とは言ったものの、何て言って誘えばいいんだよ…。」




「ただいま。」

 廊下の奥のリビングに声を投げかけると母親の小言が返ってきたが、気に留めずそのまま二階の自室へ移動する。

「雨をどう誘うか…シンプルに『俺と一緒にお祭り、行かないか?』とかか?」

 カバンを乱暴に放り投げ、椅子に座りぽちぽちとスマートフォンを操作する。

「いや、もう少し自然に話を切り出した方がいいか…?『やっほー☆元気してた?夏って暑いよねー。こんなに暑いと溶けてスライムになりそうだよ!そういえばスライムと言えば夏祭りの出店の景品とかで』………話が強引に方向転換したわ!」

 ベッドにスマートフォンを投げつけるとそのまま綺麗に跳ね、ベッドと壁との隙間に消えていった。

「しまった…ああもう、ちくしょう!」

 軽い自己嫌悪に陥りながらベットの隙間からスマートフォンを救出する。

 そしてそのままベッドに横になった。

「だんだん普段どんな会話してたか分からなくなってきた…。ここ最近雨とほとんど会話してないしなぁ…。」

 教室で一言二言交わすことはあるが、最後にがっつりと話し込んだのはいつだったか。

「変に意識しちゃうと文章一つ書くのにもこんなに苦労するんだな…。」




「悠、ご飯できてるわよ。」

 母親の声で目を覚ます。

「あー、俺寝ちゃってたのか…。」

「それと、帰ったら制服脱いで掛けておきなさいっていつも言ってるでしょうが!」

「今日は聞こえてないからノーカウント。」

「いいから早く着替えてご飯食べなさい!」

 母親は小言を言い終えると下の階に降りていった。

「飯食ってから考えるか…。」

 渋々制服をハンガーに掛け普段着に着替え、後を追うように居間へと向かった。




「『………続いては天気予報です。灯篭川花火大会を三日後に控えたほおずき市ですが、前日の午前までは曇りや所により雨が降るなどの不安定な空模様が続きます。ですが、それ以降は比較的安定し、当日は雲ひとつない快晴になるでしょう。………』」

「いつ雨が降るかわからないんだから、ちゃんとカバンに折りたたみ傘入れときなさいよ。」

 天気予報を注視していた俺の食事の手は完全に停止していた。

「それとさっさと食べちゃいなさい。食器が洗えないでしょ。」

「ふぇーい。」

 急いで残りの夕飯を平らげる。

「…ごちそうさまでした。」

「はい、早く持ってくる。」

「分かってるよ。」

 皿を流しまで運び終えると家電が鳴り始めた。

「悠、電話出てー。」

 返事するのも面倒になってきたのでそのまま受話器を取る。

「はい、四谷です。」

「その声、悠くんね?雨のお母さんよ!うちの娘がそっちにお邪魔していない?」

 声の主は雨の母だった。

「いや、うちには来てないですけど…。」

「あの子、まだ帰ってないのよ!」

 動転しているような声が受話器から響く。

 壁にかかっている時計を見ると夜の9時を回っていた。

 雨の家は門限が厳しく、いつだったか『本当、もう少し融通きかせてくれてもいいんじゃないかなぁ。』とボヤきながらも門限を守っていた事を思い出した。

「あの子が連絡も無しにこんな時間まで帰ってこないなんて、今まで一度もなかったからどうしたらいいか分からなくて…。」

「えっと…雨が家を出たのは何時頃だったか分かりますか?」

「確か11時頃に学校に用事があるからって出て行ったはず…。」

「学校に用事?そんな時間から?」

 補習を受けるほど頭も悪くない雨が夏休みに学校に行く理由がわからない。

「携帯に何度電話しても出ないから、心配で心配で…。」

「と、とにかく自分が街に探しに行くんで、雨のお母さんは雨からの連絡を待っていてください!家で帰りを待てるのは家族だけなんですから。」

「そう…よね。悪いけどあの娘の捜索、お願いするわ。」

「分かりました。」

 電話を切る。

「会話聞こえてたけど、雨ちゃんまだ帰ってないの?」

「そうらしい。」

 家事をしている母を横目に自分のスマートフォンで雨に連絡を試みる。

 1、2、3コール…。

 出ない。

「ちょっと雨を探してくる。」

「あんたも気をつけるのよ。」

 スマートフォンだけを持って家を飛び出した。




 街灯の明かりと車のライト、そして月明かりが沈んだ町を照らす。

 探すあてがあるわけもなく、ただ闇雲に街を自転車で走らせる。

「雨が行きそうなところなんて…。」

 繁華街から住宅街へと入っていき、次第に周囲から音が減っていく。

 聞こえるのは虫の声と自転車のチェーンの音だけだ。

 念入りに捜索するために自転車から降り、手で押して探索する。

 さらに奥まで進むと、音が減ったところに新たな音が聞こえてきた。

「…川の近くまで来ちゃってたか。」

 この街に流れる唯一の川、灯篭川の側まで来てしまった。

 辺りの住宅の壁には《灯篭川 花火大会》のポスターが貼られていた。

「祭りか…。どうやって誘おうか考えてた矢先にこれ…だもんなぁ。」

 どんな文面で誘おうか考えていた俺が馬鹿だった。

「雨、何処に居るんだよ!」

 近所迷惑な叫びが住宅街と川辺に響く。

 縋る思いでスマートフォンに着信が来ていないか確認する。

 …着信なし。

 スマートフォンの画面には22時42分と表示されていただけだった。

「実は先に帰ってた…なんて無いだろうけど。」

 今日の捜索は諦め、すでに家に帰っているという淡い希望に縋ることにした。

 慰めにもならない川のせせらぎがやけに耳についた。

「………帰るか。」

 来た道を戻り、帰路にーーー

 待て、今、川辺の柳の下に立っているのは…

 その場に自転車を止め、柳の側に駆け寄る。

「雨ッ!」

 ライトアップされた枝垂れ柳を見上げる少女は、俺の小学校からの幼馴染の雨月 玲だった。




『ーーーね、君の名前、なんていうの?よん…』

『よつや。よつや ゆうだよ。』

『よつや君、ね!覚えた!』

『そういう君は…あめ…あめ…』

『あまつき!あまつき れい、だよ!』

『…あめちゃんでいいや。』

『なんであきらめちゃうのよ!』




 そんな会話をしたことを思い出す。

「……………。」

「おい、雨。聞こえてないのか?」

 一瞬人違いをしたのかと思ったが、さらに近づくと人違いでないことが分かった。

 どこか、上の空な状態だった。

「あーめー!」

 至近距離で叫ぶ。

「……………四谷、くん?」

 この至近距離で叫んで、ようやく雨はこちらに気付いたようだ。

「雨、お前こんなところで何してるんだよ。」

「えっと…何、してたんだっけ?」

「何してたんだっけ、って何だよ、それ。」

「んー…どうも記憶がふわっとしてるんだよねー。」

「…大丈夫か?」

「たーぶ…んー?」

「返事もふわっとしてるなぁ。」

 いつも通りな気もしてきた。

「とにかく帰るぞ。お前のお母さんも滅茶苦茶心配してるんだからな。」

「そうだね。…っとっと。」

 ふとした拍子に雨がバランスを崩す。

 反射的に手を伸ばす。


 ーーーそして、二人は知覚する。

「………え?」

 俺の手が、確かに、雨の手をすり抜けたのを。

「い、今私の手が…。」

「すり抜けた…のか?」

 呆然として倒れたまま起き上がってこない雨に再び手を差し伸べる。

 しかし、雨はその手を借りることはできなかった。

「どうなってるんだ…?」

 雨はあまりにショックだったのか、呆然としている。

「今日一日何をしてた?何か思い出せないか?」

 返事はなく、雨はただ項垂れていた。表情は読み取れない。

「大事な事なんだ、思い出せよ。どうしてこんな事になったんだよ!」

「今日…私…は…」

 途端、雨は頭を抱え酷く苦しみ始めた。

「あ、雨大丈夫か!?」

「…平気、だよ。それと1つ分かったこともあったし。」

 頭痛が治まったのか、少し苦痛の残る表情をこちらに向けてくれた。

「で、何が分かったんだ?」

「…体はなくても痛覚は存在するんだね!」

「………は?」




「最初はショックだったよ?でもよく考えたらこれって幽霊みたいじゃない?こんな常人にはできない体験したんだし、どうせ落ち込んでもどうにもならないならいろいろ研究してやろうかなぁって。」

「待って。突然ポジティブになりすぎて、俺混乱してるんだけど。」

 自転車を挟んで、二人は並んで歩く。

「混乱してるのは私も同じだよ。」

「そうは見えないから余計混乱してるんだよ、こっちは。雨ってそんなに幽霊とかオカルト好きだったっけ?」

「んー特別好き、って訳ではないけど…でも世間一般で言う超常現象が実在するかどうかを証明できたんだからテンション上がってるといいますか。」

「雨が楽しそうで何よりです。」

「ひどい棒読みだなぁもう。」

 呆れているように見えたが、どこか超常現象の解明を楽しんでいる様にも見える。

「こっちからしてみれば『娘が帰ってこないの!』って幼馴染の親から電話がかかってきて、いざ探しに行ったら肝心の娘さんが幽霊になってるんだぜ?たまったもんじゃねぇよ。」

「この度は母がご迷惑をおかけしました…。」

「迷惑かけてるのはお母さんじゃなくて雨だからな?」

「まぁそうですけど…でもお母さんも過保護すぎと思わない?」

「多少は過保護な所はあるけど、雨も一応年頃の女の子なんだから心配されるのも当然だろ。」

「四谷くんに年頃の女の子扱いされるの何だか釈然としないんだけど。」

「心配されるようなことする方が悪い。」

 雨が不敵な笑みを浮かべる。小さい頃から見慣れた、雨の『悪い顔』だ。

「四谷くんは私が家に帰らなくて心配してくれたんだ?」

「雨のお母さんにあんなトーンで話されたら誰だって心配するだろ。」

「じゃあ心配してた理由ってお母さんの話し方のせいじゃん。ワタシワルクアリマセン。」

「反省の色が全く見られない。」

「嘘だって!探しに来てくれて嬉しかったよ!ありがとね。」

「………おう。」

 眩しいと感じてしまいそうな純粋な笑顔を向けられ、思わず目をそらしてしまう。

「あれれー?四谷くん照れてるのー?」

「こういう時ってどういう対応するのが正解なんだろうな…。」

 適当なことを言ってお茶を濁す。

「少なくともそういうリアルに悩まれると割と悲しくなったのでもう少し普通な反応してくれると嬉しいなって。」

「普通の反応っていうのが分からないから悩んでるんだけど。」

「そうだね…『て、てて、てれって、照れてねぇよ!』みたいな感じ?」

「そんなどもった反応されたらドン引きだわ。」

「そう?普通ってこんな感じだと思ってたけど。」

「雨の普通の基準が理解できない。」

 よく分からないところで何かが抜けている、雨はそういう奴だった。

「普通じゃないかどうか、やってみてよ。」

「この流れで常識的に考えてやると思うか?」

「俺は…お前を信じる!」

「少年漫画みたいなノリ止めろ!」

「はい、さーんにーいーち」

「ああ、もう!『て、てて、照れてねぇよ!』」

「………何か演技っぽいね。」

「演技だよ!!!」

 会話がエスカレートしすぎてつい大声を出してしまった。

 我に返る。辺りを見回す。左にコンビニ。

 そして店前に群れるヤンキーズ。

 不信の目をこちらに向け、指をさされ、笑い声が聞こえる。

「…雨、逃げるぞ!」

「ち、ちょっと!」

 一刻もヤンキーズの視界外に出るため全力で自転車を押す。

 突然走り出したせいか、雨はスタートダッシュできずに遅れて着いてくる。

 が、コンビニ前から離れるまでに雨はその場に止まってしまった。

「雨、何立ち止まってるんだよ。早く行くぞ!」

「…う、うん。」

 雨はコンビニに何か気がかりなことがあるような素振りを見せながらこちらに追いついた。




「ああいう輩に絡まれたら面倒だからな…。」

 しばらく移動した場所で後方を確認したところで一息つく。

「…まぁ追ってくる理由も無いか。顔覚えられてなきゃいいけど。」

「………。」

 雨は先程から難しい顔をしている。

「雨、さっきコンビニの方見てたけど知り合いでもいたか?」

「私があんな人達と連むような人間に見える?」

 少なくとも学校でああいった輩と一緒に居たところを見た事はない。

「いや、まぁ…見えないけど。」

「失礼しちゃうわね。ぷんすこぷんすこ。」

「雨って人からリアクション変って突っ込まれたことない?」

「友達からよく言われるね。」

「ですよねー。」

「私のリアクションの話はどうでもいいの。私じゃなくて、さっきの人達のリアクション、見た?」

 逃げることに必死だったので深くは気に留めてなかったが、何かあったか思い返してみる。

「…こっちを指差して大爆笑してただけだった気がするけど、それがどうかしたか?」

「指をさされてたのは四谷君だけだよ、多分…。恐らくだけど、あの人達には私が見えてないんだと思う。私が立ち止まっても誰一人こっちを見なかったし。」

 笑いの矛先がどこを向いていたかなんて気にかけていなかったのでピンとこなかったが、立ち止まってまで確認した雨には見えていたのだろう。

「まぁ可能性がない話ではないな。だって幽霊だし。………じゃあ何で俺は雨が見えているんだ?」

「うーん…可能性があるとすれば、一つは四谷君が私を知っているからとかかな。」

「知り合いだからって事か。」

「あの人達の世界に私は居ない、そんなところじゃないかなぁ。」

「で、他の可能性は?」

「四谷君が実は特別な力、そう!『幽霊を視ることができる力』を持っていたのです!」

「な、なんだってー。」

「その力を発揮して悪の組織と戦うのだ!」

 他人から見えないという現実に直面しても雨の振る舞いは変わらない。

「盛り上がってるところ悪いけど、真面目な話に戻っていいか?」

「うん、満足した。」

「って言っても冷静に考えたらこんな超常現象、真面目に議論する方が馬鹿な気がしてきたぞ…。」

「このタイミングで諦めるの!?一緒に幽霊の謎、解明するって約束したよね?」

「してねーよ!」

「…して、くれないの?もしかしたら私を見れる人、四谷くんだけかもしれないんだよ?」

 いつもの泣き落としだが、雨の表情から確かに不安な様子が読み取れた。

「…全力を尽くさせていただきます。」

「よろしい。不問に処す。」

「なんで上官風なんだよ、まったく…。」

「くるしゅうない、くるしゅうないわ!」

「はいはい。って話し込んでて気付かなかったけど、もうそろそろうちの家か。」

 雨の家はもう一本奥の道を入った奥だ。立地的にはほとんど家の裏だが。

「じゃあな、また明日。」

「え?今日は四谷くんの家に行くよ?」

「………?」

「こんな緊急事態に家になんか帰ってられないよ。そもそもこんな体見せられないし。」

「まぁ今の雨の幽霊姿、雨のお母さんに見せたら間違いなく卒倒するだろうし…うーん?」

 そもそも姿が見えるのか、そんな疑問はぐっと飲み込んだ。

 あんまり不要なことを言って雨を不用意に心配させるのも良くないだろうし。

「…緊急事態だし、まぁいいか。しかし、雨のお母さんにはなんて説明したものか…。」

「探したけど居なかった、でいいんじゃない?」

「後で適当に電話しておくわ。」

「じゃあ四谷くんの家に、れっつごー!」




「四谷くんの家の門、立て付け悪くて開かないよー。」

 雨は先行して門扉を開けに行ったが、取っ手はビクとも動かない。

「俺が出るときは普通だったぞ?」

 取っ手に手をかけると、拍子抜けするほど簡単に開いた。

 思わずズッコケそうになる。

「あぶねぇ…普通に開くじゃねーか。」

「あるぇー?」

「俺がさっき家出るときに開けたんだから急に立て付けが悪くなるはずないだろ…入るぞ。」

 雨を手招いて家に入る。




「ただいま…。」

「雨ちゃん、見つかった?」

 いつもなら奥の部屋から顔を出す程度の返事しか返してこない母親が珍しく玄関まで駆け寄ってきた。

「見つかったって…ええっと…。」

 気まずそうに軽く後ろを振り返る。

 そこには、確かに、雨が立っている。

「ん?雨ちゃん来てるの?」

 本来なら間違いなく見えているであろう立ち位置から母親はそう言い放った。

「………見つからなかったよ。俺、もう寝るから。」

 足早に母親の横を通り過ぎ、二階へと駆け上がった。

 母親の死角に入ったのを見計らって後ろを振り向き、雨の様子を確認する。

 …雨は玄関で立ち尽くしていた。

 誰から見てもはっきりと分かる、明らさまに落ち込んでいる。

 今まで我慢して気丈に振る舞っていた分が押し寄せてきたのだろう。

 リビングのドアが閉まる音が聞こえた。恐らく母が部屋に戻ったのだろう。

 俺は雨に一言かけてやるべき…なのだろうか。

 しかし、この状況で俺が雨にかけてあげるべき言葉が思い浮かばない。自分の不甲斐なさに嫌気がさす。

「………ごめん、先に行ってて。私もすぐに行くから。」

 消えそうなほどか細い声が聞こえる。

「…待ってるぞ。」

 一声だけかけ、再び階段を上っていく。




「お待たせー。」

 数分としない内に雨が階段を上ってきた。

 先程の落ち込んでいた様子はなく、いつもの明るい雨に戻っていた。

 相変わらずのメンタルの強さに感服する。

 少し目が赤いような気もするが、そこに触れるのは野暮というものだ。

「ところで四谷くん、こんな暗い廊下で何してるの?床でひんやりしてたの?」

「ひんやりってな…。雨じゃ扉を開けられないと思って待ってたんだよ。」

「あ、そっか。」

 試しに雨がドアノブを触るが、やはり動かない。

「んー…やっぱり私から物を動かすことはできないみたい。」

「考察は中でやるぞ。親に怪しまれるのも嫌だし。」

 雨の代わりにドアを開け、二人で中に入る。

「四谷くんの部屋入るの久しぶりだ…ってバカな、散らかっていない…だと…?」

「何でそこで驚くんだよ。」

「だって男の子の部屋って色々な物で散らかってるものでしょ?」

「何の偏見だよ。散らかしてると親がすぐ怒るから定期的に掃除してるの。」

「くっ、四谷くんのあれやこれや掘り返してやろうと思ってたのに…。」

「おい馬鹿やめろ。」

「その反応、見られたらまずい物がこの部屋に眠っているな?」

「いや、無いから。絶対無いから。間違いなく無いから。」

「ヒャッハー探索タイムだ…引き出し開けれない…。」

「知ってた。」

「ぐぬぬ…次に来た時は絶対に探し当ててやるからね!」

「はいはい。とりあえず一旦落ち着け。」

 勉強机の椅子を引き出し雨を座らせる。

「回転椅子も回らない…変な感じ。」

 回そうと必死になっている雨を椅子ごと回してやる。

「ぴゃあああああ!」

 楽しい。

「いきなり回したら危ないでしょ!」

「部屋に入って早々変な物を探そうとした仕返しだ。」

「…やっぱり変な物、あるんだね。」

「違う今のは言葉の綾だそんな物存在しない、いいな忘れろ。」

「もしかして四谷くんが部屋を綺麗に片付けてるのって、お母さんに部屋の片付けされたらまずいからだったりして。」

「そ、そんなことねーよ。部屋の片付けが趣味だから率先してやってるだけだ。そこに他意は存在しない。」

「変わった趣味だね。」

 雨がニヤニヤしながらこちらを見てくる。

 敗北宣言代わりの深い溜息をつき、ベッドに腰を下ろす。

「雨、椅子を回された感想は?」

「ん?普通に目が回って気持ち悪くなっただけだけど。」

「三半規管辺りの感覚はあるんだな。」

「…さっきのって四谷くんなりの検証だったの?」

「うちに来た理由、忘れてないか?」

「四谷くんの部屋からあれやこれやを発掘しに来たんだっけ。」

「よし、今すぐに帰れ。近いだろ。」

「見捨てないでえええええ…よよよ。」

「天丼も度がすぎると冷めて美味しくないぞ。」

「天丼よりカツ丼食べたい。」

「食べる方の天丼じゃない。何度も話を脱線させてるせいで一向に進まないって言ってるんだよ。」

「………。」

「いや、そこで黙られたらこっちが困るんだけど…。」

 目線を合わせず、椅子に座って足をプラプラとさせている。

「雨、本当は色々調べるのが怖いのか?」

「………。」

 雨の動きが止まる。

「だったら止めよう。こんなこと無理にやる必要ないんだし。」

「…地に足付いていなかった存在の自分が、色々体験していく内に本当に地に足をつけていなかった、って分かっていくのがね、怖いの。」

 今まで強がっていた雨からぽつり、ぽつりと不安が零れ落ちる。

「私、本当は死んじゃってて、幽霊になっちゃったんじゃないかな…。」

「雨は…雨は生きてるよ。現に今、俺は雨とこうやって話しているんだ。」

「四谷くん…。」

「物に触れないとか、他人から見えないだとか、関係ない。俺にはちゃんと雨が見えている。話せている。感じ取れる。確かに俺だけじゃ不安かもしれないけどさ…。」

「………ふふっ、ごめん四谷くん。もう一回言って。出来ればイケメン度増しましな感じで。」

「何だよその指示!絶対二度と言わねえからな!」

「まさか四谷くんから漫画の主人公みたいな発言聞けるとは…。この体も捨てたものじゃないかも。」

「漫画みたいな状況になってるのは雨の方だがな。」

 落ち込んでいただと思ったら次の瞬間には元気になっている。

 雨の精神は山の天気の様に本当によく変わる。

「で、続きするのか?」

「うーん…飽きてきたし、もういいかなぁ。」

「…そうか。もう夜遅いし、そろそろ寝るぞ。」

「ねぇねぇ四谷くん四谷くん。」

「寝るって言ってるのに何だよ。」

「このカバンからはみ出してる課題っぽいの、見たところ補習で出された課題っぽいけど、やらなくていいの?」

「………あっ。」

 存在を、完璧に、失念していた。

「………雨さん。」

「何だい四谷くぅん?」

「…ワタシニベンキョウヲオシエテクダサイ。」

 その日は、雨の応援を受けながら課題という強大な魔物と対峙し、命尽きるまで戦い続けた。


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