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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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星座

作者: 志水貝

 「人体の不思議」図鑑を飽くことなく眺めていた彼が今度はいつの間にか星座図鑑に興味が移行していたことに私は最近まで気が付かなかった。星の色に脱色した髪の毛がぼろぼろになった図鑑の上に覆いかぶさるようにして存在している。未だ家に帰らないのか、ともお母さんが心配しているよとも言うことができずに私はただ彼の隣に腰を下ろして星を見た。

 私が2つの時に誕生した彼は血のつながった両親に未だ慣れずにいる。遠縁の子である私の方にはずいぶん懐いているというのに。私が昔読んでいた「人体の不思議」も「お魚の秘密」も「宇宙の本」も全部彼にあげた。彼は私の過去をなぞって生きた。それに倒錯した喜びを覚えていたことは確かだ。この子の人生は俺が決めているのだという傲慢、人一人を自分の思い通りにできるという快感。

 星の色の髪の毛は少々血で汚れていた。また喧嘩でもしてきたのだろう、彼の顔には打撲の跡があった。彼が私の過去を歩んでいたのは幼いころまでで今では立派な不良少年になった。私はというと自分で言うのも気が引けるが優等生の顔をして過ごしている。

 打撲の跡に触れると彼の肩はひくりと震えた。熱を持っているのだから冷やさねばならない。

 「直臣、もう帰ろうよ。」

 私の血のつながらない弟は頑固に何も答えない。直臣を迎えに行って、あの子のことをよろしくね。そう言って送り出されてきた私が彼のことを見捨てて帰れるわけがないと知っていてこの態度だ。

 直臣は私の手を掴んで図鑑から顔をあげる。彼は幼いころから私の手がお気に入りだ。

 「星があるね。」

 私の人差し指と中指の付け根にはほくろがあって、彼はそれを好きなように呼ぶ。動物の目とか二点とか。今日は星に見えるらしい。言葉の使い方も頭の中身も年齢以上に幼い直臣がどうして喧嘩などするのか私にはわからない。図鑑は好きなくせに勉強は何一つできない彼は不良少年たちが多く集まる職業高校に行くしかなかった。勉強を教えてやってくれと両親に頼まれて彼と向かい合ってはみたが直臣の学力は向上しなかった。それもそのはずだ、彼は私と向かい合うと黙ってじっと私を見つめるだけだから。直臣の興味と観察の対象は常に私だった。

 「人体の不思議」を見ては私と見比べ本当にこの臓器が春明の体に入っているのかと尋ねて来た。「お魚の秘密」を見てはこの魚は春明と似ている、この魚は似ていないとよくわからない判別をしていた。「宇宙の本」を与えた時は私の目を見つめて宇宙があると言った。今は星に何を思っているのだろう。

 「俺の手にも星があるんだ。」

 そういって彼は私の人差し指と中指を掴んだ。

 「わかる?」

 直臣の人差し指にある一点の黒いほくろと私の手の二点。

 「正三角形だよ。」

 そうか、と私が言うとそうだよ、と直臣は笑った。だから何だと言うのか、私は早く帰って大学受験のための勉強をせねばなない。勉強をしてあの家から出るのだ、義母も義父も優しいけれどどこか気おくれのするあの家から。どこか違和感を感じて心の底から笑ったことのない人生を絶たねばならない。

 「なあ、帰ろうよ。」

 帰ったらまずすることは勉強ではなくこの意味不明な行動をとるようになった弟の傷を手当てすることだ。彼の両親がそうであるように色白のきめ細かい肌を切り傷と打撲が覆うのは見ていて気持ちの良いものではなかった。

 「言っていたじゃないか、正三角形が一番好きだって。」

 普段あまり声の大きくない彼が絞り出すように言う。そんなこと言っただろうか。私の心の声が聞こえたとでもいうのか、彼は愕然とした表情をした。

 「忘れたの。」

 答える前に直臣はがくりと頭を落とした。ぼそぼそと呪文のような声が聞こえる。

 「春明が好きだっていうからセイサンカッケイって何なのか調べたんだ。三辺の長さが総て等しくて角度は60℃、そうでしょう?」

 そういえばそんな話をしたような・・・気がする。いやしかしそれは私が数学を覚えたてのころだから今から何年も前の話だ。彼の体が震えているのは涙を流しているからか。弟は星の色をした頭を抱えて泣いている。

 悪かった、忘れていて。そう言いながら背を撫ぜると少し落ち着いたようだ。呪文のような声がもう一度聞こえてくる。

 「俺を置いていかないで、どこにも行かないで。」

 私は答えることができすただただ薄い背中をさすった。

 彼はまだ子供だ、幼すぎる子供だ。恐らく彼は生まれてきて目を開けた瞬間に私の顔を見てしまったのだろう。義母は私に生まれたばかりの彼を見せた、そして直臣はその瞬間に目を開いたのだった。2歳児の記憶など無いに等しいがあの黒目がちな乳児の目だけは不思議に覚えている。

 「無理だよ。」

 私と直臣は他人だ。薄い薄い血の繋がりがあるだけの他人同士は離れるしかない。直臣は行き過ぎた感情を恋愛と勘違いしているのだ。彼を誰か思い切り抱きしめて撫でまわしてやってくれ、そして世界で一番お前が好きだと言ってやってくれ。でもそれをするのは私ではない。義父や義母から直臣を取り上げることは私にはできない。

 「逃げないで。」

 ぽつりと漏らした声が胸にしみた。風の寒さが急に襲ってきたようだ。彼を可愛いと思う気持ちはいったいどこからくるのだろう。直臣を彼の望むように扱ってやりたいという気持ちを何度抑え込んだろう。

 空を見上げげると三角形が見える。お約束のようにそれは正三角だ。

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