レンバレス森林
「随分と視界が悪いな……」
カエデを含む数人の悪魔族たちによる一斉の転移が終われば、視界は生い茂る木々で埋め尽くされていた。
右を見ても左を見ても、あるいは上を見ても木ばかり。下を向けば大量の腐葉が音を鳴らした。
周囲は木々のせいか陽の差し具合も悪く暗い。
「レンバレス森林。昔から嫌な暗がりで有名な森だな」
横のビレトが説明してくれた。彼は常に命を戦場に置く者だからか、舐め回すように周囲を見回すその目からは真剣さが見て取れる。
現在この場にいるのは百五十二の戦う意志を持つ者たち。龍太郎は彼らの統括及び指揮を任されている。すぐさま指示を出す。
「アモンによれば、龍戦士族がこの辺りまで来るのはちょうど正午頃。それまで各員、自分の持ち場から離れない程度に身を潜めておいてくれ。時間になったら俺が順番に合図する」
まばらな返事の後、それぞれの悪魔族たちは木々の中に身を潜めていった。百五十人もいると流石に身を潜めるのは難しいかと考えもしたが、それをいい意味で裏切り、十分ほど経った頃には周囲に悪魔族の姿は見えなくなった。
さて、自分もそろそろ隠れるかと身を翻した瞬間、茂みの中から小さく龍太郎を呼ぶ声が聞こえてきた。
「龍太郎……さぁん……」
声の主は、小さな茂みに身を屈めて潜んでいたゲンティだった。屈んでいるので、自然と龍太郎を見上げる構図となる。
「どうした、ゲンティ」
「む、虫が……」
問うと、転移前、仏頂面なダリオと楽しそうに話していたテンションは何処へやら、ゲンティは涙目になりながら唇を歪ませ、しきりに足元を指差している。
何事かと近寄って見てみると、そこにはうねうねと蠢く大きめの影があった。
「結構でかいな、ムカデか?」
「『結構でかいな』……じゃないですよ!」
「苦手なのか?」
「はい……」
周りに配慮したのか、少しおとなしめに張り上げた声もすぐに落ち込む。まあ確かにうねうね蠢くムカデは見ていて気持ちのいいものじゃない。しかもサイズも結構なものだ。手首から中指の端まではあるだろうか。
「じゃあ、ちょっと離れてて」
言うと、ゲンティは素早く身を動かした。龍太郎はその間に滑り込む。別に虫は嫌いではない、むしろ言ってしまえば好きな部類だった。流石にここまで大きいムカデを見て『かわいい』などと言えるほどじゃないが、世の人間の九割は苦手であろうゴキブリも、ティッシュペーパー一枚で仕留めることができる。
龍太郎は身を屈め、手頃な落ち葉を掴むとムカデに差し向けた。落ちた腐葉で食事中のこのムカデには悪いが、ゲンティのためにも別のところへ行ってもらおう。
「よっと……」
落ち葉にムカデを這わせると、そのままゆっくりと持ち上げる。うねうね動いていてやっぱり気持ち悪い。それに、どことなくこのムカデ、龍太郎に視線を向けている気がする。そう思っていると、ムカデの上、視界に見覚えのあるバーが映った。
緑色の、横長のバー。その上にはやけに明瞭な黒文字で『デッドリー・センチピード』と表示されている。
それらが示す意味。龍太郎はすぐに把握した。
「こいつ、モンスターか!?」
咄嗟に、持ち上げた落ち葉を落とす。パサッという音とともにムカデ……いや、デッドリー・センチピードを乗せた落ち葉が一瞬で紫色に変色していく。
それだけではない。周囲にある落ち葉も少し、その色を毒々しい色へと変貌させた。
「龍太郎さんっ」
離れていたゲンティが驚いた様子で近寄ってきた。背の低い彼女は龍太郎の腰辺りを掴みながら下に落ちたデッドリー・センチピードに目を向ける。
そんなゲンティに、龍太郎は振り向かず頼みごとをした。
「ゲンティ。こいつを今すぐ倒してくれ」
「え、でも……」
「頼む」
露骨に嫌な顔をしている。当然だろう。ゲンティは虫が苦手で龍太郎に頼んだのに、今はその虫を始末してくれと頼まれているのだから。
しかし、このモンスターをこのままにしておくのは非常に宜しくないと、デッドリー・センチピードをチェックした龍太郎は判断していた。
デッドリー・センチピード。身体は小さく戦闘力も弱いものの、その体内で常に生成し続ける"毒"に関しては無視できない性能を誇っている。
身体の隅々に生えた無数の手足。そこから猛毒は発される。足の底は針のように鋭利になっていて、突き刺した箇所から直接毒を流し込む。足は無数にも生えているため、このモンスターに身体を這われればその大量の足で一気に毒を流し込まれかねない。毒の強さは古代竜イグナートレベルの体躯を持つモンスターを二十分ほどで倒してしまうほどだ。
とは言え、実は普段はあまり攻撃的な性格ではないそうだ。……が、今回ばかりは龍太郎に対して明らかな敵意を向けて威嚇してきていた。
龍太郎はチェックによって得た情報をゲンティに伝えると、彼女はげんなりと肩を落としながら溜め息を吐いた。
「はぁ……。つまり、敵意をむきだしにしたこの気持ち悪いのを放置しておくと、他の誰かがやられちゃうかもしれない……そういうことですね?」
「そうだ」
ゲンティはもう一度深い溜め息を吐いた。『なんで私が……』そんな呟きを零しながらも、詠唱を始める。
龍太郎は自身のクラスの性質上、相手にダメージを与えるスキルを何も持っていない。攻撃スキルを持っていないと武器で攻撃しただけでは雀のダメージしか与えることが出来ないというのもあって、ゲンティに頼むしかなかった。
それからすぐに、ゲンティの遠距離スキルによって体内から発火したデッドリー・センチピードは息絶えた。恐らくこの周囲にまだ数匹いるだろうが、こちらは身を潜める身だ。元よりあまり大きな物音を立てるつもりがないため、滅多なことでは刺されることはないだろう。戦いが始まれば、その余波で勝手に全滅するだろうし。
「あー、気持ち悪いっ」
「お疲れ様」
奇怪な鳴き声を発しながら燃え尽きたデッドリー・センチピードの居た焼け跡を見ながらぶるぶるっと身を震わせたゲンティに、龍太郎は労いの言葉をかけた。
「もう、なんで攻撃手段持ってないんですか」
「なんでって言われてもなぁ」
龍太郎はバツが悪そうに後ろ頭を掻いた。むーっと唇を突き出して不満を表すゲンティ。こうして見ると結構可愛らしいな、と思っているとどうやらうっかり口に出ていたようだった。顔を赤くし、さらに睨んでくる。
「もう、龍太郎さんには帰ったら街のカフェで奢ってもらいますっ!」
背を向け、ぷんすかと怒るゲンティ。まあ、それくらいなら奢ってあげるか。そう思いながら苦笑いする龍太郎の耳に、戦いの音が響いた。




