最後の少女の気持ち
エリュガレスの街に唯一、少しだけ陽が顔をのぞかせる、明け方。
悪魔城ガリデルの入口前には、悪魔族軍戦力の四分の一になる総勢百五十二の悪魔族たちが集結していた。
皆それぞれ様々な表情をしていて、新しく指揮官として加わった龍太郎の力を疑い不安を顔に募らせる者や、対照的に子供のようなきらきらとした眼差しで龍太郎の指揮手腕を待ち望む者もいる。
集団の中には隊長である五人の悪魔族の姿もあった。同じく城の前に出てきていた龍太郎はそれを見て、一人だけ個人的なやり取りをしていなかった者を見つけた。近付いて話し掛けてみる。
「えっと、確か……」
「ダリオ・コープネスだ」
「あ、ああ……そうだ、ダリオだったな」
龍太郎はダリオのその大きな体躯に圧倒される。瞳は琥珀色にぎらついて、額に嵌め込まれている悪魔族の証である宝石も琥珀色だ。
常に眉間にシワが寄っていて、眼付きも悪く、いつも背中に刃渡り四、五十センチはありそうな大剣を背負っているため、周りの悪魔族もあまり彼に近付いている姿は見ない。……ただ、何故かハルファスとゲンティだけはダリオに懐いているようだったが。
「えー、龍太郎さん。もしかしてダリオさんの名前忘れちゃってたんですかー?」
龍太郎とダリオのやり取りを見ていたのか、ゲンティが目ざとく近寄ってきた。隣にはハルファスもいる。
「ゲンティ、指示があるまで持ち場を離れるな。隊の士気が下がる」
「いいじゃんいいじゃん。ダリオさんだって、皆とお話したほうが楽しいでしょ?」
「戦いの前にそんなお気楽でいられるのはお前くらいだ」
ゲンティとダリオのやり取りに呆気を取られていると、とことことハルファスが近寄って耳打ちしてきた。
「ダリオさんって、見た目はすごく怖いですけど、本当は優しくていい先輩なんですよ」
「先輩……なのか」
「僕とゲンティよりは年上ですから」
改めて、まだ話しているゲンティとダリオを見やった。基本的には、いつものハイテンションでゲンティが話を振るが、ダリオの方も素っ気無さそうに見えてちゃんと返事を返している。彼の表情のせいか、はたから見ればダリオがゲンティの話をイライラしながら聞いているように見えるが、ダリオは喋り続けるゲンティに対して「黙れ」や「うるさい」のような話を一方的に拒否する態度は一切取っていなかった。
それどころか、たまに彼女の話にふっと笑みがこぼれていた。
「多分、ダリオさんとそんなにお話していないですよね? この戦いが終わったら、是非話してみてください」
「そうだな」
そんな返事をしながら、龍太郎は、約束の時刻はそろそろかなどと考える。
すると、その思考を読み取りでもしたのか、閉じていた城の入口が重苦しく開いた。
「全員、集まっているようだな」
城から出てきたアモンが、悪魔族たちを一瞥しながら言う。その巡った視線が、龍太郎の前で止まった。
「今日の作戦は君たち"百鬼旋風"の初陣でもある。とくに、釘丘龍太郎。君の指揮官としての能力を期待している」
「そんなこと、分かってる」
自然と、龍太郎の顔が険しくなる。龍太郎は正直、このアモンという人物が好きではなかった。高圧的で、他人を無理強いさせるような口調と態度。"悪"と断じられやすい悪魔らしいといえばそうだが、他の悪魔族が決してそうではないため、彼だけが浮き彫りになる。
彼が何故、悪魔族のトップに立てているのか。周りから慕われているのか。この真実の裏には何かが――――
「龍太郎くん」
自分の世界へと入ろうとしていた意識を、何者かの声が現世につなぎ止めた。顔を横にやる。智代理だ。小柄な智代理が、龍太郎を見上げるようにして隣にいた。彼女の桃色の髪が、さらりと頬を落ちる。
「怖い顔……してる」
「あ、ああ……」
智代理に痛いところを突かれた。生返事で返してしまう。しかし智代理はそんなこと気にも留めていない様子でこう言った。
「龍太郎くん。私、悪魔族の人たちともっと近付きたいの」
「……え?」
一瞬彼女の言っている意味が分からず、素っ頓狂な声を上げてしまった。智代理は自分の言ったことが龍太郎に伝わっていないことを悟り、言い方を変えてくる。
「えっと、龍太郎くんの方で、悪魔族の人たちに私を紹介して欲しいの。とくに、隊長さんたち。隊長さん以外の悪魔族の人たちとは何人かお話したけど、隊長さんたちはまだだから……」
「あ、ああ。そういうこと」
しかし、なぜ急に。龍太郎はそれが無性に気になって智代理に問いた。
「今の龍太郎くんと、昔の龍太郎くんの気持ちをよく知りたいから……かな」
「俺の気持ち?」
「うん。悪魔族の人たちともっといっぱいお話すれば、龍太郎くんと同じ気持ちになれるかなって思って」
龍太郎は彼女の理由を聞いてもなお、意味がよくわからなかった。しかし別に、隊長たちに智代理を紹介したって別にまずいことはない。それなら、彼女の願いを叶えてあげるべきだろう。
「分かった」と一言だけ呟き、龍太郎は智代理を悪魔族たちの下に連れて行った。
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アモンの言っていた今日の作戦とは、アモンが魔龍魂のちからによって龍戦士族の動きを察知したことに始まる。龍戦士族は今日の正午頃、自分たちの街レーガルフと悪魔族の街エリュガレスとのちょうど間にまで進軍してくるそうだ。龍太郎たち悪魔族軍はそれに先手を打つため、こうして朝早くに街を出ていた。
龍太郎はこの作戦が開始する直前、アモンに一つ質問をしていた。魔龍魂が龍戦士族側にもあるなら、向こうも俺たちが来ることを知っているんじゃないか、と。
しかしアモンはそれに対して首を横に振った。どうやらあちらとこちらにある魔龍魂の性質は若干違うらしく、あちらの魔龍魂に相手の動きを読み取るちからは無いのだという。
龍戦士族の街レーガルフと悪魔族の街エリュガレスのちょうど中間地点までは、約二十キロもある。まさかそこまで徒歩で歩いていくわけにもいかない。それだと明け方に出た程度では正午までに着かないからだ。
そこでアモンは龍太郎に、百鬼旋風の中で転移系のちからを持った者はいないかと訪ねてきた。転移系のスキルなら【セーバー】であるカエデが持っていた。悪魔族の中にもいるにはいるが、人数的に足りないらしい。
カエデに相談したところ、あの日以降相変わらず龍太郎のことを敵視しているようで、しかし「好きにすれば」とそっぽを向かれながら何とか了承を得た。
「カエデ。頼む」
「分かってるわよ」
城の前にて、同じく転移系のスキルを使える悪魔族とともに、カエデの身体が淡く光り出す。彼女の美しく腰まで伸びた黒髪は、学校で見ていた時と何ら変わりなく、この異世界でも鮮やかに煌めいていた。
「なぁ」
「なによ」
龍太郎は思わず彼女に声を掛けた。スキル詠唱中の彼女の語気は強いものの、龍太郎の話を無視してやろう、というものではなかった。
「どうして、そこまで嫌なんだ」
「あんた、よく自分でそんなことが言えるわね」
カエデは吐き捨てるように言った。その言葉が、龍太郎の足元で落ちて消えるようだった。
「……すまん」
俯きながら言ったその謝罪に、カエデは龍太郎を横目で一瞥した。龍太郎がそれに気付いた様子はない。すぐに顔を元に戻す。
「謝るくらいなら、最初から言わなければいいのよ」
詠唱を続けながら、カエデは冷たく言う。
……カエデは分かっていた。龍太郎の悪魔族側に付くという意見に対してここまで反対的なのは自分だけなのだと。
シュン、それからユカリやセーヴは多少なりとも龍太郎の考えに疑問を持っている様子だった。しかしそれでも、その疑問を本気で解決しようと思っていない様子でもあった。
アスカはあまり変わらず。そもそも彼女の龍太郎に対する当たりは前から強かったため、彼女自身もこれで龍太郎と離れることができると逆に清々しているくらいかも知れない。
だが、智代理に至っては殆ど真逆。龍太郎に対する疑問は多少ながらにあるものの、彼に対する態度は何も変わっていない。彼女の中で彼女なりの踏ん切りがついている、ということなのだろうか。
「……どうして、悪魔族側になんて付くのよ」
一向に顔をこちらへ向けようとしないカエデの口から、そう言葉が漏れた。
「俺にとってのゲームクリアはこっちに付くべきだから、かな」
「…………そ」
カエデは龍太郎の言葉を聞いたあと、少しの間を置いて、そんな素っ気ない返事をした。それが、龍太郎に対する呆れから来るものか、予想していた答えよりも遥かにあっさりとしたものだったからか、それともまた別の理由からなのか、判断しかねた。
ただそれ以降、彼女が龍太郎の前で口を開くことはなかった。




