変化
城に戻った龍太郎は、城に常駐するメイドから浴場の掃除が終わったことを告げられた。
夕食まではまだ時間があるということなので、先に入浴を済ませることを勧められた龍太郎は一旦部屋に戻り用意された部屋着を持って廊下へと出た。
そんな時だった。バッタリと"彼女に出くわしてしまった"のは。
「……神森」
廊下の奥からやって来た彼女は既に用意された部屋着に着替えており、まだ少し水気を残した長い黒髪が艶やかに光っている。
体温の上昇によるものか、顔は赤く上気しており、龍太郎を睨むようなその冷たい眼差しとはまるで逆の態度を示すかのようだった。
「……戻ってきていたのね」
「今さっきな」
「……お風呂、空いたらしいわよ」
「メイドから聞いた」
「そう」
それっきり、アスカは龍太郎の横をスタスタと通り過ぎていった。
背中で、ガチャリ、と扉の閉まる音がする。
すると、
「アスカちゃん~、待ってよ~」
とてて、という効果音がまさに似合いそうな足取りで、前方からやって来る少女が一人。
アスカと同じく部屋着に着替え、入浴による影響から頬を赤くし、慌てて小走りで龍太郎に近づいてくる。
少し前まで来てようやく龍太郎の存在に気がついた様子であるその少女は、走らせていた足の速度を段々と落としていった。
「あ……りゅ、龍太郎くん。……帰ってきてたんだね」
「今さっき」
龍太郎はアスカに返した返事と全く同じものを少女にも返した。
少女――智代理は、どこかよそよそしかった。今までの彼女ならこんなことはなかったはずなのに、まるで龍太郎を敬遠しているかのようだった。
「……お風呂、空いたみたいだよ?」
「らしいね。さっきメイドから聞いた」
これもまた、アスカにした返事と同じもの。
自然と、二人の間に沈黙がやって来る。
足音も立てずにやって来た沈黙は、自然と場の重力を強くする。
智代理がゆっくり口を開いた。
「アスカちゃんのこと……見なかった?」
「自分の部屋に入っていった」
「そっか……。えと、アスカちゃんは何か龍太郎くんに……」
「いや、神森とは何も話してない」
「……そっか」
何も話していない、というのは正確には嘘になるが、彼女と先ほど交わした会話は会話と呼べるようなものではない。どうでもいい相手同士でするような、そんなどうでもいいやり取りだった。
智代理は龍太郎の返事を聞いたあと、何故かそこから動こうとしなかった。何かを言いあぐねているような、そんな彼女の迷いが瞳の動きから見て取れた。
「……ちょっと、屋上にでも行こうか」
龍太郎は少しだけ真剣に、でもちょっぴり恥ずかしそうに、智代理にそう言った。
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この世界の悪魔城ガリデルには、屋上が存在する。龍太郎の記憶では、デビルズ・コンフリクトにあった悪魔城ガリデルに屋上は存在していなかったとある。
三階にあるアモンのいる大部屋を抜けて、階段を使いさらにその上へ。
少し大仰な造りの灰色の扉を押し開けると、外の空気が一斉に身体を叩いた。
「気持ちいい……」
後ろに付いてきていた智代理が、ふっと漏らす。
恐らくアスカと同じ風呂あがりであろう彼女の火照った身体には。夕暮れどきに吹く少し涼しめの風はさぞかし気持ちのいいものだろう。部屋から持ってきた部屋着を抱えながら、龍太郎はまだ自分が入浴していないことを少しだけ後悔した。
「この城は結構高めの造りになってるからな。風がよく吹く」
屋上に出た龍太郎は辺りを少し見渡し、ちょうど寄り掛かれるくらいの柵がある場所まで歩いて行った。
「結構な街並みだ。こうして見ると、悪魔の街っていうのも案外悪いものじゃないかもしれない」
屋上から望むエリュガレスは、実に不思議で美しかった。
透明感のある緑と青の建物群が遠く向こうまで建ち並び、夕暮れどきでも西日すら差さないこの地で幻想的に光る。
ファンタジーの世界。そう言うべき風景が、目の前には広がっていた。
「……龍太郎くん。話って、なに?」
智代理がゆっくりと、龍太郎の背後で口を開いた。
重苦しく紡がれるその言葉には、龍太郎に対する幾ばくかの不安も入り混じっている。
「話って言うほどのものでもないんだけど……智代理さん、この街に来て、どう思ったかなって」
「……街の人たち……悪魔族の人はみんないい人だよ。正直、びっくりした」
「"悪魔"って聞くと、大抵は悪い奴、みたいな先入観に囚われちゃうからね。かくいう俺だって、デビルズ・コンフリクトに最初来た時は、『悪魔なんて、敵に決まってる!』って思ってたし。……まあ、ゲーム的にはエネミーなんだけど」
龍太郎は軽く笑ってみせた。
でも、智代理の顔はうかないままだ。
智代理はいつになく真っ直ぐな瞳で、そして不安げな瞳で、龍太郎を見つめて言った。
「龍太郎くんはやっぱり……悪魔側についちゃうの? 悪魔の人たちの……味方になるの?」
「多分……そうかな」
智代理だけじゃない。カエデとシュンに始まり、ユカリやセーヴ、そしてアスカからの態度を見て、龍太郎は痛いほど彼ら彼女らの答えを知っている。
それでも龍太郎は、離れるわけにはいかなかった。自分は想像以上に、"あの七日間"で悪魔族に心を入れてしまっていたようだ。
それに、仮説の通りにクリアするならば、龍太郎は悪魔側に残るべきだ。
そして智代理たちとは……敵対するしかない。
「私ね、龍太郎くんとはずっと、この世界で旅をしていたいと思うようになってきたんだ」
「……」
智代理が突然、そんなことを言いだした。
流石に龍太郎も驚いて、黙りこくってしまう。
「この世界はゲームの世界とよく似ているけど、全然違うところもあって。まだまだ世界は広くて、知らないことだって沢山ある。そんなこの世界を、私は龍太郎くんと旅がしたい。ずっと、ずっとしていたい」
「智代理さん……」
「もちろんアスカちゃんとか、カエデちゃんにシュンくん、ユカリちゃんにセーヴさんも一緒。ずっとずっと一緒に、この広い世界を旅していたいの」
智代理は学校では、結構おとなしい性格だったと記憶している。俺をこのゲームに誘ってくれた時も、おどおどと、かなり緊張していた様子であったことを思い出す。
それが今ではどうだろうか。日数にしてみれば既に二ヶ月以上はこの世界で元の世界へと帰るために旅をしている。色々な経験もした。その経験は決していいものばかりでは無かったし、むしろショッキングなものが多かった気さえする。
それらを乗り越えて、今の彼女があるのだ。精神的にも肉体的にも成長し、元の世界では決して得られないような何かが彼女を少しずつ変えていっている。
「それじゃあ智代理さんは、ずっとこの世界にいたいのか?」
その質問は少しだけ意地悪だと、龍太郎も自負していた。
いくらこの世界で旅をしていたいと言っていても、常に危険と隣り合わせなこの世界よりもずっと安全な元の世界……日本に、帰りたいと願っているはずだから。
しかし龍太郎の予想を大きく裏切り、智代理はそんな言葉を口にした。
「……実を言うと、よくわからなくなってきてるんだ。自分が本当に、元の世界に帰りたいのか。それとも、元の世界に帰らずに、ずっとこの世界にいたいのか」
「それじゃあ……元の世界に帰れなくてもいいってこと?」
「そう……かもしれない。私は、私を変えてくれたこの世界を無かったことにしたくないんだ。もちろん元の世界が嫌だったわけでもない。……でも、唯一嫌いだったあの頃の弱い私を変えてくれたこの世界を、私は大切にしたい」
智代理は少し照れくさそうに、頬を朱に染めながらそう言った。
冷たい夕暮れの風が身体を打つ。北からやってくる冷気が、龍太郎の背中越しに吹きすさぶ。
……まさか、智代理がそんな考えを持っているとは思わなかった。このことは、他のメンバーには話したのだろうか。アスカになら、話しているかもしれない。
それでも彼女の瞳を見れば見るほど、そして訴えかけてきた時の彼女の表情を思い出せば思い出すほど、その考えがふざけて言っているようには思えなかった。
元の世界に帰れなくてもいい。そう考える人間が、まさかいるなんて。
「……智代理さんは、そんな考えを持っていたんだな」
「う、うん……やっぱり、おかしいかな」
「いや……」
龍太郎は、少しだけ遠くを望む。
エリュガレスがある地域は地形の関係上、朝も昼も夕方も常に薄暗かった。太陽はほとんど差さないし、もちろん夕日だって拝めない。
そんな空を見ながら、龍太郎は言った。
「そういう考え方も、アリかもしれない」




