城の外にて 2
「なんだこれ……」
俺は眼前を覆わんとする巨大なものに驚愕していた。それは全面灰色で、無機質と有機質の狭間にいるような空気を漂わせる。獣道の中に突如現れたそれは、紛れもない鎧をまとった石の巨大人形、ゴーレムだった。
ゴーレムがなぜこんなところに配置されているのか、そして誰の所有物なのか、そもそも誰の所有物でもないのか、何もわからない。鎧を着ているため、このゲームの世界に伝説として語り継がれている『魔龍騎士』なのかもしれない。もしそうなのだとしても、なぜここにあるのかという理由は説明できそうにない。
そんな俺の疑問をかき消すかのように、天を割らんばかりの狂気に満ちた声と大量の足音が響いてきた。
「う、うわああああ!」
人の声。俺が今まで聞いていた声だって、悪魔とは言えども比較的人間じみた声色だった。だが今聞こえた悲鳴は、紛れもない人間の声だった。
俺はビクッとして咄嗟に気の陰に隠れて、声がした方の様子を伺った。
見ると、何やら茶色いレザーマントを着た若者や、胸や腰周り、肩辺りだけを守るように作られた、ゲーム言うところの軽鎧なるものをつけた若者たち数十人が、奥の獣道から先ほど聞いた悲鳴を上げながら突如飛び出してきた。
「冒険者か……!」
冒険者は皆キャラエディットを施しているせいで年齢までは判別つかないが、その内四人ばかりの人数で構成されたひとつのパーティは逃げ回る他の面々と違い、全員慎重に一歩々々と何処に向かうのかすら知れない赤子のような足取りで森の中を進む。
そのまま様子を見ていると、なんと、今までは全く現れなかった敵MOBがポップし始めた。
何もなかったはずの空間から、粒子が集まるようにして一匹の狼型MOBを形成する。ネームは『ハウンド・ウルフ』。
眼前の新米冒険者たちは出現の瞬間こそ驚いたものの、すぐさまそれぞれ自分の武器を手に取りあっという間に陣形を作った。さすがゲーマーである。
「ユウタは片方のウルフ抑えて! ミカはユウタの支援に! カグヤは私と一緒にもう一体を迎撃!」
リーダー然としたひとりの女子が指揮を執る。それに反発することなく、残りの三人は適地につく。
ユウタは自分のクラスである【タンク】のスキルを活かして、ハウンド・ウルフの怒値を集めるために執拗に攻撃を叩きこむ。本来ならば【タンク】が怒値を集めて背後のアタッカーが攻撃を加えるのだが、小型のMOBであることに加えてクラスに偏りがあるのかユウタがハウンド・ウルフのHPをごりごりと削っていく。
目の前のパーティの構成は、壁役【タンク】のユウタに回復補助【ヒールマスター】のミカ、多彩な攻撃方法が特徴的な【バーサーカー】カグヤ、そして司令塔役【コーディネーター】のエリンという構成である。
戦いを見るに、エリンとユウタはMMORPGに随分と慣れており、逆にカグヤとミカは危なげながらも必死に食らいついている。
俺はこの四人を使ってこのゲームの特徴でもあるクラスとスキルの把握に全力を注いだ。
【タンク】は見る限り、怒値を集めるスキル《アンガー・ポイント》、ダメージも悪くないがノックバックが追加効果としてあるスキル《クラッシュ・インパクト》を使えるようだ。一般的なタンク系と変わらないな。
【ヒールマスター】は文字通り回復を専門とするようだ。ハウンド・ウルフが時々やってくる毒の牙による攻撃で毒を受けたユウタを、《リカバー・シャワー》で回復させる。体力が減ればスキル《グリーン・ヒール》を使って体力を維持する。どうやらこのスキル、回復量が少ない代わりにヘイトが集まりにくいようだ。現に十回近く回復しているが、一向に怒値がミカに向いていない。
【バーサーカー】は前衛職で、武器をまるで自分の体の一部のように自由自在に攻撃するといったようなスキルが目立つ。《イクイップ・ブーメラン》は持っている武器をブーメランのように投擲して攻撃する。投げた武器は戻ってくるので、ダメージを受けたくないときは優秀そうだ。
【コーディネーター】は後衛職だが、【ヒールマスター】と比べると補助能力に劣る。その代わりに、パーティ全員のステータスを一瞬で把握するスキル《ライブラ・アイ》を持っている。このゲームはこういったスキルを使わないと戦闘中に全員のステータスを把握することはできない。
このゲームのクラスで特徴的なのは【バーサーカー】と【コーディネーター】だろうか。俺は前衛苦手だから【コーディネーター】がいいな。
そう考えながら、俺は何気なくメニューパネルを呼び出すと、自身のステータス画面へと移行する。
「あれ?」
画面を見ていた俺は、二つの疑問にぶつかった。まずひとつ目、俺のステータス画面のクラス欄には【ヘッドクォーター】と【キープレイヤー】の二種類が鎮座していること。
そしてふたつ目は、クラス名をタッチすることで移行できるスキル欄だ。通常スキルは、敵を倒すともらえるSPを使って覚えていくが、最初からでもちゃんと戦えるようにこの時点でスキルのひとつやふたつは獲得しているはずだ。
現に、今も戦っているパーティはおそらくこれが初戦闘なのでこの理屈が通る。
だが、俺の視界にある【キープレイヤー】のスキル欄には何ひとつとしてスキルが表示されていない。【ヘッドクォーター】には《キープ・ザ・アームドフォース》と《エリア・ヒール》の二つがあるのに。
今は、まぁ【キープレイヤー】がそういうクラスなんだと割り切るほかないが、【キープレイヤー】という綴りが気になる。何か重要な立ち位置なのだろうか。
そもそも冒険者側じゃなくて悪魔側にログインして悪魔の烙印を押されてる時点で重要じゃないにしろ十分なイレギュラーか。
そうこうしているうちに、ハウンド・ウルフと戦っていた新米冒険者たちは、後から援護に来たと思われるもう二匹のハウンド・ウルフを倒し終わり、ドロップアイテムを採取していた。
と、唐突に背後から声を投げかけられた。
「おいお前、そこで何をしている?」
「うひぃ!?」
まるで三流悪役が圧倒的な力を見せつけられた時のような情けない声を上げつつ俺は飛び上がってしまった。
びっくりして心臓がばくばくと唸りを上げる。恐る恐る振り向くと、目の前には大きな双丘が存在を示していた。
「もう一度聞く、ここで何をしている?」
再び、質問を投げかけられた。今度は背後からではなく、目の前の双丘から。
「喋るおっぱいとは、興味深い」
「おいお前、どこを見ている。こっちを見ろ」
三度目の声は、双丘の上から降ってきた。
視線を上に向けると、赤髪の眼帯をしたややタレ目の女性の顔があった。
「ようやくこちらを見たな」
眼帯の女性はそう言うと、俺を近くから見下ろしていた顔を上げ、少し距離を取った。
距離を取ったことで、女性の全身が俺の視界に映る。
しなやかに美しく伸びた足は、機能性にあふれた短いスカートのせいで余計艶かしく見え、腰のラインはクビレがはっきりとなめらかにその上にある未だ存在感を放つ双丘との相乗効果でスタイルの良さを主張してくる。要するにおっぱいでかい。
薄いピンクで彩られた胸元の防具は、今にもはちきれそうな具合でぎりぎり胸を抑えている。おっぱいでかい。
左目には黒い眼帯をしており、それがキャラエディット時に選択可能であった初期装備のアクセサリであることはすぐにわかった。もう片方の目はタレ目でありながらもその瞳の奥には確かな意志が感じられる。決意を固めた者の目だ。あってるかどうか知らんが、おっぱいでかい。
一言で言ってしまえばスタイルの良すぎる姉御、といった印象だ。……おっぱいでかい。
「こいつ……マリオルさんを変な目で見やがって……!」
俺の視線に横にいたひょろっとした戦士風の男が一歩前に出ようとしたが、眼帯の女性は手で制す。
その行為ですらその豊満な胸を揺らすには十分な運動量だったらしく、ぽよんぽよんと軽く揺れる。それがさらに俺の視線を吸い寄せる。
「私はマリオル。一応、銀の氷槍というところのギルドマスターをやっている」
ギルドか。こいつらがこのゲームにログインしたのは早くて俺の少し前だろうから、さっきハウンド・ウルフと戦っていたパーティと同様にほかのMMORPGで組んでいたのだろう。
「こちらの質問に答えろ、少年」
俺の思考を遮るかのように、マリオルのクセになるかすれた低い声が響いた。
名前か、と自分の名前を普通に名乗ろうとしたところでハッと気が付く。俺はこのゲームのアカウント作成時、キャラのエディットは行ったが名前の登録はしていない。そもそもそんな場所はなかった。
しかも今の俺の格好はキャラエディット画面で設定したはずのイケメンではなく、無駄な高身長に眼鏡と猫背のダブルパンチ。現実世界の俺そのものの醜い姿だった。
「……」
「どうした?」
答えようとして踏みとどまった俺に、マリオルは心配そうに声をかけてきた。
ここで俺は本名を言っていいのだろうか。そもそも俺に名前を聞いてくるということは、マリオルのように左上部の緑色に光るHPバー上部に隣接する名前が表示されていないということだ。
だが、そんな俺の思考を遮るように、背後から複数の足音が聞こえてきた。
「な、なんだ?」
マリオルとその仲間たちにどよめきが走る。無論俺も動揺している。なになに、なんかくんの?
そして数秒後現れたのは、三人の見方を引き連れた悪魔特有の色の悪い肌に執事服を着た若い男の悪魔だった。
「はぁぁぁっ!」
執事が連れてきた鎧やらローブやらを着込んだ三人と、マリオル率いる銀の氷槍がぶつかる。それを俺は、夢でも見ているかのごとく呆然と眺めていた。
前方で戦う悪魔という肩書きを持つ人型のキャラクターたちは、驚くべきことにプレイヤーと同様クラスを所持し、スキルまで使いこなしている。
「龍太郎様、お怪我は?」
戦場から少し離れた場所でそう尋ねられた俺は、首を横に振ることで否定する。
「そうですか、それはよかった」
あまり感情のこもっていない返事をした執事は、さらに俺に質問を投げかける。
「それはそうと、なぜ城から抜け出したのですか?」
執事の俺を見るまっすぐな双眸はとても透き通っていながら、どこか暗さを感じさせるグレーの瞳。それに見据えられると、まるで心の中をジロジロと覗かれている気分になる。
俺はそれに耐え切れず、執事から目をそらして答える。
「ちょっと、確認したいことがあってな」
まさか気になっている女の子に会いにいくとか口が裂けても言えない。
「確認したいこと、とは?」
「……俺がこの世界に来た理由だ」
俺がそう言うと、執事はなぜか納得したのかそれ以上の追求はしてこなくなった。
俺との会話が終わると、執事はスキルの詠唱を始めた。執事の体が淡い青で光り、次第に足元に同じ色の紋章が浮かび上がる。
「リーダー各位に告げます。私はこれより龍太郎様をお連れして城まで戻ります。きりのいいところで戦闘を切り上げたら後は自由としますので、MOBを狩るなり採取するなりして各自時間までには城に帰還してください」
告げ終わるとコルソンの周りの青い光は掻き消え、足元の紋章も無くなった。
「さて龍太郎様、戻りましょうか」
「お、おい! 連れてきた他のやつらは置き去りか?」
「ええ、彼らが個人で動くときは基本的に自由行動としていますので。それぞれ城に在住する私たちの兵たちのリーダーなので実力に関する心配はいりませんよ」
それだけ言うとこちらの反応など気にせず再び別のスキルの詠唱を始める。こいつもクラスとスキルを持っているようだが、クラスの詳細が全くわからない。
そんなことを考えていると、俺の体が白い光で包まれる。
しばらくすると俺の体は完全に白い光に覆われ、空気に溶け込むように消えた。
「ひゃァっはぁ! オラオラどうしたァ!」
「ふんっ、こいつ戦闘狂かよっ」
目の前では次元の違う戦闘が繰り広げられていた。戦っているのは我がギルド、銀の氷槍のサブリーダー、エスオだ。
そして彼の相手をするのは、今しがた執事の悪魔が引き連れてきた金髪の少年。歳は見た限り高校生くらいだが、その手に持つ二本の曲剣を自在に振り回し、エスオを翻弄する。
エスオの今の武器は大ぶりの斧なので、手数の多い金髪の彼とは相性が悪い。さらに、このゲームの戦闘はVRよろしくリアルの反射神経を問われるのだが、目の前の金髪の彼はエスオの運動神経をはるかに凌駕しているようだ。
そしてクラスの概念。エスオのクラスは【ウォーリア】、金髪の彼のクラスは【ブレイダー】。普通ならば怒値を集めてくれる【タンク】の背後から攻撃を加えるのが仕事の【ウォーリア】には大ぶりなスキルが多い。よって、PvPを苦手とする部類に属する。
対して【ブレイダー】はよく動くスキルが多いためリアルの反射神経が一番必要となるクラスではあるものの、戦闘に関してはトップレベルのクラスである。
「はぁっ――《イリーガル・ラッシュ》!!」
エスオの体から弾けるようにして光の粒子が飛び散ると、スキルが発動する。大振りな斧とは思えないような、それこそ名前の通りのチートかと思うようなまでの連撃を金髪の彼に浴びせる。
だが金髪の彼はそれをギリギリのところで上手く躱すとすぐに反撃の姿勢に入る。
「ククッ、なかなかいい攻撃するじゃん。でも、まだまだだね。《セブンス・スラッシュ》!」
目には目を、連撃には連撃をを忠実に、金髪の彼は連撃スキルで対応する。エスオは斧を体の前で構え防御の姿勢をとり、一段目の斬撃に向けて斧の腹を押し出す――
「ダンタール! その辺にしておけ!」
二人が戦う奥から、男の声が響いた。声の主は、全身に鎧を着込んだ【タンク】クラスの茶髪青年風の悪魔族。彼の声が響いた途端、ピタリと金髪の彼の動きが止まる。
「チッ」
金髪の彼は舌打ちすると、振りかざしていた剣を腰に据えた鞘に収めた。
「うるせぇやつだな、相変わらず。久々の互角の戦いなんだ、邪魔しないで欲しいぜ」
金髪の彼は身を翻すと動きを止め、顔を少し横に向けてエスオに語りかける。
「まぁまぁ楽しかったよ、そのレベルで俺っちとやり合うなんてね。また殺し合おうや」
それだけ言って彼は茶髪青年の下に駆けていき、次第白い光に包まれてその姿を消した。
「ふぅ」
エスオはいささか疲労したという顔で斧を仕舞う。
「あの金髪の少年、只者ではないな」
マリオルのその言葉にエスオは頷く。
「ああ。それとマリオル、すまないな手を出すなとか言っちまって。それなのに危うく返されるところだったし」
エスオは申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、別にいいさ。正直あの戦いについていけると思えないしな。それにしてもエスオはリアルでも運動神経はうちの大学一なのに、それを越えるとは」
「正直俺も驚いた。相性が悪いとはいえ俺はかなり本気だったんだがな。相手さんはどうやらお遊び程度だったらしい」
やれやれと肩をすくめる。傍から見ていたら、お互いに本気の斬り合いだと言われても疑わないのだがどうやら違うらしい。
「それよりマリオル。あの彼はどうだったんだ? 何か気になることがるんだろう?」
マリオルが偶然見つけた根暗そうな彼。名前はなぜか表示されず分からなかったが、明らかにイレギュラーな存在であることは感じた。
なぜなら、マリオルを含めた冒険者のような格好をしていないからだ。
クラスにそれぞれ設定されている服装。それはそのクラスのプレイヤーが着る服の基本形となり、装備できる服は基本的にそれに準ずる形となっている。
だが彼は、現実世界で売っているような服を何故か着ていた。理由は全くわからない。キャラエデイット画面にそんな装備のクラスも無かった。
マリオルは彼を見つけた瞬間、えも言われぬ感覚に襲われた。彼がなぜか、このゲームを左右する存在のように感じて。
だから声をかけた。まぁ、結果彼から名前すら聞くこともできずに先ほどの悪魔族たちに連れ去られてしまったが。
「彼から直接聞いたことは何もないが、予測、確定していることはある」
そう、彼の口から零れ出ずとも彼の周りの様子を見ていればそれはわかった。
「恐らく彼はプレイヤーという立場でありあながら、悪魔族側のプレイヤーだ。私たち龍戦士族側とは違う、な」
エスオも同じ事を思っているのか、マリオルと同じく彼が先ほどまでいた場所を見る。
「悪魔族側のプレイヤーか……」
エスオはため息混じりに言う。正直、彼がどうやって悪魔族側についたのかは見当もつかない。インストールやログインの際に何かの障害が生じたのだろうか、それとも悪魔族にいいようにしてやられているだけなのか。
どちらにせよ、今度彼と会うときは面と向かってしっかり聞き出さなければならない。
彼がこのゲームのキープレイヤーであると感じた自分の感覚を信じて。