ログインにて 2
高鳴る胸の鼓動を抑えながら、俺は見渡す限りの悠久の大地や広大な海原、活気に満ち溢れる街々を想像しながらその目でデビルズ・コンフリクトの世界を視界に収めようとまぶたを上げた。
…………は?
目を開け見た世界は、見渡す限りの悠久の大地でもなければ広大な海原でもなく、はたまた活気に満ち溢れる街々ですらなかった。
空は雷雲で覆われ、視界に入る山々は鋭く尖っている。そして何より、俺が今いる場所だ。俺の自室よりもはるかに大きい部屋で、俺が横たわっていたベッドは黒で統一されている。
部屋の中はやけに暗い色で統一されており、それ以外は赤や紫で彩られている。棚の上にはやたら禍々しいツボがいくつか置いてある。インテリアのつもりか? それにしても趣味が悪い。さらに洋服がけにはマントが掛かっていた。マントって……。
俺がわけも分からずいると、部屋の外がガタガタと騒がしくなり始めた。
なんだ? と入口の方を見ていると、勢いよく扉が開け放たれた。
「坊っちゃん!!」
そう叫んで入ってきたのは御年七十近いのではなかろうかという老人だった。その老人は年齢に似つかわしくない黒基調のやけに派手な服と……マントをつけていた。
なに? このゲームマント着ないとダメなの? なんか俺の横にあるマントが「着てくれよー」と言っているようにすら思えてきた。
俺が呆気にとられていると、そのご老人はとんでもないことを言い出した。
「ようやくお目覚めになられましたか! さあ、冒険者どもを蹴散らしてまいりましょう! 龍太郎坊っちゃん!」
は? 今なんて? なんでプレイヤーもとい冒険者の俺が冒険者蹴散らさなきゃならんの? PvPでもすんの? 冒険者どもを蹴散らそうとするのは悪魔たちだけでしょ?
そこで俺は気付いた。冒険者を倒すことを目的としているのは悪魔側。それはゲームの内容やアナウンスの言葉から確定だ。だが目の前の、俺のことを坊っちゃん呼ばわりするこの老いぼれは、おそらく味方だが、冒険者を蹴散らすなどという虚言を発している。
俺は確かにログインしたはずだ、このゲームに。間違いなく。だが、“本当にプレイヤー側にログインしたのか?”
その疑問が俺を揺らす。非常にありえない事態だとは思うのだが、そうでもしない限りはこの状況を説明できそうにない。さらに皇の言っていた“特別製”というのも引っかかる。
俺は恐る恐る、目の前でそのしょぼくれた目を爛々と輝かせる老いぼれに問う。
「……ひとつ聞くが、お前は“悪魔族”か?」
その問いを投げかけられた老いぼれは、爛々と輝かせていた目を細め、怪訝な顔をして答える。
「……? もちろん、私たちは悪魔ですが……」
…………………………。
………………………………。
……………………………………。
はあああああああああああああ!?!?!?!?
なんで!? なんでなんで!? なんで俺駆逐される側にログインされちゃってんの? 招かれちゃってんの?
このままじゃ冒険者側にいる俺と同じ廃ゲーマーたちに文字通り駆逐されるの確定だよ!? 俺一人じゃ大人数の廃ゲーマーどもを相手にするのは無理だよ!? 多勢に無勢だよ!?
皇のヤロォ……! 特別製ってまさかこういうことかぁ……!? なにが「“この”デビルズ・コンフリクトは特別製」だよ! どこが有利になってるんだよ! 逆に超不利じゃねぇか!! チキショウ! ログアウトしてやる!
俺はラノベで得た知識から、見よう見まねで空中で片手をスナップをきかせて振る。すると俺の思惑通り、メニューパネルらしきものが出現した。
それを見た老いぼれは少し驚いたようだったが、すぐに小声で「さすが救世主様だ……」などとボソボソ呟き、ひとりでに納得していた。
俺はそんなことに構わず、そのメニューパネルからある項目を探す。
「こんなバグ、すぐログアウトしてケアしてやる……!」
ログアウトして機器を再起動すれば治るだろう。いや、治ってくれよ。
俺は心底腸の煮えくり返っている状態で必死にログアウトボタンを探す。だが……。
「無い……?」
再度念入りに探す。だが、そのパネルのどこにも「ログアウト」の五文字は見当たらなかった。
ここで思い出す。ラノベで何度も読んだ、「ログアウトできない」設定を。
「嘘だろ…………?」
このゲームを作っているということは、少なくともVRMMORPGを題材とした数々の作品の存在を知っているはずだ。
そしてその数あるVRMMORPGを題材とした多くの作品は「ログアウトできない」もしくは「意図的にゲームの中から脱出できない」という設定をとっていた。まさか、それを本当に現実のゲームに組み込んだっていうのか?
そんなことしたら、このゲームの開発者は今、現実で何をされているかわからない。少なくとも、俺を含めた何千万人といった人口を一挙に監禁しているようなものだ。無期懲役とかになってもおかしくない。
そしてこの「ログアウトできない」という設定に金魚のフンのようにして付きまとうことが高確率で考えられる設定がある。
それは「死んだら二度と復活しない」だ。
大抵のMMORPGは通常、プレイヤーキャラクターがHPバーの残りをすべて無くすと自動的に自分が設定したホームポイントで復活する、という仕組みを取っている。
だがこの「死んだら二度と復活しない」とは、文字通りのことである。死んだら二度と、俺らの前には姿を現さないのだ。どこに行ったかもわからない。わかるのは、死んだ本人だけ。
要するに、現実世界での「死」と同義なのである。
もしこのゲームがその作品らの影響を受けて「ログアウトできない」設定をつけたのだとしたら、「死んだら二度と復活しない」という設定もつけている可能性が大いにありうる。
もちろんそうじゃない可能性もあるだろうが、質が悪いのがこの問題、試すことが実質不可能なのだ。
もし自殺して、自分のHPバーを削りきったとして、本当に「死んだら二度と復活しない」が設定されていれば、そこで俺の人生は文字通り終了なのである。
俺は体中の血の気が引いていくのを感じていた。こんな馬鹿なことをする輩が本当に現れるなんて。こんなことをしたらただで済まないなんて、小学生だってわかる。
同時に俺の腸は再び煮えくり返っていた。今度の憤怒のワケは皇にしてやられたからではなく、一挙に俺を含めた何千万人もの無実の人々をデビルズ・コンフリクトという名の巨大監獄に押し込めて、自分たちだけ高みの見物をしているということに対してだった。
もうすでに政府が動き、総力を挙げてファンタジスタリバー社を弾圧しているかもしれない。それでも、奴らが俺たちをここに押し込めた事実は拭われない。俺たちがここから出られる保証はない。それに、それを確認する術も今は持ち合わせていない。
だが、煮えくり返っている俺の腸とは裏腹に、頭は異常なまでにクリアだった。既に冷静にこの世界からの脱出法を考えている自分がいる。
いつまでも卑屈になっているわけにはいかない。このままじゃ俺たちは一生この世界で暮らす事になる。……特に俺は悪魔側で。
そんなのはぜっっったいに嫌だ。誰がなんと言おうとここから脱出してやる。
それに、俺にはまだ希望が残っている。微かに輝く、確証も何にもない、可能性だけが無限に存在する希望。
「有利……」
そう、皇は言った。この特別製デビルズ・コンフリクトはゲームを進めるにおいて、有利に進むかも知れない、と。
俺はその言葉がどうしても百パーセント嘘とは思えなかった。まぁ今の状況が状況なので、本能が嘘と思いたくないと叫んでいるだけかもしれないが。
それでも、俺はその「有利」という二文字にかけるしかなかった。右も左もわからない今、唯一わかる、俺だけが“特別”という状況。
そしてそれを行動の原動力に、悪魔側のプレイヤー、釘丘龍太郎はこのゲームから“抜け出す”ことを決意する。