進化
エクライネス周辺に隆々と連なる山岳地帯。山肌は緑が美しい森林で覆われ、木々の合間を鳥たちが飛び交う。
しかし森林で覆われているはずのこの山岳のある一角だけ、まるで禿げてしまったかのように、円形にぽっかりと開いている場所がある。
そしてその場所には今、睨み合う二人の男女のただならぬ雰囲気が充満し、さらに赤紫へと変色した空と相まって異常な空気が辺りを渦巻いていた。
「……ますます欲しくなっちまうな」
睨み合う男女のうち男の側、ビレト・マースナーが口元を愉しそうに歪めながら言った。
それに反応して、ビレトと睨み合っていた女性、アスカが、こちらもまた、愉しそうに口元を曲げて言う。
「あら、それは所謂告白という類のものかしら? ……もしそうなら、ごめんなさい。あなたみたいな話も聞けない男の人はお友達としてもちょっと……」
「口が減らねえな、あんた。ま、そういうのもいいと思うけどよ」
互いの距離は約三十メートル程度といったところ。二人の間には血溜りが出来上がっており、上空の赤紫に染められた雲を反射して映す。
アスカは持っていた細身の刀を構え直し、三十メートル先で笑みを浮かべるビレトに向ける。
「さて、そろそろ本題と行きましょうか。あなたさっき古代竜を貰っていくと言っていたけれど、あたしたちもあの竜に用事があるの。横取りはいけないわよ?」
「人間族のやつらを使って古代竜の居場所をあぶり出させといてよく言うぜ」
「……見ていたのね? それなら尚更、あなたの性根が腐ってるとも言えるわ。それにこの案は私が出したんじゃない。勘違いしてもらっても困るわ」
「言い訳に過ぎねぇな」
ビレトは依然として捕らえた古代竜を手放す気がないようだ。
それを察したアスカは一拍置くと、小さく息を吐き、言葉を重ねた。
「……仕方ないわ。あなたとあたしの“決闘”で勝負をつけましょう。勝った方が古代竜使用の権利を得る、でどうかしら?」
決闘という単語に、ビレトの眉がぴくりと動く。
「決闘ねえ……。ま、俺はあんたを殺しはしないさ。殺しちまったら、軍まで持って帰れねえ。条件に文句はない」
ビレトはクイッと肩を回し、首を鳴らした。どうやらやる気は満々なようだ。
アスカは素早くメニューパネルを出すと、それを操作する。
「……やっぱり、“あいつら”と同じか」
ビレトがぼそりと呟いた。しかし互いの間は三十メートルも開いているので、アスカには聞こえていない。
「やる前に、公平を期すための審判を付けましょう。セーヴさんがいるけれど、ひとりじゃ心許ないし。……あなたたち! いつまでそこにいるの?」
アスカが木々の奥に向かって呼び掛けると、今まで木々の裏で突撃の機会を窺っていた智代理、ユカリ、シュン、カエデが姿を現した。
「おうおう、お前らも百鬼旋風のメンバーさんか? 今まで隠れてるたあ、いいご身分だ」
「あなたたちの言い合いが恐ろ……すごくて出られなかったからでしょ!」
カエデが肩を揺らして抗議した。途中で言葉を濁したのはアスカの強烈なひと睨みがあったからである。
「さて、これで審判は合計五人ね。それじゃあ始め……」
「……ちょっと待て」
背後から、生気の感じられない声が投げかけられた。アスカは目を丸くして少し驚いた表情をしてみせる。
「あら、ようやくお目覚めかしら?」
「俺にもその戦い、見届けさせろ」
フラフラと立ち上がった龍太郎の眼付きは真剣そのもので、ふざけて言っている様子ではなかった。
「……審判が多いことに越したことはないし、いいわよ。あなたも、いいわよね?」
「ふん、好きにしな。俺はもうそいつに用はない」
ビレトは少しぶっきらぼうながらに承諾した。
▼▼▼
静寂する空間。山がそびえ立ち並ぶ山岳地帯にぽっかりと開いた大穴のような平面に今、痛いほどの静寂が広がる。
この嫌なくらいの静寂と赤く染まる空が、まるでこの世の終わりを演出しているようだ。
「戦う前にひとつ、いいかしら?」
「なんだ?」
ビレトは得物である長剣を身構えたまま、アスカの言葉を待つ。
「あなたはなぜ、古代竜を必要としているの?」
それは、悪魔族であるビレトが乱入してきてから、アスカが抱えていた疑問だった。
この近辺に悪魔族の拠点都市があるのか、それとも、単なる遠征で近くまで来たのか。
はたして、ビレトはアスカの問いに対して鼻で笑ってみせた。
「古代竜なんざ、俺はどうだっていい」
「……え?」
予想の斜め上の回答をされたアスカは、すっとんきょうな声を上げてしまった。
「ただ単に、この古代竜の噂を使って、お前たちと戦う口実を作った。それだけだ」
向かいで長剣を構える茶髪の悪魔族の男は、何の気なしに、そう言ってみせた。
しかし、それはそれで、また別の疑問が生まれる。
「それなら……なぜ、“私たちの実力を測る必要”があるの?」
しかしてビレトは、その問いに答えることはなかった。
代わりに、虚空を長剣でひと撫でする……直前に、ビレトの体から弾ける粒子。
――そう、スキル発動の合図だった。
「っ!」
アスカは咄嗟に右手へ回避行動を取った。瞬間、今までアスカがいた位置に、まるで細く鋭利なもので抉られたような窪みができる。
「躱したか」
ビレトはそう言うやいなや、地面を力強く蹴る。
かなりの速度。二足歩行生物が出せる速度とは思えないような動きで、空を裂かんばかりに迫ってくる。
「おらっ!」
ビレトが振った剣先には、赤い光が宿っていた。アスカはそれを知っている。デビルズ・コンフリクトの時に【タンク】クラスのプレイヤーが使用していた《ワンポイント・アタック》というスキルだ。《ワンポイント・アタック》は、スキルの有効範囲が赤く輝く剣先のみと少ないものの、そこを当てることができれば、怒値を大幅に稼ぐことが出来るうえ、絶大なダメージをも与えることが出来る。
アスカはそれを再び回避しようとするが、ビレトの速度が速すぎる故、回避は不可能だった。
既に剣先はアスカの左肩を目掛けて突き進んでいる。この距離では、刀で弾くことも不可能だ。
「――っ!」
ビレトの剣が、アスカの肩を貫いた。視界左上のHPバーが、一割と少し減少する。
しかし、貫かれたはずの左肩に痛みはない。それどころか、傷一つすらついていなかった。
アスカはここで確信する。戦いの際の仕様は、デビルズ・コンフリクトであった時と同じだということに。
「同じだとはわかっていたが、実際目の前でやられると腹が立つなっ!」
ビレトは険しい顔つきになって再度突進を試みる。今度はアスカもビレトの動きを観察し、的確な位置に回避する。
両者の間は、二十メートルほどになった。
「同じ、とはどういう意味かしら?」
「残念だが、俺があんたの質問に答えるのはひとつまでだ」
間髪入れず、ビレトは再び突進を繰り出す。よく見れば、足を黄色いオーラがまとっているのがわかった。
(もしかして……身体強化スキル……?)
長剣が、再びアスカを刈るためにその刃を向ける。今度は十分な距離があるため、刀を軌道に合わせて弾く。
「はぁっ!」
今度は、アスカからの突撃。勢いよく蹴り出し、頭の中でスキルのイメージモーションを行う。
刀を持っている方とは逆に引き、手首を捻るようにして右上に一閃。アスカの脳内に、鮮明にスキルのモーションが描かれる。
そして、アスカの体から赤色の粒子が弾けた。
「《龍炎》!」
アスカの刀に龍のような炎が巻き付く。それは次第に刀を包み、刀身と成る。
頭でイメージした動きを体現。体はアシストを受け、スムーズに次の動作、次の動作へと移行してゆく。
「ちぃっ!」
避けきれないと判断したビレトは、もう片方の手に持った盾を身の前に滑らせる。
炎に包まれた刀と、金属製の盾が衝突する。瞬間、金属の溶ける匂い。当然の如く、ビレトの盾は炎の熱力を前にして溶解を始めた。
ビレトは盾が溶けきる前にアスカの刀を力づくで弾くと、盾を投げ捨て、両手で長剣を持ち、横薙ぎで振るってくる。
アスカの視界に長く伸びる剣先が映る。その剣先には、未だ光る赤い輝きが残っていた。《ワンポイント・アタック》の効力は、どうやらまだ切れていないようだった。
迫る刃。それはアスカの持つ刀を狙っているようで、どうやら武器を破壊することによる無力化をこの男は狙っているようだった。
再び訪れる危機的な状況。先ほどはアスカ自身に対する一撃だったためにHPバーの減少で済んだが、今回は武器だ。もし武器が破壊されてしまえば、投降する他ない。
――はたして、アスカは、まるで戦いが始まる前に見せていた、愉しげな笑み……獰猛な笑みを見せていた。
「クラスエヴォリュート:【ケンゴウ】」
瞬間、アスカの体はとてつもないちからの奔流に包み込まれた。
まるで小さな竜巻にも似た現象がアスカを飲み込み、アスカを守り、そして隠しているかのようだった。
その衝撃で、否応になく、ビレトの長剣は弾き飛ばされる。
「なっ――!」
「残念だけれど、あたしは倒れないわよ?」
そう言って竜巻にも似た波動から再び姿を現したアスカは、赤い着物を身に纏っていた。
いや、赤いというよりは、朱い、と言ったほうが正しいだろうか。まるで太陽の如き色合いの着物を、少女は身に纏っていた。
「お前っそんな装備どこから……」
「今説明しても、どうせあなたには判らないわ」
アスカが地を蹴る音。しかしそれは先ほどビレトが発した音とは比べ物にならず、まるで何かが爆発したような音にも聞こえた。
「っ!」
そうして、ビレトの眼前に一瞬の間に現れたアスカ。その手は既に、刀を振るっている。
ビレトは咄嗟に剣で弾く。しかし弾いた箇所が悪かったのか、ビレトは大きく体勢を崩した。
足に力を入れ、体勢を立て直す。しかし眼前には、再び彼女の姿が。
「遅いわ」
一閃、ビレトの体を切り裂く。鎧と鎧の間をすり抜け、肉体へ斬撃を浴びせる。
「がああっ」
体に走る一瞬の痛み。しかしビレトの肉体には、それほどのダメージしかない。まるで、とてつもないまでの自然治癒能力を持っているようにも思えた。
体勢を立て直しきったビレト。そしてここから、二人の激しい斬り合いが始まる。
虚空を飛び交う無数に重なる斬撃の軌跡。それはだんだん密度を濃くし、二人を包み込む。
約五分ほど、互いの斬撃を自らの斬撃で切り返す戦いが続いた。しかし、次第一方の軌跡が動きを鈍らせ始めたのが判った。ビレトだ。よく見ると、彼の顔にも疲労の色が見える。対してアスカは、まだまだ余裕の表情だ。
(こいつ……一体……? 俺はあんな文禄信じちゃいねえが……信じるしかないのか?)
ビレトがさらに剣の動きを鈍らせた。アスカはそれを見逃さない。
「これで終わりにしてあげるわ。《永流斬・風月》!」
アスカの体から、薄緑の粒子が弾け飛ぶ。そして、ビレトの持つ長剣目掛けて、振り抜いた。
刀は綺麗な三日月の軌道を描き、ビレトの身の丈ほどもある長剣を真っ二つにした。切断された剣の先が、宙を舞って地面に突き刺さる。
そして、訪れる静寂。アスカの服装は変化前の着物の状態に戻り、こう言い放つ。
「あたしの勝ちね」
「…………はっ」
呆然としていたビレトが、諦めたように笑った。
▼▼▼
戦いの後、審判の役目を負わせていた智代理に抱きつかれた。アスカの腕の中に収まる彼女は今にも泣き出しそうで、心配をかけていたことを再確認した。
他のメンバーも一様に安堵の表情を浮かべており、アスカは内心で「そんなに心配しなくてもいいのに」と呟いた。
龍太郎はと言うと、既に落ち着きを取り戻しており、今では、地面に座り込むビレトに色々と問いただしていた。
「お前ら悪魔族の目的は、一体何なんだ」
龍太郎が、ビレトに問いた。しかし彼は俯くままで、何も答えようとはしない。
「おい、何か言ったら――」
「何も知らねえさ」
ビレトが吐き捨てるようにぼそりと呟く。
「何もって……お前、守護隊とかいうところのリーダーなんだろ? なら何も知らないことはないだろ」
ビレトは驚きの表情で龍太郎を見上げ、何を悟ったのか、含み笑いをした。
「……本当に、文禄通りなのかもな……。もう一度言うが、俺は本当に何も知らない。俺を含め、他の隊のリーダーも知らないだろう。知っているのは上の方の奴らだけさ」
そして、自らを蔑むように、言葉を重ねる。
「俺たちは上のやつらに操れてる、ただの駒だ」
「……!」
駒。その言葉が、龍太郎の胸の中へと染み込む。その一文字が、かつて自分が犯した過ちを思い出させる。
「龍太郎くん……?」
気付けば横には智代理がいた。彼女は心配そうな顔で龍太郎を見上げている。
「いや……何でもないさ」
龍太郎は言葉を濁した。そうだ、まだ言うべき時ではない。いつか必ず、もっと言うべき時が来るはずだ。
「お前たちの目的が何だか知らないが、これだけは言っておく。……自分のことを駒だなんて言うな。お前たち自身が言いだしたら、そこで終わりだ」
ビレトは、龍太郎の言っている意味がわからないようだった。しかし、今はこれでいいと思う。
――それからビレトは、後からやって来た自分の部隊に転移系のスキルを使わせ消えてしまった。恐らく、この世界のどこかにあるという、悪魔族の蔓延る都市に戻ったのだろう。
「ね、龍太郎くん」
ビレトが去った後で、智代理がちょいちょいと服の袖を引っ張ってきた。
「どうした?」
「なんでさっきの悪魔族の人は、私たちみたいにスキルが使えたのかな……」
「龍戦士族も使ってきてたし、この世界ではこの二大種族は使えるんだろう。……聞く話によれば、デビルズ・コンフリクトだった時代も、龍戦士族はスキルの類を使ってたんだろ?」
「確かに使ってたね。今でも鮮明に覚えてるよ……」
会話を聴いていたらしいカエデが身を震わせながら言った。
もしこの世界がデビルズ・コンフリクトの世界と何らかの形で共有、もしくは共通しているのならば……。
龍太郎の中で、ひとつ仮説が作り上げられる。しかしそれはまだ、ギルドメンバーに向かって言えるほど、信憑性を持っていない。
「まあ、とりあえず今は……」
龍太郎は、地面に倒れる古代竜、宝龍イグナートを見やる。イグナートは先ほどビレトの魔の手から解放されたばかりで、体力を消耗しているようだ。この状態ならば、話をするくらい容易いだろう。
「こいつから、色々と聞き出さないとな」




