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商業都市エクライネス

 商業都市エクライネス周辺に存在する山岳地帯。そこには、かつて封印されたという古代竜が存在するらしい。そんな噂を聞きつけた人間族の狩猟部隊がいくつもその山岳地帯に足を踏み入れていた。

 ――噂の発端から一週間。未だ古代竜をその目で見た者はいない。




「もう歩きたくねぇ……」

 龍太郎と智代理率いるギルド百鬼旋風一行は、暗く深い谷底を延々と歩いていた。両サイドは見上げるほどに高い絶壁、足元は大小さまざまな岩だらけ。本来人間が歩くに適していない土地だ。

 弱音を吐く龍太郎に、先頭を歩くアスカは叱咤の声を投げる。

「歩かなくていいわよ? 置いていくから」

 龍太郎の方を見ることもなく、そう告げるアスカ。二人の中間に挟まれる形で歩く智代理は、あたふたと二人の仲を取り持とうとする。

「ね、ねぇ、アスカちゃん? 私もそろそろ疲れたし、少し休みたいかな~って……」

「智代理。あなた、まだこの男の肩を持つの? こっちの世界に来てからも、ゲームの中だった時と疲労の仕様も同じよ? あんまり疲労が溜まらないはずだけど……」

 そういうアスカの主張の横から、カエデが発言する。

「でもさ、アスカ。もうなんだかんだで三時間以上は歩いてるよ? いくら疲労が溜まりづらいとはいえ、着実に溜まっていることは確かなんだから、そろそろ休んでもいいんじゃない?」

「カエデ……でも……」

 アスカは心の中で理解している。智代理の体は休息を求めていることを。高校に入って智代理と知り合ってからずっと彼女を見てきたアスカには、ゲームの世界に入っても、異世界に飛んだとしても、それくらいはお見通しだ。

 だが、アスカは焦っている。

 ではなぜ、彼女はそんなに焦っているのか。

「古代竜、探さないと……」

 そう。今いるこの谷底は、古代竜がいるという噂がある山岳地帯のすぐ近くなのだ。それこそ、もう歩いて二時間ほどで着く。

 噂によれば、その古代竜は言葉を話し、来る者に試練という形で戦いを挑んでくるという。だがまだその試練を超えるどころか誰も遭遇自体していないため、試練を越えたら何が起きるかというのはわからないらしい。

 だがアスカには、ひとつの考えがある。それは、その古代竜と対話する、という考えだ。

 この世界レーリレイスは、その雰囲気や街並み、自然の風景こそ現実世界のようなリアリティ感を出しているものの、デビルズ・コンフリクトのようにクラスの概念が存在したり同じスキルが使えたりと、ゲームのような一面もあったりする。

 レーリレイスは、まるでリアルとゲームを掛け合わせたような世界なのだ。

 そしてゲーム的に言えばこの古代竜は、山岳地帯というダンジョンのボス的立ち位置になるだろう。もしアスカが同じようなゲームを作るとしたら、そうする。山に生息する古代からの竜で人の言葉を話す。そんな設定、ボスに付けるにはもってこいではないか。

 現実で言えば、言葉を話せる相手なら対話ができる。ゲームで言えば、条件を満たすことで敵が味方になったりもする。

 この世界についてはまだまだわからないことが多すぎる。わからないことは自分で試して研究していくのが、MMOゲーマーというものだ。

「神森の言い分もわかるぞ。確かにお前の考え方には納得いくし、その可能性を試す価値も十分にある」

 龍太郎が言う。

 それを聞いたアスカは、アスカは一瞬だけ厳しい顔をした。

「……あなたに理解されても、何も嬉しくないわ」

 龍太郎は、それでも顔色ひとつ変えずに言う。

「そんなに焦らなくてもいいんじゃないか? まだ噂が立ってから古代竜が姿を現したわけでもなし。……それに、俺はお前が俺をどう思おうが関係ないしな」

「なっ……」

 目の前の冴えない男。猫背で眼鏡で無駄な高身長と他人を蔑むかのような眼付き。そして何より、智代理に手を出そうと企むこの男、釘丘龍太郎。

 アスカの憎むべき相手。アスカの嫌いな相手。なのに、それなのに。どうしても彼がいるといつもの調子が狂う。

 彼は特別なにかをしているわけではないのに。ただそこに、このギルド百鬼旋風に身を置いているだけなのに。いつも冷静なアスカは、それだけで調子が狂ってしまう。

「アスカ、ちゃん……?」

 突然そっぽを向いてしまったアスカに、智代理が心配そうに声をかける。

「……わかったわ。少しだけ、休みましょう」

 アスカは心の中で思う。釘丘龍太郎、やはりこの男だけは、放っておけない。




 アスカが龍太郎の言葉に折れ、少しばかりの休憩を挟んだ後のこと。一行は、再び谷底を歩き始めていた。

 ただ、既にかなりのペースで歩いていたために、谷底を抜け出すのはそう時間を必要としなかった。

 谷底を無事脱出した一行は、龍太郎の更なる提案により山岳地帯近辺の商業都市エクライネスに一旦立ち寄ることに。

 ……その提案が飲まれるまでに、再びアスカと龍太郎の間にひと悶着があったことは想像に難くないだろう。




「おお、なかなか賑わっているところだね」

 セーヴは、色鮮やかな装飾が施されている街並みを見渡しながら言う。確かに彼の言う通り、この都市はまるで祭りが催されているかの如き賑わいを見せている。外部の風景とは真反対の、それこそ別世界のようだ。

 それは、この都市周辺がごつごつとした山岳地帯に覆われているからというのも理由のひとつとして挙げられるだろうが、それよりも明確なのが、この人口の多さだ。

 この世界レーリレイスでは、三つの種族が主に文明を築きあげている。

 ひとつは、デビルズ・コンフリクトにも存在した龍のようなウロコを持った二足歩行生物、龍戦士族。

 もうひとつは、これまたデビルズ・コンフリクトにも存在していた額の中央部に様々な色を保持する宝石のようなものを嵌め込んだ血色の悪い二足歩行生物、悪魔族。

 そして、龍太郎たちと全く同じ容姿を持つ、人間族。この三つだ。

 先の龍戦士族と悪魔族はデビルズ・コンフリクトよろしくそれぞれ自分の拠点とする超大型都市を持っているが、それを持たない人間族はそれぞれがそれぞれの縄張りを作り、近くの人間族と共有して暮らしている。

 そしてそんな人間族が作り上げた都市のひとつが、このエクライネスだ。

 ここは都市の規模こそ大きくないものの、とにかく人口の数が尋常ではない。

 街や都市に暮らす人間族の平均人口は、約五百~千。それに対し、このエクライネスは二千を越えるという。

 これでこの都市が、レーリレイスの中でまだ二番目に人口の多い都市とされているらしいのが、また恐ろしいところである。

「龍太郎くん、この都市の信用度(トラスト)って、今いくつくらいなの?」

 今まで都市を興味深そうに眺めていた智代理が、何を思ったか唐突に龍太郎に声をかけた。

「え? あ、ああ……ちょっと待っててくれ」

 龍太郎は手首をスナップさせて、メニューパネルを表示させた。この機能も、まだこっちの世界に来てからもなぜか使える。その理由は全くもってわからないが、使えるものは使っていくつもりだ。

 メニューパネルを指でタッチしたりスクロールしたりして、目的の画面を呼び出す。

 《信用度合い(トラストゲージ)》と書かれたその画面には、左上部に商業都市エクライネスの文字と、中央に棒グラフのようなゲージ、そしてその横に22%と数値が表示されている。

 さらにその下部には、地図らしき図が展開されていて、その地図の下の方にはアルカミアの名もあり、その信用度合い(トラストゲージ)は100%を保っている。

「これ、どうやって見るんだっけ?」

 智代理が龍太郎の脇に来て画面を覗き込む。この二人の距離、僅か十五センチといったところ。龍太郎の心臓はバクバクである。

「え、あ、えーっと、これは……だな」

 龍太郎は突然訪れたラッキーなイベントにドギマギする。いや、果たしてこの程度をイベントと呼んでもいいのだろうか。

 背後からとてつもない殺気が夥しく流出されている気もするが、横で純粋な疑問を抱く智代理の気持ちを無下にするつもりもない。いや、むしろしてしまえば男が廃るというもの。

 龍太郎は冷や汗を若干掻きつつも、智代理に説明を始めた。

「ま、まずはこの上に伸びている赤色のゲージがあるだろ? これが、この都市の今の信用度(トラスト)だ」

 指で指したこの信用度(トラスト)と呼ばれるゲージは、自分が今いる街や都市及びその周辺の信用度を表している。この信用度とは文字通りの意味で、現在の龍太郎たちに対するその街の信用度を表している。

「それで、この信用度(トラスト)が上昇していくと、いろんな恩恵があったりする。例えば、街の住民たちが俺たちに積極的に力を貸してくれたりする。要は俺たちの味方みたいなものになってくれるってことだ。この信用度(トラスト)は俺たちが何らかの形で街や都市に貢献するたびに上がっていく仕組み……らしい」

 最後だけ少し曖昧な言い方になってしまったのは、これを教えてくれたのがあの銀髪の少女だったからだ。

 彼女の名はエリスというらしい。四十八日前のあの発光現象の最中、龍太郎の耳元で彼女自身が囁いた名だ。

 智代理は、龍太郎の説明を聞くなりポン、と手を叩いた。

「そっか。ということは、とにかくこのゲージを溜めていけば、そう簡単に龍戦士族とか悪魔族のいいなりにならなくなるってことなんだ」

「ああ、確かにそうとも言えるな」

 それでも、所詮このゲージは龍太郎たちに対する信用度を示しているだけなので、龍戦士族や悪魔族の配下に置かれづらくなるとは一概には言えないが。

「それじゃあ、街の人たちからの依頼(クエスト)、頑張らなくちゃね! 龍太郎くん!」

「あ、ああ。そうだな」

 智代理は屈託のない眩しいばかりの笑顔を向けてくる。龍太郎はそれを真正面から受け止められず、少し目を逸らしながら返事を返した。

「……そろそろ、いいかしら……?」

 背後から、背筋を突き刺すような殺気が感じられた。その殺気が誰のものであるかは明白で、振り向かずとも彼女がどのような顔をしてこちらを見ているかが想像できる。

 



「リーダー。どうやら、エクライネスに例の特殊能力を持つ冒険者が訪れているようです」

 額に翡翠色の宝石を嵌め込んだ、悪魔族の男が話している。男の名は、エヴィルス。

 エヴィルスの向かいに座るのは、まるで壁のような巨躯を持つ、蒼銀の鎧を着た額に赤色の宝石を嵌め込んだ茶髪の悪魔族の男だ。

 赤い宝石の男は、エヴィルスの言葉に口元を少し釣り上げた。

「ちょうどいいタイミングだ。エヴィルス、お前はベータとシグマの指揮を頼んだぞ。作戦に変更は無しだ」

「は。かしこまりました」

 そう言って部屋を出て行くエヴィルス。それを見送った赤い宝石の男は、ひとり呟く。

「さて。アルファの出撃は久々だが、幻滅させないでくれよ……?」




 龍太郎一行は、エクライネスの西側に存在する依頼所に足を運んでいた。

 理由はもちろん、信用度(トラスト)稼ぎの依頼(クエスト)を請けるためだ。

「どれどれ……」

 龍太郎は受付の女性に提示された依頼(クエスト)のファイルをペラペラと捲る。

「こういう時、本当のゲームだったらスクロールやらでパッパと見れるんだよな……」

 この世界の人間族はゲームのような魔法の類が使えない。特別な力など何も持たない、平凡な生き物だ。それでも、外のモンスターたちを倒すために所謂ところの冒険者という職業はあるらしく、こうして依頼所という施設までも存在する。

 だが、それでも龍太郎たちはデビルズ・コンフリクトで使っていたスキルやクラスが使えている。その点で、やはり謎が残る。龍太郎たちと、人間族の違いとは何なのだろうか。

 そんなことを考えつつページを捲っていると、ぴた、と龍太郎の手が止まった。

 そのページには、この都市で一番権限を持つ、ガラミア市長からの依頼(クエスト)がある。

 アルカミアでもそうだったが、信用度(トラスト)はその依頼(クエスト)が難しくあればあるほど、そして依頼主の地位が高ければ高いほど、その信用度(トラスト)が上昇しやすい。

 事実、アルカミアの姫ロークレスからの直接の依頼(クエスト)をクリアした際は、約15%前後は上昇した。まあ、そんなやすやすと権力者から依頼(クエスト)が直接来ることはないのだが。

「いい依頼(クエスト)でもあったのかしら?」

 そう言いながら、アスカが横から覗いてきた。

「見てみろ、ガラミア市長からの依頼(クエスト)があるぞ。内容は……」

 龍太郎は内容を確認するために、依頼(クエスト)の詳細部分に目を落とした。

 隣のアスカも釣られて詳細に目を落とす。

「これ……古代竜の討伐依頼(クエスト)じゃない」

「どうやら、そうみたいだな」

 詳細には黒く太い文字で、《古代竜の討伐隊編成!》と書いてあった。どうやら冒険者を募り、ガラミアの下で新たに討伐隊を編成するらしい。

 しかしこれはあくまでも隊の一員になるという内容だ。これを達成するだけでは、恐らく信用度(トラスト)が分散され、そこまでの上昇に繋がらないだろう。

 決して意味がないとは言わないが、非効率的だ。これなら、他のクエストを探したほうが手っ取り早い可能性もある。

「これだと信用度(トラスト)の上昇効率が悪いな……。なら、こっちが先回りして討伐隊が失敗するのを待つか」

「ちょ、あなた本気? これでこの討伐隊が古代竜倒したら……」

「その時は、その時だろ」

 龍太郎は軽く言ってみせた。

「でもまあ、恐らく倒せないだろうな」

「そんな根拠、一体どこから……」

「そろそろ決まったかい?」

 アスカの疑問を遮るように背後からの声がした。振り向くと、依頼所のロビーで待機させていた百鬼旋風のメンバーが揃って背後まで来ていた。

 隣のアスカは納得いかないのか、厳しい顔をしている。

「なんだい、また君たち喧嘩でもしたのかい? アスカ君の眼付きがまた怖くなってるよ」

 セーヴが呆れるように言うと、アスカはぷいっとそっぽを向いてしまった。

「あんまり気にしなくていいですよ。セーヴさんもそろそろ慣れましょう。神森明日香っていう人間は、最初から俺に対してこうですよ」

 龍太郎が皮肉交じりに言うと、セーヴは驚いたような表情をして、一瞬だけアスカの方に視線を向けた後、やれやれといった表情をして呆れ笑いのようなものを浮かべた。

「はは、龍太郎君は相変わらずだね。まあもう僕は四十八日経って慣れたようなものだけど」

「ええ。俺はそういう人間です。諦めてください」

 龍太郎はそう返すと、簡単なクエストをいくつか選び出しそれを受付に提示して受領のサインを受け取ってから、仲間と共に依頼所を出た。




 その日の夜。龍太郎たちはエクライネスのホテルにて休息を取っていた。

 レーリレイスの夜空は日本の都会で見ていた夜空と比べてとても綺麗で、それだけでここが別の世界なんだと思わせる。

「……」

 ベランダに出て夜空を見上げていたいた龍太郎は、物憂げな表情で出現させているメニューパネルに目を落とした。

 龍太郎のメニューパネルに映っているのは、昼間に智代理にも説明をした信用度合い(トラストゲージ)が載っている画面だ。

 下方にあるアルカミアの信用度(トラスト)は未だ100%のまま。正直なところ、龍太郎はこの信用度(トラスト)の意味を完璧には把握していない。

 昼間智代理にも言った通り、この信用度(トラスト)依頼(クエスト)などで上昇させるとその街や都市での待遇が上昇して融通が効くようになる、というのはアルカミアにしばらく滞在したことで判明したことだ。

 あの時エリスから聞いたことは、この信用度合い(トラストゲージ)が見れるのが龍太郎の持つ【キープレイヤー】というクラスの常時発動スキル《トラスト》であるということ。そして、彼女自身の名。それだけだ。

 この世界も、彼女のことも、そしてあのデビルズ・コンフリクトというゲームも、何もかもが謎だらけだ。謎という謎が多すぎて、龍太郎の頭の中は未だ整理が追いついていない。

 それでも、龍太郎はつくづく自分が廃ゲーマーであることを改めて実感していた。

 MMORPGに限らず、廃がつくほどのゲーマーという人種は好んで茨の道を進む。

 単純なRPGで言えば無駄なまでの縛りプレイをしてみたり、オンライン対応のゲームならば未開のダンジョンなどに入念な準備をしてから挑んでみたり、挙句の果てには自らを攻略組などと呼んで発売されたばかりのゲームを最速クリアしてネット上で自慢してみたりする。

 時間は誰にでも平等に進むのに、なぜ廃ゲーマーたちはわざわざここまでして自分から時間のかかる茨の道に足を踏み入れるのか。

 それは、廃ゲーマーにとってそれが強烈な達成感に繋がるからだ。達成難易度が高ければ高いほど、それを達成した後のすがすがしさは比例して大きくなる。

 RPGで縛りプレイをして見事達成するのも、未開のダンジョンを攻略なしでクリアするのも、新作ゲームを最速クリアするのも、全ては後に発生する莫大な達成感を味わうためだ。

 だからこそ、龍太郎は今この状況を楽しんでいる。廃ゲーマーだからこそ、この謎だらけの現状を楽しんでいる。

 この先にある達成感を想像して、わくわくしている。

「ここにいたのか」

 唐突に、背後から声がした。咄嗟のことで反射的にメニューパネルを閉じて振り向く。

「……なんだ、シュンか」

 振り向いた先にいたのは、昼間の冒険者の格好ではなくこのホテルで用意された服を着たシュンだった。

「なんだとはなんだ」

「あれ、セーヴさんは?」

「ああ……風呂に入った後、ちょっと出かけて来るって言って出て行ったよ」

「そうか」

 龍太郎はそう言うと、再び夜空を見上げた。

「それで、なんの用だ」

「別に用はない。ただ、ベランダに出てるお前を見つけたから、おやすみくらい言っておこうと思ってな」

「待て」

 龍太郎は、返事を聞くなり踵を返して部屋に戻ろうとするシュンを止める。

「なんだよ」

「……お前、こっちの世界に来てからなにか思ったことはあるか?」

「……は?」

 首をかしげるシュン。

「アバウトすぎて意味がわからん」

「なんでもいい。なにか思ったことがあるのか」

 シュンは少しだけ考える素振りを見せて唸った。

「……そりゃ思うことはいくらでもあるさ。そもそもこの世界に来たこと自体意味不明だし、今俺たちがやっていること、やろうとしていることが正しいのかどうかも俺にはわからない。ただ……」

「ただ?」

 シュンの表情には微かな笑みが浮かんでいて。でもそれは、単純な喜びからくる笑顔ではない。

「今この状況が、たまらなく楽しいんだ。この先何が起こるのかわからないのに、この表示されているHPバーがゼロになったらどうなるのかもわからないのに。……そうだ、俺はわからないことが楽しい」

 そう、今彼の顔には、目の前の困難に立ち向かうことを楽しみにしている……まるで、廃ゲーマーが見せるような勇敢で獰猛な笑みが浮かんでいた。

「ふふ……」

「なんだよ。急ににやけやがって、気持ちわりいな。お前が言ったんだろ、俺に思ったことを教えろって」

 龍太郎は、心の中で思っていた。やはりこの男も、根はゲーマーなのだ。龍太郎と、同じなのだ。

 こんなわけのわからない世界に飛ばされたにも関わらず、今ではこの状況を楽しんでしまっている。

「……いや、何でもないさ。もういいぞ、部屋に戻って」

「あ……? まあいい。俺はもう寝るからな」

「ああ」

 龍太郎は部屋に戻るシュンの背中を見送る。龍太郎と同じ、廃ゲーマーの後ろ姿を。




「さて、俺もそろそろ戻るかな」

 龍太郎がベランダに出てきたのは考え事をするためというのもあったが、風呂上がりの体を冷ますという目的もあった。

 この世界に季節の概念があるのかは今のところ確認できていないが、このところの気候は、現実で言うと夏と秋の間くらいだ。

 風が吹かなければそれなりに暑さは感じるが、吹く風は冷気を伴って体を打つ。特に夜はよく風が吹き、風呂で温められた体を冷ますにはちょうど良かった。

 そうして龍太郎が部屋に戻ろうとした、その時。

「こっちは星が綺麗ね」

 聞き覚えのありすぎる女性の声がした。

 綺麗な赤で染め上げられたロングヘアーは夜空のせいでより美しく見える。

「ふぅ……」

 隣の部屋のベランダで静かに息を吐く女性。いや、女性というには年齢が少し相応しくないかもしれない。だが、その仕草一つひとつが洗練されていて、まるで芸術品を見ているかのように錯覚させる。

 ……これが服を着ていれば、この感想だけで終わっていたかもしれない。

 このホテルの隣の部屋同士はベランダが部屋と同様隣同士に設置されている。それこそ、落下を防ぐ柵を跨げばベランダを通って部屋を行き来することだって可能だ。

 よって今は、龍太郎の数メートル先に、風呂上りでバスタオルを胸元から巻いた女性――アスカがそこにいた。

(な……タイミング悪すぎだろ……!)

 彼女はなぜバスタオル一枚という格好でこの場に現れたのか。恐らくは、龍太郎と同じ心持ちでやってきたのだろう。

 いくら相手があのアスカとはいえ、やはり女性である。この状況で彼女に見つかりでもすれば、龍太郎が悪者扱いされることは必至。

(ここは……戦略的撤退だ!)

 龍太郎は極力音を立て無いように、忍者もびっくりの忍び足で部屋とベランダを分かつ扉に近づく。

 慎重に、慎重に足を進める。一歩、そしてまた一歩と、常にアスカの動向を確認しながら扉に向かって足を進める。

 アスカはといえば、満天の星空を見上げながら風に当たっている。恐らく彼女も龍太郎と同様、湯上りの体を冷ますためにベランダにやってきたのだろう。

(くそ、取っ手は……どれだ……?)

 視線は常にアスカの方に向けているため、手探りで取っ手を探す。しかし取っての感触がなかなか来ず、一歩横に足を動かして取っ手を探る。

(確か……この辺……)

 記憶を頼りに、また一歩、足を横に動かした……その時。

 『パキッ』

 不意に、なにか乾いたものが割れた音がした。その音は龍太郎自身の足元から聞こえてきて、すぐさま確認する。

 ……龍太郎は動かしたその足で、落ちていた小枝を踏んでいた。

(まずい……!)

 一瞬小枝の音に気を取られて離した視線を急いで再びアスカに戻すと、アスカはキョロキョロと周りを見渡している。

「何……今の音……?」

 周囲を怯えるように見渡すアスカ。どうやら、彼女はまだ龍太郎の存在に気づいていないようだ。

 だが安心はできない。見つかるのもいずれ時間の問題だろう。もうこの際、音を立てようが部屋に素早く入ることを優先したほうがいい。

(くそっ……!)

 龍太郎は意を決し、すぐそこにあったベランダの扉の取っ手を掴み、やや乱暴に開けようとした――

「釘……丘……?」

 瞬間、背後から絶望と恐怖に満ちた声音が龍太郎の耳に届いた。その声に、扉を開けようとしていた手は石のように固まり言うことを聞かない。

 振り向きたくないという龍太郎の意思とは真逆に、首はその声の方に曲がらんとする。まるで錆び付いた歯車のように、ぎこちなく、ギギギ……と首が背後に回る。

「あ……」

 振り向いた先にいるのはもちろん、裸体にバスタオルを巻きつけただけの赤髪の少女、アスカだった。その顔には驚愕と恐怖とが入り混じった表情が浮かんでおり、言葉を詰まらせている。

 普段着物風のゆったりとした防具を身につけているためにあまり体のラインが出ていないが、アスカは平均の女子高生よりもはるかに美しいスレンダーな体型を所有しており、それが今では布一枚で守られているため体のラインがほとんど直に浮き出てしまっている。

 さらに湯上りということもあって、首元には僅かながら水滴が艶かしく光る。

 足元は何も隠すものなどなく、細いながらも華奢な様子を感じさせない美しい脚がしっかりと地についている。

 彼女の髪は美しいほどまでにサラサラで。夜風が吹くたびに髪はなびき、シャンプーのいい香りが鼻腔をくすぐる。

 こんな時でも冷静に観察してしまう自分がたまらなく嫌になった瞬間だった。

「あ、あ、あ……」

 当のアスカは、顔を赤く染め未だ言葉に詰まり声にならない声を発している。足は震え、動くことすらままならないようだ。

 だが逆にこれはチャンスだ、と龍太郎は思った。今のうちにとりあえず部屋に入ってしまえば、被害は最小限に抑えられるかもしれない。

 思い立ったが吉日。龍太郎は早速彼女が放心状態のうちに取っ手に手をようと手を伸ばした。

「……待ち、なさい……」

 だが、そんな龍太郎の手は扉を開くことはおろか、取っ手にすら届くことはなかった。

(なんで……体が……!?)

 龍太郎の体は、まるで筋肉が鋼鉄になってしまったかのように、扉の取っ手に手を伸ばしたまま動かなくなっていた。

 咄嗟に、唯一動く眼球だけを動かし視界の右上を見やる。するとそこには、麻痺状態を示す黄色い稲妻模様のアイコンが表示されていた。

「お、前……まさ……か……?」

 アスカのクラスである【ムラサメ】の現在判明しているスキルの中で唯一、対象を一時的な麻痺状態にする《蛇眼(じゃがん)》というスキルがある。龍太郎は、それをアスカが取得していたことを思い出した。

「……こんなのが、《蛇眼(じゃがん)》を使う初めてだとはね。でもあたしは、合法的にあなたにスキルをかけられて嬉しいわ」

 アスカは手を振りメニューパネルを呼び出すと、ステータス画面の自分のアバターをタッチして、バスタオル一枚の状態から着物風の防具と細い刀身を持つ刀を携えた冒険者の姿へと変身した。

 そして、邪悪な笑みを浮かべながら、こう言う。

「あなたが今、どんなことをしたのかっていうのを、その身をもって教えてあげるわ……」

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