葛藤、そして決意
薄暗い室内。
カーテンを締め切り、外光をほとんど遮断しているこの部屋で、智代理はひとり膝を抱えてうずくまっていた。
「……」
智代理はここ二日ほど、あのゲームにログインしていない。
デビルズ・コンフリクト。
智代理の父親である富影が開発チームに加わっている、前代未聞のVRMMORPGゲーム。
多くの者たちが夢にまで見た、ゲームの中に潜り込めるゲーム。
一体どれだけの人間があのゲームに期待しただろうか。
そして、裏切られただろうか。
味方NPCによる敵NPCの殲滅。プレイヤーである冒険者など必要ないほどの力を持ってして、敵NPCを殲滅した。
これはもはやゲームのレベルデザインの問題だと、シュンが最後に言っていたのを覚えている。
プレイヤーが存在する理由がない、そういう状況を作ってはいけないのだとも。
だが正直、ゲーム初心者の智代理にはレベルデザインなどのゲームの難しい話はわからない。だから、智代理が今こうしていることには他の理由が存在する。
領土戦争で実際に目撃した、残虐なまでの一方的攻撃。
ユカリですら見たことがないといった召喚スキルを使用し、悪魔族をなぶり殺しにしたこと。
いくらゲームの世界、デジタルの世界であっても、砕ける鎧や盾、飛び散る鮮血、轟く悲鳴は、デジタルで数値化できないほどに現実味を帯びていた。
起こった事は現実味を帯びていないのに、キャラクターの動作には現実味が帯びていた。
現実じゃないのに、現実でもある。
そんな矛盾した出来事が、あのゲーム内では引き起こされたのだ。
はたしてこんな状況で、龍太郎を探し、智代理の本来の目的など達成できるのだろうか。少しでも大人な自分になりたいと願った自分が、まるで他の知らない誰かに置き換えられたように、空気に弾けて消えるようだ。
偽り。
智代理の決意は、偽りのものでしかないのではないだろうか。
「ごめんなさい、圭織さん……」
智代理がそう呟いたとき、家の中にベルの音が鳴り響いた。
まだ働いていない頭のせいで、その音が何によって鳴らされたものであるかを判別するのに少々の時間を要した。
「誰だろう……」
先のベルの音を家のインターホンの音であると判別した智代理は、その重い腰を上げて玄関へと降りた。
ガチャッと開錠されて開け放たれたドアの先には、二日ぶりに浴びる太陽の日差しとともに、親友の姿がそこにはあった。
「元気? 智代理」
「明日香ちゃん……」
驚く智代理をよそに、太陽の光を背に浴びながら明日香は苦笑いした。
「ま、元気なわけないよね。……あんなことが起きちゃったし」
「……」
明日香は持ってきたカバンを前に掲げると、智代理を押しのけてすこし強引に家へと上がってきた。
「え? ちょっと、明日香ちゃん?」
再び驚く智代理をよそに、明日香は靴を脱ぎ玄関を抜ける。
そして、そのまま脇目も振らず階段を上っていく。
「待って!」
智代理が慌てて明日香の背中に追いつく頃には、明日香は既に智代理の部屋の中へと足を踏み入れていた。
「やっぱり……」
明日香は智代理の部屋を一瞥してから、軽くため息をついた。
「よーし、まずは……」
明日香は何を思ったか、窓を閉め切っていたカーテンを引っ掴み、思い切り開け放った。
窓の外でアスファルトを焦がしていた太陽の光は、待っていたと言わんばかりに智代理の部屋の中へと降り注いだ。
「……っ、眩しい」
玄関を開けたときしか太陽の光を浴びていなかったせいか、智代理はすこし目がくらんだ。
「智代理さ、いつまでもこのままじゃいけないよ」
明日香は降り注ぐ陽光を浴びながら、ゆっくりと話を始めた。
「智代理がログインしていないこの二日間、連続で領土戦争のメールが届いたの。でもどうやら最初のあたしたちが目撃した天使たちを他のプレイヤーも目撃していたらしくてすぐに情報が広まったせいで、メインストーリーを進めるクエストではあるものの、再びの参加を渋る人たちが続出したの」
おそらく渋る理由のほとんどは、シュンが言っていたレベルデザインの話に関係するのだろう。
「それでも、参加者はゼロじゃなかった。あんなとてつもない力を見せつけられてもなお、意味のないと思われる戦いに身を投じた人は少なからずいた。あのマリオルって人も、今度はギルド単位で参加していたらしいわ」
マリオルはなぜ、明日香の言うように意味のない戦いというものに身を投じようと決めたのだろうか。そんなもの、単なる時間の無駄ではないか。
そう智代理が考えを巡らせていると、明日香が再び話を始めた。
「それでね、ここからが本題」
そう言って振り向いた明日香の顔はいつも学校で見ていた凛々しい表情ではなく、かと言って時折見せる子供のような笑みでもない、決意を固めた者の眼付きだ。
「智代理以外のあたしたちは、そんなマリオルさんと同じように二回の領土戦争に身を投じた。ギルドマスターがいなくても、ギルド単位での参加は可能だったからね。でもあたしたちは、他の人たちみたいにこの戦いに無意味さを感じていたわけじゃないの。ちゃんと意味を持って、戦いに臨んだのよ」
「意味を持って……?」
「そう。それは、釘丘龍太郎の捜索。智代理が初めてあたしに対して、自らがやりたいことを打ち明けてくれた一件。智代理からこの話を聞いたとき、あたしはすごい嬉しかった。今まであたしの後をついてくるだけの小さくて可愛い存在だった智代理が、自分の力で行動しようとしているんだもの。だからこそ、あたしはこの件をなあなあにしたくなかった。智代理がいなくても、情報くらいは集めることが出来る」
明日香は持っていたカバンを、ちゃぶ台サイズのテーブルの上に置くと、ふう、とひとつため息をついた。
「この中には、あたしたちが一昨日と昨日、合わせて二日間で集めた釘丘に関する情報をまとめたものが入ってる」
テーブルの上に置かれている薄茶色のカバン。ブランド品でもなければ、特別デザインがいいわけでもない。このカバンは、明日香と仲良くなり始めて一番最初に誕生日プレゼントとして智代理が渡した物だ。明日香が智代理と出かける際によく持ち歩いてくれて、お気に入りだとよく言ってくれていた。
でもなぜか、今はそれがとても遠い場所にあるような気がして。龍太郎の情報を、今の不抜けた自分なんかが手にしてしまっていいのかなんて考えてしまって。
「私じゃ……龍太郎くんは、探せない……」
胸の中にしまっていた言葉が、押されるように、流れるように、そして意思を持つかのように口を吐いて出た。
「それで、いいの?」
俯く智代理からは足元しか見えない明日香から、声が響いた。
「本当にそれで、いいの?」
再び問われるその問い。でも、智代理にはもう龍太郎を探すどころか、あの世界に戻ることすら苦痛となっている。
戻るだけで、あの惨劇を思い返しそうで。エクリプスGを手に取るだけで、あの悲鳴が頭で暴れまわりそうで。考えるだけで、気持ちがどうにかなってしまいそうで。
だからこそ……
「…………嫌だ」
嫌なのだ。こうして苦痛から逃げていては、今までの自分とまるで変わっていないじゃないか。いつも誰かの後をつけて、自分で物事の一切を決めようとしない。常に誰かに責任を押し付ける、そんな嫌な自分に。
戻るのが、嫌なのだ。
「私は、龍太郎くんを探す。必ず見つけて、私の力になってもらう。どんな手を使ってでも……」
「……今の智代理は、あたしが知る今までの智代理じゃないよ。もう変わったんだ、強い智代理に」
明日香ははにかむと、テーブルの上に置いたカバンから手を離し、智代理に差し出した。
それを受け取り、中を開く。
これがあれば、龍太郎にまた一歩、近づくことができるかも知れない。でもそれは、智代理が自分の足で進み見つけることだ。誰かの手を借りることはあっても、借りっぱなしはいけない。
借りたものは、ちゃんと返さなくちゃ。
それから智代理は明日香から託された情報を読み、それをさらにまとめたものをデータ化した。
ノートパソコンに文字を打っている最中、明日香は微笑ましそうな顔でずっと智代理を見ていた。
「な、何?」
「いや、何でもないわよ」
「何かなかったらそんな変な顔しないよ」
「変な顔とは失礼ね、あたしこれでも才色兼備の自負はあるんだけど?」
「もう、明日香ちゃんってば」
そんな他愛もないことを言いつつ、情報をまとめ終えた智代理は明日香から聞いておいたギルドメンバーの連絡先に一斉送信で情報を送り、文末にこう付け加えた。
『本日15:00に神の泉前に集合。龍太郎くん捜索の続きをします』




