秋葉原にて
それから約三十分後。俺はさながら満員電車のようになった始発の電車を降り、秋葉原へと到着した。……つーかなんだよあれ。俺の隣に立ってたやつ、電車に乗ってもずっと俺の横にいるし、ずっと舌打ちみたいなの聞こえるし、メッチャ怖かったんだけど。次会ったら絶対殺……俺が殺されるわ。
だがまぁ、今の俺にはそんなことどうでもいい。今はとりあえず、ゲームショップへ行こう。
秋葉原のホームに設置されているエスカレーターめがけて、極めて最小の動き且つ最短ルートで既にいつも以上にごった返している朝五時の秋葉原駅ホームを抜ける。
エスカレーターを下り右折すると目の前に電気街口へ出ることのできる改札があるため、そこをあらかじめ用意しておいた切符を使って通り抜ける。Suicaなぞ知らん。男は黙って切符。
改札を抜け、電気街口へ。そして俺は迷うことなく目的のゲームショップへと足を伸ばした。しかし目的地へ着いて早々、既に三十人前後の長蛇の列が俺を待ち構えていた。
だがこれくらい想定内だ。むしろ三十人で済んだのが奇跡である。予測では、五十人~七十人ほどの列ができていてもおかしくないと踏んでいた。
俺はなに食わぬ顔で最後尾に並ぶ。俺のひとつ前に並ぶのは、今度こそちゃんとしたゲーマーっぽいぽっちゃり系の男性だ。服装はアニメ物のシャツ一枚に下は短パン。靴はクロックスと、ファッションのフの最初の横棒すらなさそうな風貌。……まぁこいつはどっちかっていうとアニメ系のオタクだな。目的は俺と同じだろうが、そこまで親近感の沸く奴じゃない。
俺は持ち寄った愛用のたすき掛けカバンの中から携帯ゲーム機を取り出し起動する。『廃ゲーマーたるもの どんな状況でもゲームに勤しみ それを楽しむ』俺の格言である。地味に好きなんだよね、こういうシチュエーションでゲームするの。
子供の頃、幕張メッセで定期的に行われていた月刊誌の大型イベントに参加した時も、こんな感じの並び中にゲーム機取り出して、中に入れるまでずっと友達とロックマンとかやってたなぁ、懐かしい。あの頃は俺も友達っていたんだなぁ、悲しい。
今俺がやっているゲームは、あるアニメをゲーム化した所謂ADV、アドベンチャーゲームというジャンルのものだ。元々アニメはそこそこ見る方で、もちろんこのゲームのアニメも視聴済みである。だが俺はこの類のゲームを買うアニメオタクたちとは違う目線でこのゲームを楽しんでいる。
俺はあくまでも、“アドベンチャーゲーム”をやるためにこのゲームを選択した。俺は俗に言う「ギャルゲー」というものをほとんどやったことがないのだ。それでも廃ゲーマーを名乗る身かと叱咤されそうだが、事実なので弁解しようとも思わない。
そもそも俺は、文を読むなら本だろ派の人間で、それ故ただ文を読む「ギャルゲー」にカテゴライズされるゲームを敬遠してきたのだ。
だがそれは、最近になって偏見なのではないのか、と思うようになってきた。
「ギャルゲー」は要約すると「絵が常にあるデータ化した小説」というものだが、今までの俺はそれを「小説と同じ」としてしまっていた。何も違いがないとさえ思ってしまっていた。絵なら小説にだって挿絵があるだろう、と。
だが、それは同じなどではなかった。なぜなら小説には「常に絵がある」ということは一切ないからだ。更には「ギャルゲー」には声優が声を当てた「台詞」がある。これが一番大きな違いだ。
俺が今まで活字で読んで、自分の頭の中で自分の気持ち悪い声で勝手に脳内再生していた台詞が、本職の声優さんに読んでもらえる。それだけで、どこに違いがないと言えるだろうか。
そんな理由で俺は今、必死にアドベンチャーゲームの熟知に精を出している。決して俺は、このゲームの「アニメ」としての顔が見たいのではなく、「ギャルゲー」としての顔が見たくてやっているのである。決してブヒブヒいうような真似はしない。
気づけばゲームはいよいよヒロイン攻略目前へと迫っていた。いいなぁ、ここの声優さんの演技。やっぱり自分の頭の中で自分の声で再生するのとはわけが違う。だって本職だぜ? プロだぜ?
おっ、いよいよ主人公告白か? いけいけ! お前なら行けるよ! 大丈夫だって! さながらどこぞの熱血テニスプレイヤーみたいになっていた俺の頭の中は、もうそのゲームのことでいっぱいになっていた。
よって、そろそろ並んでいたゲームショップが開店する時間だということを記憶の彼方へと消し去ってしまっていた。
「開店でーす、どうぞー」
イヤホンをして、音漏れしない程度の大音量で台詞とBGMに耳を傾けていたため店員の声など聞こえず、ひたすらゲームに夢中になっていた。……お、おお!? 告白成功!? いやー、やっぱり好感度上げておいた甲斐あったわー。おっ、しかもこの雰囲気は……キス!? キスなのか!?
そして、主人公とヒロインがお互いの唇を重ね合わせる……瞬間に背後から思いっきり激しい衝撃が背中を襲った。勢いでジャストフィットしていたはずのイヤホンが耳から取れる。ゲームの世界に引きずり込まれていた俺の脳内に、街中の喧騒が割り込んでくる。
「おい、今いいところだった――」
もう少しで主人公とヒロインの甘い甘いキスが見られるはずだったのに、それを踏みにじられた俺は鬼のような形相で文句の一つでも垂れてやろうと振り向いた。
「――んだ……ぞ?」
だが、振り向いた俺の背後には誰もいなかった。えええ、まさかのホラー!? いやそんなまさか。ふっと前に向き直ると、俺が並んでいたはずの列は大きく乱れ、ゲームショップの小さな入口にこれでもかというくらいの人々が押し入ろうとしていた。
その光景を見て、俺はただただ唖然とするしかなかった。自分が「ギャルゲー」なんぞにかまけていたせいで、本来なら俺の前には三十人ほどの人間しか並んでいなかったのに、今や入り口付近には百人は安いであろう人数が押しては引き、押しては引きを繰り返していた。
「嘘だろ……」
俺は体力に限っては相当の自信のなさをほこる。自慢じゃないが胸を張れるくらいには。だからこの、さながら大安売りのセールに飛びつくおばちゃんたちのような戦士たちを前に、その戦場に足を踏み入れる勇気はない。
そしてそうこうしているうちに、入り口付近にメガホンを持った店員が現れた。
「本日発売の『デビルズ・コンフリクト』、専用VR機共々、すべて完売いたしました!」
そう言うやいなや、もうひとりの店員が「『デビルズ・コンフリクト』完売」の立て看板を入口横に設置した。
それを見たまだ中にすら入れない哀れな戦士たちは、わかりやすく肩を落とし、つい数刻前まで入口で見せていた勇猛果敢な態度とは裏腹に満身創痍ですごすごと退散していった。
俺は、そこから少し離れた位置でただただその看板を見やるだけ。力なくぶら下げたゲーム機の画面では主人公とヒロインが甘い甘いキスを演じている。
「完売…………」
小さくそれだけポツリとつぶやくと、喉の奥から乾いた笑いがこみ上げてきた
▼▼▼
気が付くと、俺は見慣れない路地裏にいた。ポリバケツやゴミ袋が散乱していて、見るに堪えない光景だ。アニメのワンシーンとかでも使われそう。
ここはどこだろう。あの絶望的な二文字を見てからの記憶が全くない。思い出そうとするたびに、それを拒むかのように頭がきりきりと痛む。
ただこれだけはわかる。俺の右手にはあるはずのものがない。あるべきものが、ない。
『デビルズ・コンフリクト』
今日発売の、前代未聞のVRMMORPG。今後のゲーム業界をひっくり返すような一大ゲームジャンルの先駆け。そんなゲームを、自称廃ゲーマーである俺は、ものの見事に買い損ねた。
しかも何が一番ショックかって、買えなかったのは俺のミスであること。
「はぁ~~~~~~」
とても大きな溜息を吐いた。背後を振り返ると、俺がさっきまでゲームをしながら並んでいたゲームショップの紙袋(大)をぶら下げて満面の笑みで横の奴とおしゃべりしながら駅へ向かう一般ピーポーが目に入る。
恐らく、いや確実に、あのゲームショップの紙袋(大)の中には俺が今喉から手が出るほど欲しいゲームとゲーム機が入っているのだろう。
代わりに俺の手に握られているのは、さっきまでやっていたギャルゲーを起動している携帯ゲーム機。こいつが俺の人生最大の楽しみを……いや、よそう。悪いのは俺だ。ゲームは悪くない。
画面の中では未だに主人公とヒロインが甘い甘いキスを交わしている。どんだけキスするんだよ、唇ふやけちゃうだろ。まぁ俺が丸ボタンを押さない限りはこいつらは延々とキスをし続けるのだが。
「はぁ~~~~~~~~~~~」
再び、深い溜息を吐いた。もうこの世の全てがどうでもよくなった。今年は受験の年だけど、別に成績が悪いわけじゃないし、二年の最後に受けた模試は評価Aだったし、その辺はあまり気にすることはない。
だからこそ、今年の楽しみを奪われたこの日を一生恨むだろう。なんか名前つけよう。悪魔の日? 超災厄日? 相変わらず自分のボキャブラリーの貧困さにまた溜息が漏れ出す。
「やあ、君。どうしたんだい? こんなところで大きなため息をついて」
唐突な暗闇からの声にびくりと肩を震わせる。恐る恐る背後を振り向くと、そこには白衣を着た長身のあごひげを蓄えた男性が立っていた。
歳は……三十代前半くらいだろうか。そもそも人とあまり関わることのない俺は、人の年齢をみてくれだけで判別できるほど目が養われていない。
「どちら様……ですか?」
久々に親とコンビニ店員の飯島さん以外と話した。あ、飯島さん最近どうしてるかな。あんまり顔見かけないけど。俺がなんか世間話振った次の日? くらいから顔出してない気がする。なんであの日以降コンビニにシフト入れないのかなー。これ以上考えたら悲しい結末しか生み出さない気がするからやめとこっと。
かすれそうになるのを必死にこらえて出した声は、男の背後の暗闇に吸い込まれるようで、ちゃんと届いているか心配だった。
「あ、あの……」
再び「どちら様ですか?」と聞こうとしたとき、今度は男の方から口を開いた。
「私はこういう者でね」
スッと何かを差し出された。暗がりで書いてある文字はよく見えないが、それは名刺だった。
受け取って顔の近くに持ってくると、会社名と部署名らしきものと男の名前が記されていた。
「ファンタジスタリバー社……VR開発研究科科長……!?」
自分の読む声が次第に大きくなっていくのを感じた。ファンタジスタリバー社といえば、今まさに俺が喉から手が出るほど欲していた『デビルズ・コンフリクト』のメーカーじゃないか!
しかもVR開発研究科科長!? ますます『デビルズ・コンフリクト』の開発に携わっている人じゃないか!
名前は……えーと、皇 克典? 読めてるか怖いから一応聞いとこう。
「あ、あの……お名前は、すめらぎかつのりさん……で合っていますか?」
そう問うと、皇(?)は驚いた様子で声を上げた。
「おお、まさか君みたいな若い子が皇の字を読めるとはね。感心感心」
お、合ってた。まぁ俺の場合、皇は自信があったんだけどな。ロボットアニメに出てた戦艦の艦長の名前だったし。
「それで……俺に何か用ですか? ファンタジスタリバー社の科長さんが」
俺は警戒を怠らない。名刺なんていくらでも偽造できるし、俺は本物のファンタジスタリバー社の社員を見たことがないから、何も判断材料を持ち合わせていない。
俺の警戒心を見抜いたのか、皇は苦笑いして手を挙げた。
「ああ、そんなに警戒しないでくれ。私はただ、ふと見かけた青年がとても残念そうに肩を落としていたから、私たちが開発したVR技術を用いたゲームを買えなかったのかと思ってね。君ぐらいの年頃なら、ゲームなんていくらでもやるだろう?」
ほう、この皇という人物、なかなか頭の回転が早い。推理とか得意そう。
「まぁ、大方あなたの予想通りです。でも、そんな俺に声をかけてどうするんですか? まさか慰めとして『デビルズ・コンフリクト』、くれたりするんですか?」
俺がからかうように聞くと、皇はいたって真面目な表情で返してきた。
「そのまさかだよ。私は君に、『デビルズ・コンフリクト』を渡すつもりで来た。もちろん、専用VR機も一緒にね」
まさかだった。人生で一番の驚きだったかもしれない。
そんな俺をよそに、皇は話を進める。
「君に、『デビルズ・コンフリクト』を進呈する。ただし、条件がある」
条件? なんだろう。まさか、「貴様にこの『デビルズ・コンフリクト』を進呈してやる。ただし、ひとつ代償を払ってもらう。それは……貴様の命だぁ!!」なんて展開じゃないだろうな。
俺のまったくもって無駄な妄想など当たり前だが気づかず、皇は茶色の紙袋を差し出してきた。
「条件は、『プレイの感覚、感想を我が社にデータとして送る』それだけだ。それさえ飲んでくれれば、後は売ったり譲ったりしない限り、君の好きにしてくれていい。万が一壊してしまったりなくしてしまった場合には、こちらから予備を渡す」
え? それだけ? それだけでこのお高いゲームやれちゃうの? まじ? ほんとに? 嘘じゃないよね?
しかも条件良すぎじゃね? ちょっと一瞬「売ったらどうなるんだろうな」って思った俺がいたが、元よりやりたかったこのゲーム、売切れてしまえばいつ再販するかわからない故、そんな興味本位で売り飛ばすなど既に選択肢から消え失せた。
自分でもうんざりするくらい頭の中でハテナマークを浮かべたあと、伺うようにして皇の顔を覗く。
すると皇は、またもこちらの意図を察したかのように、ゆっくりと頷いた。
まじか。本気なのか。詐欺とかじゃないよね? 後で家に多額の請求書とか大量に送られてきたりしないよね?
「大丈夫、安心したまえ。これは、詐欺などではない」
いたって真面目な顔で、皇は俺の頭の中を読み抜く。
「君に、このゲームをプレイして欲しいんだ」
そう言葉を紡いだ皇の顔は真剣そのもので、誰かをだまくらかそうとしている者の顔ではなかった。
読んでくれた方々、ありがとうございました。
引き続き一週間後にお会いしましょう。