戦いにて
ラウムとともに厨房を出て、広い食堂に戻る。俺が先ほども座っていた位置に座ると、その隣にちょこんと佇むラウム。手に持つトレイにはパンとスクランブルエッグ、ベーコンにスープという比較的普通の朝食メニューが並んでいる。
「ラ、ラウムも座ったらどうだ?」
俺がラウムに席に着くよう促すと、首を小さくこくりと動かして俺の隣に座った。
ラウムが差し出してくれた朝食が目の前に展開される。スープからはコンソメの風味が漂い、作ってから時間が経っているはずなのに、まるで出来たてのように思える。
「いただきます」
しっかりと手を合わせてから一口いただく。口に運ばれた卵は舌の上でとろけるように染み込んでいく。
「う、うまい……」
昨日も思ったことだが、ラウムは非常に料理がうまい。それにこの城の家事全般の指揮はすべてラウムが取り仕切っているという。嫁にくれ。
卵を口に運んだ瞬間今までのネガティブな考えが卵とともに溶けていくような気がして箸が止まらなくなる。走り出した箸は止まらない!
黙々とラウムが作ってくれた朝食を頬張っている中、ふとみたラウムの顔がほころんでいた。
「……っ、どうした?」
口に含んでいたベーコンを飲み込んでラウムに問いた。
「ふふ、何だか幸せそうに食べる龍太郎さんを見てたらさっきまで頭を抱えてた私がバカらしくなっちゃって」
ラウムは幸せそうにそんなことを言う。自分のことをバカなんて言うんじゃありません。
「……なにか悩み事でもあるのか?」
「え? えっと……それは……」
ラウムは困った様子で顔をそらす。その頬はわずかに紅潮しているようで桜色に染まっている。
「……」
俯いてしまった。
「どうした? そんなに言えないことなら無理に言わなくても……」
「……今は、やめておきますね。龍太郎さんと私が、その……もっと仲良くなったら、お教えします」
顔を上げたラウムの頬は相変わらず桜色に彩られている。だがその中に浮かぶ表情はそらした時の困惑した表情ではなく、やわらかくふんわりした笑みだった。
「待たせた」
俺が朝食を食べ終え食堂を出ると、律儀に二人は待ってくれていた。
「それでは、行きましょうか」
グレモリーとウェパルに連れられ城の地下へと向かう。
俺が食堂に来る時に使った階段の脇に、扉がある。それを開けると、さらに下に続く階段が現れた。これが、地下に続く階段らしい。
割と広めな階段を下りていくと、だんだん明るくなってきてそれにつれて話し声も聞こえてきた。
「これは……」
地下に降りた先には、本当に一つの街ほどの大きさの空間と、何百人もの悪魔たちが闊歩していた。
一部にはしっかり住まいがあるようで、集合住宅のように密集している。いたるところに屋台やら店やらも並び、それぞれが営みに励んでいる。
「すごいな、これは」
地下なのに思ったより明るめな雰囲気に俺はいい意味で圧倒された。
「ええ、よくできていますよね、本当に。この空間は、コルソンさんが作ったんですよ」
「コルソンが?」
これもコルソンのスキルの力なのだろうか。天井や壁を見ても鉄骨で固めている様子もないことからするに、スキルで固めているのだろうか。
それにしてもここの住人たちは外に出なくて大丈夫なんだろうか。まぁ悪魔だし、逆に陽の光が苦手かも知れないから、そういうことなのかもな。
「あそこのローブを来ているやつらがグレモリーの隊のやつらか?」
俺は、いくつかに分かれて地下街を闊歩する悪魔の集団のうち、ローブを着た数名の集団を指差す。
「はい、あれが私が指揮する第一援護隊です」
「じゃあ、あれは?」
俺はさらにその先にいた魔女っ子コスみたいな服装をした集団を指差す。
「あ、あれはあたしの隊、第二援護部隊ねー」
「ふむ」
なるほど、隊長に合わせた服装を心がけているのか、ここの兵たちは。随分と忠誠心があるな。
それなら、あっちの鎧を着込んだ男勝りの集団は恐らくベレットの隊か。
シトリーの隊と思しき集団もいるし、ダンタールの隊のやつらもちらほら。
「んじゃあ、そろそろ……」
俺が兵たちに一言挨拶でもしようと一歩前に出た、その時だった。
突如、耳にコルソンの声が響いた。
『各位に通達します。ただいま、ブレイブシティ方面から龍戦士族の進行が確認できました。数はおよそ百。それに追加で数十名の冒険者とみられる者たちがいます』
「とうとう、来てしまったのね……」
グレモリーの顔に、一抹の不安がよぎる。
「とりあえず、ここを出るぞ!」
俺は二人を連れて地下から脱した。
一階に戻ると、同じく外から戻ってきたベレット、シトリー、ダンタールと鉢合わせる。が、見るからに焦っているようだった。
口々に、どうする? 勝てるわけねぇなどと口走り、とても各隊のリーダーとは思えないさまだ。
「おい! ……お前ら慌てすぎだ。一旦落ち着け」
深呼吸するように促すと、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「すまない……皆、龍戦士族との戦いはしばらくぶりで、最後に戦った時相手の装備がやたらめったら強くてな……その戦いをする前は、兵も二千はあったんだ」
「一度の戦闘で半分持ってかれたってことか……?」
それはやばいな。単純に考えれば今回の戦闘で兵力はゼロになる。しかも今回は前回いなかったであろう冒険者も数十人いる。
「くそっ、とりあえずここで話していても埓があかない。お前らはとりあえず自分の隊の三分の一に、戦う準備を促してくれ」
「じゅ、準備が出来たらどうすりゃいい……?」
「俺が指示するから外で待て。まだやつらはそう近くないはずだ」
俺がそう言うと、全員身を翻して城を出て行った。
俺はコルソンに会うため、城の三階へと向かった。
肩で息をしながら走って三階までたどり着くと、前方から歩いてくる人影が見えた。
「コルソン!」
名を呼ばれたコルソンは俺の存在に気づく。
「龍太郎様、ちょうどいいところに。じつははあなたを探しておりました」
「ちょうど、俺もお前を探していたところだ」
俺はコルソンに、龍戦士族の兵力を聞いた。
「やつらの兵力ですか……私たちが以前戦った時は、ほぼこちらが倍近かったのは記憶していますが、確かな数値は記録していませんね……」
くそっ、ここのやつらは多人数戦闘慣れしてないのか? 先祖代々で戦ってきたはずなのに。
だが、わからないものをとやかく言ってもしょうがない。わからないならば、俺がこの目で見て確かめていくしかないな。幸い今回進行してきた人数は把握している。
俺が一言礼を言ってすぐさま戦場へと赴くために身を翻すと、コルソンに呼び止められた。
「お待ちください!」
そう言って俺に差し出してきたのは、俺の顔より一回りくらい大きな鏡だった。
「これは?」
「それは、戦鏡という代物です。この城の宝物庫に長らく眠っていたものですが、使い道がわかりませんでした。ですがおそらく、龍太郎様ならば使えるかと」
コルソンは俺にそれを渡してくる。いや、俺もわかんねーけど。とりあえずもらっとくか。
俺がコルソンから受け取ると、目の前にメッセージウィンドウが出現した。それはコルソンに見えていないらしく、驚く俺に対して首をかしげている。
「い、いや。何でもない。ありがとう、それじゃあ、ちょっと行ってくる」
俺はそれだけ残し、コルソンと別れた。
三階から一階に降りるまでの間、俺は突如出現したメッセージウィンドウを読んだ。
どうやら、戦鏡を入手したことで出現したメッセージらしい。タッチすると、戦鏡の詳細が読めた。
『戦鏡:戦の神が、地上にいる下等な者たちの惨めな戦いを興として見るために作った鏡。使用中、指定したグループの戦闘を見ることができる。』
戦闘を観察できるアイテムか! これは使えそうだ、戦の神様ありがとう。それにしても下等な者って……神様口悪いな。
一階に降りて扉を開けると、既に面子を揃えたリーダーたちが待っていた。
「よし、これで全員か?」
総人数は約三百人。進行してくる龍戦士族たちの数は百人ちょっとなので三倍近くの兵力差がある。とりあえずこれで時間を稼いで敵の動きを把握したい。
「前衛の三人はそれぞれ自分の隊を連れて扇状に囲うように攻めてくれ。後衛の二人はその後ろから援護。隊の状況を見て俺が細かい指示は出すから、死にたくなかったらそれに従ってくれ」
こういった強めの言い方は、本来ならば集団のモチベや統率性を乱しかねない。
だが俺にはそうならないことがわかっていた。
俺に指示を出された五人は体をびくつかせ虚空を見つめる。数秒すると目に色が戻り、意識がはっきりとしていく。
「……わかった。その作戦で行こう」
ベレットのその言葉を皮切りに、五人はそれぞれの隊まで戻り、定位置に着くためウェパルのスキルで崖から降りていった。
今回の目的は龍戦士族を絶対に殲滅することではない。あくまでも時間を目一杯稼ぎ、向こうの戦意を削ぐ。そもそもこちらの人数を見ていそいそと諦めるかもしれないな。
俺はアイテムパックから先ほどコルソンにもらったアイテムを取り出す。
戦鏡。コルソンからもらったこれは、戦場を視認できる代物であるという。
手をかざすと、鏡が揺らめく。まるで陽炎のように揺らめいた鏡は、次第戦場のある場面を映し出した。
そこには全身を青銅鎧で包み込んだ集団が映る。固まっている数十人の戦士たちをまとめるように、ひとりの青年が指示を出している。
「アルファは中央突破、ベータは左翼から攻めてくれ! 残りのデルタは俺とともに遊撃!」
戦士たる悪魔を統率するベレットはそれぞれに指示を出す。さすがに手馴れているな。幾度もの戦場を【タンク】として渡り歩いてきたのだろう。
一度は兵力で圧倒した敵、いくら装備が強いとはいえやはり地の力がものをいう。
俺は鏡の上で手を滑らせる。すると、今度は別の視点が映し出される。
「ベレットの隊が敵と接触次第、第一波は出撃。そこから残りは戦況を見て順次出撃」
淡々と兵たちに指示を出しているのは【ウォーリア】のシトリーだ。彼は常に寡黙だが、その裏で何を考えているかがまるで読めない。
俺はさらに手を滑らせる。
「ククッ、お前らはしっかりシトリーのとこのやつらと合わせて攻めろよ。そうじゃねーとベレットがうっせーからな。俺っちはいつもどーり自由に動き回るわ、んじゃ」
ダンタールは口早に告げると森の中へと駆け込んでいった。おいおい、大丈夫かよあいつ。絶対集団戦にいたらダメなタイプだろ。
自由奔放なリーダーとは裏腹に、兵たちはまるでNPCのように統率のとれた機械的な動きで着々と準備やら位置取りやらを進めていく。これ兵たちの方が明らか集団戦に向いてるだろ。
俺はさらに手を滑らせて場面を変える。
「グレモリー、大丈夫だよ! なんとかなるって!」
次に映ったのは後衛のグレモリーとウェパルたちだった。なぜか最年少のウェパルが最年長のグレモリーを宥めている。
「で、でも……」
あれだけ落ち着いた雰囲気を出していたグレモリーが焦っている? 確かにさっき、龍戦士族と剣を交えたのはしばらく前だと言っていたが、それなら全員グレモリーのようになってもおかしくはないだろう。
だが、グレモリーだけは、他の者たちが感じていないような危機感を感じ取っている様子だった。
「気になるな……」
なんとかあいつらと、せめてグレモリーと連絡が取りたい。
そう考えたとき、俺はあるスキルの存在を思い出した。
「あれならなんとかなるんじゃないか……?」
俺は素早くメニューパネルを呼び出しスキル一覧へ。そしてその中の《キープ・ザ・アームドフォース》をタッチする。
すると、俺の体を薄い黄色の光が包み、足元に魔法陣が浮かび上がる。詠唱の合図だ。
タッチして発動とは、俺の予想通りで助かった。ここで最初から詠唱の仕方を模索していては龍戦士族がこちらに到達してしまいかねない。
次第周りを舞っていた黄色の粒子が一点に集まり始めた。そろそろ詠唱終了か。
「――おい、聞こえるか、グレモリー、ウェパル――」
このスキルは念動波を介して通信ができるスキルらしく、俺からグレモリーとウェパルが降りていった方面にかけて波紋が広がっている。
「――え? あ、もしかして龍太郎さんですか? 聞こえています、グレモリーです――」
「――あたしもちゃんと聞こえてるよー――」
どうやら二人とも無事聞こえているようだ。通信系全てに言えることだが、やはり盗聴のたぐいが怖い。だが今それをケアしている時間はなかった。
「――そろそろ敵がこちらのテリトリーに入ってくる頃だから短く簡潔に聞く。同じく答えてくれ――」
俺はそう一言付け加えてから話し始める。
「――俺は今、コルソンからもらった道具でお前たち二人の会話を偶然耳にした。……グレモリー、何に怯えている?――」
俺がそう聞くと、鏡の中のグレモリーは困惑したような表情を浮かべ、じつに答えにくそうにしている。
「――そんなの、久しぶりの戦いで緊張してるからに決まってんじゃん! さっき言ったよね? あたしたちこれの前に戦ったのはしばらく前だって。この辺はもう龍戦士族の縄張りそのものだから、下手に降りて鍛錬を積むこともできない。それに、前戦った時の結果はあまりにも酷いものだった。辛うじてあたしたち各リーダーは生き残れたけど、二千あった兵数は千を下回ったんだよ?――」
口を開かないグレモリーの代わりにウェパルが少し強い口調で答える。
だがそれを俺は、短い言葉であしらう。
「――そうじゃないんだろう? グレモリー――」
俺の再びの問いに、グレモリーは意を決したように両手を胸の前で硬く結んで口を開いた。
「――これは、あくまでも私の直感ですし、もしかしたら勘違いかもしれません。これを言うことによって、龍太郎さんの心を乱し、集中力を欠いてしまうかもしれません。それでも……いいですか――」
「――ああ、構わない。話してくれ。ただ、もう時間がない。簡潔に頼む――」
「――……端的に言ってしまえば、なにか嫌な予感がするんです。特に具体的にはわからないのに、以前戦った時とは何かが違う。得体の知れない驚異が間近に迫っている気がする。それしか言えなくて……でもその違いが、今回のこの戦いで大きく影響してくる。それはひしひしと感じ取れるんです――」
結果的に言えば、聞かなくてよかった情報なのかもしれない。聞いても、この具体性の欠片もない発言ではどうしようもない。
それでも俺は、部下の、仲間の言うことを信じたかった。
例えそれがどんな結果を生もうとも。
「――グレモリー。話してくれてありがとう。最後にひとつ、その驚異っていうのはどの隊が直面するかわかるか?――」
もう時間はないはずなのに、こちらのテリトリーにもう間近まで敵が迫ってきているというのに、俺たちは、いつになく落ち着いて話していた。
「――はっきりとはわかりませんが……おそらく、後衛の私たちには被害が及ばない気はします。可能性が一番高いのだとしたら……ベレットさんの隊だと思います――」
【タンク】クラスの隊か。確かにあいつらは壁役として一番前を張る役割だ。グレモリーの言う驚異が龍戦士族の装備品だとしても、はたまたドラゴンのような魔物だとしても、変わらず一番最初にぶち当たるだろう。
「――わかった、ありがとう。ベレットたちにはそれとなく不安を煽らないように伝えておく。だからお前は、安心して後衛を努めてくれ――」
「――信じて、くれるんですか? こんな気のせいかも知れない私の戯言を――」
「――もう敵が近い。早いところはもう、ベレットの隊の一部と龍戦士族の一部とで交戦が始まっている。これ以上俺に言わせるな――」
「――……わかりました。……ありがとうございました、龍太郎さん。【ヒールマスター】グレモリー・アルプス、全力で後衛を努めます――」
その言葉を最後に、俺は通信を遮断した。
さて、後はこれを簡潔に、不安を煽らずベレットに伝えなければ。ベレットだけに伝えるならば、まだ間に合うだろう。先の会話からするとベレットは戦況を見て二部隊を駆ける遊撃係らしいしな。
俺は再び《キープ・ザ・アームドフォース》を詠唱する。数秒の詠唱を終え、波紋がベレットのいる方面に伸びる。
「――聞こえるか、ベレット――」
まず本題に入る前にどんな戦況か聞こう。
念のため、戦鏡もベレット視点に移しておく。
「――ああ、龍太郎か。これは、スキルでの会話だな? 要件はなんだ――」
さすがに飲み込みが早い。
「――まず、今の戦況を教えてくれ――」
「――今は俺の隊の中のアルファ部隊が龍戦士族と交戦している。俺と数人は影からそれを見守っているが、特に押されている様子はない。むしろ前回より相手が弱くなっている気さえするな――」
弱くなっている、か。なにか怪しいな。どうやらグレモリーの勘は間違いじゃなさそうだ。
「――そのまま倒せるなら倒してくれ。無理はしなくていい。今回の目的は倒すことじゃなくて威力偵察みたいなものだからな。それともうひとつ――」
「――了解した。なんだ?――」
「――相手の龍戦士族と、あと冒険者の動向についてよく警戒をしてくれ。特に、今まで見たことないような不審な動きをしていたら、隊全体を引かせることもしていい――」
俺がそう言うと、鏡の中のベレットはあからさまな疑問符を浮かべる。
「――なぜだ?――」
「――それは……今の俺の口からは言えない。俺が今言えるのは、今回の龍戦士族たちはなにか隠し玉を用意している可能性があるかもしれない、ということだけだ――」
自分で言っていてじつにアバウト過ぎる発言だと思う。信じてくれるだろうか。
「――よくわからないが、敵の細かい動向を探るのは最前衛の俺らの仕事だ。任せておけ――」
ベレットはそう言った後、再び移動を開始した。俺はそれを見届け、スキルを止めた。よかった、どうやら無駄な詮索をせず信じてくれたらしい。
何気なくステータスのMPを見てみると、思いのほかごっそりとMPが持っていかれていた。意外と消耗するんだな、あのスキル。
戦いは怖いくらいに有利に進んでいた。交戦から約一時間経った今、こちらの兵数は損傷なしに対して相手方の兵数は半分を切っている。
「さすがに弱すぎるな……」
俺は戦鏡とスキルを使い、戦況を見ながら各隊に指示を出している。相手の戦い方はじつに単純で、こちらが特に策を弄することもなく捌ける程度だ。
これが本当に前回の戦いでこっちの兵力を半分持っていった龍戦士族なのだろうか。
戦いが有利に進めば進むほど、俺の頭の中でグレモリーの言葉が引っかかる。
なにが、起きるのだろうか。
そんな時、俺のいる城の前から見て右前方で巨大な爆発音と粉塵が巻き上がった。
「なっ……!?」
俺は慌てて戦鏡でその場所を視点にする。
爆発が起きた場所にいたのは……シトリーの隊だ。
俺はスキルを詠唱しようとしたが、このタイミングでMPが切れた。手早くアイテムパックからポーションを取り出すとそれをひと呷りする。
「《キープ・ザ・アームドフォース》!」
俺は詠唱を開始した。詠唱中に戦鏡でシトリーの戦況を確認する。
鏡には粉塵で覆われた戦場が映される。声はまばらに聞こえるが、姿は塵によってシルエットでしか確認ができない。
「クソッ、早く終わりやがれ……!」
俺は急かる気持ちを抑えきれずに鏡を凝視する。次第に粉塵は収まり戦場が露わになった。
それを見た俺が驚愕すると同時に詠唱も終了する。
「――おい、これは一体どういうことだ――」
戦場は見るも無残な有様へと変貌していた。つい数十分前に鏡で確認した時には明らかに優勢だったのに。
シトリーの隊と思しき悪魔のひとりが、同じくらいの背丈の何かと交戦しているのがギリギリ見える。相手は背に生える翼で高所的有利を取り、こちらが出す剣戟を剣ごと弾きシトリー隊の兵を無力化する。
そして……何かはその兵をひと突きにした。自らが持つ真紅の直剣で体を抉る。剣に刺さっただらりと力をなくした死体を払うように地面に投げ捨てる。兵の体は接地すると同時に弾けるようにして空気に溶けた。
初めて見る死と目の前に展開される絶望的な状況に俺は放心状態になりそうな意識を必死に保ちつつ、繋がっているであろうシトリーに声をかけると力のない声が返ってきた。
シトリーも身につけている鎧は砕けかけ、負傷したのであろう左腕を庇うようにして立っていた。
「――……龍太郎……か。こっちの隊はもう……――」
それを言うと同時に鏡の中に巨大な羽を持つ何かが入り込んできた。
とてつもなく巨大な羽を背中から生やし、筋肉質な両腕は真っ白な肌と合わさり異質感を醸し出す。目や口に相当する場所はその形を取りながら窪みになっている。
その姿は威圧感や恐怖感とともに神秘的な雰囲気さえする。まるで、天使だ。
「――おい、あれはなんだ!?――」
「――来た……だから俺は勝ち目がないって言ったんだ。あいつらがアレを隠し持っていることは明らかなのに、なんでお前は――」
シトリーは俺の問いに答えることはなかった。ただ、彼が鏡の向こうであの天使を見やりながら、ボロボロの状態で発する言葉はスキルによって俺の耳に届いていた。
微かに、声が聞こえた。
「――……詠唱……了、これより……滅…………を開始しま……」
ノイズに紛れて、そう聞こえた。
次の瞬間、巨大な羽を持つ天使は両手を輪の形にして前に押し出す。するとそこから順々に大きさを増して光の輪が形成されていく。
明らかにシトリーたちを殺す気だ。それも、この一撃で。
「――おい、逃げろ――!――」
俺の声が届くよりも前に、戦鏡が映していた戦場は光の渦に飲み込まれた。
「シトリー! おい、返事をしろ!」
俺は必死に応答を呼びかけた。しかし、戦場は光に飲まれシトリーの姿も見えない。
「くそっ!」
俺は戦鏡の視点をベレットに移した。その戦場では、シトリーのところと同じように天使の軍勢が龍戦士族に加担するようにベレットたちの兵力を削っていた。
すぐさまスキルを唱えなおしベレットと連絡を取る。
「――おい、ベレット! そいつらはやばい! 早く撤退しろ!」
「――そうしたいのはやまやまなんだが、あっちがそうさせてくれねぇんだ――」
見ると、ベレットの隊の最後列より少し後ろに水色の半透明の壁がそびえ立っていた。
「――あの天使の力か?――」
「――わからん。あいつらがどこからか出現した瞬間に現れたんだ――」
ベレットは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「――シトリーたちの方で嫌な音が聞こえたのも気になるしな……――」
そうだ、こいつは知らないのだ。あのシトリーが、おそらく死んだということを。
実際にシトリーの死んだ姿を見たわけじゃないが、あの光の渦に飲み込まれたとなると無事ではないと考えるのが普通だろう……。
「――俺の……せいだ……――」
俺の口から思わぬ言葉が不意に飛び出した。言うつもりはなかったのに、自分の心の奥底に眠っていた本心が漏れ出た。
リーダーがこんな部下の心配を煽るようなことを、ましてや今一瞬も気が抜けない戦場にいる部下に聞こえる場面で言ってしまうなんて。
「――俺の、俺の……――」
「――おい、しっかりしろ! 龍太郎!――」
ベレットの怒鳴り声すら俺の耳には届いておらず、俺の頭の中は自分が犯した罪の愚かさを悔やむ焦りで埋め尽くされていた。
俺がグレモリーから聞いたことをよく吟味せず、曖昧にベレットに伝えてしまったせいで。時間がないからといってシトリーに連絡を怠ったせいで。リーダーである俺が特に何の対策も施さなかったせいで。
俺の心はだんだんと黒く染まっていき、絶望と恐怖と後悔が入り混じる。目の前に悠然としている巨大な天使の目の窪みが、俺に狙いを定めたような気がして。
「あ、ああ……あああ…………!」
俺の喉からはもはや声にならないような音しかでなくなっていた。兵たちに出す指揮は愚か自分がすべき行動さえも考える余裕が無くなっていた。
俺は、一般人なんだ。ただずっとぼっちで、そのせいで勉強をよくしていたから頭が他より少しだけ良くて、周りの大人たちの顔色を伺うのが得意で、でも人と話すのは苦手で、ゲームが大好きな高校三年生。
俺は……俺は、こんなところにくるタマなんかじゃなかったんだ。




