アリベデルチ
アリベデルチ
【主な傾向】オリジナル、らぶドロップス恋愛小説投稿作品
【関連作品】その時になって、やっと / 俺とアイツのシャレード / 12月のセレナーデ
【厳重禁止】無断転載、無断転記、無断引用、無断使用
家のベランダから分厚い雲に覆われた空を見上げる。
季節は春だと言うのに空はどんよりと曇っている。
まるで梅雨の曇り空のような今日の天気は今の俺のようだと思った。
否…俺と言うよりも俺の人生と言った方が正しい。
「煙草うめぇ…」
【アリベデルチ】
竹田家/ベランダ
空に向かってプカリと円を生み出す。
平日の日中にベランダで煙草を三本吸うのが最近の日課だ。
それから親が作った昼ご飯を食べて昼寝をしてまた煙草を吸って風呂に入ってー…
田舎に戻ってもう二年…毎日こんな生活を繰り返している。
高校を卒業してから直ぐ地元企業に就職採用がないと知った俺は迷わず上京の道を選んだ。
地元で就職出来なくても東京に行けば何とかなると思った。
東京にはたくさんの企業がある。
沢山の企業があると言う事は即ちそれだけ就職のチャンスがあると言う事だ。
それに東京には興味があった。
田舎で生まれ育った俺にとって東京は憧れの街だった。
人が多くて店も多くて太陽が沈んだ夜でも明るい不思議な街。
上京したからと言ってこれと言ってやりたい事や夢がある訳じゃない。
けどそんなのきっと後からついてくるだろうと思った。
とにかく上京したいと思ったし自分は上京するべき人間だと思った。
そうして上京を決めたあの日…少なくとも今よりは希望を持っていた。
上京してから直ぐ適当にアルバイトを始めた。
食ってく為と住む為に始めたアルバイトは三年続けた。
特に不便も不満も感じなかったその生活にフッと疑問を持ったのは二十一歳の時だった。
(俺… 東京にバイトしに来たんだっけ…?)
上京して三年…俺はやっと当初の目的を思い出した。
俺は勢いで三年続けたバイトを辞め就活に勤しんだ。
東京は思った通り企業の数が多かった。
数だけで言うなら選り取り見取りだった。
けど制限も多かった。
学歴は「大卒以上」雇用状態は「非正規社員」極め付けは備考「残業月三十時間可能な方」ー…
どれも田舎の企業では考えられないものばかりだった。
俺の父ちゃんなんて何時も十八時には帰って来ていた。
(定時で帰らせる気ねえ企業ばっかりだな…)
結局東京でも就活には手こずった。
書類選考や面接で何度も落とされバイトで貯めた金がそろそろ底をつく…そんなタイミングで奇跡が起きた。
上京して三年…やっと俺の就職が決まったのだ。
入社した会社は食品卸しの会社で仕事は食品配達だった。
正社員で時給もそこそこだった為とにかくがむしゃらに働いた。
腑に落ちない事やそれはおかしいだろと思う事があったけどそれでも五年働いた。
"高卒で正社員として雇ってくれる会社はあまりない"と自分に言い聞かせて働いた五年間だった。
ただ五年以上…その先は俺には無理だった。
溜めに溜めたストレスで俺は仕事を辞めた。
この仕事にしがみ付いていられたのは肉体的にも精神的にも五年が限界だった。
仕事を辞める事に戸惑いや不安は一切感じなかった。
今思えば当時は本当の本当に限界だったのだろう。
仕事を辞めてまたアルバイト生活に戻ろうかと考えたけれどそれは止めた。
俺は東京へバイトをする為に上京した訳じゃない。
八年過ごした東京に俺は自分の居場所を感じる事が出来なかった。
だからかもしれない。
"田舎へ帰ろう"とは思わなかったけれど"田舎に帰らなくちゃ"とは思った。
竹田家/玄関
「コーチ ちゃんと職探してる?」
「うるせえ 腹巻。」
煙草を吸いながらセンチメンタルに浸っているところに何時もの顔が現れた。
花槇望美…地元郵便局に奇跡的に就職した同級生だ。
あだ名は腹巻。
小中高とずっとそう呼ばれていた。
ちなみに俺の下の名前は広知…今腹巻が呼んだ"コーチ"と言うのは俺のあだ名だ。
腹巻と同じく小中高とずっとそう呼ばれている。
正直呼び捨てにされているみたいであまり気に入っていない。
「郵便局で夏ギフト配送アルバイト募集するんだけど アンタやる?」
「やらねえよ。」
腹巻からDMを受け取る前に足元の石で煙草の火を消した。
田舎に帰って再会した腹巻は何故か物凄く煙草嫌いな女になっていた。
たまたま玄関で顔を合わせ"おっ久しぶり"と言う会話をするより早く腹巻は俺がくわえていた煙草を勢いの良いビンタで叩き落とした。
あれは正直引いた。
それ以来腹巻の前で煙草を吸う事は控えている。
俺はマゾではない。
「コーチ もう二十八でしょ?働かなくてどうすんの??」
「うるせえな。」
「アンタ昔からうるさく言ってお尻叩かなきゃ行動しないじゃない!」
「お前に尻叩かれた記憶なんてねえよ 蹴りならあるけどよ。」
「屁理屈言ってんじゃないわよ おじさんとおばさんの気持ちも考えなさいよね!」
「あーもー うるせえな腹巻は。」
腹巻の言う事は全て正しくて腹が立つ。
勿論腹が立つのは"腹巻に"ではなく行動出来ない"自分に"だ。
見ず知らずの土地で自力で八年生活をした。
少し位休んだって罰は当たらないと二年間俺は働く事を放棄した。
頑張った自分への褒美だとくだらない理由を付けて…でも二年と言う歳月は少し長過ぎた。
再就職はおろか外へ出る事さえも最近では億劫に感じる。
三十歳を前に情けない話だ。
「じゃあ 明日も郵便があったら来るから。」
「おー…」
白いヘルメットをかぶった腹巻は赤いバイクにまたがると田舎道を控えめな騒音で走って行った。
再会して二カ月…腹巻は自習中の見回り先生のように郵便がある日は必ず俺の様子を見て帰って行く。
先日居留守を使ったら腹巻は庭から部屋まで上がって来た。
『何だ 居るじゃん』
『うわっ! お前何してんの!?』
『チャイム鳴らしてんだから居るなら出なさいよ はい郵便!』
学生時代の腹巻がお節介な女だった事を思い出した俺は翌日から居留守を使う事を止めた。
(アイツ 昔からしっかりした奴だったな…)
今は痩せている腹巻だが昔はぽっちゃり体型だった。
加えサバサバしていて皆をまとめるのが上手い…そんな学生だった腹巻は学生時代から小さなオカンのようだった。
大抵の事は腹巻に頼めば何とかなった為何時しか行事ごとは全て腹巻中心で行うようになった。
アイツは根っからの世話焼きリーダー人間だ。
三十歳近くになってまた腹巻に世話を焼かれる事になるとは正直思いもしなかったけど何故か嫌だと言う気持ちはない。
たまに鬱陶しいけれど腹巻のお節介は嫌いじゃない。
逆に二年間引きこもっている俺とよく会話してるよなと思う。
良い年齢の大人の男が定職に就かず二年間引きこもりー…
幾ら昔馴染みとは言え避けるだろう。
腹巻は変わった女だ。
「私が変わってんじゃなくて仕事しないアンタが変なの!」
"人生舐めてんじゃないわよ"と舌打ちしながら腹巻はDMを俺に差し出した。
それを受け取るついでに玄関から腹巻越しに空を見る。
「今日も天気悪いな。」
「だから何? アンタが働かないのと天気って関係ある訳!?」
「解った解った 腹巻解ったからそう噛みついてくるな。」
昔から男は理想主義者が多く女は現実主義者が多いと聞く。
そう考えると腹巻は典型的なリアリスト(現実主義者)だ。
そして子供の頃からの夢を叶えた幸運な人間ー…
腹巻は女にも関わらず小学生の頃から郵便局の配達員になりたいと言う夢を持っていた。
けれどこの田舎で女の人が配達の仕事をしているところは誰も見た事がなく…小学生の時の担任にも"郵便局に入れても事務職だろう"と言われていた。
そんな腹巻が赤いバイクに乗って郵便配達をしている姿を見た時は正直驚いた。
何でも配達担当者がバイク転倒し全治三か月の右手骨折を負ったのだそうだ。
右手が治るまでの三か月…その間誰が配達業務を引き継ぐかと言う社内会議にずっとバイク配達を希望していた腹巻が高らかに右手を上げ立候補したらしい。
上司は相当渋ったらしいが腹巻の情熱に負け許可をした…と再会した二日目くらいに腹巻本人から聞いた。
腹巻は夢を追う努力の人でもあるが俺からしてみればある意味恐ろしく執念深い女だ。
「コーチはさ 何かやりたい事とかないの?」
「ない。」
「即答!? もっと考えなさいよ!」
露骨に呆れ顔を見せる腹巻の前で俺も露骨に自身の両耳を塞いだ。
腹巻は声がデカイ。
「小さい頃になりたかったものとか あったでしょ!?」
「覚えてねえよ そんなもん。」
「はあ!?」
"信じられない"と腹巻はまた言葉の最後に舌打ちをした。
"コイツ上司の前でもこの舌打ちしてんじゃないだろうな"と少し余計な考えが頭を過る。
余計な御世話だろうから言わないけどー…
「よし解った! よーし解った!!」
腹巻は突然頷きながらよく解らない事を言い残し乗って来た赤いバイクへと跨る。
やっと今日の説教が終わったかと玄関扉を閉めようとしたその時腹巻のデカイ声が俺の耳を直撃した。
「明日! 郵便無くても来るから!!」
「…はあ!?」
"バッハハーイ"と御機嫌にバイクを走らせる腹巻の後ろ姿を俺は思わず見送ってしまった。
何言ってんだ腹巻の奴…郵便ないなら来るなよ。
「つか… アイツは金八先生か。」
竹田家/広知自室
カチカチカチ…
引きこもって二年ー…
一応これではいけないと言う気持ちはある。
取り合えず毎日決まった時間にPCを立ち上げ求人サイトを幾つか巡る。
全ての求人に目を通した後はサイトを閉じ行きつけのネット掲示板へログイン。
自分と同じニートが日々の悩みや生活…愚痴を零す同士掲示板だ。
仕事を辞めた直後に丁度この掲示板を見付け今だに通い続けている。
最初は俺の離職経緯に皆親身な反応を返してくれた。
"酷い会社ですね""ゆっくり身体を休めてください""ご褒美は当たり前"の声を多く貰った。
自分の行動や意志を認めて貰えて嬉しかった。
自分は間違ってはいないと言う確信が持てた。
けれどニート生活二年目に入ってからは段々…掲示板に居続ける事自体が苦痛になった。
働かない事を自慢気に話すニートや全て歪んだ世の中のせいだと主張する言葉…それに賛同する言葉の数々ー…
見ていて見苦しかった。
働かない事は決して格好良い事ではない。
寧ろ恥ずべき事だ。
世の中のせいだと文句を繰り返すのなら政治家になればいい。
政治家になってお前が世の中を変えてくれと思う。
言うだけは無料とでも言うかのように好き勝手都合のいい言葉が画面いっぱいに並ぶ掲示板。
働いていない俺ですら嫌悪を抱く。
けれど…嫌悪を抱きながらも掲示板に来る事を止められない俺はこの画面の向こう側にいる人間とさして変わらない。
何ら変わらない…否一緒だ。
口先だけ立派で解っているのに現状何も行動出来ない俺はここの人間と同じだ。
然し頭では解っていても心ではその事実に納得したくなかった。
俺は暇な癖にあたかも忙しいフリを装い掲示板の流れをぼんやり目で追う。
ニートに関しては掲示板の人間と同じだけど同じ扱いは受けたくなかった。
「子供の時の夢…か…」
PCの蓋を閉じ椅子から腰を上げる。
苦くて美味い煙草の味が急に恋しくなった。
竹田家/玄関
「じゃーん! これなーんだ!?」
「…」
「ちょっと! 何だって聞いてるじゃない!!」
「…文集…」
「ピンポンピンポン 大正解ー!」
腹巻は本当に郵便物がなくても配達途中俺の家へ来た。
小学生の時の卒業文集をやたら楽しそうに俺へ押しつけながら腹巻は笑う。
「コーチ この付箋のとこ開けてみ?」
「ヤダ。」
「…開けろって言ってんだから開けなさい!!!」
悪ふざけの通じない大人の腹巻はからかい甲斐はあるけれど良いパンチを持っている為少々扱い辛い。
高校生の時はこんなに人へパンチを繰り出すような奴じゃなかったと思ったが…今付き合っている男の影響だろうか。
「痛てぇ…」
綺麗に入った鳩尾をさすりながら取り合えず俺は玄関へ腰を下ろす。
立ったまま腹部をさすり本を開くと言う器用な事は俺には出来ない。
腹巻に急かされながら開いた付箋のページは俺が書いたページだった。
「俺のページじゃねえかよ。」
「何て書いてあるか読んでみ?」
「マンガ家」
「そう! 竹田広知の少年の将来の夢はマンガ家!!」
「…だから?」
文集から腹巻へ視線を移せば見上げた先の腹巻の眉間は見る見る中央へ寄る。
"あコイツ舌打ちするな"と思った瞬間腹巻は期待通り俺に舌打ちを零した。
「マンガ家になれって言ってんの!」
「…は?」
腹巻の言葉に思わず間の抜けた声が出た。
コイツ何言ってんだ。
「コーチ マンガ家になりたいんでしょ?」
「いや 今は別に…」
「じゃあ今何になりたいの?」
「特に何も。」
「じゃあマンガ家になれば良いのよ!」
「は?」
「やりたい事がないんでしょ? だったらやりたかった事をやればいいのよ!」
"それ(文集)明日まで貸しとくからちゃんと読みなさいよ"と人に人差し指を向けながら腹巻は赤いバイクへ跨った。
「おい 明日土曜日だぞ?」
「言っとくけど それ(文集)汚したら往復ビンタだから!」
バイクに跨った状態で振り返り往復ビンタの手真似をする腹巻の目は笑っていない。
腹巻は"じゃーねー"と右手を三度程振りながらこれまた御機嫌にバイクを走らせていった。
まるで台風一過のようだ。
「いや… マジで明日も来るのかよ…」
竹田家/広知自室
「ブフッ! ジャイアントパンダに似てる人ランキングって何だこれ…誰得だよ…つか腹巻五位にランクインしてるし。」
夕食後ベットの上で缶ビールを飲みながら文集を捲る。
十六年ぶりに見る文集は子供ならではの突拍子がなく下らない…それでも酷く懐かしい気持ちになる言葉があちらこちらに散りばめられている。
懐かしかった。
友達の名前も自分が書いた言葉も自分が持っていた夢もー…
『僕は将来マンガ家になります たくさんの人にマンガを読んでもらえるようにがんばります』
「…がんばります…か…」
十六年後まさか自分が引きこもりのニートになっているだなんて幼き日の広知少年はきっと思いもしないだろう。
何だか改めて自分の情けなさを浮き彫りにされた気分だ。
「…くそっ…!」
カコン!
まだ中身の入っている缶ビールを思い切り正面へと投げ付けた。
壁と扉にビールが飛び落下したビールは床へゆっくりと浸食しごく薄い水溜まりならぬビール溜まりを作った。
俺はそのまま身体をベットへ倒す。
床にビールがどれだけ染みようがどうでも良かった。
「ちょっとコーチ! 居ないの!?」
「…」
翌日…土曜日だと言うのに腹巻は本当に家へ来た。
腹巻はドンドンと玄関扉を叩きながら大声を張り上げている。
俺はそんな腹巻を無視しベットに横たわっていた。
文集は腹巻が来る一時間程前に紙袋に入れて玄関の外に出してある。
"サンキュ"と書いた付箋もわざわざ付けた。
文集を外へ出したついでに家の雨戸も全部閉めた。
腹巻が勝手に上がって来られないよう全ての扉を閉めた。
「…」
会いたくなかった。
今は腹巻と話したくなかった。
"もう良いから放っておいてくれ"と俺は布団をかぶり腹巻の声を遠退けた。
竹田家/玄関
「はい。」
「…」
翌々日の月曜日。
二日ぶりに会った腹巻はDMと一緒にスケッチブックを一冊差し出して来た。
「何これ。」
「それ 買ってあげる。」
「は?」
「どうせ暇でしょ? それにマンガ描いてみせてよ。」
「いや 言ってる意味がよく解らな」
「私 コーチの描くマンガ読んでみたい。」
腹巻は何食わぬ顔で俺の言葉を遮るとヘルメットをかぶりそのままバイクへと跨る。
「おい腹巻。」
「土曜日 居留守使った事はそれでチャラにしてあげる。」
雨戸を全て閉め不在を装っていたのに腹巻には居留守がばれていた。
"どうして居留守がばれたんだ"と考えている間に腹巻はバイクのエンジンをかけアッと言う間に家の敷地から出て行ってしまった。
俺は腹巻にスケッチブックを返し損ねた。
竹田家/広知自室
「マンガって言われてもなあ…」
腹巻に渡されたスケッチブックへ視線を落としながら一人唸る。
いきなりマンガを描けと言われてもストーリーもキャラも考えていない。
でも腹巻の事だ…きっと何も描かなかったらあの口は文句しか言わないだろう。
説教に文句が加わるなんて堪ったもんじゃない。
「適当にキャラクターを模写するか。」
取り合えず好きなマンガの模写をスケッチブックに書き殴ろうとマンガを一冊手に取った。
竹田家/玄関
「うっわ! うま!!格好良い!!!」
翌日腹巻にスケッチブックを渡せば腹巻はろ湯手を叩いて喜んだ。
どうやら模写したキャラクターが腹巻の好みのキャラクターだったらしい。
"コイツこのキャラが好きなのか"と思いながら意外と上手く描けた模写へ別の意味の視線を落とす。
マンガを模写したのは中学生以来だった。
楽しかった。
何時も持て余すばかりの時間がアッと言う間に過ぎる感覚は久しぶりだった。
「はい 返す。」
「えっ?」
「それ コーチにあげるって言ったでしょ?それに私はマンガを描いてって言ったじゃん。」
「マンガってお前… キャラもストーリーも考えるの大変なんだぞ!?」
「いいじゃん大変でも 暇なんだし。」
暇と言われては言い返す言葉がない。
確かに暇だ。
俺は働きもせず寝て起きて食ってを繰り返しているだけだ。
「キャラクターが難しいなら私を描いてよ。」
「は?」
「コーチ 中学の文化祭でクラス全員の似顔絵描いたでしょ?覚えてる??私コーチが描いてくれた似顔絵まだ覚えてるよ。結構気に入ってたんだよね。」
"凄い不細工に描かないなら私を描いて良いよ"と腹巻は笑いながら俺の肩をポンポンと叩く。
お前は何処のお偉いさんだ。
「マンガは出来てから見せて! 私一気に読みたい派だから。」
"じゃあ頑張ってね"と腹巻は右手を数回振り何時ものようにバイクへ跨る。
連日の曇り空と異なり今日は珍しく晴天…気温もぽかぽかとした小春日和ー…
そんな天気のせいか青空の下を爽快に走る腹巻はまるでご当地ヒーローのようだ。
「ヒロインって柄じゃないな ありゃやっぱりカーチャンだ。」
腹巻のリクエスト通りマンガは腹巻を主人公にしたものを描く事にした。
子供の味方オカン戦士腹巻が悪から子供を守ると言う王道ヒーロー話だ。
敵は子供達の夢や努力する心を奪う絶望しか持たないとても哀れな男…俺だ。
「ヘルメットは、もうちょっと凝ったものが良いな。」
ストーリーを決めいざ描いてみると楽しかった。
描けば描く程世界観が広がる様は本当に面白い。
「敵の顔 もうちょっと悪そうな感じにするか。」
描いている途中"このマンガは俺にしか描けないものだ"と珍しく自画自賛してしまった。
たかだかお遊び…自己満足のマンガだと言うのに俺は自信と言うものを薄らと感じていた。
無我夢中で走らせた鉛筆はもう何回削ったか覚えていない。
俺はひたすら手を…キャラクターを動かした。
「こんにちは 郵便です。」
俺がノリにノッてマンガを描き進めている頃腹巻は体調を崩し始めた。
"季節の変わり目だからね"と腹巻の代わりに配達をする事になっらたしいおじさんは苦笑いを零す。
"彼女は若いから直ぐ治るよ"と笑っていたおじさんの言葉は見事外れ腹巻はそれから七日間も俺の家の玄関チャイムを鳴らさなかった。
腹巻が俺の家のチャイムを鳴らしたのは腹巻が家に来なくなってから八日目の正午過ぎだった。
竹田家/玄関
「大丈夫か腹巻。」
「うん サンキュ。」
腹巻は何時もの制服姿ではなく青いワンピースを身にまとっていた。
急に"女"を出した腹巻の姿は正直目のやり場に困る。
小中高と顔を合わせていたあの腹巻に自分がこんなにもドキドキするとは思わず暫く腹巻を直視出来なかった。
「コーチ 私暫くコーチの家に来れないや。」
「えっ…」
「赤ちゃんが出来て さ。」
静かに話し始めた腹巻は自身の腹部をゆっくりと上下さする。
まだペタンコのお腹で…そしていきなりそんな事をカミングアウトされても頭がこんがらがるばかりだ。
考えて考えて考えてやっと絞り出した言葉はありきたりな"おめでとう"だった。
「やっと念願のバイクに乗れたとこだったけど… 仕方ないよね。」
「乗れたんだから良いだろ。」
「まあ そうなんだけどさー!」
"立ち話も何だし"とこちらが気を遣う前に腹巻は玄関へ腰を下ろした。
つられて俺も腰を下ろそうとするも腹巻から"お茶持って来て"と注文が入り…俺は言われるまま一度台所へと引っ込んだ。
冷蔵庫から適当なペットボトルの緑茶を一本出し玄関へ戻ると腹巻は開けっ放しの玄関から外を見上げていた。
「お茶。」
「おっ サンキュ!」
早速受け取ったペットボトルを開ける腹巻から少し離れた左隣へと俺は腰を下ろした。
玄関に腰掛け玄関越しにボーッと空を見上げる俺と腹巻…年寄くさい。
「マンガ 楽しみにしてるから描き上げてね。」
「でもお前もう配達しないんだろ?」
「うん 私は出来ないけど旦那がするから。」
「えっ…」
「右手骨折した郵便局員 あれ旦那なの。」
"土筆見つけて気を取られてたらステーンって転んだの"と腹巻は笑いながら旦那…になった相手の話をした。
それから一時間くらい腹巻と玄関で話していた筈なのに俺は話の内容を全然覚えていなかった。
ただ腹巻の旦那が道端の土筆を見つけて嬉しくなるような心の穏やかで優しい人だと言う事は解った。
それからー…
「じゃあね! 結婚式は多分産んでからになると思うけど絶対来てよ!?」
再会した腹巻に対する俺の気持ちを自覚した。
自覚が遅過ぎた。
何もかもが…遅過ぎたー…
職業安定所/ロビー
「何だよコーチ! 戻って来てるならそう言えよ!!」
「コーチくん おひさしぶり。」
腹巻と話した翌日俺は地元の職業安定所へと足を運んだ。
今まで気が向かずずっと避けていた場所だったけれど何故か急に行こうと思った。
その俺らしくない珍しい行動は驚くべき偶然を引き起こす。
職業安定所と言う場所で俺は腹巻同様懐かしい旧友と再会したのだ。
長岡豆腐店一人息子の剛とその幼馴染小町まいか…二人とも小学校からの付き合いだ。
「何で豆腐店の一人息子がこんなとこに来てるんだ?」
「ああ 用事があるのは俺じゃなくてコイツ。」
剛はそう小町を指差すと昔と変わらず気さくに答えてくれた。
どうやら剛は失業保険の申請をしに来た小町について来たらしい。
そしてこれから二人で結婚式場の下見に行くとの事だった。
「おめでとう。」
「ありがとう。」
照れる剛と小町の姿に俺自身もくすぐったさを覚える。
俺にも何時か二人のように祝福される時が来るのだろうか。
「結婚式 是非来てね!」
「ありがとう。」
「あーっと… コーチ!」
「何?」
綺麗になった小町と話していると俺と小町の間に剛がその身を割り込ませて来た。
"そう言えば剛は小学生の頃から小町が他の男と話す度にこうやって割り込んでたな"と懐かしい記憶が俺の脳内を過る。
そんな思い出に浸る俺へ剛は思いがけない言葉を投げた。
「もしお前が良ければの話だけど… 働くとこが見付かるまで俺の家に来いよ。」
「えっ…」
「って言ってもウチも経営が苦しいから扱いはバイトになるんだけど… まあ安定した仕事が見付かるまでの間さ。」
「…良いのか?」
「それ良いと思う! 凄く良いと思う!!知らない人よりもコーチくんなら私も安心!!!」
"名案だ"と楽しそうに笑う剛と小町へ俺は深々と頭を下げる。
腹巻に声を掛けられた時と近い…似たような気持ちが俺の胸へスッと広がった。
俺は何時の間にか人の温かさを忘れてしまっていたようだった。
人からの優しさを忘れてしまっていたせいか今…心の底からこんなにも嬉しい。
不思議ともう一度頑張れるような気がする。
俺はこの土地に戻って来て良かったと思った。
そしてその日初めて俺は自分が意外と涙もろい人間だと言う事を知った。
竹田家/玄関
「こんにちは 郵便です。」
「ども。」
剛の店でアルバイトを始めてから一か月ー…
定休日のその日俺は朝からずっと玄関である人物を待っていた。
その人物は夕方十八時過ぎにやっと家の玄関を開けた。
推定身長百八十センチ痩せ型黒髪ショートの男…腹巻の旦那だ。
昨日宅配中に一人の郵便局員と道ですれ違った。
何となくすれ違いざまに見たその郵便局員は初めて見る顔だったけどとても人柄の良さそうな青年だった。
俺は彼が腹巻の旦那ではないかと勘ぐった。
そして俺の予想は多分当たりだ。
昨日道ですれ違った郵便局員は湿布が貼られた右手を郵便物とともに俺へ差し出して来た。
だから俺も郵便局員へスケッチブックを差し出す。
「えっと…?」
「花槇に頼まれていたものです。」
「…あ…! ああ!!貴方がマンガ家の!!!」
"いえまだマンガ家ではないですけど"と告げる前に腹巻の旦那は興奮気味に目を輝かせた。
「僕も貴方のマンガ凄く楽しみにしてたんですよ! いやあ…こんな身近にマンガ家さんがいるなんて感激だなあ…!!」
「いえ だから俺は…」
「あの 差支えなければスケッチブックにサインしてください!」
腹巻の旦那は人の話を聞かないタイプの人間なのか…はたまた思い込みが激しいタイプの人間なのかー…
俺の返事を待つ事無く腹巻の旦那は胸ポケットから名前ペンを取り出すと改めてスケッチブックとともに俺へ差し向けて来た。
期待に満ちた強い視線が眩しい…と言うかサイン以前にペンネームすら思いつかない現状なのだが。
「あの…」
「はい?」
「えっと…本名でも良いですか?」
「はい!!!」
「ありがとうございました! コーチ先生!!」
腹巻の旦那は嬉しそうにまだ痛むであろう右手をブンブンと振って自転車へと跨った。
バイクではなく自転車での配達と言うところが万全でない事実を物語っていた。
(と言うか コーチ先生って何だコーチ先生って…それ同じ意味にならないか?)
"もう自転車に跨ってしまっている相手へわざわざツッコミを入れるのも気が引ける"と思った…瞬間ー…
腹巻の旦那は振り返ると再度ブンブンと右手を振って来た。
向けられる嬉しそうな顔を見てしまったらつい…らしくない事を叫んでしまった。
「あの! 花槇に絶対マンガ家になるって伝えてください!!」
俺の言葉に腹巻の旦那は満面の笑みで左手親指をグッと立て返してくれた。
少し前までは出来もしないような事を口にする行為を好ましく思わなかった。
けれど今は不思議と"出来もしない"とは思わない。
"やろう"と思う。
"やってみよう"と思える。
この一か月で描いたマンガは楽しかった。
夢中になる事はとても楽しい事だと改めて思い知った。
気付かせてくれた腹巻にはこの先感謝してもし尽くせない。
(幸せになれよ 腹巻…!)
後日腹巻から手紙が届いた。
正確には腹巻の旦那が郵便物と一緒に持って来たそうだ。
手紙にはマンガの感想とスケッチブックの最後に書いた腹巻宛ての言葉に対する返事が書いてあった。
手紙の内容も勿論嬉しかったけど最後…ファン一号二号と書かれた文字の下に腹巻と(恐らく)旦那の名前が書いてあった事が堪らなく嬉しかった。
手紙を読み終えた後俺は一息吐くと目の前の原稿へ視線を向ける。
腹巻の旦那にスケッチブックを渡す少し前…スケッチブックのマンガを書き終えたあと俺は出版社へのマンガ投稿を始めた。
趣味から夢へと変わった目標の入口はまだ見えない。
けれど今が人生で一番充実していると実感している。
梅雨も明けもう直ぐ夏本番ー…
このところ力強い晴天が続いている。
"まるで俺の頑張りを後押ししてくれているようだ"と密かに思っている。
気付けば俺はタバコを吸わなくても平気になっていた。
End
<あとがき>
あとがきを個々で書くのが面倒だったのでコチラでまとめたいと思います。「その時になって、やっと」は「十六歳の誕生日を迎えてやっと自分の誕生日がワクワクドキドキしたものとなった」と言う主人公の前向きな気持ち、前向きな話が書きたいと思い生まれました。「俺とアイツのシャレード」は変化させない事を前提に身振り手振り、もがく主人公が書きたいと思い生まれました。意識したのはそれぞれの心と想いのジェスチャーゲーム(謎解きゲーム)です。シャレードは1番自分らしく書けた作品だと思います。ラブコメ、ギャグ大好き。書いていて1番楽しかったです。「12月のセレナーデ」は叶わない片想いの話を書こうと思い生まれました。矢印は常に一方通行です。「アリベデルチ」は恋をメインにするのではなくどうしようもなくなってしまった大人の葛藤、再起を書きたいと思い生まれました。胸の内に込めた色々な想いや現状にサヨナラをしていく、そんな話を意識しました。相変わらずあとがきに頼ってしまっています。反省。今後も精進します。