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 涼やかな音をたてて、扉は開かれる。だんだんと夏に近づいてきた今日この頃、その音は耳に心地よい。

 二日も連続でココに来るのはいつぶりだろう、と思考を巡らせながら、手に持ったスクールバッグを持ち替えた。声をかけようかとも思ったが、人が入ってきたことに気づいたらしいおばあちゃんが厨房から顔をのぞかせたので、歩は小さく会釈して、勝手に椅子をひく。

「珍しいねぇ、私がボケてなければ、昨日も会ったような気がするんだが」

「ボケてませんよ、昨日も来ました。今日も相談があって」

 少し苦笑いをしながら向かいに座ったおばあちゃんをみて、それから机に視線を向ける。おばあちゃんは慣れた動作で煙草を出し、火をつけた。

「それで、早速なんですけど、おばあちゃんはあの女の人とハチョウがあっただけ、って言いましたよね。でも、あの女の人、私のお母さんだったんです。私は、小さい頃施設に預けられた子供だった、って……」

 早く聞いて欲しい気持ちばかりが先立って、口からはおおまかな説明しか飛び出さなかった。それでも不安そうな視線をおばあちゃんへ向けた歩に、得意のニヤリとした笑顔で返したのは──それはいかにもなにもかもわかった、とばかりの笑顔で──優しさだろうか。

「なるほど。あの朝の女がお前の母親だった、ってワケか。そうなると波長云々の話じゃなくなるな」

 おばあちゃんは一旦言葉を区切り、美味しそうに煙草を吸い上げた。

「ハチョウだけじゃないってことですか? それって私にどう関係あるんですか? 親だから?」

 矢継ぎ早に、机から身を乗り出さんばかりに質問を続ける歩をちらりと一瞥したおばあちゃんは、唐突に立ち上がってしまった。出鼻を挫かれてしまった歩は、肩透かしを食らってしまったように椅子に座り込む。

 しばらくソワソワと厨房のほうに目を遣っていると、おばあちゃんがトレイにカップ二つ、チーズケーキらしきものを二つと、人数分持って戻ってきた。

 そうして茶色の、もう何十年も使われてきた貫禄のあるテーブルへ静かに置く。中の紅茶らしき液体が、少しだけ揺れた。

 何も頼んでいないのに、と困惑したように立っているおばあちゃんを見上げると、おばあちゃんはニヤッと笑って椅子に座った。

「今の歩は焦りすぎだよ。一回落ち着きな」

 そういわれて初めて、自分が焦っていることに気づいた。食べな、と目の前に置かれたチーズケーキと紅茶を一瞬戸惑ったように見て、フォークを手にる。

「いただきます」

 軽く手をあわせ、ゆっくりとスポンジにフォークを刺す。少し弾力のあるスポンジは、フォークにおされて形が崩れたものの、すぐにもとに戻った。口にいれると、くどすぎない上品な甘さが広がって、歩は思わずふっとため息をもらした。

「おばあちゃん、これ、自分で作ったの? すっごいおいしい」

 黙々とケーキを食べることに終始するおばあちゃんを軽く見上げ、紅茶を飲む。

「いんや、これはわしの昔の知り合いがくれたんだ。おいしいのも当たり前さ、だってこれは一流パティシエのケーキなんだ。滅多に食べられるもんじゃないぞ」

 何でもなさそうにいったおばあちゃんに、「なにそれすごい」と独り言のように呟いて、もう一度ケーキを口に含んだ。

 静かな午後の優雅なティータイム、なーんて洒落たものではないけれど、さっきまであんなにパニックになって自分が焦っていることにも気づかなくて、なのに今はこんなに穏やかな気持でケーキを食べていることは、なんだか不思議なことに思えて仕方なかった。

 ゆっくりと全てを食べると、歩は今度こそ冷静におばあちゃんを見返した。

「おばあちゃん、それでどういうことなんだろう。私こんな話聞いたこともないし、当然体験したのだってこれが初めてなんだけど」

 おばあちゃんはそれでも焦らすように煙草をゆっくりと吸っている。

 ようやく落ち着いた歩が、また焦れてソワソワし始めると、おばあちゃんはようやく煙草を灰皿の上ですり潰し、大きく息を付く。

「難しい話じゃないさ。お前だって混乱せずに頭を働かせれば解ける。あの女は──お前の実母は、お前に会いたかった。それだけだ」

 あまりにもあっさりとした答えに、歩は今度こそ肩透かしを食らった気持ちで、椅子に深く座り直す。

「癌だった母親にとって──夫も失った母親にとって、それくらいしかこの世にしがみつくものはなかったんだろう。ずっと歩を支えに生きてきた」

「その、じゃあなんで私の実母は自殺したのかな? 今までと状況は変わらなかったはずなのに。私が死んだわけでもなければ、あの女性が自殺する理由にはならないでしょ……」

 最後の方は独り言のように呟いた歩の言葉を拾って、おばあちゃんは首を振った。

「それはわかんねぇ。何か決定的なことがあったのかもしれないし、お前を望みに待ち続ける十数年が辛くなっただけなのかもしれない。何にせよ、死んだ人間の気持ちなんざ今更考えてもしょうがねえ。だけど、歩は十数年自分を思ってくれていた母親のことを、忘れちゃいけねえよ」

 新しい煙草を出しながら、おばあちゃんはそうため息をつくように言い切った。

 歩はおばあちゃんの言葉を聞きながら、三竹雪子という、私の母親がいたことを忘れないようにしようと、強く思い、同時にそれを教えてくれたおばあちゃんに深く感謝をした。

 それと同時に、まだおばあちゃんの話を聞いても半信半疑だった心のわだかまりも、糸を解すように解けていた。


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