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手紙は長く、それに値するだけの膨大の情報量が書き記されていた。

確かに癌の雪子だって、無職の父親だって育てるのは難しいだろう。老婆の口から得た情報では、雪子は何度か回復の兆しをみせていたものの、状態は一進一退といった様子だったらしい。この手紙は、雪子が送ろうとして送れなかったものだとか。結局八年の闘病生活に自分で終止符を打った。確かに、大量の投薬をされ、八年もの闘病生活はさぞ辛かったのだと思う……。

まるで物語を読んでいるような現実味のない手紙の内容に、歩はますます複雑な心境に陥ってしまって、自分の中でも感情を持て余していた。

今更それを知ったところでなにをすればいいのか。教えられなかったことに対して、憤りを感じるわけではなかった。むしろ、今更言われても、という感じである。

自然、歩の眉間に皺がよった。

歩は三竹雪子に対して、朝の不思議な出来事の人、ニュースに出てきた女性、それくらいにしか感じていない。

薄情だと、そう思われてもそれが事実なのだった。

「あんたはこれを読んでどう思ったんだ?」

 突然自分の思考を遮る声が聞こえて、歩ははたと我にかえった。老婆だった。

 なにを期待してか、自然前のめりになっている。しかし、歩はそもそも母親のことを知らなかったのだから、どう、といわれても困るだけである。何度説明されようが、歩の中で三竹雪子の立ち位置は「報道された人」「朝の不思議な光景に出てきた人」それ以上でもそれ以下でもない。たとえ三竹雪子が自分を大切に思っていようと、変わりはなかった。

「えっと……どうって言われても」

 曖昧な返答に、老婆は一瞬気が抜けたようだった。

「それを読んで、何も思わなかったのかい」

「……何も、って。……えっと」

 さすがに今の自分の気持ちを正直にいってこの哀れな老婆を更に傷つけるのは気が引けたため、歩は返事をかわし続けた。だんだんと冷静になっていく頭の中、歩は老婆を冷めた目で見る自分がいることに気づいて、内心とても動揺してしまった。

 ──つまるところ、この老婆は自分の娘を許してほしいのだろう。子供を捨てるような悪い子ではない、と。それを当の子供から聞いて安心したいと、そういうことなのだ。

そう考えるとここまでついてきてしまった自分をバカだと思う半分、この老婆に情けをかけてあげてもいいのではないか、という気持ちも歩の中に生まれつつあった。

 迷う。迷って、その哀れな視線から目をそらした。ふいと壁の隅にやられた目をみて、老婆は今度こそ絶望したように一歩下がった。その視線にも、この居づらくなってしまった雰囲気にも耐えかねて、歩は小さく頭を下げた。     

「それじゃあ、私のお母さんが待っていますので」

 ぼそぼそと小さく呟くと、振り切るように扉をあけて、外へ出てしまった。母親と、父親が見える。姉はもう車へ戻ったのだろう。その顔を見て、安堵したように歩はふらふらと二人に近づいた。

「もう、大丈夫。帰ろ」

 心配そうな顔を隠しきれていない母親と父親を目で宥め、外へ出る。

 もう藍色で濃く染め上げられた空は、曇っているのか星がよく見えなかった。ちらりとそれを見やり、エンジンのかかっている車へ小走りに向かう。携帯を弄る姉も、こちらを一瞬見たものの、またメールなのかインターネットなのか、携帯の世界へ引き込まれていった。後から遅れてきた父母は、未だ心配そうな表情を崩さず発進させる。

 ふと見た右の手に、白い手紙と封筒が握られていて、歩はハッとした。

──持ってきちゃった。

 心の中で小さく呟いて、その手紙のやり場に困る。まさか持ち帰って保存するなんて、そんな自分にとって嫌な思い出をとっておくようなことはしたくない。けれど、ここで破り捨ててしまうというのも、なんだか気が引けてできなかった。ふと、思う。

──返そうか。

 手紙には住所が書いてあったはずだ。そこに送りつけてしまおうか……。

 そこまで考えて、歩はかぶりをふった。そんな残酷なこと、できない。

 ただでさえ、あの老婆の視線から目を逸らすのに勇気が必要だったというのに、ましてや手紙を送るなんて! 

 小さくため息をつくと、歩はそれを暗い車内で顔の前まで持ち上げた。

 ほとんど白っぽい物体にしか見えないが、後ろから照らす車のライトや電灯のおかげで、「竹雪子」と、やはり見慣れない大人っぽい字が、三という字を隠して斜めに二つ折った手紙の隙間から覗いていた。──どうしようか。

 とりあえずと、手紙を封筒に戻そうとする。まるで自分が悪いかのようなむかむかした気持ちが胸をなみなみと満たしていて、歩は背をシートにもたれかけ、ため息をついた。そうしたところで気分がよくなるわけでもないのだけれど。気休め、ってやつだ。

 そのとき、小さく呟く姉の声が聞こえた。

「向日葵のばあちゃんのとこ、行けば」

「え?」

 思わず聞き返したものの、それは歩の耳にしっかりと届いていた。それ以上は何も言わず、携帯の世界に入り込んでいった姉に心の中で感謝しつつ、ぼんやりと前を見る。対向車線の車のライトが眩しくて、思わず目を細めた。

──行ってみよう。

 よく考えればこのことを相談できるのは──信じてくれるのは──おばあちゃんしかいないし……。

 肩の力が抜けたのか、疲れがどっと押し寄せる。急速に襲いくる睡魔に逆らうことはできずに、歩の意識は途切れた。


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