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 学校ではぼんやりと過ごしたため、口数の少ない自分を心配する声も頭に入らなかった。

 帰り──これまた歩はひたすら歩を進めていた。しかし行き先は自分の家ではない。その証拠に歩は家とは正反対の場所へと行こうとしていた。思考回路がいつもの半分以下にのろくなっていた歩がだした答えが、これから行くところへ相談しに行くことだったのだ。

 着いたのは、おんぼろ喫茶──もとい「向日葵」という、もう齢七十を迎えるおばあちゃんが経営している喫茶店だった。壊れた部分をガムテープで補正したガラス──おばあちゃんの喫茶店に人が来ない要因のひとつになっていると歩は思っている──のはめ込まれた扉を、ゆっくりと押す。入った瞬間、懐かしさが心の中を満たす。歩は昔から、この喫茶店の埃っぽい空気に包まれると安堵する。

 久しぶりに入ったその小さなおんぼろ喫茶を、歩は懐かしい気持ちで眺め回した。歩にとって一番静かな、落ち着く空間。うすく埃をかぶった椅子や棚に飾られている雑貨。小さな窓から差し込む光、ところどころ補正されている古い椅子。小学生までは毎日のようにここに来ていたのに、いつから来なくなったのだろう。

「おばあちゃん、新瀬にいせ歩ですが」

「あいよ。あんたがここに来るなんて久しぶりだねえ。今日はなんだい? 前みたいな占いは、真っ平ごめんだね」

 気だるそうな、しゃがれた声で歩に返事を返したおばあちゃんは、よっこらせと小さく呟いて、厨房のほうから顔を出した。その口には煙草がくわえられている。歩の鼻が、顔をしかめそうな臭いにひくりと動いた。

「あの……聞いてほしいことがあって」

「座ンな」

 埃をかぶった椅子のうちのひとつに、埃を払って座り、おばあちゃんの出してくれたお茶に視線を向けた。

 そうして、朝の出来事をぽつりぽつりと話す。おばあちゃんは相変わらず、煙草をふかしながら黙っていた。

「なるほどねえ」

 しゃがれた声で一人頷いたおばあちゃんに、歩みは返答を求める。

「多分、その霊の死んだ時間帯と、霊と歩の波長があったんじゃないかねえ」

「波長?」

「そう。自分の体から出る波みたいなもんさ。なんにせよ、お前に危害を加えたりはしないと思うよ。もうそいつの『抜け殻』は見つかったんだろ? なら大丈夫だ。そういう映像を見せたってことは見つけてほしかったに違いねえからな」

 しゃがれた声で相変わらず喋りながらそういいきると、ヤニで黄ばんだ歯をニッと見せた。

 その顔を見るとなぜかホッとして、安堵で体中の強張っていた筋肉が解れていくのがわかる。

「……ありがとうございました。お陰でホッとしました」

 深々と改めて頭を下げた歩に、おばあちゃんはもう一度ヤニで汚れた歯をみせニヤリとした。椅子に深々と座り、美味しそうに煙草を吸うおばあちゃんを横で捕らえながら、歩は外へと出る。 

……「本当のことはわしの口からは言えねえ。追い追い知るだろうさ」

 おばあちゃんは外へ出た歩を横目で眺めながら、独り言をぽつりと零す。

 外は気づかぬうちに雨が降ったらしく、軒下にはぽたりぽたりと雨が垂れ、澄んだ空気が歩の鼻腔を通り抜けた。天気雨だったのだろう、雨が降ったにも関わらず、晴天が空に広がっていた。

 歩はその空をちらりと眺め、家へと急ぐ。

「ただいまー」

「おかえり。歩、これから葬式行くから早く用意して」

「えっ? 誰か亡くなったの?」

「いや……とにかくっ、道々説明するから早く用意しなさい!」

 一瞬ためらうように視線を泳がせ、それから焦ったように歩を急かした母親を不思議に思いつつ、歩は急いで用意をする。歯を磨き、髪を整え、喪服に袖を通す。リップクリームを薄く唇へ広げると、鏡を覗き込んでもう一度チェックをした。

 一人で頷くと、もうエンジン音を響かせて歩を待ち構えている母親と父親、そして姉に一度詫びて乗り込む。

 歩は誰だか知らないのだが、母親、父親、そして姉までもが今朝の歩以上に、陰鬱さを顔に宿していた。

「お母さん。それで、誰なの? 名前は?」

「──ああ……ええ、そのね……三竹、雪子さんというの」

 歩は「へ?」と間抜けな声を出したまま目を見開き、数秒動かなかった──というよりも、動けない。……「ええええぇぇぇぇ!?」

 まるでマンガのように大げさなリアクションをとり、他の三人は声にびっくりしたのか大げさに肩を跳ねさせた。絶叫した歩に驚いたのは父親と母親である。二人そろって赤信号で後ろを振り向き、口々に知っているのかどうか攻め立てた。

 歩はその雰囲気に圧倒されながら、どう打開しようか思考を巡らせる。知っているといえば朝の出来事を話さなければいけない。それは言い辛いことの上に、馬鹿にされかねないものだった。知らないといえば今の絶叫の意味を問われかねない。──数秒迷った末、一番無難と思えることを口にした。

「……えと、朝のニュースでやってたじゃん! ほら、覚えてないかなお母さん」

 慌てて言ったのでやや早口になり、動揺がばれていないか内心どきどきする。が、母親は明らかにホッとした表情で「そうだったかしら……」と搾り出すようにいったあと、前を向いてしまった。

 しかしもちろん歩は納得できない。なぜニュースの女性が、あの朝の情景の女性が私たちに関係あるのだ。あまりの空気の重さに今すぐ口を開くのは躊躇われて、次の信号を通り抜けたら聞こうと決意して、前をじっと見つめる。少しも経たぬうちに信号は見つかった。通り抜けた瞬間、決意したように歩は口を開く。

「で──? お母さん、その三竹雪子さんって、私たちとどういう関係?」

 そう口にした瞬間、空気がぴりりと緊張するのが歩にもわかった。周りの緊張のせいか、それとも本当に緊張しているのか、歩も若干緊張して、返事を待つ。

「うん……その……えっとね……」

 ようやく開いた母の口から出てきた言葉はそういったものばかり。さすがにあまりの躊躇いようにイラっとしたのと同時に、そんなに重大なことなのかと戸惑う。しかし、自分だけ知らないという不満に後押しされて、少しばかり強く言ってしまった。

「早く言ってよ」

 その瞬間、困ったように項垂れていた母親が、溜めていた息を吐き出す用に、さらに深くシートに体を埋めた。

「あなたの……母親なのよ」

「え──?」

 ようやく搾り出すように発せられた言葉に、思考回路が追いつかない。思わず間抜けな声をあげた歩は、ぐるぐると混乱する頭を必死に動かし、状況を理解しようとする。

「私の、母親……? だって、じゃあお母さんは……どういう……こと? ちょっと待って……」

「あなたは養子なの! ずっと黙っていたけれど、雪子さんが離婚したときに、親権をどちらも受け取りたがらなくて、結局押し付けられた雪子さんはまだ二歳の貴方を児童施設へ預けていった──私たちが──」

「ちょっと待って! あの人が私の母親? なんで? 意味わかんない! 私はお母さんの子供じゃなかったの!?」

 ヒステリックに大声を出した歩に、全員がびくりと肩を震わせた。

「あなたは……養子なのよ……」

 若干泣き声になった母親も歩の視界には入らない。「あなたは養子なの!」そう自棄になったように叫んだ母親の声がぐわんぐわんと頭の中に響き渡る。

 養子? なんで? そんなこと一言も言ってくれなかった。どうして今更言うの──。

 目頭が熱くなり、視界がぼんやりとぼやける。ほとんど思考停止してしまったような頭の中、泣きそうだ、とようやく気づいてごしごしと目元を擦った。


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