G「終活」
【導入:終活を始める】
私は、67歳の時に、終活を始めた。
別に、病気になったわけではない。ただ、「人生の後半」に入ったという自覚が、ある朝、突然やってきたのだ。
鏡を見た時に、白髪が増えていた。肌にシワが増えていた。両親の死から、もう10年以上が経過していた。
そして、私は、「これからの人生で、何をすべきか」を考え始めた。
その答えが、「終活」だったのだ。
終活とは、一般的には、「人生の最後に向けて、身の回りを片付けること」である。
遺言を書く。不要な物を処分する。金銭を整理する。
でも、私の終活は、ちょっと違っていた。
私は、「人生の記録」を整理することにしたのだ。
私は、フリーランスの作家だった。30年以上、様々な人間ドキュメンタリーを書いてきた。
その過程で、私は、数百人の人間に会い、話を聞いてきた。
その「記録」と「取材ノート」を、すべて整理しようと思ったのだ。
なぜなら、それが「私の人生の最後の仕事」だと思ったから。
段ボール箱が、部屋に積まれた。30年分の取材ノートと、それに基づいて書いた記事や本。
私は、一つ一つ、その箱を開けた。
1990年代。2000年代。2010年代。2020年代。
年代ごとに、異なる人間の話が、記録されていた。
【第一層:Aの話を聞く】
最初に目に入ったのは、2012年に書いた記事だった。
「新卒就職市場の虚実」というタイトルだった。
その記事では、「大手IT企業に新卒入社した若者たちの実態」を追った。
その中に、「彼」がいた。
22歳。営業職。「社会をより良くする」という理想を掲げて入社した若者。
でも、彼は、1年後に、その企業から離職していた。
理由は、「営業の現実がブラック企業だから」だった。
私は、その時は、「ブラック企業問題」として、その記事を書いた。
その記事から12年後。
私は、その記事を再度読み返した。
その時、気づいたのだ。
「あの『彼』は、今、どうなっているんだろう」と。
私は、彼の名前をGoogle検索した。
何も出てこなかった。
ただ、一つ、プレスリリースが出てきた。
2018年。その大手IT企業が、「営業戦略の転換」を発表した記事。
「これまでのハイプレッシャー営業から、顧客志向型営業へ」というコメント。
つまり、彼が辞めた「後」に、その企業は、営業方針を変えたのだ。
その時、私は思った。
「彼の離職が、何か、社会的な変化をもたらしたのか?」
それはわからない。でも、タイミングは、一致していた。
【第二層:Bの話が出てくる】
次に目に入ったのは、2015年の記事だった。
「推し活」という言葉がまだ一般的ではない時代。
でも、SNSで、「アイドルグッズに課金する女性たち」を追った記事があった。
その中に、「彼女」がいた。
20代後半の営業補助職。毎月、推し活に数万円をつぎ込んでいた。
「なぜそこまで課金するのか」という私の質問に、彼女は答えた。
「だって、推しがいないと、人生が空っぽになる感覚がする」
その時、私は、その記事の背景として、「営業補助という職業」について調べた。
営業補助とは、営業職の事務作業を担当する職だ。
給与は低い。やりがいも感じにくい。
だから、「推し活」が、心の拠り所になるのだ、と私は理解した。
30年分の取材ノートを漁っていく中で、私は気づいた。
彼女の「営業補助職」という立場が、どこから来たのか。
私の1998年の記事にあった。
「営業補助職の新設~企業の人件費削減戦略」
その時代、日本の企業は、「正社員の営業職」を減らし、「契約社員の営業補助職」を増やしていた。
つまり、彼女の「営業補助という低給与の職」は、1990年代の「人件費削減戦略」の結果なのだ。
【第三層:Cの話が見つかる】
2018年。私は、「インフルエンサー市場」についての記事を書いた。
その中に、30代の女性インフルエンサー「彼女」がいた。
毎日、SNSに投稿を続ける。毎日、「映え写真」を撮る。
彼女は、「#午後帝国」というハッシュタグを流行らせた、と私の記事には書かれていた。
その「#午後帝国」が、実は、「SNS企業のアルゴリズムによって流行らされた」ことを、私は知っていた。
なぜなら、私が取材した「SNS企業のマーケティング責任者」が、言っていたからだ。
「ユーザーが『自然に』流行らせているように見えますが、実は、私たちのアルゴリズムが、特定のコンテンツを『優遇』しているんです」
つまり、彼女の「成功」は、「自分の力」ではなく、「SNS企業のアルゴリズムの力」だったのだ。
そして、その「アルゴリズムの力」を使ったのは、誰か。
それは、2015年の営業補助職の「彼女」が、もたらしたものかもしれない。
なぜなら、彼女のような「低給与で消費を続ける女性たち」の『購買データ』が、SNS企業のアルゴリズムを強化したから。
彼女たちが「推し活」に課金する→その『購買データ』がSNS企業に蓄積される→SNS企業は、そのデータから「消費心理」を学ぶ→より効果的な広告アルゴリズムが完成する。
つまり、Bの「推し活課金」が、Cの「インフルエンサー活動」を、知らないうちに、支えていたのだ。
【第四層:Dの話が繋がる】
2020年。私は、「完璧さへの追求による心理的疲弊」についての記事を書いた。
主人公は、36歳の男性。WEBデザイナー。
彼は、婚活アプリで、妻と出会った。
でも、3年後に、離婚していた。
理由は、「完璧さを求める心理」だった。
彼は、妻の『完璧さ』を求め、妻はそれに応えられず、心が離れていった。
その記事を書く過程で、私が調べたのは、「『完璧さへの追求』はどこから来たのか」ということだった。
その答えは、SNS文化だった。
SNSでは、「完璧な人生」が、毎日、投稿される。
完璧な顔。完璧な体。完璧な恋愛。完璧な家。
そういった『完璧な画像』を毎日見ていると、人間は、「現実も、完璧であるべき」と思い込むようになる。
つまり、Cのような「インフルエンサーが投稿する完璧な人生」が、Dのような「一般人が現実に完璧を求める心理」を生み出していたのだ。
【第五層:Eの話が現れる】
2021年。私は、「転職市場における心理的葛藤」についての記事を書いた。
主人公は、36歳の営業部課長。
彼は、大手企業からのヘッドハンティングの話を聞いたが、最終的に転職を断った。
理由は、「曖昧な転職理由」だった。
つまり、彼は、「本当に何がしたいのか」がわからないまま、転職活動をしていたのだ。
その記事を書く過程で、私が気づいたのは、彼の「転職を迷う心理」は、「社会的な不確実性」から来ているということだった。
1990年代のバブル崩壊。2008年のリーマンショック。2011年の東日本大震災。
そして、2020年のコロナパンデミック。
こういった『社会的な危機』を何度も経験した世代は、「確実な選択肢」を求めるようになる。
つまり、彼は、「不確実な転職」よりも、「確実な現職」を選んだのだ。
でも、ここで気づいたのは、その「現職」という選択肢が、他の誰かの人生に影響していたということだ。
彼が「現職に残る」という選択をした背景には、その企業の「給与体系が据え置きのまま」という事実がある。
その企業の「給与体系が据え置きのまま」という事実は、その企業の「経営が圧迫されている」ことを意味していた。
【第六層:Fの話が浮かぶ】
2022年。私は、「親の世代の経済的困難」についての記事を書いた。
主人公は、55歳の女性。母親の介護をしている。
彼女は、自分の子ども時代の「貧困」について話してくれた。
親が失職した。経済的に困難な家庭で育った。進学をあきらめた。
その記事を書く過程で、私が調べたのは、「彼女の親が失職した理由」だった。
1992年。バブル崩壊直後。
彼女の父は、その時期に、失職していた。
つまり、彼女の「貧困」は、「親個人の失敗」ではなく、「社会的な危機(バブル崩壊)」のせいだったのだ。
【第七層:全てが繋がる】
ここまで来て、私は、完全に気づいた。
A、B、C、D、E、Fは、「別々の人間」ではなく、「同じ社会の中で、相互に影響し合っている『みんな』」なのだ。
Aの離職 → 企業の営業方針転換
↓
Bの推し活課金 → SNS企業のアルゴリズム強化
↓
Cのインフルエンサー活動 → 「完璧な人生」の投稿
↓
Dの『完璧さへの追求』 → 現実との乖離による心理的葛藤
↓
Eの転職迷い → 企業の給与据え置き
↓
その企業の経営圧迫 → 別の企業の経営困難
↓
Fの親の失職 → その時代の「バブル崩壊」
つまり、誰もが「自分の人生は自分の選択」だと思っている。
でも、実は、社会全体が、こうした『見えない繋がり』によって、相互に影響し合っているのだ。
Aが「社会をより良くしたい」という理想で入社した企業が、実は、Bのような低給与労働者を量産していた。
その低給与労働者の『購買データ』が、SNS企業を強化し、Cのようなインフルエンサーを生み出し、その「完璧な投稿」が、Dのような「完璧さへの追求」を生み出していた。
そして、Dの「完璧さへの追求」による心理的疲弊が、社会全体に「不確実性」をもたらし、Eのような「転職を迷う人間」を増やし、その結果、企業の経営が圧迫され、その経営圧迫が、別の企業にも波及し、結果的に、Fのような「貧困の連鎖」を生み出していた。
【気づき:社会的構造の認識】
この『繋がり』に気づいた時、私は、あることを認識した。
それは、「『完璧さを求める社会』が、実は、『完璧ではない人間たちの相互依存によって成り立っている』」ということだった。
Aは、「社会をより良くしたい」という『完璧な理想』を掲げた。
でも、その『完璧な理想』は、実は、Bのような低給与労働者を搾取することで、成り立っていた。
Bは、「推し活」という『完璧な幸福』を求めた。
でも、その『完璧な幸福』は、実は、SNS企業のアルゴリズムによって、『操作』されていた。
Cは、「インフルエンサー」として、『完璧な人生』を投稿した。
でも、その『完璧な人生』は、実は、『写真の角度』と『加工』と『編集』によって、『虚構』だった。
Dは、『完璧な相手』を求めた。
でも、その『完璧さ』を現実で実現することは、不可能だった。
Eは、『確実な人生選択』を求めた。
でも、社会は、『確実性』を与えてくれず、『不確実性』のみを提供した。
Fは、『完璧な親』を求めた。
でも、親は、『時代の圧力』の中で、『完璧』ではなく、『必死』だけを提供することができた。
【終活という視点:社会全体への認識】
終活を通じて、30年分の取材ノートを整理する中で、私は、気づいた。
それは、A~Fが「個人的な葛藤」を抱えているのではなく、実は、「社会的な構造」の中で、相互に影響し合っているということだった。
「完璧さを求める社会」というのは、実は、「不完全な人間たちが、相互に依存し合う社会」なのだ。
Aが「社会をより良く」したいという『完璧な理想』を掲げるから、その理想を実現するために、Bのような低給与労働者が必要になる。
Bが「推し活」という『完璧な幸福』を求めるから、SNS企業が、その『完璧な幸福』を『売る』ための仕組みを作る。
Cが「インフルエンサー」として、『完璧な人生』を投稿するから、Dのような一般人が、その『完璧さ』と『現実』のギャップに苦しむ。
Dが『完璧な相手』を求めるから、婚活産業が栄える。
Eが『確実な人生選択』を求めるから、転職市場が活性化する。
そして、すべての『完璧さの追求』の結果、社会は、『効率化』『格差化』『競争化』へと向かい、その過程で、Fのような『貧困』が固定化されていく。
つまり、A~Fは、「個人的な失敗」をしているのではなく、実は、「社会的な構造」の『一部』として、機能しているのだ。
誰もが、「自分は、独立した個人だ」と思っている。
でも、実は、全員が、『見えない糸』で繋がれ、相互に依存し、相互に影響し合っているのだ。
【最終認識:不完全な繋がり】
終活を通じて、私は、最終的に、こう認識した。
社会というのは、「完璧な仕組み」ではなく、「不完全な人間たちの不完全な繋がり」なのだ。
その「不完全な繋がり」の中で、各個人は、「個人的な葛藤」を抱えていると思っている。
でも、実は、その「個人的な葛藤」は、「社会的な構造」の反映に過ぎない。
Aが「社会に騙される」と感じるのは、実は、社会が「完璧さの幻想」を売っているからだ。
Bが「矛盾したまま生きる」のは、実は、社会全体が「矛盾の上に成り立っている」からだ。
Cが「虚無を感じる」のは、実は、「完璧さの追求」は、本質的に「虚しい」からだ。
Dが「現実を放棄する」のは、実は、「現実」が「完璧さの追求」には応えてくれないからだ。
Eが「同じ思考パターンを繰り返す」のは、実は、社会全体が「同じ思考パターン」を強化しているからだ。
Fが「親を赦す」のは、実は、「親も、同じように、社会的な構造に支配されていた」ことに気づくからだ。
そして、その「すべての繋がり」を認識した時、初めて、「社会」が見える。
「社会」というのは、「完璧な仕組み」ではなく、「不完全な人間たちが、不完全なまま、相互に依存し、相互に影響し合う、不確定な場」なのだ。
その「不確定な場」の中で、各個人は、必死に「完璧さ」を求め、その過程で、別の誰かに影響を与え、その影響が、また別の誰かに波及していく。
【終活のその先へ】
30年分の取材ノートを整理し終わった時、私は、67歳から、68歳になっていた。
もう一年、年を取った。
その一年の間に、社会はさらに変わっていた。
AIが普及した。気候変動はさらに加速した。格差はさらに広がっていた。
でも、今、私は、それらすべてを、「社会的な構造」として見ることができるようになった。
個々の事象は、「個人的な選択」に見える。
でも、実は、「社会的な構造」の反映なのだ。
終活とは、「人生を片付けること」ではなく、実は、「社会を見つめること」なのだ。
自分の人生の記録を整理する過程で、初めて、「社会全体の構造」が見える。
その「社会全体の構造」を認識した時、初めて、「自分の人生」の意味が、変わる。




