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第31話~第35話

第31話

開かれた箱の続き


 礼拝堂の鐘が鳴り終わったあとも、私はしばらく眠れなかった。


 アレクシスの言葉が、まだ胸の内側に残っている。


 世界より先に、お前を選ぶ。


 そんなことを言われてしまったら、もう簡単には息ができない。


 嬉しい。

 でも、それ以上に怖い。


 私はこの世界を繋ぐ鍵かもしれない。

 なら、いつか彼が本当に“世界か私か”を選ばなければならない時が来るのではないか。


 その時、彼にそんな選択をさせたくないと思ってしまう自分がいる。


 ――約束しろ。ひとりで消えようとしないと。


 あの言葉を思い出し、私は布団を握りしめた。


 たぶん、もう見抜かれている。


 いざとなれば私は自分を差し出そうとする。

 この人はそこまで分かったうえで、先に私を縛ったのだ。


「……ずるい」


 小さく呟いた、その時だった。


 胸の奥が、また熱くなる。


 前と同じだ。


 名前が、呼ばれている。


 カナエ。


 私は目を閉じる。


 すると、夢ではなく、半ば意識のあるままにあの社殿が見えた。


 白い鳥居。

 奥の間。

 木箱。


 今度は、蓋が最初から開いていた。


 中にある白木の札。

 そこに書かれた名の下に、前回は見えなかった細い文字列が浮かんでいる。


 ――継ぐ者は、結び目を開き、王都の層を繋ぎ直す。


「結び目……」


 私が呟くと、札の下からもう一枚、小さな紙片が現れた。


 そこに描かれていたのは、王都の地図だ。


 ただし、地上の建物ではない。

 流れだ。


 礼拝堂、北棟、地下記録層、そして王城中心部。

 それらを繋ぐ細い線。


 さらに、地図の中心にひとつの印がある。


 王都の中心より、やや南。


「……ここ、どこ」


 その瞬間、強く引き戻される感覚がした。


 私ははっと目を開ける。


 部屋は暗いまま。

 けれど、心臓が痛いほど速く打っていた。


 今のは夢ではない。

 情報だ。


 私は迷わず鈴を鳴らした。


 すぐに隣の扉が開く。


「どうした」


 アレクシスが入ってくる。


 私は起き上がり、息を整えながら言った。


「見つけました」


「何を」


「次に行く場所です」


第32話

王都の南、眠る結び目


 翌朝、私は昨夜見た地図を紙に描き起こしていた。


 正確ではない。

 でも、印の位置だけは妙にはっきりしている。


「ここです」


 私が示した先を、アレクシスとクラウス、ガイルが覗き込む。


「王都南区画……旧温室跡か」


 クラウスが言った。


「今は半ば封鎖されています。崩落が進み、人も寄りつかない区域です」


「温室?」


 私が顔を上げると、アレクシスが説明する。


「昔、王都の植物管理と水系調整を担っていた施設だ」


 私は息を呑んだ。


 植物。

 水。

 管理。


 それは、今まで私が直してきたものの中心に近い。


「そこが結び目なんですね」


「可能性は高い」


 アレクシスが頷く。


「礼拝堂が祈りの層、地下記録層が中核。なら、温室跡は地上側の自然制御点かもしれない」


「行くしかないですね」


 私が言うと、ガイルが即座に返した。


「簡単に言わないでください」


「すみません」


「……謝らなくていいですが、今回は前以上に危険です」


 ガイルの表情は険しい。


 それでも、前のような“お前を連れて行くな”という拒絶ではなくなっていた。


「護衛を厚くします」


「目立つ」


 アレクシスが短く言う。


「大人数では動けない。少数精鋭だ」


 ガイルが渋い顔をする。


「殿下」


「お前も来るだろう」


「行きますが」


「なら十分だ」


 私は少しだけ笑いそうになった。

 この二人のやり取りは、最近少しだけ呼吸が合ってきている。


 その時、クラウスが静かに言った。


「殿下。北境侯側が再度動く可能性があります」


「承知している」


「温室跡が王都管理の旧要衝なら、あちらも何らかの記録を持っているはずです」


 アレクシスの目が冷たくなる。


「先に着く」


「はい」


 私は机の上の紙を見る。


 結び目。

 そこへ辿り着けば、王都を閉じる者の正体に近づける。


 でも同時に、私の方も向こうに見つかるだろう。


 少しだけ、指先が冷えた。


 すると、アレクシスが何気ない動作で私の手に触れた。


「顔に出ている」


「……そんなにですか」


「ああ」


「怖いのは、ちゃんと怖いです」


「知っている」


 その答えだけで、少し息がしやすくなる。


「だから、俺の見える場所にいろ」


「はい」


 その短いやり取りを、ガイルは見ていないふりをした。

 クラウスはたぶん全部見ていたが、何も言わなかった。


第33話

温室跡の白い根


 王都南区画の旧温室跡は、想像していた以上にひどかった。


 石造りの大きな骨組みだけが残り、ガラスはほとんど砕け落ちている。

 蔓草が枯れたまま絡まり、中央には干上がった水路が走っていた。


「……ここ、まだ生きてる」


 私がそう言うと、アレクシスが周囲を見渡す。


「見た目は死んでいるが?」


「違うんです。奥で、何かが耐えてる」


 温室の中央へ進む。


 足元の石床は割れ、土が露出している。

 その下から、かすかに白いものが覗いていた。


「根?」


 しゃがみ込んで土を払う。


 出てきたのは、木の根に似た白い筋だった。


 でも、普通の根ではない。


 脈打つように淡く光り、地下記録層の線と同じ性質を持っている。


「これが……地上側の結び目」


 私は思わず手を伸ばしかける。


 だが、その前にアレクシスの声が飛んだ。


「待て」


 私はぴたりと止まる。


「どうした」


「周囲が静かすぎる」


 言われて初めて気づく。


 風の音がない。

 鳥もいない。

 崩れた温室の中だけ、世界が息を潜めている。


「ガイル」


「はい」


 次の瞬間、温室の上部から矢が飛んだ。


「伏せて!」


 私が叫ぶより早く、アレクシスが私を抱えて地面に伏せる。


 矢は石柱に突き刺さった。


 続いて二本、三本。


「伏兵か!」


 ガイルの怒声。

 騎士たちが散開する。


 私はアレクシスの腕の中で息を止めた。


「怪我は」


「ありません」


「動くな」


 彼は私を庇ったまま、鋭く上を見据える。


 割れた温室の骨組みの上に、黒衣の人影がいくつも見えた。


 城の騎士ではない。

 統一された装備でもない。


「北境侯側……?」


 私が呟くと、アレクシスの声が落ちる。


「あるいは“閉じる側”と手を組んだ連中だ」


 次の瞬間、黒衣の一人が叫んだ。


「娘を引き渡せ!」


 やはり私だ。


 私は息を呑む。


 だがアレクシスは、あまりにも静かに答えた。


「断る」


 その一言とともに、彼が立ち上がる。


 剣が抜かれる。

 冷たい光。


「ガイル、右を」


「了解!」


 戦いが始まった。


 私は石柱の陰へ引かれる。

 騎士が一人つくが、目は戦場から離せない。


 アレクシスは早い。

 ただ強いだけではない。無駄がない。


 黒衣の一人が迫る。

 剣が交わる。

 その瞬間にはもう相手の体勢が崩れている。


 でも、数が多い。


 しかも彼らの狙いは討伐より攫取だ。

 だからこそ厄介だった。


「……っ」


 その時、足元の白い根が急に熱を持った。


 私ははっとして下を見る。


 根が、私に反応している。


「カナエ様」


 誰かの声がした。


 驚いて顔を上げる。


 目の前には誰もいない。

 でも確かに聞こえた。


「ここを、開いてください」


 白い根の奥からだ。


 私は震える手を押さえる。


 触れれば、たぶん結び目が開く。

 でも今それをやれば、何が出るか分からない。


 約束。

 ひとりで動かない。


 私は唇を噛む。


 その時、アレクシスがこちらへ振り向いた。


「何かあるのか!」


「……あります!」


「言え!」


「これ、結び目です。でも、開いたら何が起きるか」


 言い終わる前に、黒衣の一人が私の方へ飛び込んできた。


 護衛の騎士が受け止める。

 でも次の瞬間、別方向からもう一人。


 まずい。


 私は反射的に白い根へ手を置いた。


「カナエ!」


 アレクシスの声。


 でも、もう触れてしまっていた。


 白い光が爆ぜる。


 温室全体の床下から、無数の白い根が一斉に浮かび上がった。


 それは蔓のように走り、黒衣たちの足を絡め取る。


 悲鳴。

 驚愕。

 そして温室中央の地面がゆっくり開いた。


 下に、階段がある。


「……また」


 私は呆然と呟く。


 王都の結び目は、どうやらどこも“下”へ続いているらしい。


 アレクシスが駆け寄り、私の腕を強く掴んだ。


「無茶をするなと何度言えば」


「すみません」


「謝るな!」


 珍しく、彼ははっきり怒鳴った。


 その顔を見て、私は胸が詰まる。


 彼が怒っているのは命令違反だけじゃない。

 私を失うかもしれない瞬間を見たからだ。


 私は小さく息を吸った。


「……でも、開きました」


 アレクシスは数秒、言葉を失ったように黙り、それから低く言った。


「だから困る」


第34話

怒っているのに、手は優しい


 温室跡の伏兵は、最終的にほとんどが拘束された。


 数人は逃げたが、少なくともこの場は押さえた。


 その間、私は開いた地下階段の前から動かされなかった。

 正確には、アレクシスに動かされなかった。


「……まだ怒ってますか」


「怒っている」


 即答だった。


 私たちは温室の崩れた壁際で、状況整理が終わるのを待っていた。


 ガイルは捕縛した者たちの確認に走り、騎士たちは周囲を警戒している。


 その中で、私は半ば隔離されるように座らされていた。


「でも、あのままだと危なかったです」


「だからといって、お前が勝手に開く理由にはならない」


「……はい」


 反論できない。


 私が黙ると、アレクシスは深く息を吐いた。


 それから、膝の上に置いた私の手を取る。


「火傷はないな」


「え?」


「根に触れただろう」


 私は手のひらを見る。


 うっすら赤い。

 自分では大したことないと思っていたのに、彼はそれを見逃さない。


「少しだけです」


「少しではない」


 そう言いながら、彼は騎士から受け取った水で布を濡らし、私の手を冷やした。


 その仕草は、怒っている人のものとは思えないくらい丁寧だった。


「……怒ってるのに、優しいのはずるいです」


 私が言うと、アレクシスは眉を寄せる。


「怒っているからだ」


「意味が分かりません」


「分からなくていい」


 でも分かる気がする。


 この人は怒っている時ほど、私が無事かを先に確かめる。


 それがまた、苦しいほど嬉しい。


「アレクシス」


「何だ」


「ごめんなさい」


 今度は謝罪の意味が違う。

 命令を破ったことより、彼を本気で怖がらせたことへの謝罪だ。


 たぶん、それも伝わったのだろう。


 アレクシスは少しだけ沈黙してから、低く言った。


「……次は、先に俺を見る」


「え」


「何かが起きた時、お前が一番先に見るのは状況でも結び目でもなく、俺だ」


 私は目を瞬いた。


「それで、俺が頷いたらやれ」


 胸が熱くなる。


 それは命令というより、共犯の約束みたいだった。


「……はい」


「約束だ」


「はい」


 その時、ガイルが戻ってきた。


「殿下。伏兵の一部は北境侯家の私兵崩れでしたが、残りは所属不明です」


「閉じる側か」


「おそらく」


 ガイルは私の方を見て、少しだけ複雑そうな顔をした。


「それと、地下階段の先ですが……風があります。かなり広い空間に繋がっているかと」


 アレクシスが立ち上がる。


「今日は入らない」


「よろしいのですか」


「敵の伏兵直後だ。準備不足で突っ込む気はない」


 前と同じだ。


 この人は焦っている時ほど、踏みとどまる。


 その判断力に私は何度も救われてきた。


「カナエ」


 立ち上がったアレクシスが、私へ手を差し出す。


 私はその手を取る。


「歩けるか」


「はい」


「嘘はつくな」


「……少し、足が震えてます」


「なら支える」


 当然みたいに言われて、私は少しだけ笑った。


 たぶん、もう隠しきれない。


 私はこの人に支えられることを、嫌だと思わなくなっている。


第35話

それでも、一緒に落ちたいと思った


 温室跡から戻った夜、私はまた眠れなかった。


 地下へ続く新しい階段。

 伏兵。

 白い根。

 そして、アレクシスの怒った顔。


 今日いちばん心に残っているのは、実は温室が開いた瞬間より、その後だった。


 怒っているのに、私の手を冷やしていた彼の指先。


 あれを思い出すだけで、胸がどうしようもなく熱くなる。


「……だめだ、寝られない」


 そう呟いた時、扉が叩かれた。


「起きているな」


 アレクシスの声だ。


 最近はもう、このやり取りが自然になってしまった。


「どうぞ」


 彼は入ってくるなり、私の顔を見て少し眉を寄せた。


「やはり眠れていない」


「分かりやすすぎるって言わないんですか」


「今日は言わない」


 私は少しだけ笑う。


 アレクシスは部屋の窓辺へ歩き、外を見た。


「明日は温室跡の地下に入る」


「はい」


「おそらく、礼拝堂や北棟地下と同系統の空間だ」


「結び目の先、ですよね」


「ああ」


 私はベッドの端に腰掛けたまま、彼の背中を見る。


「怖いですか」


 私が問うと、アレクシスは少しだけ振り返った。


「怖い」


「……最近、ちゃんと言ってくれますね」


「お前には隠しても無駄だ」


 その返しに、胸が少しだけやわらかくなる。


「私も怖いです」


「知っている」


「でも」


 私は毛布を握る。


「それでも、一緒に行きたいです」


 アレクシスは数秒黙ってから、こちらへ歩いてきた。


 ベッドの前で立ち止まり、静かに言う。


「前にも聞いた」


「何度でも言います」


「なぜだ」


 私は彼を見上げる。


 前なら、うまく言えなかった。

 でも今は少しだけ分かる。


「離れて待ってる方が、もっと怖いからです」


「それだけか」


 私は首を横に振る。


「……一緒に落ちるなら、怖くない気がするんです」


 言ってから、自分でも息を呑んだ。


 何を言っているんだろうと思う。

 でも、嘘じゃなかった。


 この人となら、たとえ深い場所へ降りていくとしても、一人で落ちるよりずっと怖くない。


 アレクシスの表情が、ほんの少しだけ揺れる。


 それから彼は、ゆっくり私の前に膝をついた。


 視線の高さが近くなる。


「カナエ」


 その呼び方は、もう私の中心を真っ直ぐ射抜く。


「落ちない」


「え」


「お前を連れて、必ず戻る」


 その言葉に、目の奥が熱くなった。


 戻る。

 彼はいつもそこで止まらない。

 守る、ではなく、戻す。連れ帰る。


 私は唇を噛んだ。


「……本当に、ずるいです」


「またか」


「だって、私が一番欲しい答えばかり」


 アレクシスの手が、そっと私の頬に触れる。


 前よりも自然に、その温度を受け止められる自分がいる。


「欲しいなら、何度でも言う」


 その一言で、とうとう涙がこぼれそうになる。


「泣くな」


「泣いてません」


「泣きそうだ」


「……アレクシスのせいです」


 彼は少しだけ目を細める。


 それは笑みに近いものだった。


「なら、責任は取る」


「どうやって」


「明日、戻って証明する」


 私はその言葉に、小さく頷いた。


「……はい」


「眠れ」


「努力します」


「努力では困る」


 思わず、私は笑ってしまう。


 彼もほんの少しだけ笑った。


 部屋の外では、遠くで風が鳴っている。

 王都の深い場所では、今も何かが軋んでいるのだろう。


 でも今夜だけは、はっきり分かる。


 私はもう、ただの異物ではない。

 鍵であり、名を継ぐ者であり、そして――


 この人と一緒に進みたいと思っている。


 それが恋だと認めるには、もう十分すぎるくらいだった。

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