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ひだまり亭の、急がない時間 ~異世界に来たけど、特に目的もなく生きてます~  作者: 九条 綾乃


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第22話 招かれざる鑑定士と、ただの石

 朝。

 窓から差し込む光が、少しずつ白くなってきた。

 冬の気配が、確実に濃くなっている。

 厨房では、湯気が立っている。

 鍋の中で、野菜が静かに煮える音。

 コト、コト。

 一定のリズム。


 リナが、濡れた布巾でテーブルを拭いている。

 まだ少し手つきはぎこちないが、最初よりは早くなった。


「おはようございます」


「おはよう」


 ユウトは裏口から薪を運び込みながら、短く返す。

 いつも通りの朝だ。


 ミリアが窓を開けて、外の空気を入れた。

 冷たい風が、店内に流れ込む。


「少し、風が強いね」


「そうだな」


 窓枠が、ガタガタと鳴った。

 古い建付けのせいだ。

 ミリアは窓辺に置いてあった緑色の石を手に取り、窓のサッシの隙間に押し込んだ 。

 ガタガタという音が、ピタリと止む。


「うん、ちょうどいい」


 それは、いつか泥だらけの客が置いていった石だった 。

 親指くらいの大きさ 。

 光が当たると、内側で何かが動いた気がした 。

 綺麗だが、それだけだ。


 昼前。

 扉が開いた。

 鈴の音が鳴る。

 入ってきたのは、見慣れない男だった。

 身なりの良い、少し派手な上着。

 指には、いくつもの指輪が光っている。

 商人のようにも、貴族の使いのようにも見えた。

 ひだまり亭には、ひどく不似合いな客だ。


 男は店内を見回し、少し顔をしかめた。

 古い柱。

 軋む床。

 欠けた皿。

 彼にとって、ここは価値のない場所に見えたのだろう。


「……茶を頼む」


「はいよ」


 ミリアがいつもの茶を出す。

 男は一口飲んで、また顔をしかめた。

 少し渋いからだ。


 男の視線が、ふと窓辺で止まった。

 隙間に挟まっている、緑色の石。

 男の目が、見開かれた。

 瞬きもせず、じっとそれを見つめている。

 椅子から立ち上がり、引き寄せられるように窓辺へと近づいた。


「本当に、あった」


 男の声が、震えていた。

 彼は懐から小さな単眼鏡を取り出し、目に当てて石を覗き込んだ。


「信じられん。噂は本当か。あの輝き、間違いない。『森の心臓』!」


 男の息が荒くなる。


 リナが、不思議そうに男を見た。


「あの、お客様?」


 男はリナの声にビクッと肩を揺らし、慌てて咳払いをした。


「あー、コホン。店主はいるかな」


「私だけど」


 ミリアが厨房から顔を出す。


 男は、努めて冷静な声を取り繕って言った。


「この窓の隙間に挟まっている石だが。私が買い取ってやろう」


「え?」


「見栄えは悪くない。ちょうど、子供の玩具を探していてな。銀貨三枚、いや、五枚出そう。こんなボロ宿には破格の値段だろう?」


 男の目は、欲望でギラギラと濁っていた。

 秘宝を、銀貨数枚で騙し取ろうとしている 。


 ミリアは少し首を傾げた。


「売らないよ」


「なっ……! なぜだ! 銀貨五枚だぞ!?」


「風が吹くと、窓が鳴るから」


「は?」


 男は口を半開きにした。


 ユウトが、皿を拭きながら口を開いた。


「それがないと、隙間風が入って寒いですから」


 男は、信じられないものを見る目でユウトとミリアを交互に見た。


「正気か? これは……いや、この石を窓のつっかえ棒にしているのか!? お前たち、これがどれほどの価値を持つか……」


「価値とかは、いいです」


 ユウトは淡々と言った。


「ただ、役に立っているので」


 男の顔が、怒りで赤く染まった。


「無知なやからどもめ……! ならば、強硬手段だ!」


 男は手を伸ばした。

 窓枠に挟まった『森の心臓』を、無理やり奪い取ろうとした。

 彼の手のひらが、緑色の石に触れる。


 その瞬間だった。


「――ヒッ」


 男の喉から、潰れた悲鳴が漏れた。

 彼には見えたのだろう。

 石の奥で脈打つ、圧倒的なまでの魔力 。

 底なしの沼。

 すべてを飲み込む『沼の王』の記憶 。

 欲に目が眩んだだけの人間が、無防備に触れていいものではなかった。


 男は白目を剥き、全身を激しく痙攣させた。


「あ……」


 そのまま糸が切れたように、床に崩れ落ちる。

 ドサッ。

 重い音が、店に響く。


 沈黙が落ちた。

 リナが、皿を持ったまま固まっている。


「……えっと」


「どうしたんでしょうね」


 ユウトは布巾を置き、倒れた男を見下ろした。


「急に倒れましたね」


「持病かな」

 ミリアも特に慌てた様子はない。


 ユウトは男の襟首を掴み、ずるずると引きずり始めた。


「邪魔になるので、外のベンチに寝かせておきます」


「お願い。風邪ひかないように、外套は着せてあげてね」


「わかりました」


 ユウトが裏口から外へ出た直後、ガルドが入ってきた。


「よう。……なんか、外のベンチで派手な服着たおっさんが泡吹いて寝てるぞ」


「疲れてるみたい」


 ミリアがスープをよそう。


「そうか。まあ、色んな奴がいるからな。最近は物騒だし」


 ガルドはいつもの席に座り、剣をテーブルの横に立てかけた。


「今日のスープはなんだ」


「カボチャと豆」


「いいな」


 午後は、静かだった。

 窓辺の緑の石は、微動だにしない。

 ただ静かに、そこにある。

 風が吹いても、窓枠は鳴らない。

 立派に役割を果たしている。


 リナが、少しだけ不安そうに石を見た。


「あの……あの石、本当に窓に挟んでおいていいんでしょうか」


「なんで?」


 ミリアが聞く。


「その、すごいものなんじゃないかって……倒れた人、すごく怖がってましたし」


 リナには、微かに石の魔力が感じ取れたのかもしれない。

 だが、ユウトは薪を割りながら言った。


「すごかろうが、そうでなかろうが」


 薪が、ストンと半分に割れる。


「窓が鳴らなければ、それでいいんです」


 リナは、しばらく石を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……そう...ですね」


 彼女は、またテーブルを拭き始めた。


 夕方になり、外のベンチで寝ていた男がいなくなった。

 起きて逃げ帰ったのだろう。

 誰も気にしない。

 暗くなる前に、ミリアがランプに火を入れる。

 オレンジ色の光が、緑の石を少しだけ照らす。

 石は、やはりただそこにあるだけだ。


 夜。

 最後の客が帰り、扉の鍵を閉める。

 外は冷え込んできた。

 でも、隙間風は入ってこない。

 店内は、ほんのりと暖かい。


「今日も平和だったね」


 ミリアが言う。


「そうだな」


 ユウトが頷く。

 リナも、ほうきを片付けながら小さく頷いた。


 誰かが欲した秘宝も。

 国を買えるほどの価値も。

 ひだまり亭には、関係ない。

 窓が鳴らないことの方が、大切。


 明日は、今日より少しだけ寒くなるかもしれない。


 今日も、特別なことは何もなかった。

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