第1話 今日も特に目的はない
朝、目が覚めたら天井が木目だった。
見慣れたはずなのに、いまだに「そういえば異世界だったな」と思う。
古い宿屋――ひだまり亭の二階の一室。軋む床、薄いカーテン、少し冷たい空気。全部もう慣れた。慣れてしまえば、どこでも寝られるものだ。
階下から皿のぶつかる音がする。
朝の仕込みだろう。
「……起きるか」
特に予定はない。
予定がない、という予定だけがある。
階段を下りると、案の定ミリアがいた。茶色の髪をひとつに結び、忙しなく動いている。
「あ、起きた。おはようユウト」
「おはよう」
「今日はパン余ってるから、あとで食べていいよ」
「ありがとう」
それだけの会話。
理由も説明もいらない。
適当に椅子に座って、出された茶を飲む。少し渋い。いつもの味だ。
「今日はどうするの?」
「どうもしない」
「……まあ、いつも通りね」
ミリアは笑って、次の仕事に戻った。
外は少し曇っている。雨は降らなそうだ。降ったら降ったで、宿が混む。それだけの違い。
昼前になると、常連が一人入ってきた。
「よう、ユウト」
ガルドだ。鎧は着ていないが、体つきだけで冒険者だとわかる。
「おはよう」
「いやもう昼だろ」
そうかもしれない。
ガルドは椅子にどさっと座り、勝手に酒を頼む。
「聞いたか? 南の森、魔物が増えてるらしい」
「へえ」
「反応薄いな……まあいい。でな、俺たちが行かされそうなんだが」
「大変だな」
「他人事かよ」
他人事だ。
ガルドは何か言いたそうだったが、結局それ以上は言わなかった。代わりに酒を飲んで、愚痴をこぼして、昼過ぎには帰っていった。
そのあと、ロウが来た。
白髪の老人で、いつも同じ時間に同じ席に座る。
何も言わず、茶を飲む。
それで終わりだ。
黒猫がいつの間にか膝に乗っていた。重くはない。温かい。
「……寝てるな」
猫は動かない。
外では世界が動いているのだろう。魔物もいるし、争いもあるらしい。誰かが頑張っている。
でも、ここは静かだ。
夕方になり、ミリアが言った。
「今日も平和だったね」
「そうだな」
それでいい。
目的はない。急ぐ理由もない。
今日も、特に何もなかった。




