03 芦毛のヒーロー、最後の嘶き ~有馬記念~
──もう、あの馬は燃え尽きたんだ。
──走らせすぎた反動だ。
──ケガの影響が残っている。引退させるべきだ。
そんな声が、いつからか当たり前のように耳に入るようになった。
異変は、三つ目のタイトルを手にした直後からだった。
春のマイル王決定戦、安田記念。
圧倒的人気に応え、レコードで制した。アグリ強し、を印象つけた一戦だった。
それから、わずか中二週で挑んだ春のグランプリ・宝塚記念。
ファン投票第一位。単勝一・二倍。誰もが疑わなかった。しかし、走ってみれば何かがおかしかった。
いつもの伸びがみられない。粘るマサイチジョージを、どうしても捕まえられなかった。
何とか二着は守ったが、『格下に取りこぼした』一戦となった。
◇
秋の天皇賞。休み明けでも一番人気に推された。
四コーナーで先頭集団に並びかけた瞬間、胸が焼けるように苦しくなった。
直線の坂で、脚がピタリと止まった。振るわれるムチに、身体が反応できない。
人気に応えられず、初めて掲示板を外した。
敗戦の傷が癒えないまま迎えたジャパンカップ。
前年、世界に届きかけた舞台。今日こそは。───そう思ってゲートを出た。
スタート後、出足がつかず後方からの競馬となる。行きっぷりが悪く、身体が前へ進んでいかない。何もできず、十一着と大敗を喫した。
どうしてしまったんだ、オレの身体は?
惨敗に困惑しながらターフを引き上げた。その時のスタンドのため息が、胸に突き刺さった。
◇
これまでを振り返れば、決して順風とは言えなかった。ライバルに遅れをとったゴール前が、今でも脳裏に焼き付いている。
オレは地方競馬出身。中央に来てもクラシックは走れない。裏開催を、ただひたすら走り続けた。
連勝して初めて挑んだ天皇賞秋。
そこにいた芦毛の先輩───タマノクロスは、強かった。
何度も、何度も、その背中を追いかけた。
その年の暮れの有馬記念。
引退レースのライバルを、ようやく倒した。初めて味わう頂点の味は、格別だった。
◇
有馬記念の激走の影響で、復帰したのは四歳の秋だった。
秋の天皇賞。オレの前に立ちはだかったのは、春の天皇賞馬スーパークレープと若き天才・椿航。
先行するスーパークレープを捕らえきれず、クビ差で勝利を逃した。
天皇賞から中二週。オレは京都にいた。
マイルチャンピオンシップのゴール前、先に抜け出したバンブーメロディーをどうにか交わす。その背にも、椿がいた。
ハナ差で手にした二つ目のタイトル。
身体はキツかったが、ファンの喜びが心に染みた。
その翌週には府中で外国馬とも戦った。世界レコードで駆ける牝馬に競り負けたジャパンカップ。
そして二度目の有馬記念。
走り続けた。
気づけば三十一戦。
凌ぎを削ったライバルたちは去り、気づけば自分だけが、ターフに残っていた。
───五歳で走る三度目の有馬記念。
これが、最後だ。
鞍上は、ライバル達に騎乗していた椿航。安田記念以来の騎乗だ。
椿のことは不思議と、嫌な気はしなかった。
ファン投票一位だそうだ。
オレもこれで引退だ、ご祝儀代わりだろう。落ちぶれた馬の、最後だから。
レース当日。四番人気だ。それでも、まだ信じてくれる者がいることに驚いた。
調教の時計は悪くない。だが、気持ちが、脚が前に出ない。
こんなんじゃ、勝ちはないだろう。
だが、───せめて掲示板に載って、人気分くらいは走りたい。
◇
ゲートが開いた。悪くないスタートだ。
オレは六番手につける。
その位置のまま周りのペースに合わせて走る。その時、椿が声をかけてきた。
「アグリ。お前には、この声が届いてへんのか?」
ちょうど一周目のスタンド前を通るところだった。
『アグリ~、がんばれー!』
『引退なんて、まだ早いぞぉ!』
『もう一度勝ってくれや!』
『お前見たさに三日並んだんやで!』
声。声。声。
四方から、自分の名前が降ってくる。
───アグリキャップ。
「今日はな、十七万人や。みんな、お前を見に来とるで」
椿は、静かに続けた。
「俺は、お前と勝ちたい。
競走馬アグリキャップの最後を、勝って終わらせたい。
……お前は、どうなんや?」
向こう正面に入る。オレを求める声は、ここまで届いている。
オレは……オレは、どうしたい?
◇
最終コーナー。
『先頭はマサイチジョージ!ミスターシクラメン並びかける!アグリキャップ三番手!』
最後の直線。
無我夢中で四肢を動かす。肺が苦しい。でも、あの声が、背中を押してくれる。オレは、
───まだ、走れる!!
『アグリキャップ先頭!外からメグロアイアン! アグリ、頑張れ!!』
内で粘る馬を交わし、追いかけてくる若馬を押さえ込もうと、必死に前を向く。
───なんだ。まだ、ちゃんと脚が動くじゃないか。
『アグリ先頭!! アグリキャップだぁぁぁ!!!』
オレは誰にも譲らず、ゴール板を駆け抜けた。走りきった。出しきった。
どっと疲労感がオレを襲う。そんなオレに向かって椿が、笑った。
「やったやん。やっぱり、お前はヒーローや」
陽の傾いた中山競馬場。寒風の中、誰も帰らない。
『ア・グ・リ!』
『ア・グ・リ!』
少し離れたスタンドからは十七万人のアグリコール。
椿に促され、オレは駆け足でスタンド前に戻る。
胸が、温かい。
オレは、空に向かって嘶いた。
その声に応えるように、歓声が爆発して競馬場を包み込んだ。
───これで、いい。
【灰翼不死】アグリキャップは、その日、ヒーローとしての最後の役目を終え、ターフを去った。
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※本作は連載中の『見た目と血統が悪いと生産界から追放されたダービー馬、極東の地から世界の血統図を塗り替える!』
と世界観を共有する番外編的位置づけです。
本編では描けなかった一戦を、戦記調で切り取っています。
ご興味ありましたら、本編もぜひ。
https://ncode.syosetu.com/n2297jn/
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番外編用に、おすすめのレースがあれば教えてください!
リアクションくれると作者が喜びます(・ω・`人)




