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ほどけない紋様



 〈人類〉の飽くなき繁栄への渇望は、世界の源泉を枯渇させ——宙は(かげ)り、森の木々は灰色を(まと)い、草原を駆けた(かつ)ての駿馬はこうべを垂れた。

 

 その頃だ。

 〈リードラン〉を分つ概念を〈人類〉が形成したのは。

 それは国と呼ばれた。

 

 東に魔術の故郷ブレイナット公国。

 西には魔導大国フォーセット王国。

 南に芸術と文化の小国家群、フォルダール連邦共和国。

 北に軍事大国アークレイリ王国。

 〈リードラン〉中央部は、この四国(よんこく)が覇権を争う地——はたまたは各国が牽制しあう緩衝地帯として機能した。

 

 中央部に生活の根を下ろした、どの国にも属さない屈強な採掘師、鍛治師、農地を営む農民——そういった争いから距離を置いた人々は、日々戦火を脇目に、翌朝を目にすることが出来る奇跡に感謝の念を捧げた。無論、魔導師たちが造り出した神にではなく、死と幸運が背中合わせた理不尽な自然へ。


 そうした彼らは、そのうちに〈職人(アーティザン)〉と呼ばれた。

 

 彼ら職人たちは優秀な商売人でもあったが、技術の探究を何よりも貪欲に望み、そのうちに〈人類〉へ最後の渇望の種を与えた——〈玉鋼(たまはがね)〉の誕生がそれであった。

 

 〈玉鋼〉は一見すると鈍く輝く重鈍な鉄鋼であった。

 それを見た東の魔術の学徒は、本来であれば魔導師の手で捻り出されるべき魔力が滲み出ていることに合わせ、それが無色であることを発見した。

 すると学徒は極めて簡便な魔術式を鈍い鉄鋼へ彫り込んだ。

 無色であるのならば、色を与えることができるだろう。学徒はそう考えたのだ。

 そして、その試みは功を奏した。

 

 これまで、万物へ魔力を纏わせる術は〈魔導〉の領分であり、更に云えば魔女が世界に与えた言葉の音色よりも前に存在した〈幻装〉の業——ドルイドたちが駆使した、万物から魔力を引き出す業が骨子となっている。

 魔術はあくまでも世界に発露する魔力を術式で形式化することで、その恩恵に預かる。だが、この鈍い鉄鋼へ術式を彫ることで〈術〉を持ち運び、僅かな体力の消費で発動することが可能になったのだ。つまり、わざわざ術式を描かなくとも簡便に〈魔術〉を発動し駆使することができる。


 これに〈人類〉は湧き立った。


 

 ※ ※ ※



 ギャスパルの言葉へ過剰に反応をしてしまったアッシュ・グラントは、大広間の南側にできた小さな暗がりへ身を潜めた。ほんの刹那の間でも、とある理由からひた隠した魔力が漏れ出てしまった。その残穢(ざんえ)を嗅ぎ分ける輩はきっとこの場に潜んでいるだろう。そう警戒すると、今は漏れ出てしまった魔力を抑えるため身を隠したのだ。暗がりは、いつでも心を落ち着かせるには格好の相棒だ。

 しかし、そんな理由を知る由もない給仕が、気を利かせたのか〈魔力の灯〉を刻んだ玉鋼の燭台を運んできた。「狩人様、(あかり)を」

 

 

 ※ ※ ※



 〈魔力の灯〉は、魔術特有の蒼色の輝きを薄らと滲ませているが、燭台の頭を覆った緑色の半透明なフードは蒼緑の輝きをぼんやりと纏っている。

 これは、魔術師たちの皮肉なのだろう。

 魔導が示す魔力は緑である。それを魔術の蒼で侵食をする。いや、様相を変える。そう——今や魔力は〈魔導〉や〈幻装魔導〉だけのものではない。魔術は文明に寄与し〈人類〉の発展を推進した。たとえ戦場では殺戮の力となると判っていても、〈人類〉の足を進めたのは魔術であると多くの魔術師はそう自負している。

 だから、魔導を象徴する緑を寛大に取り入れる懐の深さがあるのだと、あらゆる魔導具に緑を取り入れるのだ。

 

 ともあれ、〈魔力の灯〉は暗がりに少しばかりの輝きを放つと周囲の様子を薄らと明らかにした。

 他に用意された幾つかの丸机では、それぞれに男女が暗がりの中で、ひっそりと語り合う姿が見て取れた。だが、アッシュの丸机に置かれた灯のおかげで、語らいの刻は終わりを迎えたのか皆その場から立ち去ってしまった。

 

 これに、ばつを悪くしたアッシュは、黒外套のフードを深く被ると燭台へ視線を落とした。悪いことをしてしまったか——だが、この灯を運ぶように給仕へ頼んだのは誰なのだろうか。そんなことに思いを巡らせたが、直ぐに気を取り直し別のことを思案した。


「やっぱり何かがおかしい——」アッシュは先ほど暗がりから散って行った人々を思い出しながら呟いた。「ジョシュアはどこに? 〈原罪〉を持ち込んだのはきっとジョシュアだ。この時代じゃないなら未来に持ち込まれ……現代は辻褄合わせの真っ最中と云ったところか——」

 と、アッシュは周囲の気配を拾い漏らすことなく、ひとりごちたのだが突如として口を閉ざした。そして——燭台から、ゆっくりと視線を上げた。

 背後から声をかけられたのだ。

 それまで気配を感じることはなかった。

 アッシュはこれまでに、背後を無防備にとられたのは一度もなかった。だから、不意に声をかけられると酷く狼狽したが、さっと黒外套の中へ手を忍ばせた。次に起こる事態へ対処するためだ。すると、前開きの隙間から少しばかりの蒼光が漏れ出た。

 

 

 ※ ※ ※



「そう警戒をしないでもらえるかしら、アッシュ・グラント。懐の短剣は不要よ——」アッシュの背後を取った誰かは、さきの〈式典〉で英雄譚を歌った〈白の吟遊詩人〉だった。彼女は少しばかり狼狽したアッシュへ小さく笑いながら、丸机の横へつくと言葉を続けた。「——それで……あなたは目的を果たせたのかしら?」


「あなたは〈外環の狩人〉ですね——アオイドスさん……で合っていますか?」アッシュは姿を見せた〈白の吟遊詩人〉の頭上を一瞥すると、そう訊ねた。

「ええ、その呼び方で合っているわ。本当はもっと違った名にしたかったのだけれど、生憎と誰かに使われていて。こちらでの職業ままの名前を使っているの」

 吟遊詩人は、紺色に縁取られた純白の外套をから、白磁のように白く繊細な細い手を差し出すとアッシュへ握手を求めた。アッシュは、その手と吟遊詩人の黒髪黒瞳を何度か往復するとやっと手を握り返し「僕の目的とは?」と訊ね返すと、質問を重ねた。「あなたは、僕を知っているのですか?」


「ええ勿論。アッシュ・グラント。と——名を変えた狩人」

 アオイドスは、そう口にすると、アッシュの懐が僅かに揺らいだのを見逃さなかった。吟遊詩人は握った手を少しばかり強く引き寄せ、空いた片手をアッシュの腰へ当てると囁いた。「だから、その短剣は必要ないわ。私はメリッサの追跡者ではないの。ただ、あなたに興味があるだけ——そうね……例えば本当のあなたは、今は何処に居るのかしら?」


「どうも話が見えませんね、アオイドスさん」

 そう応じたアッシュが今度は吟遊詩人の手を強く引くと、白く精細な肌をした顔を引き寄せた。「僕が何処にいようが、あなたには関係のないことだ。それにです。メリッサの名を出した狩人を信じるとでも?」


「それも、そうね。それに……」アオイドスは、そう云うとアッシュの胸ぐらを強く押し返し「お客様のようね」と続けた。

「お客様?」アッシュは、それに怪訝な顔をしたが、直ぐに言葉の意味を察した。直ぐそこまで、ルゥ・ルーシーがアッシュを探しやって来たのだ。


「ひとつだけ教えて貰えるかしら、色男さん——」ルゥがこちらに気が付いたのを見た吟遊詩人は言葉を急いだ。「——私の顔に見覚えは?」

「いいえ」アッシュの答えは淡々としていた。

 それにアオイドスは幾らか顔を曇らせた。そして「そう。なら、いいわ」と残すと、中央で踊る華やかな紳士淑女の隙間を流れるように行くと姿を消してしまった。


 

 ※ ※ ※



「お邪魔だった? 彼女とは知り合いなの?」

 ルゥは横をすり抜けるように立ち去った吟遊詩人が放った「失礼」の言葉に、軽くかぶりを振ると、直ぐにアッシュへ駆けより、どこか気まずそうに訊ねた。

〈白の吟遊詩人〉が迎賓館へやって来た日、アッシュは不在であったし、それ以降も彼女と顔を合わす機会は少なくともルゥが知る限りでは無かった。だが、彼女は迎賓館のあの日、アッシュのことを知るような口振りで語っていたことを思うと、旧知の仲なのかもしれない。ルゥは、それが気になったのだ。

 

 

「いいえ。ところでルゥは踊らないのですか?」

 アッシュは、朧げにそう答えた。

 と、云うのも吟遊詩人が云った「私の顔に見え覚えは?」という言葉に、違和感を覚えていたのだ。白外套の彼女が〈大広間〉中央へ姿を消す間、ずっとその軌跡を追いかけ記憶の奥底を探ったが、肝心なところで嫌な頭痛を覚え、諦めたところにルゥがやってきたのだ。

 

「踊る相手を選ぶ権利くらい持っているつもり。誘ってくるのは……判るでしょ?——」ルゥは、幾分か気を悪くしたような素振りを見せ、魔術師学院の学徒の集団が何やら押し合いをしている光景を目で指した。「——うんざりしちゃう」


「ルゥを誘う順番でも?」アッシュは、ルゥの視線を追いかけ小さく云った。

 

「アッシュは、どう思う?」

「と、云うと?」

「アッシュなら私を、どうやって誘ってくれるのかなって。家柄を考えて? 飾り付け用の功績のため? それとも私に——嘘でも魅力を感じて?」

 なるほど——あの集団はルゥの家柄なのか、彼女が得た栄誉を求め、お近づきになりたいと云うことなのだ。その順番を決めていると。先ほども——〈賛名授与〉の前に——ルゥは、困っていそうだったことをアッシュは思い出した。そして、そう理解するとルゥの顔を真っ直ぐに見返した。「そういう意味ですか。そうですね……僕は〈外環の狩人〉。ですので、家柄云々や功績というのにも正直興味ありません」


「じゃあ、魅力を感じたら誘ってくれるってこと?」今度はパッと顔を明るくしたルゥは少しばかりアッシュとの距離を詰めたが、アッシュが「そうなりますね」と、淡々と返すのを耳にすると勢いよく両肩を落とした。そして、かぶりを何度も横に振ってみせると呆れ返ったふうに続けた。「そうなりますねって……凄い返しかたするのね」


「でも、嘘は云いませんよ」アッシュは、それを不思議そうに眺めながら返した。ルゥの感情豊かな言動からは、どこか温かさを感じる。一方、アッシュの口を突いてでた答えは<大広間>の床の模様のように理路整然としていたか。そう思うと、アッシュは表情を曇らせた。


「あはは、そっか、確かに嘘は云わないか。そうだったね」

 アッシュの答えに、吹き出したルゥは弾けたように笑うと、机を何度か叩きながらそう返した。あまりにも、真面目な顔でアッシュがそう返したことに、笑いを堪えられなかったのだ。確かに、この男は旅の始まりから終わりまで誠実であった。恐怖を覚えたこともあったが、それはそれ。対照的にアラン・フォスターは旅の途中から、浮ついた様子を見せた。それにアッシュが叱責したことも思い出すと、笑いの余韻が尾をひいた。


「それで——何か、ありましたか?」ころころと笑うルゥを眺めたアッシュは、給仕から杯を受け取りルゥに差し出しながら、そう訊ねた。だがアッシュはおおかたの予想はついていた。〈賛名〉についての愚痴なのか、もしくは兼ねてからルゥに言い寄られていた話の続きだろう。


「ううん。良いの。大丈夫。しばらく此処に居ても?」ルゥはアッシュから杯を受け取ると、少しだけ口をつけ答えた。

「ルゥが退屈しないのなら——」アッシュは言葉を続けようとしたが、ルゥが遠くで踊る男女の姿をぼんやりと目で追いかける横顔に気がつくと、どこか不思議そうに童顔な魔導師を眺めた。

 

 

 ※ ※ ※



 今日この日を迎えるまでアッシュは人の機微に鈍感だったと云って良い。今でもそうだろうし、これからもそうだろう。

 だが、だったひとつだけ敏感なことがある。

 今まさに眺めている童顔な魔導師の横顔に浮かぶ、儚げな憂いを目にすると、心が騒つくのだ。誰に対してもそうだ。いつも、それが何故なのか判らない。

 そして判らないまま終わってしまう。

 判らないまま流れてしまう。

 いや、意図的に流してしまう。

 それは、自分には必要のないものだと思うからだ。だが、少なくとも誰かの憂いを晴らすことができるのならば、そこには自分の居場所がある。そう考え、手を差し伸べることはするのだが、いつもそれは裏目に出てしまう。

 

「——そうだ、ひとつ良いですか?」思いを巡らせたアッシュは、何を思ったのか唐突にルゥへ訊ねた。

 

 

 ※ ※ ※



「ええ、勿論。なに?」

 アッシュが押し殺した言葉の続きを待つあいだ、ルゥは自分に視線が送られていることに気がついていた。彼が何を切り出そうと考えているのか。そればかりが気になり一向に開かれない口へ落胆し始めていた。

 だから、やっと切り出したアッシュへ勢いよく顔を向けると少々上擦った声で答えていた。しかし、嬉々とした女魔導師は、すぐに目を大きく見開き口をあんぐりと開けることとなった。

 

 アッシュの放った言葉が、あまりにも予想外だったのだ。


「なぜ、ルゥは僕に好意を寄せてくれるのですか?」

「は。え? 今なんて云ったの?」

「なぜ僕に——」

「あ、いやいや大丈夫。ごめんなさい。ちゃんと聞こえてた——」ルゥは驚きの顔から、呆れ顔へ忙しく表情を変えると両掌を、やはり忙しく振ってアッシュの言葉を遮った。

 なんなのだろうか、この唐変木は。

 竜討伐までの旅路でも何度か、惚れた腫れたの話は——主にアランがだが——話題に登った。だが、いつでもアッシュは興味なさそうにしていたのは判っている。しかし、それはアッシュ自身に向けられた思いの話ではないからだろう。そうルゥは思っていたのだが、どうもそう云うわけではなさそうだ。 「——そう云う意味ではなくてね——」ルゥは、そう続けるとアッシュの顔を覗き込み、しかめっ面で更に続けた。「——そう云うことを本人に訊ねるものなの? 狩人ってば皆んなそんな感じなの?」


「……気を悪くさせてしまったようですね。ごめんなさい」アッシュは、ルゥのあまりもの剣幕に、自分の言葉に後悔をすると、しどろもどろとした。どうやら、ルゥの憂いはその件ではないようだ。そう自分に云い聞かせると、アッシュは半歩下がって黒外套のフードを目深に被り直した。

 

「……気にしないで、驚いただけだから」ルゥはフードで顔を隠したアッシュを眺め、その所作はまるで子供のようだと思うと、宥めるように答えた。

 これまでだってそうだったではないか。報奨金の話もそうであった。どこかズレた無頓着さは両親から様々な価値観を学ばなかった子供のようであったし、怒りに身を任せてしまったときのアッシュは、その節が顕著に現れていたと云っていい。ルゥはそう無理矢理に、わなわなする気持ちを腹落ちさせた。

 するとアッシュがボソッと口を開いた。「きっと僕が、おかしいのだと思います。狩人の特性ではないですよ」

 

「それって、どう云う——」ルゥは、俯いたアッシュへ身を寄せると、出来うる限り優しく言葉をかけたのだが尻切れになった。ホールの方から、パーン!と明らかに誰かが、誰かを平手打ちした音が鳴り響き、怒声が挙がったからだ。

 その声の主は、カミーユのものだった。

 では、おそらく平手打ちを喰らったのは——アランの筈だ。

 あの男は、また何を怒らせたのか。


 

 ※ ※ ※



 式典後に集まった竜殺しの五人であったが、少しするとアッシュが姿を消し、次にルゥが姿を消すとギャスパルも何処かへ姿を消してしまった。

 その暫く後のことであった——遠慮なしにアランを呼び捨て近寄ってきた者が居た。それは、アランの妻と娘の身を引き取ったという、フォーセット王国王都のガレリア男爵であった。

 男爵は首から奇妙な銀細工の首飾りを下げ——きっとメルクルス神派の首飾りだ——鼻持ちならない態度でアランに近づくと、蛙のような顔を歪め不躾に口を開いた。「あなたが家族を捨てセントバへ赴いてから二年。落命されたのでなくて良かった。()()()もあなたの生還と功績を喜んでいましてね、話をしたいそうなのですが——お時間、よろしいかな?」


 アランはそれに「()()()?」と鈍く短く答えると、男爵の背後——随分と距離はあったが——に控えた二人の女に気がつくと、そちらへ一瞥をくれた。一人は純白のドレスに身を包んだ黒髪の女。もう一人も黒髪に純白のドレスの女だが、少しばかり背が低い。きっとそちらが娘だ。その二人は、アランの妻と娘。の、はずであった。

 

 男爵は先ほど、アランへ「家族を捨てセントバへ赴いた」と云った。

 なるほど——アランは娘の病を治すため、貿易都市セントバの〈白銀の薬師〉の元へ向かったのだ。だが、それは家族を捨てたものと吹き込まれたのだろう。アランは言葉を詰まらせ、そう思案すると枢機卿団の面々が集まったテーブルへ目をやった。そして、周囲の黒ずくめの中、たった一人、純白の外套をまとった魔導師を睨めつけた。そうか。アランは心中に再び、ひとりごちると男爵の首飾りをもう一度目にし口を開いた。「娘さんの病は、メルクルスの秘術で良くなったのか?」


「は?」男爵は望んだ答えが返ってこなかったことへ、あからさまな悪意を込め一言云い放ったが、アランの視線のいく先に気が付くと、にやけ面で言葉を続けた。「ああ、そうです。導師アイザックの秘術でね。オッターに身を寄せて直ぐのことですよ。メルクルス神派を毛嫌いされる方は多いですが、いやはや実のところ素晴らしいのですよ。何せ体内の気を自在に操り病を取り除くのですから」


「そうか。なら良かった。それでだ男爵——必要なのは、弁明の時間だったか? いや、違うか。冒険譚を語る時間だったか? なんの時間が必要だと云ったのか、もう一度云ってもらえるか?」アランは低い声音でそう云うと、横に佇んだカミーユを押し除け男爵へ詰め寄った。そして、指で男爵の首飾りを引っ掛けると「それとも——懺悔する時間が必要か?」と更に声音を低くした。

 これにカミーユは「落ち着いて。子供の前だよ」と慌てアランの礼服を引っ張ったが、〈宵闇〉は乱暴に手を払いのけ「判ってる」と短く返し「だが、もう他人(ひと)の物みたいだ」と続けた。

 

 アランの視界の外。

 その奥。

 ぼんやりと映り込む白い二つの影——あれはアランの妻と娘のはずだ。

 だが——どうだ。二年の歳月で、その関係性は変わってしまった。いや、変えられたのだ。

 

 

 ※ ※ ※



 オルゴロス討伐後、アッシュ・グラントは頻繁に〈英雄〉と呼ばれることに忌諱の念を示していた。

 アランは、それを何故か聞いたことがある。

 アッシュの答えはこうだった。——〈英雄〉と呼ばれることを望むなら、自然と何かを捨てなければならない。捨て去るものが自尊心であるならば心を殺さなければならない。それが嫌ならば情を捨て自尊心を埋める何かを手にしなければ、やはり心を殺してしまうでしょうし身を滅ぼしかねない。だから〈英雄〉なんてものは、買って出るものじゃないし、周囲の称賛に酔いしれるのは程々にしたほうが良いです。あまりにも人の身には犠牲が大き過ぎる——と。


 今更、自尊心を捨て去り世界に向き合う覚悟などという崇高なものをアランは持ち合わせていない。ただただ、そう呼ばれるだけで何の心配もなく生きていける。それが保証されれば良い。そして、その保証の恩恵は、向こうに見えるボンヤリとした白い影も共に享受できるものだと信じていた。だが、それはもう違うようだ。

 

 ならば——自分の心を埋める何かを得なければ。

 アランはそう思うと、一度は振り払ったカミーユの手を強く引っ張り、体を寄せると腰に手を回した。

 カミーユの赤のドレスの裾が、くるりと乱暴に踊った。

 アランが立ち位置を変えたのだ。

 そして丁度、男爵に背を向ける格好となったカミーユの唇を、アランは乱暴に奪って見せた。

 

 すると——アランの視界の奥で相変わらずボンヤリとした白い影のひとつが、蹲ったのが判った。もうひとつの白い影は、茫然と立ち尽くしている。

 だが次の刹那でアランの頬に強烈な痛みが走ると、立ち尽くした白い影は——アランの娘であることが判った。いや——最初から判っていたのだ。当たり前だ。だがアランは、それが妻と娘であることを否定しようとしたのだ。他人の物であると。自分の世界から切り離そうとしたのだ。

 

 

 ※ ※ ※


 

「アラン! どう云うつもり! あたし云ったよね? ちゃんと話してくれって。それが何? なんで罪もない()の前で、こんなことをするの? 大人の事情に巻き込まれて混乱しているって云うのに、こんな泥試合を見せて何がしたいわけ?」カミーユは突然のことに驚くと、ハッと振り返りアランの娘の顔を見るや否やアランの頬を張り付け叫んでいた。

 

 その言葉は至極正論であったし、カミーユが受けた辱めよりも、アランの娘の心情を察しての言葉だった。結果がどうであれ、大人が決着を付けなければ、子供は振り回され心を擦り減らすばかり。そして、それに気がつくのは子供が成長してからだ。それでは、もう手遅れだなのだ。

 

 カミーユはそれを痛いほど知っている。

 グスタフ族は二十四氏族の中でも、いちにを争う大氏族だ。それゆえに子供は大人の事情に振り回され、場合によっては大貴族の真似事のように、勢力争いの道具とされてしまう。カミーユの剣幕は相当のものだった。

 

 

「そんなの、俺が訊きたいくらいだ。命懸けで泥水を啜って這いずり回ったのは——」張りつけられた頬を押さえたアランは、カミーユに視線を戻すと、がなりたてたが言葉を切り落とした。カミーユの視線が、これまで見た事のないほど鋭く、冷ややかに突き刺してきたからだ。


「それ以上、云ったら承知しないよ——」カミーユは、そう強い口調で云うとアランと男爵を一瞥し、すたすたと小走りに奥の二人に駆け寄った。そして「——ごめんなさい二人とも——」と声をかけると蹲った女に手を差し伸べゆっくりと立たせた。

 改めて二人の女——アランの妻と娘——を正面に見たカミーユは、もう一度、「ごめんなさい」と云うと続けた。 「あたしが云える義理じゃないんだけれど、一度、あの人と話をしてもらって良いかしら? どんな結果でも、あたしは受け入れる。約束する。だから——娘さんのことを第一にお願い」


 そう云うとカミーユは、もう一度「ごめんなさい」と続け、その場を駆け出し大広間から姿を消してしまった。

 

 

 ※ ※ ※



「カミーユ。大丈夫かな?」

 ルゥとアッシュは騒動に気が付くと大広間へ駆け出し、ことの顛末を見守っていた。ルゥはカミーユが駆け出すと、呼び止めようとしたがアッシュに遮られると、カミーユを気にしたのだ。

 

「カミーユは強い人ですから、きっと大丈夫でしょう」アッシュは、この騒動でも淡々としている。だからルゥへの返答もそうだった。

 

 だが、アランがカミーユの言葉を反故にするよう、その場を立ち去る姿を見たアッシュは、どこか感情的な言葉を漏らしたのが判った。ルゥの聞き違いでなければ、アッシュは「呑まれましたね」と云ったはずだ。そしてアッシュが枢機卿団の方へ目を向けたのも判った。

 どこか薄ら気味の悪い枢機卿団にルゥも目を向けたが、アッシュがそこに何を見ているのかは判らなかった。だから少しばかり曖昧に「そっか。そうだね」と返すと、何を思ったのかアッシュの黒外套を強く引っ張り、先ほどの机へ二人で戻った。


「ルゥ?」

 強引に——と云っても差し支えのないほどの力で引っ張られたアッシュは流石に驚き〈闘いの輝き〉の名を、どうしたのかと訊ねるように呼んだ。

 アランとカミーユの悶着で、ルゥが何か意を決したであろうことを、アッシュはどことなく察してはいた。強引に引っ張ったのはそれが理由だろう。

 いずれにせよ、張り手の音がしなくとも、ルゥは意を決しアッシュへ確かめたいことを訊ねるため、そうしたはずだ。そして、その答えを——意図的にではないにせよ——これまで、はぐらかすよう有耶無耶にしたのはアッシュなのだから、何かしらか答えを出す必要があるだろう。そうしなければ、次に張り手を喰らうのはアッシュだ。

 

 

 ※ ※ ※


 

 大広間の中央で踊りに興じた面々は、件の騒動に早々と場を去り思い思いに、ことの成り行きを話している。だがそれでも、楽師団は演奏を途切らすことはない。

 だからというべきだろうか。

 本来であれば息を呑むような美しさを誇る〈大草原の広間〉は、雑多な色で織られた掴みどころのない紋様の布が広げられているように思えた。

 美しい旋律。

 噂話——それも、あらぬ影を孕んだ噂。

 憶測。

 これに乗じて企みを思いついた者の声。

 そんなものが織りなす紋様——絡み合った紋様。

 もし、それが目に映るのであれば、きっと複雑で目がチカチカしてしまうだろう。そして、アッシュの横に佇んだルゥもその紋様を織り込むように口を開いた。「ねえ、アッシュ。私が教会で云ったこと覚えている?」


「ああ……はい」

 迎賓館へ逗留中に〈白の吟遊詩人〉がやって来た日、彼女が堪らず外へ飛び出したことがあったのだが、その日のことだ。外出をしていたアッシュと、ばったりと街の教会の前で鉢合わせとなり——ルゥが切り出した話。ルゥが訊ねたのはそのことだ。それは先ほどアッシュが察したものと合致している。だから、アッシュはどこかバツが悪そうに短く返事をしていた。


「考えてくれた?」ルゥは、アッシュの顔を見ることはなく続けて訊ねた。もうこの言葉には、何かしらかの覚悟が感じられる。考えていないと答えれば、次に頬を張り付けられるのは、予想通りアッシュだろう。

 


 ※ ※ ※


 

 実のところ。

 アッシュはルゥの言動について、深く思慮をしていたのは間違いない。

 だが、それはルゥへの答えではなく、ルゥが何故そう思ったのかを考えていたのだ。それは、アッシュにとって重要なことであった。アッシュが旅を続ける理由にも関わる。しかし、いま求められているのはルゥへの答えの方だ。アッシュは、そう思うと意を決したのか、フードを払い口を開いた。「ええ。でも、僕はそれに応えることは——」


 

「そっか。私じゃ役不足?」

「いいえ、そんなことは」

「じゃあ、なんで?」

「僕は〈外環の狩人〉で、皆んなとは違う時間を生きているからです」そう答えたアッシュは酷く寂しそうな顔をしてみせた。演技がかったそれではない。


 それは、ルゥにも直ぐに判った。

 変えたくても変えられない、のっぴきならない状況と対峙したのならば、それを呑み込まなければならない。自分にはどうすることもできない。得てして過去の自分もそうであった。だから家を飛び出したし、誰かに縋ろうともし、何度も傷つき、決まってこんな顔をしたのだから。だがアッシュが口にした理由の本来の意味がどうであれ、いま目に見えていることで反証の糸口となる物が一つだけある。ルゥはそう思うと、アッシュの手を取り指を軽く絡めた。「こうやって、一緒に居るのに? 触れることだってできるのに?」

 

「ええ。それに僕は——いや、これは余計なことですね」

「なに? 云って」

「ごめんなさい、ルゥ・ルーシー。でも、大事な仲間であることには——」



 ※ ※ ※


 

 エドラス村で初めてアッシュと顔を合わせたのは、最悪の状況の中だった。

 その時は、アッシュは、随分と単調に「ルーシーさん」と、ルゥのことを呼んでいた。アランのことは「フォスターさん」、カミーユのことは「グスタフさん」と同様に。唯一ギャスパルのことだけは名を呼び捨てるか、「ギャス」と愛称で呼んでいた。

 エドラス村の災厄のなか出逢った五人は、目指すものが、一緒であることが判ると共に〈サタナキア砦〉を目指すこととなった。

 そう決まった日だ。

 やっとアッシュはルゥのことを「ルゥ・ルーシー」と呼んだ。

 そのとき初めてアッシュはルゥを仲間だと認めたのだろう。どのような心境の変化だったのかは判らない。そして、次第にアッシュは、ルゥを「ルゥ」と呼ぶようになった。愛称で呼ぶようにだ。

 そう——そして今、アッシュはルゥのことを、あの日に戻ってしまったかのように「ルゥ・ルーシー」と呼んだ。それはきっと、アッシュなりの距離の取り方だったのかも知れない。「ルーシーさん」と呼ばれなかったのが救いだろう。


 ルゥはそう思うと、目を大きく見開き、すぐさま閉じると「ごめんなさい」とアッシュの言葉を遮り、手から指を解くと逃げ出すように駆け出した。

 

 

 ※ ※ ※



「おいおい色男。そんなに女を泣かせるもんじゃあねえぜ。追いかけてやれよ」

 気が付けば、主役である四英雄は〈大草原の広間〉から全員、姿を消してしまったかのように見えたが、どうやら違ったようだ。頃合いを見計らったように、アッシュへ声をかけて来たギャスパルは、そう云うとアッシュの肩を叩き顔を寄せて来た。


「なんで、そんなにルゥに執着する必要が?」

「執着? 俺がか? 悪い冗談はよせよ相棒——ところでだ、カイデルから引っ張り出した情報によるとだな、お前の探し人らしき男は、南のサンティエル戦線に現れるかもしれねえぜ。確実な情報じゃあねえけどな——めっぽう腕の立つ男が配属さされるってよ。それこそ〈外環の狩人〉みてえに腕が立つらしいぜ」

「サンティエル戦線——フォルダール連邦と小競り合いをしている?」

「ああ、そうだ。配属されるのは——」


 アッシュは、ことあるごとにルゥのことを口にするギャスパルへ、違和感を感じていたが、問いただせば直ぐさま話題を変えてくる。

 今もそうだった。だが、アッシュが捜す人物はこの地に居ないことは明白となった。ギャスパルが持ち出す情報は、いつでも正確なのだ。それだけは信用が置ける。

 それであれば、もうこの場で時間を費やす理由もない。

 もっとも、ギャスパル自身が「確実な情報じゃあねえけどな」と云うあたりが引っかかるが、ともあれ意図せず残った懸案の〈夢幻の心臓〉の()()を確認したのならば、明日には南へ旅立とう。アッシュが、そう心に決めたその時だった。

 

 王城の中庭から耳をつんざく爆発音が轟き、ギャスパルの言葉を掻き消したのだ。



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