夏ホラー第八弾「尼さん」
ちょうど、二年ほど前の夏の出来事だったと思います。
その頃、私は子供の手がかからなくなり、夫の仕事が思わしくないこともあって、少しでも家計を助けたいとパートタイムの仕事をしていました。
仕事内容は、結婚前に勤めていた会社の縁で得た、書道の資格を活かすものでした。通信講座の受講生から届く書の添削や、郵便ハガキの代筆など、静かに筆を運べる在宅の仕事です。
さらに、京都という土地柄から、映画撮影所からの依頼が舞い込むこともありました。時代劇用の小物製作で、武家屋敷の表札や古い手紙文を手がける仕事です。撮影所に出向く必要はありましたが、その分手当は良く、家計にとても助かりました。テレビや映画の画面に自分の筆跡が現れると、まるで朝靄の水面に自らの影がふと映り込むように、静かな誇りと満足が胸に広がりました。
撮影所では普段出会わない人々と知り合い、その縁で新たな仕事もいただきました。冠婚葬祭の挨拶状や、書の個人指導などです。
そんな折、お寺の住職さんからの依頼がありました。檀家さんに配る冊子のための写経──般若心経を原紙に黙々と書き写す仕事です。
墨を含んだ筆先が和紙に触れるたび、黒いしずくがじわりと滲み、波紋のように広がっていく。その静謐な広がりは、深い井戸の底を覗いたときのような澄んだ冷たさを心にもたらし、雑念を洗い流していきます。
その日も、住職さんに八畳ほどの和室へ案内されました。
「ちょっと身内に不幸がありましてね。隣の部屋で仏さんを安置してます。線香の香りが強いかもしれませんが、お香だと思って気になさらないでください。それと、何かあれば隣でお経をあげていますから声をかけてください」
淡い煙が静かな流れのように漂い、香の匂いは水底の泥のように重たく部屋に満ちていました。私は深く息を吸い込み、筆を執りました。
ところが、写経を始めて三十分も経たないうちに、肩が鉛のように沈みました。最初は「疲れているのかしら」と思ったものの、やがて冷たい水が胸元まで迫るような悪寒と、不安がせり上がってきました。
正座がつらくなり、私は畳に仰向けに倒れ込みました。その瞬間、耳元で「うー」という水中の呻き声のような音が響き、視界の天井が水車のように回転し始めたのです。
身体から力が抜け、意識がゆっくりと水底へ沈んでいく。声を出そうとしても、口は開くのに音は泡のように消えていきます。
必死に這って、隣の部屋へ向かいました。畳の目が川底の小石のように視界を流れていき、やっと数メートル先の襖が見えました。少し開いた隙間から、誰かの視線が注ぎ込んできます。
住職さんだ、と直感しました。助かった──そう思いました。けれど、その視線は川面に揺れる影のようにゆらめくだけで、手は差し伸べられませんでした。
なぜなら、その視線の主が住職さんではなかったからなのです。
私が勝手に住職さんだと思い込んでいたその視線は、目が合った瞬間、襖の隙間から覗く口元を微かに動かし、低く呟きました。
「死ねばいいのに」
その声は氷を溶かすことのない水底のように冷たく、男性ではなく明らかに女性のもの。耳に落ちるその響きが、まるで水面に放られた毒の雫のように私の胸に広がりました。
本能が告げました──逃げなければ、この女に殺される、と。しかし、身体は金縛りにあったように動かず、水中で手足を絡め取られたようなもがきだけが虚しく続きました。
心の中で「怖い、助けて」と叫んでも、声は水に溶ける泡のように消えていきます。首から肩甲骨にかけての重苦しい悪寒、「うー」という耳鳴り、回転する視界に、私は水流に呑まれた魚のように為す術もなく漂いました。
やがて、襖の向こうの視線が鋭さを増し、再び口元が動く。「苦しめ、死ね、苦しめ、死ね」と、深い淵から響く呪詛が押し寄せます。恐怖の波が全身を打ち、息を飲み込む余裕さえ失われました。
襖がゆっくりと開き、その姿が現れます。剃髪の尼僧のような女──血色のない顔、真紅に充血した白目、外側にねじれた関節、血糊に染まった白衣。その異様な姿が、濁流のような呪いの言葉と共に私へ迫ります。
心臓は波立つ水面のように乱れ、「来ないで」と願っても女は近づき、額が触れるほどの距離で「ともせよ」と呟き、氷のような手で私の首根を掴み隣の部屋へ引きずっていきました。
畳を擦る「ザァー、ズゥー」という音は、浅瀬で引きずられる舟底のよう。襖を越えた先、揺れる提灯の下には布団と、その枕元で胡坐をかき半狂乱の住職がいました。目は焦点を失い、口から垂れる涎と意味不明な言葉──助けなど望むべくもありません。
女は「ニヤリ」と笑い、敷布団の横で私の首を締め上げます。指が頸椎に食い込み、水圧のような圧迫が息を奪い、走馬灯のように過ぎる家族の顔。なぜか私は心の中で写経の経文を唱え始めました。声なき経が胸の奥で波紋を広げ、苦しみは遠のき、意識は水底へ沈んでいきます──あぁ、これが死というものか、と。
「奥さん、大丈夫ですか?」
目を開けると、私を揺すり呼びかける住職さんがいました。「作業部屋におられないので探したら、ここで倒れていたのですよ」と。
住職さんは、心配そうな顔で私を見つめながら、事の成り行きを語られました。
私は信じてもらえないと思いつつも、先ほど起こった女の怪異──あの水底から這い上がってきたような気配に襲われ、殺されかけたことを話しました。
「確かに、奥さんが倒れていた部屋には、先日亡くなった仏さんを安置していましたけど……きっと夢を見られていたのでしょう」
住職さんの説明によれば、彼はずっとその部屋にいたものの、尿意を催して席を外し、戻ったときには私が倒れていたそうです。つまり、意識を取り戻した部屋には、布団に白い布をかけられた遺体があったのです。
夢だと信じたい気持ちと裏腹に、私はその遺体が「あの女」ではないかという衝動を抑えられず、許可を得て白い布をそっとめくりました。
──そこには、目を「カッ」と見開き、今にも水面から浮かび上がってきそうな、あの女がいました。
住職さんは「あれ、おかしいな」と呟き、目を閉じさせようとしましたが、死後硬直した瞼は閉じず、やがて諦めて白布をかけ直しました。
「やっぱり夢なんかじゃない」──私は確信し、一刻も早くこの水気を帯びた空気の場所から立ち去りたくなりました。仕事の途中でしたが体調不良を理由に帰宅することにしたのです。
普段なら徒歩半時間の道程も、その日は足元が水に沈むように重く、立っているのがやっと。タクシーを呼び、車中から息子に連絡し、厄除けの塩を用意してもらいました。
帰宅するとすぐに塩を浴び、玄関に盛り塩を置きました。しかし、リビングで休んでいても、あの寺で感じたような、水底に引きずられるような眩暈と肩口の重さが再び押し寄せました。そして、耳には「うぅー」という水中の唸り声のような耳鳴りが……。
その時、電話のベルが響き、金縛りが一瞬解けました。受話器の向こうは、以前太秦映画村で知り合った比叡山延暦寺ゆかりの僧侶さんでした。
「……あんた、今、気分悪いやろ」
驚く私に、僧侶さんは昨夜の夢で私を見たと言い、「尼さんの悪霊に取り憑かれてる。このままでは水に沈められるように命を奪われる」と告げました。その尼は生前、徳の高い人だったが、不慮の事故で川に落ち、強い未練を残して亡くなったというのです。水に沈んだまま成仏できず、たまたま波長の合った私に取り憑いた──。
放置すれば必ず取り殺される、と僧侶さんは言い、その日のうちに滋賀から駆けつけてお祓いをしてくださいました。経が唱えられるたび、頭の中の濁流が静まり、身体の重さも嘘のように消えていきました。
あの日以来、私はあの冷たい水の感触を夢でも現でも感じることはなくなりました。けれど、後日談として──あの寺の住職さんは、三か月後、雨の降る夜に川沿いの道路で交通事故に遭い、濁った流れに飲み込まれるようにして亡くなられたそうです。まるで、あの尼が最後に水底から手を伸ばしたかのように……。