艦政本部異聞ー欲張りな戦艦会議録ー
帝国海軍艦政本部、設計第五課会議室。
昭和十四年十二月の寒風吹きすさぶ中、分厚い防火扉の向こうでは熱気が渦巻いていた。
「――繰り返すが、我々の狙いはただの戦艦増強ではない。四一年までに、最新鋭の戦艦を、二隻以上。しかも、量産性、速度、対空性能、防御、そして四〇糎砲以上の火力……すべてだ」
重たい声で口火を切ったのは、第五課課長・永山技術大佐。大和型の影に隠れがちな艦政本部設計陣のもう一人のキーマンである。
「そんなバカな話が通るか!」
机を叩いて立ち上がったのは、火砲担当の中村主事。五〇口径四一糎砲の設計班を束ねる技術屋で、既に予算の限界を痛感していた。
「長門型の後継、という立ち位置で妥協してはどうか? 五〇口径の四一センチ砲を連装で四基、三〇ノット、装甲はバイタル集中……欲張りではあるが、可能性は見える」
「連装では射線の密度が劣る。三連装が理想だ」
冷静に口を挟んだのは、造船計画課の杉村技術少佐。大和型設計にも間接的に関与していた男だ。彼の目は、常に未来を見据えていた。
「しかし三連装四基を積んで三〇ノット出せる船体となると、大和型を越える重量級になる。とても短期間では量産できません」
「……量産とは、最初から『妥協』と隣り合わせだ。だが、時代は待ってはくれない」
永山が机上の設計草案を叩いた。その図面には、見慣れぬ戦艦の姿――細身の船体に、武骨な主砲が四基。艦橋は簡素で、上部構造は極限まで抑えられている。
「試案D-130案だ。翔鶴型の機関を改良流用、船体は平甲板型を基本とし、重量を抑える。その上で、五〇口径四一センチ砲連装四基を搭載し、高角砲と機銃による中〜近距離対空防御を強化。艦載機は不要、航空戦は空母に任せる。これは、戦艦の“純化”だ」
「……だが、そんな急造戦艦が実戦に耐えるのか?」
「我々が設計すれば、耐えるようにする。それが我々の責務だ」
静かに口を開いたのは、設計部門の中堅、井出技術中尉。大和型の高角砲配置を研究し尽くした若手のホープだ。
「航空脅威が主となる未来において、戦艦は上陸支援、突入火力支援、空母随伴火力の三機能に分化していくと予測されます。D-130案は、その『第一歩』になるやもしれません」
「それに、これは後続案にもつながる。もしD-130案が完成すれば、同一船体を流用した“空母型”も計画できる。量産艦体制の中核に据えるならば、ここしかない」
永山が静かに図面を差し出す。そこにはD-130案をベースにした、航空母艦への改設計案――すなわち「量産型中型空母」の案が記されていた。
「空母と戦艦を並行量産する気か……!」
「だからこそ、今から手をつけるんだ。昭和十五年中に試作艦を完成させ、四一年開戦に備える。その頃には、二隻は実戦配備、二隻は建造中。空母型の体制も整い始めている。夢物語か?」
永山が、静かに全員の目を見渡す。誰も答えなかった。
やがて、技術課長の大庭大佐が静かに口を開いた。
「……わかった。だが、主砲と機関には妥協するな。性能が劣れば、すべて水の泡だ」
「承知しています。主砲は大和用技術を下ろし、五〇口径四一センチ砲を可能な限り早期に量産化。機関は翔鶴型改をベースにした三〇ノット型。計画名――『第二艦隊旗艦級』として、仮称“A-140改”で進めましょう」
「“汎用の最高峰”を目指すのか」
「そう、“汎用の最高峰”だ」
会議室の空気が、わずかに緩んだ。だが、設計陣の目はまだ緩んでいない。今はまだ、戦艦の夢が机上にあるにすぎない。だが、それを「現実」にするのが、彼らの誇りだった。
昭和十五年の夜、帝国海軍艦政本部にて。
欲張りな設計案に、未来を賭けた男たちの物語が、また一つ始まっていた。