プロローグ②
黒川堂塾には体術、武芸を学ぶ授業も存在する。加えて現代人であれば九割以上が有すると言われる力『異能』の使い方もまた、その一環とされる。
「今日も俺が仕込んでやるぞぉ!!! 子どもたち、整列ぅ!!!」
声がデカいでおなじみ、講師の暁グレンが逃げ出す子どもたちの背中をニヤニヤと眺めながら、それでも居残るカイリ、ワタル、美月の三人を見下ろす。黒川通と有人にあたる彼は天政国でも屈指の実力者らしいが、詳しいことはカイリたちはまだ聞かされていない。
「今日~も三人か!!! 『サボって煙草吸ってるだけで通さんから小遣いもらえる作戦』をよくもまぁ壊してくれやがって!!!」
(ガラ悪Tシャツ、サングラス、ボサボサの髪、大声、口の汚さ、喫煙……父さんにやるなって言われたこと全部完璧にやってるじゃん)
(本当に講師なのこの人?)
(先生にボコボコにされるの、これで三十七回目になるよ……)
三人の子どもに心底呆れられていることも意に介さず、グレンは鬼教官よろしく声を張り上げる。
「よぅし、君たちの生意気さに敬意を表して、『暁グレンの本気を十パーセントだけ使える権利』を贈呈しまぁす!!! ほらほら、カイリとか好きでしょこういうの? ワタルも、意外と気に入ってるんじゃない?」
見え透いた大人の挑発なぞに今更乗るカイリやワタルではない。だが___『暁グレンの本気を十パーセントだけ使える』という言葉には、流石に反応せざるを得なかった。
天政国の中でも五本の指に入る異能の使い手の本気。それは滅多に見られるものではない。本で学ぶ知識に感じるそれとは異なる知的好奇心が二人の少年を動かす。
「はは~ん、いい目だ。___遠慮なくかかってきなさい」
いつもの通り、異能を使えない美月は一歩後ろに下がり、代わりにカイリとワタルの二人が前に出る。カイリの手元には訓練用の木刀が握られ、ワタルの手には異能を構成する力___『界力』が沸き立つ。サングラスを外し、鎌の刃を感じさせる鋭い眼光には、グレンなりの優しさと、挑戦者に対する好意が含められている。未熟であっても挑戦を止めない二人の少年に、グレンは本気の敬意を抱いていた。
初めに動いたカイリは独特の構え方を取り、突進するかのように木刀で斬り上げを放つ。刀を逆手に持ち、下から上へと斬り上げるという独特な剣術___黒川通が開発した異能剣術『鉄千形流』は斬り上げを基本の型としていることもあり、使い手と相手に身長差がある場合であっても通用しやすい。
カイリはグレンの前で強く踏み込み、顎を目掛け木刀の切っ先が迫る。速度と精度、どれも並以上の水準にあるが、それはグレンという一流が相手では通用しない。僅かに身を後ろに引き初撃を躱したグレンに、カイリは続けざまに技を放つ。体を回転させながら滑らかに剣を振るい、一切容赦の無い突きを見舞う。木刀の先端が躊躇なくグレンの眉間を狙うが、それを左手人差し指の先端だけで止めて見せたグレンは、右手で迫りくるワタルの拳を受け止める。ワタルの拳もまた、界力による身体強化と基礎戦闘技法___天政国に伝わる『銀式』を使った打撃であり当たれば巨岩すら砕く威力を持つものの、グレンの手に握られたワタルの一撃はそよ風すら起こすことが叶わなかった。
「カイリくん、君はシンプルに刀不足。手先に意識が行きすぎて鉄千形流の基本である足腰の意識が足りてない。足腰に力入れないと俺には傷一つつけられないぞ」
「……はい」
「ワタルくんは相変わらず可愛げのない拳だなまったく……もっと相手の裏をかく意識をしないとダメだ。威力は十分だけど、今見たいに威力を殺されたらそれでおしまい。相手の反撃を常に意識することだ」
「はい、ありがとうございます」
二人はグレンとの模擬戦を一年以上継続しているが、飽きっぽいグレンがここまで何度も二人の面倒を見るのは、会う度に成長する彼らに才能を見出したからに他ならない。
(カイリくんは通さん譲りなのもあるけど、とにかく頭がよくキレる。一個教えたら十個学んで、それを全部動員して戦う、用意周到で抜け目がないタイプ。んでもってワタルくんは一個教えたら次の日にもうそれをマスターしてるタイプ。カイリくんみたいに要領がいいわけじゃないけど、一個一個が完璧。二人とも教え甲斐の無い子だねーホント)
もう一人の講師である嘉山は世話焼きでかなり甘やかし体質であり、放任主義かつ実践主義のグレンとはバランスが取れている。時折二人が演習場で行う本気の手合わせ(喧嘩)は堂塾の子どもたちに評判の見せ物である。最近は子どもたちに喜んでもらうためにわざと派手な必殺技も開発するようになった。存外、見せ物となるのも悪くないとグレンは考えている。
「美月ちゃんは今の二人の動きと俺の動きを分析して、鉄千形流と銀式の改善方法を提案するのが宿題ね。今はとにかく目を鍛えることだ」
「わかりました。ありがとうございます、先生」
「うーわっ、気持ちいいなー『先生』呼び。もう一回だけ『グレン先生』って呼んでくれないか?」
「キッショ、ロリコンなのかよグレンさん」
「先生呼び願望なんてあったんですか」
「シャラップだクソ少年ども。お前らは夕紀の兄として不合格!!! 俺が求めているのは美月ちゃんみたいな超お利口、超まとも、超かわいいの三拍子揃った子だ!!!」
「夕紀ちゃんはかわいいけど、肝心の父親がこれじゃあ可哀想だなぁ」
「んだとクソガキ、どう可哀想なのか言ってみろ」
「学校にやってくるグレンさんを同級生に見せるのが恥ずかしくて、『もう私に関わらないでパパ』と呼ばれる。ほどなくして洗濯物も食事の時間も別々になって、やがて一切口を利かないように…」
ほどなくして意気消沈し歩くことすらままならなくなったグレンは、死んだ魚の目で黒川堂塾を後にした。
夜であっても、カイリ、ワタル、美月の三人は共に行動することがほとんどである。読書、映画鑑賞、天体観測、昆虫採集、化学実験、標本づくり、図工工作……当たり前の子どもの日常の全てを三人は共有し合い、三つの異なる元素が結びつくかのように強烈な反応を起こし、大人たちをも驚かせる変化を見せてきた。東京の復興に伴い見られなくなった星空が綺麗に見えるここでは、星を見上げるのが夏の少年少女たちの風物詩となっている。今日もまた、三人は天体観測を続けながら図鑑で読み漁った天体運動について語り合う。
ふと、ワタルは隣に佇むカイリの横顔を見る。黒川家のトレードマークでもある尖った黒髪と、自信と希望に満ちた顔は、その正反対の外見をしているワタルと調和が取れていた。生まれながらの白髪、そして偏屈な幼少期を送ったことで常に自信のない顔ばかりしているワタルにとって、カイリはまさに憧れそのものだった。
そして美月の横顔を見る。まるで童話に登場する美姫のように綺麗な横顔は、いつだって見飽きることがない。だが、時折美月はひどく悲しく、寂しそうに笑う。その時は決まって、肩にかかる一房の髪を___銀灰色の髪の中に混じる血赤色の髪をかき上げるのだ。
美月は家族の話を決して話さない。カイリやグレンが家族の話をする時も、通がワタルや美月のことを自分の息子、娘として扱ってくれる時にも、同じように髪をかき上げ、一瞬だけ悲しそうな顔をする。
自身もまた家族に対して___父に対して複雑な気持ちを抱えているワタルにとって、美月の悲しそうな顔は我が事のように胸を痛める光景だった。
「この星空も本物じゃないんだよな。いつか見てみたいな、本物の星空」
「……本当にできるのかしら、そんなこと。日本が異界化してからもう百年以上経つんでしょ」
「昨日までできなかったことが明日もできないわけじゃない。百年前の人たちは、僕たちが異形と戦ってここまで復興するとは思わなかっただろうさ。それに、父さんが言うには異界化の原因となった七柱の神様……七つの『神器』を使えば、異界化をコントロールできるんじゃないかって言ってた」
「それ、重大な国家機密情報だよね。通さん、大丈夫なのかな……」
「いや、話してもらったんじゃないぞ。グレンさん、嘉山さんと喋ってるところを盗み聞きした」
黒川通は思想面において、天政国における異端である。人々に祝福として授けられた異能に頼らずに成り立つ社会を良しとし、国防隊総隊長となってから行った数々の軍政改革は革新的であった。彼自身もまた能力者であり、異能の価値を認めつつも、決してそこに頼ることを良しとせず、天政国のように異能に頼り切った国の在り方を否定し続けていた。
その目的の行き着く先が日本を取り戻すこと___百年前、この国を襲った『異界化』の解除であることは、もとよりワタルや美月の察する部分であった。息子であるカイリもまたこれを目標としていることは、何ら不自然なことではない。
「隔てられてしまった外の世界……何があるのかな。俺は砂漠に行ってみたいな」
「私は北極に行ってみたい。本物のオーロラを見に行くの!」
「うわーそれもいいな。あとは大きな珊瑚礁、熱帯のジャングル、バオバブの木___なぁ、ワタルは何を見てみたい?」
「僕は……」
二人が楽しそうに笑っている。ワタルが一番好きな瞬間だ。
(……あぁ)
答えなど、決まっていた。
どんなに綺麗な景色が、どんなに壮大で心動かされる景色があろうとも、きっとワタルはこの二人から目を離すことはないだろう。
何よりも美しく尊いものが何か、ワタルは知っているのだから。
(俺は……三人で、一緒にいたい。三人とどこまでも、自由に生きて行けたらそれでいい)
この身に流れる血も、この国のしがらみも、何もかも。その全てを取り払うことが許されるのならば。
(どうか俺たちが___自由になれますように)
* * * * *
___六年後。天政国国防隊本部基地。
「白銀ワタル中尉。貴君の功績を認め、大尉号に任ずる」
「謹んで拝命いたします」
二百名を超える軍人たちが張り詰めた空気を漂わせる中、若冠十八歳の青年が堂々たる歩みで壇上に上がり、勲章と共に辞令を受け取る。スポットライトを反射させる美しい白髪、整った精悍な面持ち、年少にも関わらず物怖じを感じさせない振る舞い___今や若手軍人の間で熱狂的な支持を集める次世代のリーダー、白銀ワタルの姿がそこにあった。能力者としての強さが軍人の能力として重要な指標となる天政国において若い軍人がスピード出世を果たすことはよくあることだが、それでも十代で大尉に上り詰めるのは異例中の異例である。
「あれが大英雄の息子の___」
「父親に似てカリスマがあるな」
「同じ髪の色だ。若い時のシルバーヤマトにそっくりじゃないか」
だが、彼を褒め称える声のほとんどは、彼が望んだものではない。どこに行こうが、『大英雄の息子』であることからワタルは逃げられない。
新たに与えられた宿舎に足を踏み入れ、専用の個室に入るなり、ワタルは勢いよく軍人としての礼服を脱ぎ捨て、輝きを放つ勲章を放り投げた。
体の内側で荒れ狂う汚物を搾り出すかのように、荒い呼吸を繰り返す。何度も何度も顔を洗い、その度に鏡に映る自分自身の姿を呪い、鏡を殴り割る。
一しきり荒れて落ち着いてからは、いつものルーティンに戻る。表情筋を固く固定し、何かのはずみで没収されることのないよう保管していた一つの写真立てを取り出した。
「……あぁ、忘れないさ。それどころか、もっと強まっている」
写るのは、何よりも美しく尊いもの。在りし日の記念撮影で撮った、二人の幼馴染と恩師の写真。
色褪せることのない記憶を胸に、白銀ワタルはかつての自分が決して見せなかったであろう表情を___マグマのように煮詰められた怒りを胸に、窓の外から見えるこの国の姿を見据える。
それは無言の宣戦布告であり、強烈な敵意の表明だった。
「必ず取り戻してみせる。六年前、奪われてた全てを」
プロローグをご覧いただき、ありがとうございます。
ここから始まる本編を是非お楽しみください。