*7 お祭りの魔法が解けても
「もうちょい右……そう……ヨシッ、いけ!」
右肩を軽く叩かれ、そのはずみを合図にするように僕は引き金を引く。ポン! という間の抜けた音共にソフトテニスボールが直径7センチほどの銃口から飛び出し、勢いよく飛んでいく。そうしてそれは、段ボールで作られたゾンビの的に当たった。
「やった! 当たった!」
生まれて初めてこういうゲーム的な遊びで目に見える成果を得た僕は、思わず歓声を上げ、隣で合図をしてくれた渋川とハイタッチをする。
僕らはいま、2年生のクラスのゾンビ退治という名の射的ゲームをしていて、3回目にしてようやく僕はあてられたのだ。
ゾンビ退治に使う銃はバズーカのように大きく、構えるのもなかなか大変だ。それを操りながら、ゆらゆらと左右に生徒が動かしているゾンビに当てる。1回でも当てられると、景品として駄菓子がもらえるようだ。
結局僕はゾンビゲームで2回当てられたので、駄菓子のスナック棒を2本もらった。
「はい、渋川」
もらったうちの1本を渋川に差し出すと、渋川は驚いたように目を丸くしている。てっきり当たり前のように受け取るのかと思ったのに、驚かれるなんて。
「いらないの?」
「いや、でも碧が獲ったのに」
「渋川が教えてくれたから獲れたようなもんだよ。ほら、あげる」
「それはそうかもな」
そう言いながら渋川はスナック棒を受け取ると、早速封を切ってひと口かじる。そんな姿さえ、渋川は絵になるからか、つい、見惚れてしまう。
見惚れる? 僕が、渋川に? まったく思ってもいなかった単語が脳内に飛び出して軽く慌てている僕の様子など構わず、渋川は人懐っこい笑みを向けてくる。
「ウマッ。これめっちゃうまい」
「明太子味だよね、僕も好き」
「コンポタも美味いよな」
「うん、それも好き」
駄菓子をかじりながら僕らは廊下を歩き、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下に出る。晴れ渡っていて風が心地よく、青く虫食いしているけれど、見慣れている景色のはずなのに何だか特別良いものに見えてくる。
「なんか今日いい景色に見えるよな」
まるで僕の胸中を見透かすような言葉を、渋川が声に出して言うものだから、僕は思わず彼を振り返る。ゆるく頬を撫でる秋風と、少し渇いた温かな陽射し。遠く近く聞こえる喧騒に包まれながら見つめ合う僕と渋川は、確かにいまお互いしか映し出していない。しかも、同じことを同じタイミングで考えて。
「碧? どうした?」
「僕も、いま同じこと考えてたから……今日は、いい景色に見えるな、って」
自分でも何を言っているんだろうと思う。でも、いまこの気持ちを、ここで渋川と共有したいという想いが出てきてしまって、そう思った時には口をついて言葉が出ていた。
沈黙が二人の間に漂い、見つめ合う。ほんの数秒だったかもしれないけれど、随分長く感じられた。
このまま、見つめ合ったまま時が止まってしまうんじゃないだろうか、とさえ思いかけた時、渋川がふはっと声をあげて笑い、眩しそうな顔をしてこう呟いた。
「すげー、俺らってめっちゃ気が合うじゃん。相思相愛みたいだな」
相思相愛。愛。その言葉に他意はないはずだ。なのに、なんでその一言がこんなにも僕の感情を昂らせるんだろう。口を開けば鼓動が聞こえてしまいそうなほど、いま僕はすごくドキドキしている。
この感情は何だ? こんな、ドキドキして、恥ずかしさと嬉しさが混じって、ほんのり甘く感じるものは。
「……そう、だね」
この感情の名前を付けていいのかがわからない。でも、失くしたくない。ヘンにごまかしてない事にもしたくないから、僕はただ弱く笑ってうなずくしかなかった。
午後3時で模擬店やステージなどすべての出し物が終わり、文化祭閉幕の放送が流れる。
僕と渋川は自分のクラスに戻って、最後のお客さんの案内をしたりしていた。
「森藤、渋川、今日ってどれくらい片付ければいいの?」
二時間後に後夜祭も行われることもあって、今日の片付けはそこまで本腰を入れなくていいと言われている。僕と渋川はゴミ袋として配布されたビニール袋を手渡しながら、教室内に散らばる紙ごみなどを拾ってくれるように頼んで回る。
「ゴミは週明けに集めるから、教室の隅にまとめといて」
「じゃあ、机とかはまだ戻せない感じ?」
「そうだねぇ、どちみち飾り取らないとだし」
そんなやり取りを、僕はクラスメイトとしながら、手早くごみを集めて拾っていく。渋川は背が高いので、手の届く範囲の飾りを取っては袋に入れている。黒づくめだった教室がじわじわと日常を取り戻していく。
(今日はまだこうやって、みんな何でもないように話しかけてくれるけど……明日からは、また、遠巻きにされるのかな)
いまは非日常の中にいるから、異端視されている僕が気にならないだけで、文化祭の魔法のような効果がなくなってしまえば、きっと僕はまたクラスメイトから冷たい目を向けられるのかもしれない。
そんなの、いつものことじゃないか……解りきって、慣れ切っているはずなのに、なんだか胸が痛い。その中に渋川もいるのかもしれない、なんて考えると、余計に胸が苦しくなる。
今日までの数カ月間、渋川は僕と行動を共にしていてくれた。何かと上げ足を取られたり、阻害されたりしがちな僕を、彼はフォローして庇ってくれた。でもそれは、同じ実行委員だからに過ぎない。
明日からは、ただのクラスメイト。そうして僕らは受験生になっていって、もうお互いを泣かんと思わなくなるんだろう。
「……寂しいな」
ごみを拾い集めながら、小さく呟いた独り言が、やけに耳に障る。いままで感じたことがない感情に、戸惑いを覚え、手が停まってしまう。
何を今更寂しいなんて思うんだろう。みんなが、BLUEという奇病に発症している僕の姿を拒むのは当然だと思っているはずなのに。
「碧ー、そろそろ後夜祭始まるって!」
潤みそうになった視界を、慌てて拭って振り返ると、渋川がまるで子供のようにキラキラした顔を僕に向けていた。
後夜祭はキャンプファイヤーが行われて、花火も上がるという。それが楽しみなんだろう。
「あ、ああ、そうなんだ……」
でもそれに、僕が一緒に行くことなんてないだろう。もう、お祭りの魔法は解け始めているのだから――
「碧、一緒に行こうよ」
「え……?」
「今日はずっと一緒つったじゃん」
差し出された言葉と手の意味を問う間もなく、僕は渋川に手を握られ、半ば強引に後夜祭の会場であるグランドへと連れ出されていく。もうじき点火されるらしいキャンプファイヤーの周りには生徒がたくさん集まっていて、みんな歓声を上げている。その中の一角に、僕らのクラスメイトがいて手を振っていた。
「来た来たー! 実行委員~!」
「お疲れ~!」
いつの間に用意したのか、コーラのペットボトルが配られ、誰かが声高に乾杯を叫ぶ。グラスではなくペットボトルでの乾杯だけれど、みんな構うことなく杯を煽っている。
「色々任せちゃったけど、上手くいってよかったよな」
「お疲れ、森藤、渋川!」
「お前らマジ調子いいよなぁ」
「まあまあ、終わったんだしいいじゃん!」
ね? と一人の女子が僕に笑いかけてきて、「お疲れ」と言ってくれた。いままで、そんな労いなんて受けたことなかったから、僕はすごくびっくりして、「お、お疲れ」と、小さな声で返すので精一杯だった。
誰かに褒められるような事や、感謝されるような事なんて今までになかったから、舞い上がりつつも労いの言葉を駆けてくれるこの状況に圧巻されてしまう。
ぼぅとみんなの様子を見ていると、突然肩を抱き寄せられ、間近には渋川の顔があって、また僕の胸が跳ねるように高鳴る。
渋川はまるでそれが聞こえたかのように僕の方に振り返り、こう笑いかけてきた。
「お疲れ、碧。お前のお陰で、最高の文化祭だった」
それは僕も同じだ、と言いたかったけれど、なんだか口を開くと泣いてしまいそうなほど感情が高ぶっていて、ぐっと口を引き結んでしまう。
それでも何かを言わないと、とは思っていたので、僕はひとつ深呼吸をして、渋川に返した。
「僕も、最高に楽しい」
ようやく返した言葉は、渋川に届いたのか、一瞬きょとんとして頬を染めたかと思うと、渋川はヒマワリのように笑い、僕の肩を抱き寄せてきた。
鼻先に、日向のにおいとコーラの甘いにおい、それから……渋川自身のにおい?
意識した瞬間、たまらずに頬が染まり耳まで赤くなっていく。でもいまだけは、気付いていないふりをして、みんなで打ちあがり始めた花火を見上げていたかった。きっとそれに染められたものだと、思ってくれるだろうから。