*6 祭りの騒ぎのせいにして
多少のトラブルはありつつも、どうにか「謎解きお化け屋敷」のセッティングを終え、当日を迎えた。
文化祭は二日間行われ、一般の人も出入りできるようなっている。近隣の学校より一足先に開催されることもあって、文化祭シーズンの口火を切る感じになる。
「3の2、謎解きお化け屋敷でーす。おもしろいよー」
「謎解きのレベルを選べまーす。簡単と難関、どっちがいいっすかー」
天気にも恵まれた週末、文化祭はまずます盛況に見えた。中庭では火を使った飲食系の模擬店が開かれていて、すでにすごい行列だ。
僕らのクラスも、体験型が2種類合わさっているせいか、結構人目を惹くようで、割とお客さんが来てくれる。
「碧、次は難関が10人ね」
「ああ、うん」
僕の係りは出題動画をお客さんに見せる係りで、ルール説明も併せて行われるので特にお客さんと喋る機会はない。しかも、雰囲気を出すために、教室の3分の1の広さを謎解きの控室を兼ねたルール説明のコーナーにしているので、暗い飾りつけになっている。だから、僕の青い眼や髪が人目に無駄に曝されることはない。
僕としては受付でも良かったんだけれど、青い髪で青い眼のやつがお化け屋敷の受付なんて雰囲気ありすぎる、とか何とかまたしても黒田が言うので、こうして裏方に回っている。
お化け屋敷と化した教室のあちこちからは悲鳴や笑い声が上がり、時折、「やっぱギブするー」という情けない声も上がったりする。
謎解きは簡単も難関もどちらも4問で、導き出した数字を並べると脱出用の鍵の番号となり、それを出口の鍵のダイヤルを回すと脱出できる仕様になっているのだ。
この謎解きが、クイズ好きのクラスメイトの本を借りて作ったらしく、なかなか難しい。
例えば、1問目は、『A=4、F=2、S=?』といったものがある。ちなみに答えは9。ヒント動画には、『英語にすると?』とだけ表示されるのみで、ちょっと頭を柔らかくしないといけない。
あとは定番のマッチ棒問題や9マス問題などで、高校生が解くには簡単、というレベルなのだ。
「へぇ……結構凝ってるよなぁ……」
正直、何をやるかを決めるまでも、決まってから準備をする間も、ずっとクラスのみんなにやる気が感じられなかったから、問題とか適当に作っているんじゃないかと思っていた。
だけど実際目にしてみると、手を抜いているどころか、しっかり考えられているのがわかる。お客さんに配る解答用紙を見ながら呟いていると、「でしょ?」と、言う声が耳元で聞こえ、飛び上がらんばかりに驚いた。
吐息のかかった耳元を抑えながら振り返ると、口元を抑えて笑いをこらえている渋川がこちらを見ていた。
「なにすんだよ!」と言いかけた僕の口を、渋川は反対の手で塞ぐ。その手の感触が、暗がりのせいか妙にありありと感じられる。少し乾いていて大きく長い指先は、僕のあごの辺りを簡単に覆ってしまっている。塞ぎつつもわずかに隙間はあって、少しだけ呼吸しやすくなっている。そんな細かい気遣いができる渋川の様子を窺うと、「シーッ」と言いながら人さし指を唇に当てている。その顔はなんだか楽しげだ。
渋川の手が、僕の唇に触れている……たったそれだけのことが、妙にドキドキしてしまう。心臓が、うるさいくらいに鼓動している。
なんでこんな事をされているんだろう……と、じっとしていると、やがて耳に音が戻り始める。ちょうど今、新しいお客さん達が入って来たらしく、説明動画を流しているところのようだ。
どれぐらいの時間そうしていただろう。動画は確か5分くらいの長さだったと思うから、それぐらい、僕は渋川にそうやって口を塞がれつつ見つめ合っていた。その時間が、永遠のように感じられたけれど、決して苦ではなく、寧ろ嬉しく思っているのが不思議だ。
やがてお客さん達が謎解きのスペースへと移動していき、早速悲鳴が上がる。それが聞こえ始めてようやく、渋川は僕を解放してくれた。
「も、もう、なんで口塞いだりするんだよ」
「ごめん。だって説明始まるからさ、静かにしないとって思って」
「それなら口で言えばいいじゃんか……」
「あ、そっか。っていうかさ、碧、何かさっき言ってなかった?」
「え? ああ、問題が結構良くできてるなぁって思って。こう言うの作れるやつって頭いいんだろうなぁって」
僕が、暗がりにぼんやり浮かぶ白い紙に、解答欄が印刷されたメモ用紙をひらひらさせていると、「まあね」なんて渋川が言うのだ。ちらりと横目で彼を見ると、心なしか得意げにしている気がした。
「なんで渋川がドヤ顔してんの? これ、係りのやつが作ったんじゃないの? クイズの本見て」
「だってそれ、俺が作ったやつだもん」
「え、そうなの?」
驚いて大きめの声が出そうになって、僕は自分で自分の口を抑えたのだけれど、渋川はなんだかニヤニヤした顔をしている。
「意外、って思っただろ? 俺、結構頭いいんだよ」
「……自分で言うなよ」
「でも、すげぇって思ってくれたんでしょ、碧」
ニヤニヤしているけれど、でもいやな感じは受けない渋川の顔が、僕を見つめている。まるで、獲物を取ってきて得意になっている猫のようで、可愛く思えてくる。いつもの懐っこさとは違う、明らかに僕にだけ甘えているような仕草に、なぜか胸の奥がきゅっとなる。
その甘い痛みが心地よくて、つい、僕は呟いていた。
「うん……渋川は、いいやつだよ」
あれ? いま、僕は何を言った? 自分で自分の呟きの中身を振り返ろうとしたその時、それまでちょっと後ろに座っていた渋川がぐっと迫って来て、突然肩を抱いてきたのだ。
「それ、本気? 本気にしていい?」
「え、う、うん……」
暗がりというイレギュラーな状況の上の急接近に、何故か心臓が跳ねあがるほど鼓動している。なんでだろう、彼が間近に迫ると、ただそれだけが理由でないドキドキを覚えてしまう。
渋川はいつの間にか懐っこい笑みから真面目な顔に変わっていて、まっすぐに僕を見据えている。何か、僕に文句とか言いたいことでもあるんだろうか……内心びくびくしながら彼の言葉を待っていると、唐突に、渋川はほんの少し顔を上にずらし、そしておでこと前髪の辺りにふわりと触れた、気がした。
「……え?」
何を、されたんだろう? いま、おでことかに触れた? でも、何で? 状況が呑み込めず、呆然としていると、それまで真剣だった渋川の顔がパッと明るくいつもの懐っこい笑みに変わり、僕の手を掴んで立ち上がる。
「し、渋川?」
「よっし、碧にジュース奢ってやるよ」
「え、なんで?」
特に何か彼を喜ばせるようなことを言った覚えもないし、言ったとしても、奢ってもらえるほどのこととは思えない。そう言っても、渋川は僕の手を放す様子もないし、足を止める気配もない。
受付のクラスメイトに僕と渋川で休憩を取ることを告げ、僕らはそのまま手を繋ぎ合ったまま校内を歩き始める。
廊下にはウチの学校の生徒と、一般のお客さんもたくさん歩いている。皆一様に楽しそうだ。
前の高校でも、一応、文化祭のようなものはやっていたし、参加をしようとしたことはある。しようとしたけれど、結局当日、足が学校に向かなかった。
――森藤いるとさ、集客悪くなる気がするよな。
準備の狭間で耳にしたクラスの誰かの言葉。いままでだって似たような言葉を浴びせられてきたし、慣れてきているつもりだった。だけど、あの時の言葉と、それに賛同するように嗤っているクラスメイトの声を聞いてしまったら、もう、そのクラスに居続けることができないと思った。
「卒業まであと少しじゃない。我慢して登校しなさいよ。またいつものワガママなの?」
「それはお前に似たからじゃないのか」
「私のせいだって言うの? あなたの家系かもしれないのに」
「ウチにこんな変な奴はいない」
積もり積もった傷からの痛みに耐えられなくなった僕は、不登校になり、部屋に引きこもるようになった。それが一年前の話で、同時に両親の中も最悪になっていた頃でもあったので、家にいても地獄に変わりはなかったのだ。
僕の青い髪と瞳をきっかけに二人がケンカになるのはしょっちゅうだったけれど、それを泣いて止めるほどに僕も両親の仲をどうにかしようという気力もなかった。
もう、どうでもいい――そう、僕が二人に吐き捨てるように言ったことで、僕らの家族はバラバラになったのだ。
(僕なんかがいたから、父さんも母さんもケンカばかりだった。クラスの文化祭の準備だって、僕のせいでトラブルがあったりしたし――)
「碧! ジュース何がいい?」
いつの間にか僕らは食堂の自販機コーナーの前にいて、渋川がにこにこと僕に飲みたいジュースを訊ねている。
「あ、じゃあ、オレンジジュース……」
「オッケー」
そうしてジュースを結局奢ってもらい、それぞれ飲んでいると、「あのさ、」と、渋川が食堂の外のフランクフルトの店を見ながら指をさす。
「何か、腹減らね?」
「減ったかも」
「じゃあさ、じゃんけんで勝った方がフランクフルト奢るてのはどう?」
突然そんな提案をし、拳骨を構え始める渋川に、僕は苦笑し、「そこは負けた方じゃないの?」とツッコミを入れる。しかし渋川はあくまで勝った方だと言い、「負けるが勝ちっていうだろ」なんて笑うのだ。
ただフランクフルトを賭けてじゃんけんをするだけなのもおもしろくないので、僕は少し考えて提案してみる。
「じゃあさ、負けた方はフランクフルトを奢ってもらう代わりに、今日一日勝った方の言うこと聞くってどう?」
「お、いいね。それくらいハンデないとおもしろくないもんな」
まあどうせ俺が勝つけど、と言いながら、渋川は不敵な笑みを向けてくる。僕だって、じゃんけんに負ける気はしていないからこそ、ああいう提案をしてきたのだ。
一瞬軽く睨み合い、「じゃーんけーん……ぽん!」の掛け声とともに僕はチョキを、渋川はグーを差し出した。明らかに僕の負けだ。
どんな命令が下されるのか、と少し不安に近いものを覚えながら彼の言葉を待っていると、渋川は懐っこそうな顔でこう言ってきた。
「よっしゃ、じゃあ、今日、後夜祭まで俺と一緒にいろよ、碧」
「え……後夜祭も?」
「当たり前じゃん! あと、いまからも俺と一緒な」
言うこと聞くのは一つだけじゃないの? と言おうとして、僕は提案が一つだけ、という文言が含まれていなかったことを今更に気付く。
しまった、厄介なことになったな……と、思いつつも、再び手を繋いで歩きだす渋川の手のぬくもりにドキドキしてしまう。
――この気持ちは、一体何なんだ?
「行こう! ふたりで回った方が楽しいし!」
そう言って僕の手を牽く渋川の横顔は、木漏れ日のようにやさしくきらめく。そのきらめきが眩しくて、僕は少し俯きそうになりながら必死についていった。